1 / 55
プロローグ:最悪の出会いと小さな火種
俺は生まれた瞬間から「偽物」だった。それはこの家にとって、致命的な汚点でもあった。
父は代々続く市議会議員のアルファ家系、母は名家から嫁いできた正統なアルファの娘。生まれてくるのは「生粋のアルファ」であるはずだった。だが、子は授からなかった。
業を煮やした父は秘書を務めていたオメガの男に手を出し、その結果、俺が生まれた。出生検査でかろうじてアルファの数値が出た。それだけが俺を「佐伯家の跡継ぎ」として迎え入れる理由になった。
――数値はぎりぎり。だが内実は出来損ないのアルファ。同じアルファからは「張りぼてのアルファ」、オメガやベータからは「表情のない人形」と呼ばれ、家族からは冷え切った視線しか向けられなかった。
それでも俺は努力した。勉強でも運動でも。人一倍、いや十倍。寝る時間を削って吐くまで走り込み、ミス一つ許さない。他人に弱みを見せたら、即終了だ。家の中にも、逃げ場なんてない。「やはり本妻の子でなければ駄目だった」と言われた瞬間、俺は存在そのものを否定されるだろう。
だから俺は、常に完璧でなければならなかった。教師には「真面目で冷静な委員長」だと評価され、同級生からは「なんでもできる人」と噂される。失敗しない。怒らない。笑わない。
心を隠し、感情を殺し、完璧な仮面を張り付けてきた。それが俺の生き延びる術だった。
けれど、俺はずっと息苦しかった。“本物”のアルファたちは無邪気にフェロモンをまき散らし、周囲のオメガを魅了し、ベータを従わせる。俺には、その力がない。数値上はアルファでも、俺のフェロモンは薄い。火種はあるのに、炎は点らない。誰も俺に惹かれない。
どれほど努力しても、「本物」にはなれないのだと理解していた。
ならばせめて、外側だけでも完璧に。誰よりも冷静で、正しくて、指導者にふさわしい人間に。そう自分を追い詰めることでしか、俺は存在を肯定できなかった。
そんな俺の世界を壊すヤツが現れたのは、突然だった。
秋の夕暮れ、赤く沈む空の下。青稜高校の正門を出た俺の靴底が、落ち葉をざくりと踏みしめる。委員長という肩書を背負い続ける背筋は、今日も寸分違わずまっすぐだった。
いつも通り、塾へ向かうだけの帰り道――のはずだった。不意に進路を塞がれる。制服の乱れた他校のアルファ数人が、俺を見ながらいやらしい笑みを浮かべている。
「名門の青稜高校の学生さんよ、見たところアルファのくせに、随分と大人しすぎるんだよな?」
「なぁなぁ、ちょっと遊んでこうぜ」
(――相手は4人、分が悪すぎる……)
「道をどけ。俺は忙しい」
いつも以上に冷淡な口調で告げ、隙を見せないようにした。だが、数で勝る相手に囲まれれば不利は明らかだった。いきなり拳を振り上げられたので逃げようとしたら、誰かの手によって肩が壁に押しつけられる。それでも冷静に立ち回ろうとしたが、じりじりと追い詰められていった。
最終手段をお見舞いしようと考えた、その矢先――。
「おいコラァ! なにやってんだテメェら!」
低く怒鳴る声が、夕暮れの空気を裂いた。次の瞬間、金髪の少年が横から飛び込んでくる。青陵の制服の上着を乱暴に脱ぎ捨て、ためらいなく拳を振り抜いた。豪快な一撃が、俺の体を押さえていた相手の頬を打ち抜く。残りの連中も、一瞬で怯んだ。
数秒後、地面に転がっていたのは他校生たちの方だった。
「はあ……マジで弱ぇな。コイツら、ホントにアルファなのか?」
息を切らせながら、金髪の少年がこちらに振り返る。乱暴で、けれどまっすぐな眼差し。その隙に、相手は尻尾を巻いて逃げていった。
「……余計なことをするな」
俺の口をついたのは、礼ではなく冷たい拒絶だった。いつも通りの冷淡な対応に、金髪の少年の目がカッと見開かれる。
「はあ? 助けてやったのに、その言い方はねぇだろ」
「これは明らかに校則違反だ。委員長として、見過ごすわけにはいかない」
「チッ、堅物で有名なB組の委員長さんらしい口ぶりだな」
俺たちの間に走る、火花のような緊張。最悪の出会いが、この瞬間から始まった。
ともだちにシェアしよう!

