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第五章:壊したい未来、守りたい人4
夜の風が、少し冷たかった。息が落ち着いた頃、俺たちは駅の裏手にある公園にいた。
街灯の下、ベンチに腰を下ろした佐伯の肩が小さく上下している。
「……本当に、来るとは思わなかった」
いつも耳にするよりも静かな声。その響きの奥には、少しだけ笑いが混じってた。
「佐伯に来るなって言われたから、逆に来たんだよ」
「なんだそれ……お前らしいな」
佐伯がそう言って、少しだけ肩を揺らす。笑ってるのか、泣きそうなのか、わからない。俺は何も言えず、ただその横顔を見つめた。
ホテルの照明の反射が、まだ髪に残っている。スーツの襟は少し乱れて、それが妙に現実を感じさせた。
「……親父たち、きっと怒ってる」
「だろうな。あんな場で堂々と言い切ったんだし」
「家も……終わったかもしれない」
その声には、覚悟と不安が入り混じっていた。それを否定してやろうと、俺は迷わず答えた。
「終わってねぇよ。お前が自分の言葉で選んだなら、それが始まりなる。自分の道を新しく作ればいいだけだ」
その言葉に、佐伯は一瞬だけ目を見開いた。そして、ゆっくりと視線を落とす。
「俺さ、怖かったんだ」
「何が」
「“好き”って言ったら、全部壊れるんじゃないかって。家も、立場も、俺自身も。……でも、もう嘘つくのは嫌だ。自分を偽っていくことに、本当に疲れてしまった」
その告白に、胸がきゅっと鳴った。強く見えても、どこまでも不器用なやつだ。
「壊れてもいいだろ。俺が全部拾ってやる」
「拾えるのか?」
「拾うって決めた。だから、もう一人で背負うな」
佐伯は息を詰まらせて、それからゆっくりと俺の方を見た。夜風に前髪が揺れて、瞳の奥の光が滲んで見えた。
「……榎本、俺……お前に出会えてよかった」
「遅ぇよ。最初から言え」
そう言って笑うと、佐伯も小さく笑った。その笑顔が、まるで灯りのように夜を照らした。
しばらく、二人で黙って空を見上げる。雲の切れ間から星が覗いていた。ふと、佐伯がそっと俺の手を取る。
「……これから先、どうなるかはわからない。でも、今日だけは約束していいか?」
「なんだよ」
「どんな未来でも、お前の隣にいたい」
言葉が静かに落ちた。胸の奥に熱が広がる。俺はその手を強く握り返した。
「それ約束な。絶対、離さねぇ」
俺の言葉に、佐伯はわずかに息を呑んだ。そのまま、掴まれた手をゆっくりと見つめる。指先が震えていた。それでも、離そうとはしなかった。
「……榎本」
小さく名前を呼ぶ声が、夜の空気に溶ける。その響きが、胸の奥の一番深いところを震わせた。
気づけば、距離が縮まっていた。息が触れそうなくらい、近くに。街灯の光が佐伯の頬を照らして、瞳が揺れる。
「こんな俺でも、お前の隣にいていいのか?」
その問いに、俺は迷わず首を振った。
「“こんな”じゃねぇよ。佐伯じゃなきゃ、絶対にダメなんだ」
その瞬間、佐伯がほんの少しだけ笑った。弱いけど、あたたかい笑み。俺はもう、堪えきれなかった。
そっと手を伸ばし、佐伯の頬に触れる。冷たい夜気の中、その肌だけが驚くほどあたたかい。目と目が合う。言葉なんて、もう要らなかった。
次の瞬間――静かに唇が触れた。短い、でも確かなキスだった。心臓が痛いほど鳴る。
離れた瞬間、佐伯が小さく息を吐いた。その瞳の奥に、もう迷いはなかった。
「……ありがとう」
「お礼なんて、いらねぇよ」
俺は照れくさく笑って、彼の手をぎゅっと握る。佐伯も同じ力で握り返したそのとき、空から大粒の雨が降り始めた。
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