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【プロローグ】

(あ、これ、死ぬ)  マリリスはその光景を前にして即座に悟った。  視野を埋め尽くすように無数に展開された魔法陣。それらすべてが自分一人を照準としていたからだ。  残念なことに、魔法局研究員であるマリリスは、不測の危機に対応できるような反射神経を持ち合わせておらず、その場からピクリとも動けずにいた。その上、魔法を使えることすら頭からすっぽりと抜けていたのだ。  そんなマリリスの白藍色の瞳に映るのは、人間でもなく魔物でもない、巨大な人型兵器(ゴーレム)。濃淡のある緑色の鉱物で構成されており、全高は人の六倍ほどあるだろうか。地面に着くほど長く太い腕と、それとは対照的な短い足を持つ、特徴的な形体をした魔道具だった。  雲一つない青空の下、荒野に広がる魔法局の試験場では、技術の集大成でもある対魔物兵器の動作試験が実施されていた。最年少ながら魔法の知識に長けるマリリスは相談役を任され、必要なときに呼ぶからと試験場端に設けられたテントに案内されたのだ。  そこで試験の様子を見ながら、大人しく出番を待っていただけだというのに── (こんなことになるなんて)  マリリスはただただ呆然(ぼうぜん)と立ち尽くしていた。  そんな心情などお構いなしに、魔法陣が発光し魔力が(じゅう)(てん)されたことを知らせる。そして、ピン、という軽い音とともに、蓄積された魔力が魔法として発動する瞬間をマリリスは目に収めていた。  放たれた白い光線が瞬時に(ほお)(かす)め、チリッと皮膚を焼く。その痛みを感じる間もなく背後で凄まじい爆発音が起こり、激しい振動と突風がマリリスを襲った。  立っていたせいであおりを受け、軽く吹き飛ばされてから前のめりに倒れ込む。(とっ)()に腕を立てて強打を免れたが、ぱらぱらと()(じん)が降り注ぎ、全身を打ってくるその状況に(がく)(ぜん)とするしかなかった。 (ほ、本当に……)  死ぬかも。  思考は冷静なのに、体が動かない。もう無理だと諦めの境地に達したとき、ぶわっと一陣の風が頬を()でた。勢いよく腕を引かれ、体が宙に浮く──その瞬間、轟音(ごうおん)が響き渡った。  爆風と強烈な重力を真っ向から食らい、頭の中身が揺れる。前後不覚に陥って呼吸もままならない。急激に遠のいていく意識に抗うこともできず、マリリスは沈んでいく感覚に身を任せた。だがそのとき「あっぶねぇ」と体に直接響いてきた声がマリリスを正気に引き戻した。  わずかに五感が戻り、血がゆっくりと全身を巡りはじめる。巻き上げられた小石が入り込んだのか、口の中でじゃりじゃりと音を立てた。その不快感こそ、生きている証拠で…… (……助かった……? あの状況から……?)  ぐらぐらと揺らぐ意識の中、マリリスは自分の手のひらを眺めた。手がある、痛みもない。そう無事を実感していると、指の隙間に上下逆さになった誰かの下肢が映り込んだ。誰かの肩に担がれている。そのことに気づいて、顔を上げ声を掛けようとしたが、それは(かな)わなかった。  跡形もなく消し飛んだテント。黒い煙を上げる(えぐ)れた地面。立ち込めていた(つち)(ぼこり)が晴れたあとに見えた光景に、言葉を失ったからだ。 (うそ)  あそこにいたら。そんな想像をしたマリリスは目を回して虚脱した。  その間にも、人型兵器(ゴーレム)は次々と魔法を発動させる。試験場には細い弦を弾くような音と地響きが交互に鳴り渡り、そのたびに激しく土埃が舞った。それに対してマリリスを担いだ人物も、人一人を背負っているとは思えないほどの軽快な足取りで光線を(かわ)していく。  ただ絶え間ない一方的な攻撃だ。為す術がなく、兵器の魔力が尽きるまで続くものだと皆が思っていた。  しかしその人物はおもむろに投擲(とうてき)(やり)を持つように剣を掲げた。そして人型兵器(ゴーレム)が土埃で目標を失い、攻撃の手を休めた一瞬の隙に大きく振りかぶったのだ。その刃はまっすぐに、まるで吸い寄せられるようにして人型兵器(ゴーレム)の頭部を貫通した。  巨体は停止し、宙に描かれていた魔法陣がふっと消え失せる。体表に浮き上がるように光っていた回路は色を失い、()(れき)と化した兵器は轟音を立てながら地面に伏した。  どのぐらい気を失っていたのか。意識が浮上し、膜が張ったような聴覚に歓声と怒鳴るような号令を感じる。 (終わった……?)  状況を把握しようとしていると、足の裏にとんと衝撃を覚える。どうやら地面に降ろされ、自立を促されているようだ。うっすらと(まぶた)を開けたものの、焦点を合わそうとした瞬間から目の前は真っ暗に染まり、膝がかくんと折れた。 「無理して動くな。もう襲ってこねぇから」  体が傾く前に素早く抱き留められ、立たされるわけじゃなかったのかと(あん)()する。「屈むからな」と声を掛けられ、マリリスはそこにいる人物に体を預けながら共に座り込んだ。  背中に回された腕に支えられ、体重をかけて良いとでもいうようにそっと肩を押される。どこからともなく湧いてくる不安が、その人の気遣いによって取り除かれていく。 (お礼言わなきゃ)  そう思うのに瞼が重くて、持ち上がりそうになかった。 「怪我は……かすり傷だけだな」  火傷したかのように感じた頬を節くれだった指がなぞる。治癒魔法がかけられたのか、患部がふわりと温かくなって寝落ちてしまいそうだった。  お礼をしたいのに。どんな人なのか確かめたいのに。そんな思いで必死に眠気に抗っていると、 「それにしても危なかったなぁ」  と、どこか愉快そうな声が降ってきて、彷徨(さまよ)っていたマリリスの意識を浮上させた。  うっすらと開いた瞼の隙間から見えたのは、肩(よろい)から伸びる腕。すらりと長く、引き締まった筋肉に覆われていて無駄な部分が一切ない。胸元の紋章がその人物が騎士団の人間であることを示していて、マリリスは深く納得した。 (この人が、助けてくれたんだ)  礼を伝えようと意気込んで顔を上げたのだが、マリリスは目的を叶えることなく、はく、と呼吸を止めた。そこには予想していた厳つい顔はなく、甘さを含んだ端正な顔があったのだ。 「真っ青だな。大丈夫か?」  首が傾げられ、癖のある鈍色の髪が揺れる。そこから(のぞ)く金色の双眸(そうぼう)がマリリスを見下ろしていた。平行線を引いたような()(れい)な二重と少し垂れた目尻。すっと通った鼻梁(びりょう)と厚すぎない唇。そのすべてが彼の美貌を際立たせている。  そんな非日常的な美丈夫を前にして、マリリスは声も出せずにただただ凝視してしまっていた。 「ちゃんと息をしろ、また落ちるぞ。……おい」  なにも答えないマリリスを()(げん)に思ったのだろう、凛々(りり)しい眉がわずかに上げられる。しかし目は逸らされることはなく、反対に(まなじり)は細められた。 「なんだ、俺に()れたのか?」  にやっとした笑みを浮かべると、その人は堅く分厚い手のひらでマリリスの頭をわしわしと撫でたのだ。  マリリスは瞬いた。  同時に胸のあたりで何かが生まれ、コロンとかわいい音を立てて転がった。 (惚れました……)  それは、齢十八歳にして、マリリスがはじめて恋を知った瞬間だった。

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