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第四章:離れて気づくもの
文化祭の振替休日の翌日、榎本はまるで別人だった。
いつもなら始業前からウチのクラスに顔を出しては、大声で誰かに絡んでいた。あの金髪の頭が見えるだけで、空気が一気に騒がしくなるのが日常だった。
だが今朝――その姿はなかった。休み時間になっても、廊下で待ち伏せされることもない。隣のクラスからわざわざ絡みに来る気配も、からかい半分に俺の席へ押しかけてくる気配もなかった。
(……妙に静かすぎる)
教室に満ちる穏やかな空気。それは本来、俺が望んでいたはずの日常。秩序を乱す声もなく、余計なちょっかいもない。
委員長として淡々と務めを果たす――それが俺にとっての理想のはずだった。それなのに、心の奥がざわついて仕方がない。
その日の昼休み、机に弁当を広げた瞬間、視線が勝手に斜め前の席を探していた。そこにあるはずの金色の頭が見当たらない。箸を持つ手が、不意に止まる。
(なぜ、こんなにも……気になってしまうんだ)
夕方、塾へ向かう道の途中。校門の外で、榎本が数人のクラスメイトと談笑しているのが目に入った。けれどその笑い声には、あの無邪気さがなかった。どこか張り付けたような笑顔。俺の目には、どこか無理をしているように見えた。
それがわかった瞬間、胸がきゅっと締めつけられる。間違いなく俺の言葉が、榎本を遠ざけている。その事実を、否応なく思い知らされた。
(……これでいいはずだ。なのに、どうしてこんなにも苦しい)
夜、自室で勉強に励む。机に向かっても文字は頭に入らず、シャープペンを持つ手が止まる。榎本の声や表情が、何度も脳裏に浮かんでは消えていく。
心臓の奥に、小さな棘が刺さった感じ。痛みは微かだが、抜こうとするたびに余計に深く刺さっていく。
深く息を吐いて窓の外を見やる。滲んだ街の灯りを、目の疲れのせいにした。
***
「なぁ、佐伯委員長」
数日後の昼休み、弁当を広げたばかりのところに、クラスメイトの声がかかった。眉間を寄せて顔を上げると、数人が妙に探るような視線を向けてくる。
「榎本、最近おとなしくね? なんかあったのか?」
「そういえば、廊下でも見かけなくなったよな」
「委員長とよく一緒にいたから、知ってるんじゃね?」
ざわと空気が揺れる。数人の視線が一斉に俺へ集まった。箸を持つ手を止め、平静を装う。
「……知るわけがない。俺と榎本は特別に親しいわけではない」
「えー? でも文化祭の劇とか一緒にやってたろ」
「そーそー。委員長が珍しく振り回されてたじゃん」
「なぁ、ほんとになんも知らないの?」
軽口交じりの質問。その裏にあるほんの少しの好奇心が、なぜか胸に刺さる。知らないはずがない。アイツの真剣な視線も、不器用な告白の声も、耳と胸に焼きついている。
「くだらない噂に付き合う暇はない。食事を邪魔するな」
強引に話を打ち切った。けれどその瞬間、胸の奥に小さな痛みが走る。本当は俺自身が、誰よりも榎本の変化を気にしているのをまざまざと思い知った。
(……気になるなら、確かめに行けばいい。だが俺が、何を確かめるというんだ)
感情を押し殺そうとすればするほど、思考は乱れていく。
榎本の笑い声が消えた教室は、妙に物足りない。無音の隙間に、自分の心音ばかりが響いているようだった。
午後の授業が終了し、委員長としての仕事を手早く終えた放課後。校門を出ようとしたとき、聞き慣れた笑い声が風に乗って届いた。
振り返ると、隣の校舎の窓辺に榎本がいた。周囲に友人はいるのに、笑顔はぎこちない。昨日と同じく、どこか無理をしているように見えた。
胸が、否応なしに強く疼く。
(……やはり、放っておけない)
気づけば、足が榎本の方へと動き出していた。理屈ではなく、心が――。
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