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第五章:壊したい未来、守りたい人

 朝っぱらから佐伯とひと悶着あったせいで、昼休みはB組に顔を出せなかった。あと5分で昼休みが終わるのを自分の教室の時計を見上げて気づいた時、何気なく聞こえた声に思考が止まった。 「隣のクラスの佐伯って、許嫁がいるらしいぜ」  笑い話の延長みたいに、クラスメイトが言った。――許嫁。そんな言葉が現実にあるんだって、変に冷静な自分がいた。でも次の一言で、その冷静さは簡単に吹き飛んだ。 「親同士が決めたってさ。佐伯の相手、格式ある家らしいし。だけどよ、気に入らない相手でも結婚しなきゃいけないとか、マジでしんどいよな」  その瞬間、心臓が変な音を立てた。頭では理解できないのに、胸だけがカッと熱くなる。 (おいおい、そんなの嘘だ。ありえねぇだろ――)  気づいたら席を立っていた。どこをどう歩いたか覚えてない。ただ、確かめなきゃ――それだけで教室を飛び出し、佐伯を探した。だけど、委員長は見つからなかった。  放課後。廊下の窓から見えた背中を見つけた瞬間、息が止まった。夕陽が差し込む人気のない渡り廊下。迷うより先に声が出た。 「……佐伯っ!」  振り返った顔は、いつも通りの無表情。今はその静けさが逆に怖かった。 「なんだ」 「なんだ、じゃねぇよ! 許嫁がいるって本当か」  仮面を被った佐伯は、一瞬鋭い視線を俺に向けた。俺たちの間に漂う空気がやけに冷たくて、佐伯の眼差しが刃物みたいに胸を切り裂く。 「……ああ」  たったそれだけ。なのに、世界が少し傾いた気がした。 「マジで……そんなの受け入れるつもりかよ」 「俺に拒否権はない」  冷静な声が、俺の耳に冷たく響いた。 「ふざけんな! 自分の人生だろ!」  思わず声が大きくなる。笑い飛ばす余裕なんてなかった。本気で怒ってる自分に気づいて、さらに苛立った。怒鳴りながらも、喉の奥が痛かった。問い詰めるように見つめた先で、佐伯のまつ毛が震える。 「仕方ないんだ」  全てを諦めたような空っぽの声。その瞬間、胸の奥で何かが軋んだ。 「じゃあ、なんでそんな顔するんだよ……」  目に映る事実を告げたら佐伯の唇が僅かに震え、ほんの一瞬だけ視線が揺れた。それは完璧な仮面の隙間から覗いた、たった一滴の本音だった。 「これは、もう決定事項なんだ……俺には、どうすることもできない」  夕陽に照らされた横顔が、悲しいほど静かだった。俺は何も言えず、ただ拳を握りしめる。どうしようもなく悔しくて、情けなくて、それでも――その言葉が聞けたことが、少しだけ救いだった。 「だったら、なおさらだろ。俺はお前を諦めねぇよ」  夕陽の中、強く言い切った。なのに佐伯は苛立った感じで小さく息を吐き、俺から視線を外すように瞼を伏せた。 「そんなことを言われても……現実、無理な話だ」 「は?」  否定的なセリフに、変な声が漏れた。佐伯は視線を落としたまま、低く続ける。 「来月……許嫁との顔合わせがある」  その言葉が、ゆっくりと胸の奥に落ちていった。鈍い痛みが全身に広がる。 「顔合わせ……って、なんだよ、それ」 「形式的なものだ。だが断れば――家が終わる」  静かに言うその声から、佐伯の絶望が滲んでいる気がした。俺は言葉を失い、唇を噛み締めるしかなくて。 「そんなの……お前が望んでねぇのに、なんで……」  どうにもならない現実を前に、声が震える。怒りと悲しみが混ざって、胸が苦しかった。顔を歪ませる俺を見た佐伯は、ゆっくりと首を横に振った。 「俺の気持ちだけじゃ、どうすることもできない」  そう言って、いつもよりもほんの少しだけ弱い笑みを見せた。まるで自分を納得させるような、壊れそうな微笑みだった。その笑みを見た瞬間、苛立った心が一気に爆ぜる。 「俺はそんなの、絶対に認めねぇ。お前が無理って言っても、俺は行くからな」 「来るな。問題が大きくなる」 「そんなん知るかよ!」  声がぶつかり、空気が震えた。夕陽が傾き、二人の影が長く伸びて交わる。  その影の中で、俺は静かに誓った。  ――誰かに奪われる未来なんて認めねぇ。絶対に!

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