7 / 7
第三話 薫種
(そんな保護施設に……)
閉じ込められる。
番わなければ短命な薫種を、保護する為の施設であることは分かっている。
だがいまの飛蘭にとってその場所は、今までの自分と自由を捨てることになる場所だった。
「済まない医生……少しひとりにしてくれないか」
「飛蘭、ですが……」
名前を呼ぶ医生の表情は、あくまでも冷静だ。だがその瞳が時折、揺らいでいるのが分かってしまう。
全てが今更足掻いたところで、どうすることも出来ないのだ。
翼を切られたことも、それによって薫種に変異してしまったことも。保護施設に行くことも。
凪いだ海のように静かな心で、飛蘭はそんなことを思う。だがそれとは裏腹に自分の中で、激しい感情がふつふつと奥底から湧いてくることに気付いていた。
出来ればひとりになりたい。
ひとりになってこの感情に向き合いたい。
でなければ自分はきっと駄目になってしまう。
「大丈夫だ、医生。思い詰めてこの三層目から飛び降りたりなんてしないから。ただちょっと、ひとりで色々考えたいんだ」
頼むと、飛蘭は真剣な表情で医生に向き合った。
医生が少し考えていたが、やがて分かりましたと応えを返して、病室を出ていく。
足音が遠ざかっていくのを確認して飛蘭は、無意識の内に震える息を隠すことなく、先程景色を見ていた楼台の桟枠に近付いた。
最後の足掻きとして確かめたかったのだ。
どうしても震えてしまう息遣いのまま、飛蘭は桟枠の向こうに見える景色に向かって、鳥の声で歌った。
春を目覚めさせて、迎え入れる喜びの歌を。
それは雨神の眷属である精霊達と、共に歌ったものだ。
春花を咲かせた木々がさわわと優しい音を立てて揺れ、水路の底でまだ蕾の月華南蓮は歌に合わせて優雅に花開き、やがて飛蘭の歌声に惹かれて鳥達が桟枠に集まってきて、共に春の喜びの歌を歌う。
──はずだった。
「……っ!」
木々や花は何の反応も示すことはなかった。鳥達は夕闇が迫る黄金の空の中を、寝床に向かって飛んでいく。あたかも『渡り』の歌など、ここには存在していないと言わんばかりに。
飛蘭は自身を鼻で嗤うと、やがて口から乾いた笑いが洩れ出した。
分かっていた。
薫種になったのならば、もう平種として『渡り』としての歌の力など、消えてしまっているだろうと。分かっていたというのに、わざわざ歌ってわざわざ確かめて衝撃を受けるなど、自分は一体何をしたかったのだろう。
それでも確かめられずには、いられなかった。
飛蘭はもう一度、外の景色に向かって春の喜びの歌を歌う。
『渡り』の歌の中で覚えるのに一番苦労したのが、この歌だった。
秋に次世代へと繋ぐ為に落とされた種が、凍てつく冬を乗り越えて、新しい生命として春に芽吹く。『渡り』の春の歌はまさに新しき生命の力強さを歌うものであり、誕生を助ける為のものだ。教えられた通りに歌えなければ当然『力』は発動しない。
ほんの数日前までは、雨神が生み出す春の精霊達と楽しく歌っていた。飛蘭が歌うたびに、花は綻び、鳥はたくさん集まり、共に春の訪れを喜んだ。
それがもう何の役にも立たない。
何の歌の『力』も発動しない。
(……せめてまだ平種であれば)
次代の『渡り』となる者に、自分が身に着けた飛び方や『力』を込めた歌い方を、教えることが出来たかもしれないというのに。もう里にすら戻ることも出来ないのだ。
今までの自分が全てなかったことになる恐怖は、まるで底のない落とし穴にずっと落ち続けて行くかのような、そんな途方もなさを感じさせるものだった。
次第に震えを帯びていく歌声は、すでに存分に濡れているかのように上擦り、病室の中に響き渡る。それでも飛蘭は歌い続けた。歌っていればいつか、木々や花が反応してくれるのではないかと、儚い願いを込めて。
そんな痛々しい歌声を包み込むように、ふわりと甘い香りがした。
誰なのかすぐに分かった。
不意に背中から優しく抱き竦められる熱い体温を感じて、飛蘭の視界はついにぼやけ始める。
「……王……っ、君……」
ひとりになりたかった。
こんな涙混じりの歌声を、『力』の失った歌声を豹雅に聞かれたくなかった。
だがたった十日、彼と共にいただけだというのに、彼の手や腕、そしてこの春花のような甘い香りが、ひどく安心できるものだと知ってしまった。
「王……君、おれ、は……!」
薫種になってしまった。『渡り』としての『力』を失ってしまった。
今までの自分を失ってしまった。
そう豹雅に伝えたかったというのに、言葉が感情の昂りによって途切れ途切れになってしまう。嗚咽が混じって掠れた声は、とても聞き取るに堪えないだろう。だが豹雅が時折、応えを返しながらも拙い言葉を聞いてくれている。そう思うだけで飛蘭は、嬉しさと情けなさが同居したような、複雑な気持ちになった。次第に息継ぎも会話も成り立たなくなって、涙ばかりがとめどなく溢れていく。
翼を切られた自分の不注意さと情けなさ。
薫種へと変異してしまった理不尽さ。
『渡り』としての今までの自分が、何も残らない悔しさと悲しみ。
「何でこんな……っ! せめて、せめて……──っ!」
──平種であればよかったのに……っ!
●・○・●・○・●・○・●・○・●・○・●・○・●・○・●・○・●・○・
試し読みはここまでになります。
続きは10/11(土)より各書店にて配信スタート!
書籍の購入
ともだちにシェアしよう!





