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第五章『水族館でぇと』ー2

「温くん」  学生たちが行き交う廊下をどかどか歩いていると後ろから声をかけられた。耳に入っているのに意識がそちらにいっていなかったせいか、すぐに反応できずそのまま二、三歩前に進む。   ぐっと肩を掴まれた。 「温くん、待って」  やっと止まって振り返る。 「陸郎さん……どうして」  さっき用事があるからとラインしたけど、自分があの場にいるとは知らせなかった。 「あの連絡不自然な感じがしたからすぐに見回したら、きみの後ろ姿が見えたんだ」 「そう……なんだ」 「何回も呼んだけど気づかないし、きみ歩くの早いし」  はぁと少し息が上がっているのはかなりの早足で僕を追いかけてきたからだろうか。  自分に気づいて貰えたこと、必死で追いかけて来てくれたことの嬉しさがじんわりと滲んでくる。でも気になるのは。 「お兄ちゃんはどうしたの?」 「急用があるって置いてきた」 「あは」と涙ぐみそうなのを誤魔化すように短く笑う。 「……カフェでも行く? 昼まだだろ」 「陸郎さんは?」 「俺もまだ。きみが来てから食べるつもりだった」  学食には優雅がまだいるかも知れないし、カフェにももしかしたら探しにくるかも知れない。 「じゃあ、売店で何か買って食べませんか? ーー外はダメそうだけど」  廊下の窓に目を走らせると雨がしとしと降っていた。 「いいよ」  僕らは売店でそれぞれ軽食を買うと校内のあちこちに設けられている休憩スペースの一つに向かった。休憩スペースにはテーブルやイスが置いてある。窓に沿ってベンチイスもあり、僕はそこの一番隅に腰を下ろした。陸郎もその隣に座る。 「頂きます」  小さく呟いてサンドウィッチの包装を開ける。 「なんで、お兄ちゃんと?」  包装は開けたもののサンドウィッチは膝の上に載ったまま。隣では陸郎がおにぎりを頬張っていた。 (なんでって、何言ってんの。優雅は友だちのつもりなんだから、一緒にいたって可笑しくないのに) 「学食に来たら見かけたからって言ってた」  口の中をすべて飲みこんでから答える。 「ふぅん」  何でもないことのように軽く頷く。 「……あの、最近時々用事があるって言っていたのってもしかして」  陸郎が大学に来る日は昼食を共にする。それは最初の約束だけど、お互いに用事があったらそっちを優先するというのもそこに加えてあった。だから用事があって来れなくても謝る必要すらないわけだ。それでも五月半ばまではその約束をお互い(たが)えることはなかった。 「ああ……うん、優が一緒に昼食べようって言ってきて……」  僕を気遣ってか、それとも優雅と一緒にいたことを知られたくないのか言い淀む。 「ごめん」  陸郎がそうつけ加えたけど。 (謝る必要なんか……ないんだ……別に本当の恋人でもないのに)

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