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第二話 異変-2
「──そう怒るな、飛蘭。今日は客人を連れてきた」
「客人?」
「ああ。あの事件からずっと挨拶に伺いたいと言われていたんだが、弟には今回の『翼狩り』の残党を追って貰っていてな。ようやく片が付いたので、会ってやってほしい」
豹雅に揶揄われて膨れっ面をしていた飛蘭が、病室の入り口を見る。
入ってきたのは豊かな金糸の髪を高く結い、背にさらりと流した青年だった。豹雅によく似た顔立ちをしているが、彼の方が物柔らかな印象だ。飛蘭が視線を交わすと、青年は紫黒色の双眸を優しげに細めてみせる。
「王 弟 君 ……!」
飛蘭は慌てて寝台を降り、両手を胸の前で組み合わせて礼の体勢を取ろうとした。だが青年が柔和な笑みを浮かべると、それを手で制する。
「ここでの療養はまだ十日ほどだと聞いております。ご無理をなさいませんよう」
「……是 」
耳心地の良い穏やかな声だが、有無を言わせない毅 さのようなものを内に感じて、飛蘭は素直に応えを返した。
豹雅が連れて来たのは、異母弟である王弟、怜 豹 だ。
王と同じくこの国で、王弟の顔と名前を知らない者などいないだろう。
豹雅よりも身体は細身だが、速さのある剣技と札を使った術を得意とする彼は、王同様に『翼狩り』の討伐隊によく参加しているという噂を聞いたことがあった。
(もしかして、あの時も……)
飛蘭がそう思った須臾。
自分に向かって深々と頭を下げる怜豹の姿に、飛蘭は身の竦む思いがした。
「──王弟君!」
「ご挨拶が遅くなり、大変失礼致しました。この度の件につきまして、深くお詫び申し上げます。私もあの時、討伐隊におりました。禁足地とも謂われております『渡り』の昇降地にて、このような事件などあってはならぬこと。不便がございましたらどうぞ申し付けを。出来る限りのことは致します」
「王弟君……どうか頭を上げてください」
飛蘭の言葉に従って、怜豹が頭 を上げる。悲しげに自分を見る怜豹がとても痛ましく感じて、飛蘭は彼に向かって微笑んで見せた。
「『渡り』の飛蘭と申します。お気遣い感謝致します、王弟君。聞けば『翼狩り』の残党を、追ってくださっていたとのこと。有翼人にとって、統率を失くし離散した残党ほど、何を仕出かすか分からず、怖いものはありません。残党を狩ってくださり、ありがとうございます。これで初夏から『渡り』の役目のある仲間も、安心して飛ぶことが出来ます」
あの時、捕らえられた『翼狩り』もいたが、森の奥へ逃げた者もいた。森の奥深くには『渡り』の里がある。目視出来ない位置にあり、目眩しの効果のある結界を張っている為、発見されることはないと思うが、やはり不安要素だった。その残党が狩られたということは、ひとまずは安全だということだ。
本当に良かったと笑う飛蘭を見て、怜豹が小さく息を洩らした。
「──貴方は……性根の美しく、真っすぐな方ですね。どおりで兄上が通われるわけだ」
「え?」
「いえ。こちらこそ貴方のお気遣い、お心遣いに感謝致します。お困りになりましたら、いつでも頼ってくださいね」
そう言ってにこりと笑う怜豹に向かって、咳払いをしたのは豹雅だ。
「怜豹、残党の中に黒の片翼を持った奴はいたか」
「……いいえ。今回の根城らしき建物も発見しましたが、どこぞやで盗んだ金品ばかりで、片翼は見つかりませんでした。どこかへ隠したか、もしくは……」
「──未だに持って逃げている、か」
豹雅のどこか冷徹な口調で語られる事柄に、飛蘭は心の臓を冷ややかな手できゅっと掴まれたような気がした。自分の翼を切った『翼狩り』が、まだ逃亡している事実に身の竦む思いがする。
「可能性はあると思います。それに痕跡を残さず、まるで煙のように消えてしまうこの手口」
「頭 か」
是、と怜豹が深刻な面持ちで応えを返す。
「こちらも可能性の域を出ないですが、おそらく」
二人の言葉に飛蘭の脳裏に浮かぶのは、底知れない深淵のような闇色の目を持った、黒装束の男だった。
(あれが……)
あれが、『翼狩り』の頭 。
「そうか……頭 は一度狙った獲物には執拗と聞く。『渡り』の皆も不安だろう。怜豹、次の彼らの旅立ちまで、昇降地周辺の警備の強化を」
「分かりました。典薬処はどうされます?」
「今も数人、医生に紛れ込ませてはいるが、数を増やす。こちらのことは気にしなくて大丈夫だ」
「……是。では早速、手配致します」
怜豹は豹雅に向き直ると胸の前に手を組み、一礼をする。
「飛蘭、聞いていた通りだ。しばらくの間、昇降地の森と典薬処の警備を……」
豹雅の声は聞こえていた。
だがどうしても黒装束の男の姿が、頭の中から離れてくれなかった。
にぃと細める目を見た刹那の内に、自分の翼を切ったあの男。
──また取りにきますよ、忘れ物を。
頭 の残した言葉が脳裏を過って、背筋が凍りついた。
翼を切られた時の、身の底から這い出てくるかのような、あの痛みと寒さを思い出して、身体が震え出しそうになる。
だが。
「あ……」
豹雅の大きな手が、慈しむように飛蘭の頭に触れた。
たなごころから感じられる温かさに、とくりと胸が高鳴る。
(ああ……そうだ。この手は)
『翼狩り』から守ってくれた手だ。そして翼切の痛みに寄り添ってくれた手だ。
飛蘭は自分の中にあった恐怖心が、ゆっくりと霧散していくのを感じていた。胸の中がまるで、彼の手の体温が移ってしまったかのように温かくなる。
「飛蘭、貴殿の前で頭 や翼の話など……私が不躾であった。済まない」
「──っ!」
優しくもどこか悲しそうな瞳に見つめられて、心の臓が大きく脈打った。
(この方は、どこまで誠実で優しい方なのだろう)
豹雅が話をしている最中でも、どくりどくりと一層強くなる鼓動がやけに耳についた。同時に呼吸が少しずつ乱れて苦しくなる。
息を呑んだのは豹雅だった。怜豹もまた異変に気付いたのか、飛蘭の名前を呼ぶ。
自分の荒々しい息が不快で仕方なかった。
二人が自分達『渡り』のことで、こんなにも心を配ってくれているというのに。それに『翼狩り』の頭 の情報について、自分はまだ礼も言えてないのだ。
「お話、いただ、き……ありが……ございま……」
飛蘭は言葉を紡いだ。
だが上手く声が出せない。
どうしてこんなに息苦しいのだろう。
こんなに身体が熱く感じるのだろう。
ほんの先程まで何もなかったというのに。
「礼など言ってる場合か!」
「すぐに医生を呼んで参ります」
そう言って病室を出る怜豹の足音が、次第に遠ざかっていく。
豹雅も行ってしまうのだろうか。
飛蘭は無意識の内に豹雅の衣着の袖を掴んでいた。
「私はどこにもいかない。ここにいる飛蘭」
優しい笑みと心強い言葉に、飛蘭は袖を離そうとする。だがそんな自分の手を、豹雅の手がしっかりと握った。彼の手は飛蘭の手をすっぽりと覆ってしまうほどに大きくて、その熱いほどの温もりに酷く安心する。
同時にふわりと鼻腔を擽る甘い香り。
「ずっとここにいるから……大丈夫だ」
ああ、そうだ。
豹雅が傍にいてくれるのなら、大丈夫だ。
飛蘭は無言のまま頷くと、ゆっくりとその瞳を閉じたのだ。
***
次に飛蘭が目を覚ましたのは、病室の格子窓から柔らかな赤みを帯びた夕影が差し込むような、そんな刻時だった。紅に金を混ぜ込んだような豪奢な光が、部屋の中を揺蕩いながら、ありとあらゆるものを染め上げていく。それは飛蘭自身も、そして目の前にいる医生も例外ではない。
「おや、目が覚めたみたいですね。気分はいかがですか?」
飛蘭はゆっくりと寝台から上体を起こした。
「……大丈夫、です」
先程の息苦しさや身体の熱さが嘘のように消えている。あの苦しさは何だったのだろうかと冷静に考えることが出来るほどに、体調は元に戻っていた。
医生が飛蘭の手首に何やら細長い札のようなものを巻くと、その上から脈と気の流れを探り始める。
そういえば王君と王弟君はどうしたのだろう。
飛蘭は辺りをきょろきょろと見回して、ふと思う。陽の傾き具合からして、あれから数刻は経っている。きっともう帰られたに違いない。
「王弟君はお帰りになられたみたいですが、王君は典薬処におられますよ」
そんな飛蘭の態度を見透かすように、医生が言った。
「ただ事態が事態でしたので、事故を防ぐ為に王君も王弟君にも、早々にこの病室を離れて頂きましたが」
「事故……?」
「ちなみに僕は番のある身ですので大丈夫です。脈も通常通りですね。半刻ほどで治まってしまったところを見ると、状態はかなり不安定か、もしくはもう起きない可能性があるか」
脈拍と気の流れを追っていた医生が、顔を上げて飛蘭を見る。
医生は深刻そうな表情を浮かべていた。
一体自分に何があったのか。あんなに息苦しくなったのは、やはり背中の怪我が原因なんだろうか。
医生に何を言われるのか想像がつかなくて、飛蘭は固唾を呑む。
「──飛蘭、落ち着いて聞いて下さい。あなたは……発情を起こしかけたんです」
「……──え?」
一瞬何を言われたのか、理解が出来なかった。
「え、いやいや医生。俺は平種だ。つい先日まで『渡り』として世界を渡ってきたのに、発情って……」
有り得るわけがないのだと、そんな気持ちで飛蘭は半ば笑いながら医生に向かって言う。
だが医生の、痛ましいものを見るような瞳に、今度は息を呑んだ。
何故そんな目をするのだろう、そんな顔をするのだろう。
ずっと平種として『渡り』として暮らしてきたのに、平種が発情だなんて有り得ないではないか。
「飛蘭、あなたの手首に巻いたこの札は、貴種を誘う誘引香が少ない、身体に現れる症状が軽い等が原因で、発情期が来たことに気付けない薫種の為に開発されたものです。薫種が発情期を迎えると、身体の内を巡っていた気が外へ発散され、貴種を誘引する香りになります。その気の大元が、いま札を巻いた手首にある龍穴です。発情期が来ていると、この白い札の内側が気に染められて薄桃色に変わります」
医生が容赦なく、飛蘭の手首から札を取ると、内側を開いて見せる。
──札は、見事な薄桃色に染まっていた。
それの意味するところなど、たったひとつしかない。
「あなたは先程、こう思われたのではないでしょうか? 『平種で発情は有り得ない』と。まさにその通りです。発情を起こすのは薫種のみ」
「……」
「率直に申し上げます。あなたは薫種です、飛蘭。『薫種になった』と言った方が正しいかもしれません」
今度こそ言葉を失った。
医生が何を言っているのか全く理解が出来なかった。頭の中身が、すとんと音を立てて、ごっそりと抜け落ちてしまったような気分になる。そしてあらゆる言葉や感情が失われた気持ちになって、飛蘭は茫然と虚空を眺めた。寝台の掛布をぎゅっと握る手だけが、かたかたと震えているのが分かる。
どれだけそうしていただろう。
真っ白になってしまった頭の中が、少しずつ元に戻り始める。
「なん、で……?」
飛蘭はまるで迷子のように瞳を彷徨わせながら、ぽつりと呟いた。
辛抱強く飛蘭の様子を見守っていた医生が、真剣な眼差しで口を開く。
「これは憶測ですが、きっとあなたは潜在的に薫種の因子を持ちながら、平種として生まれてきた可能性が高いです。本来ならば表に現れることのない薫種としての性が、翼切によって目覚めてしまった。……近親者にあなたと似た特徴を持った薫種の方がいらっしゃいませんか?」
確信を持った医生の話し方に、飛蘭は無言のまま頷いた。
幼馴染の従兄弟だと咄嗟に思った。現在、有翼人の中で黒翼なのは自分と従兄弟だけであり、従兄弟は薫種だ。医生の言う因子とはここにあるのだろう。
「生まれ持った性質が、何らかの原因によって変異してしまう事例は、典薬処の文献にもいくつか存在します。平種から薫種になってしまった例もあるようです。ただ……飛蘭。翼は薫種にとって発情を司る器官です。あなたは片翼を失ってしまった。先程起こしかけた発情もすぐに治まり、脈や気の流れも平常に戻ったところを見ると、誘引香を伴う発情も難しいと思います。それでも薫種となられた以上、僕は国に報告する責務があり、あなたは国の保護に入る責務があります」
医生の言葉に飛蘭は、びくりと身体を震わせた。
(──ああ、そうだ。従兄弟も……)
薫種と分かってすぐに迎えが来て、国の保護施設に行ったのだ。別れは寂しくて悲しかったが、一族は皆、貴種の番となり貴種を生み育てることが出来る従兄弟を、名誉なことだと喜んでいた。
嘗ての天は、人と人との間に子を成す繁殖力を奪った。
人との間に子を成す唯一の存在が、有翼人の薫種だ。
子は必ずと断言しても良いほど、人の貴種が生まれてくる。
薫種は希少だ。
その上、人に対する恩義の為に優秀な子が産めるようにと、自ら身体を作り変えたことで天の怒りを買い、番がいなければその長命さを保つことが出来ない。
薫種は有翼人の平種との間に生まれてくる。だが同族であるはずの平種との間で子を成すことが出来ない。これも天からの制裁なのだという。
人の子が産める唯一の存在かつ、数が少なく番がいなければ短命。
そんな特徴を持つ有翼人の薫種を、国は専用の施設で保護している。
貴種の子を産ませる為に。
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