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第三章:演じる仮面の下で7

 文化祭が終わった夜。片付けも一段落して、生徒たちは次々に帰っていった。騒がしかった校舎は、嘘みたいに静まり返っている。残っているのは、俺と佐伯だけだった。 「……疲れただろ。委員長、今日ずっと気を張ってただろうし」  窓際の机に腰をかけて、カーテン越しの月明かりをぼんやり眺めながら声をかける。舞台の熱気はすっかり消えたはずなのに、胸の奥だけが妙に熱いままだった。佐伯は椅子に腰を下ろし、目を伏せたまま静かに言った。 「……思ったより、悪くはなかった」 「ん?」 「演劇だ。即興は予想外だったが……結果的には、良かった」  その言葉を聞いた瞬間、俺の口元が僅かに緩む。 「おー、褒められたの初めてかも」 「褒めたつもりはない」 「いやいや、十分だって」  軽く返したつもりだったのに、声がほんの少し震えた。自分でも驚くくらい、今夜は冗談だけで済ませられなかった。 「なぁ、委員長……」  気づけば、真剣な声が出ていた。佐伯が顔を上げ、まっすぐこちらを見る。その視線を受けながら、俺は机から立ち上がり、数歩で距離を詰めた。 「俺さ。今日、舞台でお前の手を握ったとき……本気で思ったんだ」  佐伯の喉が微かに鳴る音が聞こえた。夜の教室に響くその音が、やけに鮮明に感じられる。 「俺、ずっとお前に笑ってほしくて、ちょっかいばっか出してきた。でも――ただのおもしろ半分じゃねぇ」  手が震えているのがわかる。それでも、佐伯の肩にそっと触れた。逃げるつもりなんてなかった。今だけは。 「……好きだ。委員長のこと」  その言葉が夜の教室に落ちた瞬間、明らかに空気が変わった。佐伯の目が大きく見開かれて、呼吸が乱れ始める。舞台で見つめ合ったときよりも、ずっと近い距離。俺は目を逸らせなくなっていた。 「――榎本、お前……」  佐伯の声が震える。でもそのあとに続いた言葉は、俺の胸に鋭く突き刺さった。 「……やめろ」  やけに乾いた声。心臓を掴まれたみたいに、一瞬で呼吸が止まる。 「俺は、お前のおふざけに付き合うつもりはない」 「ふざけてなんか――」 「演劇の余韻に酔って、気分が高揚しただけだろう。くだらない」  その冷たい断定に、何も言い返せなくなった。舞台のときみたいに強く言い切る言葉が、ひとつも出てこない。 「……そっか」  何とか笑ってみせた。肩を竦めるいつもの癖で、ごまかすように。だけどその笑いは、自分でもわかるくらい力がなかった。 「悪ぃ、邪魔したな。忘れてくれよ」  背を向けて歩き出す。教室を出る前、ほんの一瞬だけ振り返りそうになったけど――やめた。もしあの顔を見たら、引き返してしまいそうだったから。 (……やっぱり、ダメか)  階段を降りながら、心臓はずっと騒がしいままだった。さっき自分で言った「忘れてくれよ」なんて、俺自身が一番、忘れられるわけがない。

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