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(一)後宮の夜

「──長……起きてください、宦官長!」  肩を忙しなく揺すられて、イルハリムは意識を取り戻した。  夕方に灯しておいた火は消えたらしく、部屋の中は暗闇に包まれている。倒れ込んでいた床から身を起こすと、癖のない黒髪が肩からサラサラと流れ落ちた。  どのくらい気を失っていたのだろうか。辺りを見回していると、燭台を手にした次官、デメルが焦った様子で訴えかけてきた。 「皇帝陛下がお呼びです。今すぐ御前に参じてください!」  叫ぶような声に、鈍い頭痛を誘われる。  眉根を寄せながら、イルハリムは頭を振って霞みかかる意識を取り戻そうとした。まだ少しぼんやりするが、皇帝からの呼び出しだということは認識できた。 「……わかった。すぐに行くから、そこに灯りを置いていってくれ」  気怠さを押し殺して答えると、デメルが悲鳴のような声を上げる。 「そんな悠長なことを言っている場合ではありません! 早く! 早くお支度を!」  唾を飛ばさんばかりの剣幕からすると、やはり今宵の側女も不興を買ったらしい。  わかりきっていたことだと、イルハリムは息を吐いた。  帝国の都に聳え立つ煌びやかな宮殿。その後宮には、皇帝の無聊を慰めるための側女が大勢暮らしている。しかし実際に皇帝の相手が務まる女人は、この中に一人として存在しない。  皇帝の怒りを鎮められるのは、今はイルハリムだけだ。  零れそうになる溜め息をそっと逃がして、近くにあった寝椅子を支えに立ち上がる。  呼び出されるのは覚悟していたので、支度は済ませてあった。日暮れと同時に風呂を使って身を清め、衣服も改めてある。後は身分を表す頭布を着けるだけでいい。  絹の頭布を手に、イルハリムは鏡の前に立った。  燭台の炎に照らされたのは、帝国には珍しい漆黒の髪と同じ色の瞳を持つ青年の顔だ。  細面は優しげに整い、肌は象牙のような淡い色をしている。  顔立ちのせいか、それとも男にしては幾分小柄な体格のせいか、二十七歳という年齢通りに見られることは滅多にない。 「早くしてください、宦官長!」 「わかっている」  足踏みせんばかりの部下に急かされて、イルハリムは宦官長の青い頭布を目深に被った。顔に怖れを浮かべた次官は、上官の身支度が整うや否や手を掴んで歩き出す。まるで罪人を連行するような足取りだ。  いや、あながち間違いではないなとイルハリムは苦笑を漏らした。今から自分は罰を受けるために、皇帝の部屋に赴くのだから。  体調が思わしくないので息が切れたが、文句は言わなかった。皇帝の怒りを思うと、デメルが焦る気持ちも良くわかる。  大部屋に出てみると、後宮の側女たちはすでに寝床に入っていた。部屋を仕切る帳は下ろされ、昼間の喧騒を忘れたかのようにシンと静まり返っている。要らぬ災難を被るまいと、帳の内側で息を殺しているのだろう。  燭台の灯りを頼りに、石造りの暗い廊下を進んでいく。  イルハリムの左足首を飾る足環の鈴が、シャララと軽やかな音を響かせた。 「遅いッ!」  居室の扉を潜った途端、苛立ち混じりの怒号が飛んできた。  中の光景は、イルハリムにはもう見慣れたものだ。  ガウン姿の皇帝が怒りも露わに立ち、その足元には薄物を纏ったままの側女が座り込んでいる。小さく身を縮めた少女はブルブルと震え、怯え切って立つこともできないようだ。 「申し訳ございません。すぐに下がらせます」  イルハリムは頭を垂れたまま、側女を退出させるようデメルに合図した。  震えて立てない少女は、宦官たちに抱えられるようにして部屋を出ていく。それに憐憫の眼差しを向けた後、イルハリムはすぐに皇帝に向き直った。 「側女の教育が行き届きませず──」 「御託はいい。来い」  謝罪を遮って命じると、皇帝は苛立たしげな動作で寝台に腰を下ろした。足元がふらつくのを隠しながら、イルハリムは主の前へと進み出る。  ──幼い側女が怯えるのも無理はなかった。  イルハリムたちの主人である皇帝ラシッドは、堂々たる巨躯の持ち主だ。  年齢は三十代半ば過ぎ。先帝の五番目の皇子として生まれ、数々の戦乱を制して皇位をもぎ取った傑物でもある。  母親は早くに亡くなったが、遠い西方出身の奴隷で大柄な美女だったと言われている。  その西方の血のせいか、肌は日に焼けた赤銅色、戦で鍛えた肉体は鎧を纏うかのように逞しく、並外れた長身は帝国軍人の中にあっても一目でそれとわかるほどだ。  肩に広がる金褐色の髪はたてがみを思わせ、同じ色の切れ長の目は獲物を狙う獣のように鋭い。彫りの深い顔立ちは精悍に整っており、気性は厳格かつ好戦的。  勇猛な戦いぶりと野性的な容姿から、『獅子帝』と尊称される皇帝だ。  イルハリムは皇帝の足の間に膝をついた。  ガウンの間から立派な男の象徴が垣間見える。体格に比例するかのように、皇帝の逸物は並外れた大きさを誇っていた。生娘などには受け止められるはずもない。  人形のように表情を消して、イルハリムはそれを袖に包んだ指先で恭しく掬い取った。敬意をこめて口づけし、そのまま濡れた唇を滑らせて柔らかく包み込んでいく。様子が見えるようにと顔を傾けながら、硬くなりつつある肉棒を口の中へと招き入れた。 「……」  頬を窄めて締め付けると、ようやく頭上から満足そうな息遣いが零れた。  安堵とともにそれを聞きながら、イルハリムは口全体を使って丁寧に奉仕を始める。  砲身を舌でくるみこみ、息を止めて喉の奥へと導いた。全体を吸い上げながらゆっくりと抜き出し、間を置かずに深く咥えては、上顎の奥にゆるく擦りつける。 「あぁ……そうだ……そうでなくてはな……」  獅子が心地よさそうに唸るのと同時に、怒張が舌の上で質量を増した気がした。 「……っ」  ただでさえ大きなものが口の中で脈を打ち、さらに太く、大きく育っていく。  息が詰まって苦しかったが、ここで止めることなどできはしない。イルハリムは覚悟を決めて、喉をいっぱいに開いた。  太い幹を咥えこみ、歯を当てないように気を付けながらゆっくりと頭を前後させる。顎がだるくなるほど大きな怒張を、さらに猛々しい肉の凶器へと変えるために。  皇帝の欲望に仕えながら、イルハリムは二か月前の夜を思い出していた──。  皇帝から初めて罰を受けたのは、今夜のように幼い側女が夜伽を命じられた夜だった。  本来ならば、後宮の管理を任されているのは筆頭寵妃のアイシェという女人だ。しかし彼女は懐妊して産み月が近づいたために、今から三か月ほど前に離宮へと移っていた。不在の間の代理として後宮を預かる立場となったのが、宦官長のイルハリムだ。  側女たちの主人である獅子帝ラシッドは、武名のほかに精力旺盛なことでも知られている。皇子時代から数多の女人を抱え、七年前に皇帝の座に就いた時には後宮の部屋を増築させたほどだ。  絹と宝石で着飾った美女たちが妍を競い、夜ごとちがう女人が皇帝の寝室に呼ばれる華やかな後宮──しかし、その風景は一年ほど前に終わりを告げた。  側女の一人だったアイシェという女人が、皇子を産んで寵妃に昇格した途端に他の女人を遠ざけたためだ。  ある者は帝都から遠く離れた離宮に送られ、ある者は罪の告発を受けて追放となった。皇帝と子を為した寵妃だけではなく、まだ手つかずの側女までもがさまざまな理由をつけて宮殿を追い出された。  望みどおり、彼女は皇帝を慰める唯一の女人となり、筆頭寵妃の座を射止めたのだ。  そして連日の如く皇帝の寝所に通った結果、子を身籠もって離宮へと移ることになってしまった。  彼女が去ったため、他の側女にも夜伽が命じられることになったのだが──それがイルハリムの苦難の始まりだ。新しい側女たちには皇帝の閨は務まらなかった。  純潔を保証するために、女人はごく若いうちに後宮入りする。  何年もかけて教養や房事の作法を身に着け、適齢に達したころに皇帝の相手として選ばれるのが通例だったが、今回はその時間がなかった。急いで数を揃えた側女たちはまだ幼く、躾も行き届いていない。  経験や素養、忍耐も──。壮年の逞しい皇帝に仕えるには何もかもが足りなかった。  寝所に呼ばれた娘たちは、みな役目を果たせなかった。泣きじゃくって奉仕どころではない有様が続き、ある夜ついに皇帝は怒りを爆発させた。  側女を引き取りに来たイルハリムを寝台に捻じ伏せ、その体を押し開いたのだ。 「ん……っ、く……」  裾を捲って四つん這いになったイルハリムは、身を割って入ってくる皇帝の牡を受け止める。上がりかけた悲鳴は、口に押し当てた長衣の袖に吸わせた。  硬く聳え立つ太い幹。どれほど力を抜いていても、挿入の瞬間には圧迫感で気が遠くなりかける。  思わず身体が逃げそうになるのを堪えて、イルハリムは後ろから挑みかかる皇帝の体が密着するのを待った。この瞬間が、いつも永遠に思えるほど長く苦しい。  今夜も呼び出されることになるのはわかっていた。  あらかじめ油を塗りこめて拡げておいたが、後孔は大きさに耐えかねたようにジンジンと痺れている。内側から押される下腹にも重苦しい痛みがあった。  しかしそれでも、何の準備もなく組み敷かれた二か月前の夜に比べれば、苦痛も恐怖も天と地ほどの差がある。耐えられるはずだ。  息を吐いて懸命に受け入れようとするイルハリムの腰を手で捕らえ、皇帝は隆々とした怒張をゆっくりと押し込んでくる。──まだだ。まだ入ってくる。  下腹の圧がじわじわと増してきた。  いつもより大きいのではないか。今夜は耐えきれないのではないか。そんな不安がイルハリムの脳裏をよぎる。  汗ばんだ顔を腕の間に祈るように伏せ、苦しい息を細く吐き出した、その時。  背後から皇帝の声が聞こえた。 「そら、全部入ったぞ」  尻に冷たい絹の感触がして、イルハリムは皇帝の牡が根元まで入ったことを理解した。全身に安堵の汗が滲み出たが、本当の務めはこれからだ。  袖で額の汗を拭うと、イルハリムは皇帝を愉しませるために、浅く息を継ぎながら下腹に力を入れた。中に収まった肉棒をきゅっと締め付け、馴染ませるように浅く尻を揺らす。  奉仕の意思を汲み取って、皇帝の声がいくらか和らいだ。 「ああ、そうだ……あんな小娘にお前ほどの忠誠心を期待するのが無理というものだったな」  その『小娘』を自らの手で選んでおいて、悪びれもせずに皇帝は言った。  そして敏感になったイルハリムの内股を撫で上げて、尊大に命じる。 「せめて後宮の責任者として務めを果たせよ、宦官長」 「御、意……」  搾り出すように返答すると、それを合図にしたかのように、皇帝がゆるゆると動き始めた。  律動は徐々に力強いものへと変わっていく。  限界を超えるほどに開かれた身体。後ろから覆い被さる肉体の荒々しい息遣い。  この国に来たばかりの少年の頃も、同じような苦しい毎日だった。  イルハリムが帝都にやってきたのは十五年前、十二歳の少年の頃だ。生まれ育った東の島で攫われ、幼い宦官奴隷としてこの都に来た。  癖のない黒髪に、漆黒の瞳。小柄な細身の体に、日に焼けても赤くなるばかりの白い肌。東方人特有の彫りの浅い顔は、帝国では年齢よりもかなり幼く見られた。  向けられた好奇の視線の中に、少なからぬ欲情の色が混ざっていると知ったのは、下働きの奴隷として宮殿に買われた後だ。後宮に入って間もなく、イルハリムは物陰に引き込まれて男たちの劣情を知ることになった。  泣いても喚いても誰も助けてはくれない。言葉も風習もわからず、頼る相手もいない。  家畜同然の幼い奴隷が生きていくには、毎日のように振るわれる暴力にただ耐えるしかなかった。口を使っての奉仕や体の中に欲望を受け入れるすべも、その時に身につけた。  イルハリムが宦官となるための処置を受けたのは、ここへやってくる時に乗せられた奴隷船の中だ。精通を迎える前に去勢された者は肛淫の快楽に溺れやすいと言われているが、イルハリムもその例に漏れなかった。  何度も犯され嬲られるうちに、幼い肉体は中で達する悦びを知った。苦痛と嫌悪しかなかった行為に快楽を見出してからは、それに溺れるのも早かった。  快楽を求めて自分から男を誘ったこともある。悦びを得ると同時に、見返りを手にすることも覚えた。宦官長という今の地位に就くことができたのも、情人の一人がイルハリムの昇格を推してくれたからだ。  しかし成人する頃には自然とそういった行為からも遠ざかり、肌を合わせたいという欲求も少なくなった。自分から求めることはなくなり、求められても冷静に対処できると信じていた。  ──皇帝から、閨での罰を下されるまでは……。 「……っ……は…………っ、ぅ……」  天蓋布で囲まれた寝台の中に、イルハリムの押し殺した吐息が響く。 「あぁ、いい具合だ」  ゆったりと突き上げながら、皇帝が喉で笑った。  イルハリムは両手に敷物を握り締め、袖を噛んで漏れそうになる声を殺していた。  膝はガクガクと震えて力が入らず、今にも崩れてしまいそうになっている。緩い粘液が内股を伝い落ちて寝台を汚していた。腰の奥で生じた細かな震えは背筋を走り抜け、頭の奥で小さな火花を散らしている。  体中が熱い。腰の奥から今にも何かがせり上がってきそうだ。  とても冷静でなどいられるものか。 「何か言ってみろ」 「……ッ! ……ッ、──ッ!」  崩れそうな理性の端に必死でしがみついているというのに、皇帝は笑いながら最奥を突く。イルハリムは声にならない悲鳴を上げ、全身を硬直させた。  若い側女たちと違って、イルハリムは男に抱かれる悦びを知っている。中で味わう絶頂の激しさも、嫌というほどに──。  収めるときにはあれほど苦しかった皇帝の怒張は、今や目眩がするような陶酔を生んでイルハリムの官能を追い詰めていた。  腹の奥から泉のように湧き出る愉悦。息が苦しいほどの恍惚。  体中が火照って熱い。絶え間なく襲いくる悦びに放埓の寸前まで追い上げられている。  皇帝の欲望に奉仕しなくてはと思うのに、もはや正気を保てそうにない。快楽に溺れたいという欲求をこれ以上抑えきれない。  それを見透かしたかのように、力強い肉棒が腹の底を押し上げた。 「そら、どうした宦官長!」 「ああぅ……ッ」  意地の悪い皇帝のやり方に、ついに声を殺しきれなくなったイルハリムは喘いだ。一度でも喘ぎが漏れれば、もう止めることはできない。絶え絶えの呼吸とともに鼻にかかった声が溢れ出す。  皇帝が短く笑い、最後の止めを刺すように動き始めた。  規則的で長い律動。濡れた水音と肌を打つ音が帳の内側に響く。 「──よいか。これは罰だぞ。余から与えられた責務を疎かにしたゆえ、お前を叱責しているのだ」 「ヒッ! ……ぎょ、い、アッ、アッ……ぁあああ……ッ」  罰だと言いながら、皇帝の声は満足そうだった。イルハリムの白い尻が震えて、今にも達しそうなのがわかるからだろう。  全身から汗が噴き出し、力を失ってついに膝が崩れる。  そのまま脱力して沈みそうな腰を、掴んだ両手が高々と引き上げた。 「尻を下げるな」 「……ぁひぃッ……!」  張り出した雁の部分で奥の良い場所を抉られて、悲鳴とともにあられもない善がり声がほとばしった。じわりと下腹が熱くなり、脚の間を温かい何かが滴っていく。腰から下の不規則な震えが止まらない。  皇帝は愉しげに笑い、動きをさらに力強いものへと変えていった。 「あぁ……だ、め……────ッ……!」  追い立てられるままに、ついにイルハリムは最後の一線を越えた。  ぶる、と全身が震えを放つ。  背筋を熱い痺れが走り、裏返った声が鼻から抜けた。  蕩けるような喜悦が止め処もなく湧き上がり、自制心が粉々に突き崩されていく。 「……あ──ッ、ッ……ア────ッ! ……!」  宦官という身分も、罰を受けているのだという建前も忘れた。隠すことも繕うこともできずに、叫びとともに昇りつめる。  それを知った皇帝は、腹に響く声で哄笑した。 「どうだ、宦官長。余に責められるのはどのような心地だ!」  今まさに法悦の極みにいるとわかっているくせに、少しも動きを緩めはしない。官能に啼く哀れな奴隷をさらなる高みへと追い上げる。 「いっ……ひぃッ、いいです……ッ、陛下のお慈悲に、感謝を……ぁあっ、ぁあああ────ッ!」  敷布を両手で握りしめて、イルハリムは目も眩むような絶頂の波に身を委ねた。  夜を重ねるたびに、仕置きの時間は長く、濃密さを増す。 「……あ、ああぁ……もう……陛下、もう…………」  逞しい怒張に突き上げられ、イルハリムは顔を敷物に押しつけて啜り泣いた。  何度昇りつめ、何度身体の奥底に放たれただろう。もう時間の感覚もない。朝までにどのくらいの時間が残されているのかもわからない。  渦巻く愉悦に翻弄されて、何もかもどうでもよくなってしまう。全身から力が抜け、喉からはひっきりなしの嬌声が零れ落ちる。  ──ここ二か月ほど、居室に呼びつけられるたびにこうだった。  寝台の上に組み敷かれ、気が狂いそうなほどの悦びに啼かされる。なぜなら、皇帝がイルハリムを呼びつけるのは、側女の失態を咎めるためではないからだ。  皇帝の逸物は並外れて大きい。それに精力も十分以上だ。  産褥を経験した寵妃たちでさえ連夜の奉仕には耐えられないので、後宮には常に大勢の女人が用意されていた。皇帝の閨にはそれだけの人数が必要だったのだ。  なのに、寵妃となったアイシェは後先も考えずに女たちを追い出した。そのうえ自分は身籠もって宮殿を離れてしまったので、皇帝の欲求不満は募る一方だ。有り余る精力の解消法として、皇帝はイルハリムを使うことを思いついた。  怒りに任せて犯した体が、思いのほか具合良かったためだろう。さりとて、側女代わりに宦官を侍らせたのでは外聞が悪い。  ゆえに皇帝は、わざと年若い側女に夜伽を命じて怯えさせ、罰を与えるという名目でイルハリムの肉体を愉しんでいるのだ。 「あっ、あ──ッ! …………もう、お許し、を……!」  深い襞の奥を続けざまに抉られて、突き抜けるような快感が走る。イルハリムは長い黒髪を振り乱し、絶え絶えの声を迸らせた。  脚の間を生温い液が伝い落ち、敷物は冷たく濡れていた。手も足も震えて力が入らない。  そのくせ、貪欲な肉体はさらなる快楽を求めて、際限もなく腰を振ってしまう。  皇帝に呼び出されるようになって、イルハリムは自らの体の欲深さを思い知らされた。  若い頃に貪った快楽を、この体は忘れたわけではなかったようだ。むしろ、年を経てますます成熟し、交情で得る愉悦は少年の頃よりも深いものへと変化している。  一方で、今のイルハリムには宦官長としての勤めがあった。年齢も後宮の宦官の中では年長の部類だ。若かった頃と違って、肉欲に溺れすぎると体力の方が追い付かない。  今日の夕刻も準備を整えて待つつもりが、風呂から戻った途端に倒れこんでそのまま気を失うように眠ってしまったのだ。  これ以上激しく乱れると、明日の職務に差し支える。 「も……う、お許しくださ、い……!」  だが、皇帝はその懇願が気に入らなかったようだ。 「このように余を咥えこんでおいて、何を許せと……!」 「ヒッ……ひぁあッ!」  言うが早いか、皇帝はイルハリムの襟首を掴んで体を引き上げ、胡坐をかいた足の上に座らせた。  自らの体の重みで、呑み込まされた怒張が腹奥を突く。脈打つ肉棒にいっぱいまで埋め尽くされ、腰の奥から怒涛のような官能の波が押し寄せてきた。 「あああ……あ、ああああ……ッ」  快楽の蜜がとろとろと零れ出る。無意識のうちに腰が揺れ、中に収まる皇帝をきゅうきゅうと締め付けた。自分が溺れるのではなく皇帝に奉仕せねばと思うのに、あまりの絶頂に自制が利かない。  それを察した皇帝は、イルハリムの長衣を捲り上げて、濡れた下腹に指を這わせた。  ぐっしょりと濡れた脚の間を指で弄り、体を揺すりながらせせら笑う。 「これほど滴らせておきながら、許せとはよく言ったものだ」  後ろから抱き留める腕に縋って、イルハリムは善がり泣いた。  逞しい腕はイルハリムの痩躯を軽々と抱え、力強く揺さぶり続ける。  快楽はまだ終わらない。達しても達しても、まだもっと深い愉悦があるのだと思い知らされる。  声も嗄れんばかりに喘ぎながら、イルハリムは頭の片隅で思った。──この部屋から泣いて逃げ帰った側女たちは愚か者だと。  一度奥まで受け入れてしまえば、これほどの凄まじい悦びを与えてくれる相手はどこにもいないというのに。 「……あ……あ……と、ける……ッ」  絶頂を味わいすぎて下腹が溶けてしまいそうだ。もう何度昇りつめたかわからない。  それなのに皇帝の怒張はまだまだ勢いを失わず、イルハリムの腰は貪るように淫らに動き続ける。  ──もう……これ以上は無理だ……。  焼き切れそうな意識の中で、イルハリムは弱音を吐いた。だがそれと同時に、湧き上がる喜悦をもっと味わいたいとも願ってしまう。  こんなに凄い快楽は他に知らない。  もっともっと貪って、何もかもわからなくなるまで溺れてしまいたい、と。  ひっきりなしに声をあげるイルハリムを、皇帝は胸の中に強く抱き寄せる。  頭布はもうほとんど脱げていた。火照って熱い耳朶に噛み付かんばかりに口を寄せ、皇帝は獣のように低く唸った。 「……五日ぶりだぞ」  身の内を穿つ剛槍はまだ衰えを知らない。欲望は尽きておらぬとイルハリムに知らせてくる。 「余を五日も待たせたのだ。朝まで許されると思うな……!」  獰猛に吠えた獅子帝は、イルハリムの白い首筋に歯を立てて、所有の印を刻みつけた。    激しい交合がいつ終わったのか、イルハリムには覚えがなかった。  皇帝の手で揺り起こされて目覚めた時には、もう窓から差し込む光は眩しかった。慌てて起き上がった瞬間にめまいを覚え、額を押さえて短く呻く。  失神するように眠ってしまったのだろう。イルハリムは昨夜部屋を訪れた時と同じ、長衣の襟元を緩めただけの姿で皇帝の寝台にいた。裾は整っていたが、その内側では溢れ出る精が足の間を濡らしている。昨夜も数が知れぬほど注がれたらしい。 「……下がってよい」  皇帝はとっくに目を覚ましていたようだ。寝台を離れ、いつの間にか身支度まで済ませていた。気づきもせずに眠り込んでいたとは不覚だ。  退室の許しを出す声に、どこか案じるような響きがあるように聞こえたのは、イルハリムの気のせいではないだろう。手酷く犯した宦官がなかなか目覚めないので、さすがの皇帝も心配になった様子だ。  明るくなるまで皇帝の寝室に居座るとは、とんでもない失態を犯したと思いながら、イルハリムは慌てて寝台を降りる。本来ならば、用が済むと同時に自室に戻らなくてはならなかったのに。 「申し訳ご、ざ……」  立ち上がって辞去の礼を取ろうとしたところで、急に目の前が真っ暗になった。  ──あ、と思った時には床の上だった。  皇帝が床に膝をついてイルハリムを腕に抱き、驚いたような表情で顔を覗き込んでいた。  窓からの光に金褐色の髪が煌めき、日輪のような金の目がまっすぐに自分を見つめていた。  初めて明るい場所で間近に見た顔は、想像していたよりずっと人間らしく若々しかった。  彫りの深いくっきりとした顔立ちは、野性的な美しさを備えている。金刺繍の長衣を纏った肩は広く、イルハリムを包むように抱き留めた腕は温かい。  その目の中に動揺を見てとったイルハリムは、煩わせた非礼を詫びようとした。 「ご無礼、を……申し訳……」 「具合が悪いのなら早く言え!」  回らぬ舌で言いかけた謝罪を聞こうともせず、皇帝はイルハリムを怒鳴りつけて扉を振り返った。部屋の外で待つ小姓に向かって医官を呼べと叫びかける。  それを、イルハリムは制した。 「大事、ありません……」  人を呼ぶ必要はないと伝えて、イルハリムは無理にでも頭を起こした。息が切れたが、大したことではない。  後宮を管理する筆頭寵妃が離宮に行ってしまったため、宦官長としての務めに加えて、後宮全体を采配する責任が生じた。不慣れな役回りの上に、業務量も増えている。次官のデメルも手伝ってはくれるが、何もかもを任せるわけにもいかない。  そこへ持ってきて、数日に一度は寝所に呼ばれるようになったので疲労が溜まってしまった。それだけだ。  それに──。  イルハリムは、浅黒い顔をした帝国医官たちの顔を脳裏に思い描いた。医官に診察されれば、情交の痕跡を見られてしまう。  それは、立派な後宮を構える皇帝が、よりにもよって年嵩の宦官に手を付けたのを知られるということだ。  帝国の貴族でもある医官たちは、皇帝ラシッドの後宮がまともに機能していないか、あるいは皇帝自身が特異な嗜好に染まったかと案じるだろう。どちらも帝国の体面に関わる問題で、後宮を束ねる身としては避けねばならない事態だ。  しかし、今のような状態が続いていたのでは、いずれ人の口の端に上るのは間違いない。  皇帝付きの小姓たちや扉を守る衛兵は、居室の中で何が行われているのかを把握しているはずだ。彼らの口から真実が漏れれば、皇帝の名誉は損なわれ、イルハリムも後宮勤めを続けることが難しくなる。 「……身に余る栄誉をいただいたため、至らぬ我が身には分不相応であったようです」  背にじっとりと冷や汗を浮かばせながら、イルハリムは遠回しに解任を願い出た。  本来、側女たちの教育の責任は筆頭寵妃にあるものだ。  イルハリムはアイシェ不在の間の代理にすぎず、権限のすべてを委譲されたわけでもない。皇帝の不満は痛いほどわかるが、後宮をあるべき姿に戻すことは今のイルハリムには不可能だ。  だからと言って、今の状態をこのまま続けることも難しい。皇帝ほど身体頑健というわけではないので、こんな生活を続けていると体力の方が先に尽きてしまう。  降格を許されればいいのだが、イルハリムの方からそれを口にするわけにはいかない。  左足に嵌まる金の足環が示す通り、イルハリムは奴隷だ。  奴隷商人から宮殿に買われて、皇帝の私物としてここにいる。許しがない限りはどこへも行けず、用済みになれば売り払われるだけの存在だ。  ──このまま追放になるかもしれない。  ふと、不安が胸に忍び込んだ。  降格という選択肢はないかもしれない。役に立たない宦官を置いておく道理はないし、代わりの奴隷はいくらでもいる。それこそ、イルハリムよりずっと若くて見目好い宦官が後宮にも宮殿にも山ほどいるのだ。  ここを出されたなら、今度はどこへ売られるのだろう。手元に残る給金の銀貨は、自分自身を買い取るのに足りるだろうか……。  さまざまな不安が押し寄せてきたが──、皇帝は何も言わなかった。  沈黙は、今はまだ何も決定しないという意思の表れだ。  イルハリムは息を整えて皇帝の腕から離れた。 「名誉あるお役目も後僅かにございます。それまではご下命に恥じぬよう、力の限り務めさせていただく所存にございます」  寵妃アイシェの出産も間近なはずだった。  子が生まれ、体調が安定すれば彼女がここへ戻ってくる。そうすれば元の通りだ。今少し持ち堪えれば、ひとまず今回の騒動は乗り切れる。  イルハリムは深々と頭を下げると、皇帝の顔を見ないまま後ろに下がった。  部屋を出ていく宦官を、皇帝がどのような表情で見つめていたか。  ──頭を下げたまま部屋を辞したイルハリムには、知る由もなかった。

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