39 / 55
第三章:演じる仮面の下で7
文化祭が終わった夜。片付けも一段落して、生徒たちは次々に帰っていった。騒がしかった校舎は、嘘みたいに静まり返っている。残っているのは、俺と佐伯だけだった。
「……疲れただろ。委員長、今日ずっと気を張ってただろうし」
窓際の机に腰をかけて、カーテン越しの月明かりをぼんやり眺めながら声をかける。舞台の熱気はすっかり消えたはずなのに、胸の奥だけが妙に熱いままだった。佐伯は椅子に腰を下ろし、目を伏せたまま静かに言った。
「……思ったより、悪くはなかった」
「ん?」
「演劇だ。即興は予想外だったが……結果的には、良かった」
その言葉を聞いた瞬間、俺の口元が僅かに緩む。
「おー、褒められたの初めてかも」
「褒めたつもりはない」
「いやいや、十分だって」
軽く返したつもりだったのに、声がほんの少し震えた。自分でも驚くくらい、今夜は冗談だけで済ませられなかった。
「なぁ、委員長……」
気づけば、真剣な声が出ていた。佐伯が顔を上げ、まっすぐこちらを見る。その視線を受けながら、俺は机から立ち上がり、数歩で距離を詰めた。
「俺さ。今日、舞台でお前の手を握ったとき……本気で思ったんだ」
佐伯の喉が微かに鳴る音が聞こえた。夜の教室に響くその音が、やけに鮮明に感じられる。
「俺、ずっとお前に笑ってほしくて、ちょっかいばっか出してきた。でも――ただのおもしろ半分じゃねぇ」
手が震えているのがわかる。それでも、佐伯の肩にそっと触れた。逃げるつもりなんてなかった。今だけは。
「……好きだ。委員長のこと」
その言葉が夜の教室に落ちた瞬間、明らかに空気が変わった。佐伯の目が大きく見開かれて、呼吸が乱れ始める。舞台で見つめ合ったときよりも、ずっと近い距離。俺は目を逸らせなくなっていた。
「――榎本、お前……」
佐伯の声が震える。でもそのあとに続いた言葉は、俺の胸に鋭く突き刺さった。
「……やめろ」
やけに乾いた声。心臓を掴まれたみたいに、一瞬で呼吸が止まる。
「俺は、お前のおふざけに付き合うつもりはない」
「ふざけてなんか――」
「演劇の余韻に酔って、気分が高揚しただけだろう。くだらない」
その冷たい断定に、何も言い返せなくなった。舞台のときみたいに強く言い切る言葉が、ひとつも出てこない。
「……そっか」
何とか笑ってみせた。肩を竦めるいつもの癖で、ごまかすように。だけどその笑いは、自分でもわかるくらい力がなかった。
「悪ぃ、邪魔したな。忘れてくれよ」
背を向けて歩き出す。教室を出る前、ほんの一瞬だけ振り返りそうになったけど――やめた。もしあの顔を見たら、引き返してしまいそうだったから。
(……やっぱり、ダメか)
階段を降りながら、心臓はずっと騒がしいままだった。さっき自分で言った「忘れてくれよ」なんて、俺自身が一番、忘れられるわけがない。
ともだちにシェアしよう!

