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第二話-2
『おはよう。麻陽が好きそうなケーキ屋を見つけた。ここ知ってる?』
午前八時。のんびりと目覚めた麻陽は、通知を押して彼のトークルームを真っ先に開く。
写真が添付されていた。車内から撮ったのか、ガラス越しに店の看板が写っている。知らないところだ。
『知らない』
そう打ち込んでシャワーに向かおうと思ったのだが、なんとすぐに既読がついた。
これはまさか今から返事がくるのでは。そう思って画面を睨み付けていると、思ったとおり、トークが追加された。
『今度行かない? 昼の時間で大丈夫。ご馳走させて』
『やったー。いく』
『じゃあ明後日はどうかな。今日と明日は忙しくて』
麻陽がすぐに出勤を確認すると、明後日の昼間は偶然、オーナーによる気遣いの昼間オフだった。
『いけるよー』
『よかった。時間と待ち合わせ場所はまた連絡する』
それを見て、麻陽はようやくシャワーに向かった。
麻陽には店舗内の一室が自室として与えられている。それは仕事中に使う部屋とは違うところだが作りは同じで、特別広いわけでもない。しかしもう三年もここで暮らしているから、麻陽も狭さには慣れたものだ。もともと物も少なく不便に思ったこともなくて、麻陽にとっては城である。
シャワーを終えて麻陽が部屋に戻ると、ちょうどボーイが入ってきた。
「お、あっちゃん。居ないんかと思った。今日の午前中の客キャンセルね。対応終わってるから」
「えー、ひまー」
「オーナー来てるからさ、着替えたら奥おいで」
「え! ツクモさん来たの!?」
「ふは、本当犬だなーあっちゃん」
クスクスと笑いながら、ボーイは楽しげに部屋を出た。麻陽は髪を乾かすことも忘れて着替えると、すぐに出て行ったボーイを追いかける。
「うお! 早すぎだろ!」
「ツクモさん元気だった?」
「元気も元気、あの人が元気ない時ねえって」
「そっか」
麻陽を呼びにきただけだったはずのボーイは、結局奥まで麻陽を連れた。
スタッフルームのさらに奥。オーナーだけが入室できる、キャストもお断りのプライベートルームである。
ボーイは寸前まで来ると「ゆっくりしてね」と手を振ってロビーに戻る。それににこやかに返して、麻陽はすぐに扉を開けた。
「ツクモさん! おかえり!」
「おう麻陽。相変わらずちっちゃいなあ、って、髪くらい乾かしてから来いよ」
熊のような大柄な体に、重たい雰囲気。輪郭も骨格もゴツゴツとしていて男らしく、眉も太ければ目力もある。明らかに堅気ではない雰囲気の彼が、麻陽を拾ってくれた恩人の〝ツクモさん〟だ。
麻陽は慣れたようにツクモの膝に向かい合って座ると、その大きな体に抱きついた。ツクモも慣れているのか止める様子はなく、灰皿に置いていたタバコを持ち上げて吸い込む。
「……タバコ……赤ちゃん産まれたの!?」
「お、そうそう。産まれたよ。おまえの妹ちゃんだぞー」
「え! 嘘、見せて、見たい!」
「待て待て」
ツクモの番が出産をするということで、ヘビースモーカーだったツクモが禁煙をしていた。一人目の出産の時もそうだった。産まれても家では吸わないのだが、外ではある程度許してもらえるらしい。
わくわくとしながら待っている麻陽に、ツクモはすぐにスマートフォンの画面を見せる。そこには、産まれたての赤ん坊の眠る姿が写っていた。
「可愛いだろ?」
「かわいい!」
「そうだろそうだろ。皇紀 も大喜びでなあ、妹見に病院行くって毎日毎日うるせえ」
「皇紀くんも元気? この間五歳の誕生日だったよね?」
「ん、元気。……つーか、気になるんならうちに住んでもいいって何回も言ってるだろ」
「それはいいよ。他人がいたら寛げないだろうし」
麻陽が世話になっていた叔父家族は、麻陽が居ることで居心地が悪そうだった。麻陽の顔を見なくても家のどこかに居ると言うだけで落ち着かないらしく、ずっと麻陽の存在を意識していたし、あまり笑顔も浮かべていなかったように思う。
ツクモのところにまでそんなふうになってほしくはない。恩人であるツクモには幸せであってほしいと思うのは当然のことである。
「おまえはオレの家族だろうが」
「ん? うん。そーだよ。僕とツクモさんは家族」
「それなら一緒の家に住むのなんか普通だ」
「んー、でもさ、僕マドカさんとは会ったことないわけだし」
「おまえが散々拒否ったからな」
「だから一緒に暮らすとか無理無理」
「おまえが! 散々拒否ったからな!」
ツクモが幾度となく「番も会いたいって言ってるから」と麻陽を家に連れて行こうとしても、麻陽が頷くことはなかった。断られる理由は様々で、仕事があるから、行く気分じゃないから、甘い物を食べたいから、挙げ句の果てには「行く意味もなくない?」と言い出す始末。無理に引っ張るのも違うとツクモはそのたびに折れてきたが、ここでそれを理由に同居を拒否されると話は変わる。
「おまえは寂しがりやだし、うちに来たくない理由もなんとなく分かる。おまえにとっては家族がトラウマみたいなもんだ。だけどなあ、ずっとそのまんまってわけにもいかねえだろ。おまえもそのうち結婚とかすんだから」
「え、僕結婚するの?」
「知らねえけど……いつかはするだろ」
そういえば彼も「いつかは結婚をするんだろうし」と言っていたような気がする。
まったく考えたこともなかった。麻陽に家族が作れるとも思わない。作り方も知らないし、家族のあり方も分からない。
麻陽が誰かと結婚したところで、うまくいくはずがない。
──風俗あがりのオメガなら結婚も難しい。
彼もそう言っていたし、麻陽には結婚など程遠い機会である。
「僕はいいや、結婚とか。家族もいらないし。ツクモさんが居るもん」
「そりゃあおまえ……あー。こんっなにも可愛いおまえが独り身になんかなるわけないだろー!」
ツクモは自身の膝に座っている麻陽を抱き寄せると、ぐりぐりと額を押し付けた。
「そうだ麻陽、友達ができたって聞いたぞ」
「友達? あ、そーだ、言われた」
「ん? おお、まあそうか。よく分からんが……どんな相手だ?」
「どんな?」
麻陽はもともと人に深入りするタイプではないため、印象を聞かれてもいまいち難しく、悩むようにうーんと首を捻る。
「……なんかいっつも大変らしくて、よくカリカリしてる。僕にたくさんいろんなこと言うけど、最後には謝ってる人」
「なんだそいつは。年齢は? 性別は? バース性は?」
「年齢は知らない。働いてるって言ってたから社会人じゃない? 男の人で、アルファだって言ってたよ」
「アルファ!? アルファがおまえとどうやって友達になんだよ!」
「…………水かけられてから?」
「なんだそれ」
すっかり麻陽のペースに巻き込まれ、ツクモはがくりと肩を落とす。
「んじゃあ名前は」
「ことりさん」
「……はあ?」
「ことりさんって人」
「小鳥……女じゃねえの?」
「男の人だよ、たぶん。声も低いし、体もおっきい」
彼のことを思い出しながら語る麻陽のかたわら、まったく意味の分からない情報だけを聞かされたツクモは、やっぱり呆れたようにため息を吐いていた。
*
彼との約束の日の朝。
麻陽はなぜか、目覚ましより早くに起きた。
朝の客は三人、それを迎え入れる準備をするべく風呂を終えると、彼からのメッセージ通知が届いていた。
『おはよう。今日の約束、忘れないように』
時間と場所は昨日のうちに送られてきた。
時間に厳しい彼のことだから心配になったのだろうかと、そんなことを想像すれば、麻陽の口元は無意識に緩む。
『はーい』
『挨拶しなさい』
『おはよー』
『よろしい』
相変わらず返信が早い彼とどうでもいいとも思える会話をするこの時間が、麻陽は案外嫌いじゃない。
(ことりさんってまめだなー)
既読も返信も早い。麻陽が返し続ける限り、彼も返信を続ける。いったいどこで終わるのかといつも麻陽は張り合うのだが、先に眠る麻陽が彼に勝てたことは一度もなかった。
彼とのメッセージのやりとりは、麻陽の生活の中にすっかり溶け込んでいる。起きてからと、仕事の合間、寝る前にもやりとりをして、ずっと会話をしている気分である。
彼は麻陽が寝落ちたことが分かると、「おやすみ」とメッセージを終わらせる。
朝起きたとき、その「おやすみ」と「おはよう」が並んでいるところを見て、麻陽は少しだけおかしくなるのだ。
「あっちゃん、お客さん」
しばらく彼とやりとりをしていると、ボーイが部屋にやってきた。どうやらもう仕事の時間になったらしい。
麻陽はスマートフォンをベッドに放り投げて、すぐに部屋を出た。
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