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【4】

 フーゴに散々揶揄われたあと、『成長させたいならちゃんと寝ろよ』とにやけ顔で見送られ、心の中で地団駄を踏みながらマリリスは帰路に就いた。  だが、冷静でいられたのはそこまでだった。  自室に入ったマリリスは、歓喜で声なき叫びを上げながら寝台に飛び込み、ごろごろと転がりまくった。フーゴに会えたこと、言葉を交わせたこと、その上、撫でてもらえたこと。思い出せば思い出すほど喜びで震えが止まらなくなり、ほろりと涙がこぼれたのをきっかけに、マリリスは嗚咽を漏らして子供のように泣いてしまった。  その激しさはミゲルが驚いて寝室に飛び込んでくるほどで、屋敷の中は一時騒然となった。それが落ち着くと、ミゲルはマリリスの泣き腫らした目を見て、「会えてよかったですね」とすべてを悟ったようにともに喜んでくれたのだ。  そんな幸せな夜を過ごし、マリリスは清々しい朝を迎えた。ただ、瞼の腫れが引かず、腫れぼったい顔のまま出勤することに。運悪く昇降機の前で待ち伏せしていたエドウィンに叫ばれ、マリリスはげっそりしながら遠くを見つめることになったのだった。 「ま、マリーゴさん!? 何があったんですか!? 何かされたんですか!?」  と思い切り迫ってこられて、マリリスは仰け反りながら「大丈夫」と答えた。 「ちょっと嬉しいことがあって、泣き通しだっただけだから」 「嬉しいこと……それなら良かった」  エドウィンは安心したようにほっと息を吐いた。こう見ると悪い人間のようには見えないが、さすがに第一印象が悪すぎた。 「お久しぶりですよね? 全然会えないのでびっくりしました。舞踏会にも来られなかったですよね?」 「そ、そうだね。ちょっといろいろバタバタしてて」 「本当にお忙しいんですね」 「うん、深淵(アビス)調査もあるから……」  口実にはもってこいだ。それに忙しいのは間違いない。  先日エドウィンは宣言通り『明日』に来たらしいが、ミゲルがマリリスは忙しいからと追い返してくれたのだ。それから会うことなく今日まで来たため、気を抜いてしまっていた。 「じゃあ少しだけでいいのでお話ししましょう?」  誘われて断れるはずもなく、前回と同じように談話スペースで密着して座ることになった。 「あの、ミゲルさんっていう先生の秘書、少し怖くないですか? 僕ちょっと苦手で」 「怖い? うーん……厳しいことは厳しいけど、基本優しいよ」 「……それならいいんですけど……。もし酷いことをされたり、怖い思いをしたりしたときは、僕を頼ってくださいね。きっとお役に立ちますから」  エドウィンはその榛色の瞳に熱意を宿し、マリリスの手を握ってくる。 「う、うん、そのときはよろしく」  そう応えると、エドウィンは満足そうに笑った。 「そうだ、今日はちょっと先輩であるマリーゴさんに相談があって……」 「相談? 何かあった?」 「ライン先生の力になれるよう、先生が過去に作られた魔法すべてに目を通そうと思っていたんです。でも少し(つまず)いてしまっていて……」 「そうなの? 僕でいいなら教えるよ」  よくわからないことを話されるよりも、魔法のことを話してくれるならこれ以上楽なことはない。少し後輩らしく見えてきたエドウィンを励ますように声をかけると、彼は目を輝かせた。そして、「これなんです」と先日提出したばかりの新規魔法が綴じられた保存書を取り出した。物体を魔道具の中にしまい込むという深淵(アビス)調査には欠かすことのできない魔法で、局員であれば誰でも閲覧できるものだ。 「ここの第四円から第五円の接続になっているこの文面なんですけど……」 「あ、そこは四から五じゃなくて、四から七への繰り返しの指示になるんだ。だから──」  エドウィンは二年で育成科課程を終えただけあってしっかりと基礎知識があり、マリリスも嬉しくなって一聞かれて二十返すという奉仕的な精神で対応していた。 「すごいですね、マリーゴさん……」  エドウィンの顔は引き攣っていたが、まだまだ説明不足だと感じていたマリリスは全く気づかず、「そうかな」と満面の笑みを返しながら次の質問はまだかと待っていた。すると、エドウィンが含み笑いを浮かべる。 「こんなにお詳しいなんて、まるで作ったご本人のようですね」 「……え」  マリリスは下瞼をピクリと震わせた。  局員にマリリスが賢者であることを知られてもなんら問題ないが、相手がエドウィンとなれば話は変わる。どう考えても、つきまとわれる未来しか想像できないのだ。マリリスが出した結論は否定だった。 「違うよ! たまに手伝うことがあるだけだから! ──そう! 先生を手伝っていたらたくさん説明してもらえるからそれを覚えていただけなんだ!」  とマリリスは必死に訴えた。だが、 「マリーゴさん、大丈夫ですよ、誰にも言いませんから」  と渾身(こんしん)の演技をどこか(あわ)れむような眼差しで流されてしまったのだ。 (誤魔化せなかったあぁああ!)  マリリスが内心涙を流していると、エドウィンはまっすぐにマリリスを見つめ、手を取ってきゅっと握りしめる。そして大切に抱え込むように自らの胸に当てた。 「先生の正体は僕の心の内に留めておきます。だから僕の傍にいるときは無理せずに自然体でいてくださいね」 「え、あ……うん……。その、エディ……申し訳ないんだけど、実は魔法局の人はほとんど知ってて……知らないのはここ最近の新入局員ぐらいで……」 「ど、どういうことですか? じゃあ、魔法局全体でマリーゴさんを利用しているということですか!?」 「利用? 利用なのかな……? そんなふうに感じたことはないけど……」 (反対に守られてるような……)  そもそも若さから反感を買うのを避けるために賢者ラインの外見(ガワ)を使っていたのだが、賢者ラインの名が大きくなった今もあの姿が作り物であると暴露される気配はない。マリリスでさえ、ここまで皆が口外しないとは予想外だったのだ。  変装が陛下の指示だからか、相互利益のためだからか、よくわからないが、深淵(アビス)調査という有事が控えているため、今の状況は都合がいいものでもあった。 「……わかりました。マリーゴさんが正当な評価を受けられるように、僕もお手伝いします。何かあったときは僕を頼ってください」 「う、うん……ありがとう?」  マリリスが首を傾げつつも礼を言うと、エドウィンはさっと手を離す。彼の目線の動きにつられて振り返ると、ミゲルがにっこりと笑みをたたえて佇んでいた。 「マリーゴさん、また近々」 「うん、じゃあね、エディ」  マリリスは立ち上がるとミゲルの元へ駆けていく。ミゲルは無言のままマリリスを迎え、先に部屋に入るように促す。そしてエドウィンに一瞥(いちべつ)を投げると、静かに踵を返した。     § ◆ § 「これにより、深淵(アビス)調査を先行して実施することに決定する。目標は翌新月。それまでに野営拠点を確保できるよう各所調整をお願いする」 「魔法局はすでに飛行型調査機の製作に取り掛かっており、日程も調整済みだ。騎士団と治癒院には早急に調査団の編成を願いたい」  王城の会議室では、主要機関の幹部が集まり、先日の人型兵器(ゴーレム)暴走事故を踏まえての国策が論じられていた。  その場には副局長と局長秘書のユリアンに挟まれる形でマリリスの姿もある。局長のローマンが腰を痛めて絶対安静となり、『座ってるだけでいいから!』と副局長に急遽名代を懇願されたためだ。もちろん変装をして、である。  ただ、滅多に表に姿を現さないマリリスが会議の場にいるためか、どこか異様な雰囲気が漂っていた。それが円卓を挟んで向かいに座る治癒院理事の面々によることは一目瞭然。だが当のマリリスは全く意に介していなかった。騎士服に身を包んだフーゴと同じテーブルに着いているというのに、他のことに目を向けていられるわけがない。  酒場で会ったときとは程遠い凛とした姿。そんな出で立ちを間近で目にしてしまったマリリスは小声で雄叫びを上げ、興奮に拳を握りしめていた。  ミゲルから事前にフーゴの出席を知らされ、『見てはいけません』とにっこりと脅されていたが、見ないわけにはいかない。とにかく視線を固定しなければ大丈夫だろうと、議題が変わるごとに円卓を囲む者たちの顔を見回すように見せかけて、フーゴの姿を拝んでいたのだ。  だが、 「ライン士爵にも調査に同行いただき、活動にご協力願えればと」  という突拍子もない請願に会議室がざわめいた。 (えっ、さっきまで編成の調整について話してなかった!?)  マリリスも突然名前を出されたことに驚いて椅子の上で姿勢を正す。  どうやら、フーゴの隣にいる紺髪の騎士が先ほどの発言をしたようだ。立ち上がっているのは彼一人だった。 (あれ? どこかで見たことある……)  騎士団から団長も合わせて三名しか出席していないところを見ると、副団長(フーゴ)に次ぐ実力者なのだろう。 (ん? 副団長に次ぐ……? ──そうだ! 試合でフーゴ様と最後まで戦っていた人だ!)  その上級騎士のことを思い出してマリリスは内心手を打った。正体がわかってすっきりしていたのはマリリスのみで、どよめきは治まらない。団長とフーゴが動揺を滲ませているため、騎士団の総意でないことが窺えた。 「それはどういうことか」  騒ぎを収めるように声を発したのは国王だった。  先王が急逝し、十一年前二十七にして戴冠。その後すぐに魔物の氾濫(スタンピード)への対応に追われるという苦難を乗り越えた王だ。威厳と悠然さを持ち合わせており、その声に責める色はない。灰青色の短く切り揃えられた顎髭を撫で、同色の双眸をただ細めた。それを受けて隣に立つ宰相──ミゲルとよく似た面立ちの男が上級騎士の再発言を認めて頷いた。 「ありがとうございます。瘴気の森(ホラステッド)の魔物は騎士団の上級騎士でも手こずるものです。魔法局顧問であり賢者であるライン士爵にご支援いただけるのなら、任務の遂行も幾分か安全なものになると考えております」 「言い分は理解できる。だが、ライン士爵には今回使用する調査機と野営に関わる設備の開発を依頼し、すでに完遂された。君はこれ以上の負担をかけることについてどう思う」 「先代賢者は前線で皆を牽引(けんいん)するようなお方だったと聞いております。当代でもあり、力ある方が率先して行動されるべきなのではないでしょうか。なによりまず調査を成功させ、次の計画に繋げなければならない。ここで戦力を失えば本末転倒にもなりかねません。どうかご一考をお願い致します」 「うむ」 「陛下、治癒院も、ザムエル士爵の意見を推したいと考えております」  賛成の意を唱えたのは、どこかで見たことがある榛色の髪をした壮年の治癒院理事。もしエドウィンとの血縁なら彼がバルト伯爵なのだろう。 「戦闘を不得手とするのは治癒士とて同じ。ですが、治癒士は前線に身を置き、日々命を危機に晒しているのです。我らの中には魔法使いを優遇していると感じる者も少なくありません。今求められるのは団結。魔法局員も調査団の編成に入れるべきかと。ただ局員の戦闘訓練が間に合わないこともあるでしょう。ですから今回はライン士爵に代表として一度現場を体感していただくことを目標にすればよいのではないでしょうか」 「……バルト伯爵、先代賢者が騎士団の所属であったことは当然ご存じだろう。ライン士爵は魔法局員であり立場が違う。それを考慮した上での発言か?」 「もちろんです」  バルト伯爵が応え、ザムエル士爵も首肯した。 「──ライン士爵、貴殿はどう考える。私は前例を作るべきではないと思うが」  国王はマリリスに視線を寄越す。 (せ、責任重大……。もしかしてこれは目の敵にされているという状況なのでは……)  皆の視線が一点に集中して、マリリスは内心冷や汗をかいていた。慌てて口髭を弄る。それは『助けて』の合図で、すぐさま後方で控えていたミゲルがマリリスの傍らに膝をついた。 『どうしたらいい……?』 『そもそもの前提が破綻していますが、この場で出された以上、断るのは得策ではありません』 『やっぱりそうだよね……。でも、陛下が言っている前例については大丈夫なの?』 『そうですね、前例を作らないよう、魔法局ではなくマリリス様個人の依頼として受ければ問題ないかと。魔法局員は文官であり非戦闘員です。それは覆りません』 『局員って文官だったんだ……』 『はい。まぁ局員は口実で、マリリス様を連れ出したいのでしょう。浅はかですね』  刺々しく言い放った従者の表情を窺いつつ、マリリスはうぉっほんと咳払いして声を作る。そして国王と視線を交わして一つ頷いた。 「この困難に終止符を打つためであれば助力を惜しみません。賢者であるということが理由なのであれば、私個人にはなりますがお話をお受けいたしましょう。ただし文官を現場に向かわせるなどといった筋の通らない発言を金輪際なさらないよう願います」  国王も満足のいく回答だったようで、笑みを浮かべた。 「相わかった。ライン士爵の厚意に感謝する。バルト伯爵、貴殿は治癒院の理事だ。他機関にばかり目を向けず、治癒院の成長に尽力せよ。また、この件が落ち着くまで会議の場での他機関への干渉を制限させていただく」 「陛下! やはり優遇ではないのですか!」 「魔法局が国営機関であることを忘れておいでか? 官吏を守るのも私の仕事だ。その上、貴殿の発言は、騎士団に所属する魔法兵たちの使命を軽んじることにもなる。現場に混乱を起こしかねないものだ。ザムエル士爵にも同様の処分を科す、よいな。カミル、先ほどの発言を議事録に必ず残すように」  宰相が国王の指示に堅く頷いた。 「私からもよろしいですか」  畳みかけるようにして挙手したのはフーゴだ。宰相が「どうぞ」と促すと、隣に立つザムエルの視線を受け止めながらも()(ぜん)とした態度で立ち上がった。 「では、調査団の構成について。ライン士爵の警護隊を設置することとし、費用に関しては騎士団が負担。野営地での業務の際は設備部隊へ合流していただき、滞在中は不安を抱かれぬよう配慮を尽くします」 「うむ、そのようにしてもらえると助かる。詳細については後ほど双方で話し合うこと」 「承知しました」  国王に応えたのち、フーゴはマリリスへ一礼を寄越した。  向けられた眼差しには全く感情が乗っておらず、先ほどの提案も騎士団へ反感を持たれないよう取り繕っただけだということが窺える。 (男には興味なし、ってことかな? それとも僕の噂のせい?)  ここまであからさまな態度を取られるのなら、女装して近づくという作戦は最強の一手だったのだろう。 (思いついた僕って天才……!)  とマリリスは自分を褒めちぎった。  宰相の締めの言葉で出席者が一斉に立ち上がり、退出していく国王へ一礼する。そのあと、皆が忙しなく動き出した。中でも真っ先に扉から出ていったのはフーゴだった。 (もう少し見ていたかったなぁ) 「俺たちは先に戻って局長に知らせてくる。ライン室長はゆっくりでいいから」 「うん、ありがとう」  呆れたと言わんばかりに肩を竦める副局長とユリアンに手を振り返し、扉口に視線を向けながら、「ねぇミゲル」と話しかける。 「僕、ちゃんと賢者らしく言えてた?」 「ええ、近頃の成長が目覚ましいですね。他者をこき下ろすことばかり考えているどなたかとは大違いです」 「……辛辣」  先ほどの『賢者を深淵(アビス)調査に』という一連の発言を根に持っているらしく、怒りはまだ消えていないようだ。マリリスにとって自分が深淵(アビス)調査に向かうことは、そこまで深刻な事柄だと思えないのだが、実際はそうではないのだろう。 (難しい……)  そんなことを考えていると、人が近づく気配に気づいたのか、ミゲルがごく自然にマリリスを背後に隠した。 「何か御用ですか?」  ミゲルが冷ややかな笑みを向けた相手は、治癒院の理事であるバルト伯爵だった。手指すべてにごてごてとした指輪が()められ、服も随分といいもののようだ。資産があることを隠さない方針らしい。ただその上等な服には不自然に(よこ)(じわ)が入り、香水にはヤニの匂いが混じっていて、不健康そうではあった。夫人とは十ほど離れているのかもしれない。あの美しい夫人に選ばれたのだから、結婚当時はまた違った風貌だったのだろう。  それにしても、他の治癒院の面々を引き連れて、わざわざマリリスの下にやってくるなど、どういった風の吹きまわしだろうか。 (今まで自分から近づいてきたことなんてなかったのに)  怯えつつも怪訝な眼差しを向けていると、バルト伯爵がマリリスに着色したかのように白い歯を見せた。そして、 「いやいや、優秀な秘書をつけられているようで羨ましい」  そんな言葉を投げかけてきたかと思えば、 「私のところに来たほうが給料は良くなると思うが……君、これを」  と着けている中でも一際大きな宝石がついた指輪を外して、ミゲルに差し出したのだ。 (えぇ……目の前でミゲルを引き抜こうとするなんて何考えてるの!?)  髭を着けていて良かったと思う。それでなければあんぐりと開いた口を見せるところだった。ミゲルが「結構です」とこちらまで凍りそうな冷たい声で跳ねのけるが、バルト伯爵には響いていないようだ。可笑しそうに目を細めた。 「冗談はさておき、同行を決断されるとは賢者の鑑ですな。治癒士たちにも勇敢な姿を見せていただけるのでしょう。調査への期待も高まるというものです。──ただ、随分と陛下を落とす手管に長けておられるようだ。どういったご関係なのでしょうなぁ? とんと甘い判断を下される」  粘っこい笑みを浮かべ、マリリスを値踏みするような眼差しで()め回してくる。マリリスは鳥肌を立てながら、早くどこかに行ってほしいと願っていた。 「年の割に肌もお綺麗だ、さすがエルフの生き残りというべきか。一度夜会に招待いたしましょうか、是非その若さの()(けつ)を教えていただきたいものですなぁ」 「……若さを保つというならご夫人に聞かれたほうがよろしいのではないですかな? いつまでもお美しくていらっしゃる。そちらの秘訣を治癒院で取り入れられてはどうでしょう。きっとご婦人方も喜ばれるに違いない」  悔しいが、マリリスにはない妖艶さというものがバルト伯爵夫人にはある。もし彼女に美の極意を教えてもらえるなら通いたいぐらいだ。  マリリスは会話を終わらせたいという一心で若干願望が混じった答えを返したのだが、バルト伯爵はすっと笑みをひっこめ、ふんと威嚇するように鼻を鳴らした。何やら気に障ることを言ってしまったらしい。 「侮辱と捉えてよろしいかな? 結構結構。魔法局顧問がそういったお考えであるというなら、こちらも──」 「これは、バルト伯爵とライン士爵ではありませんか。お二人が談笑されているのを拝見できるとは、深淵(アビス)調査もうまくいくに違いありません」  一際大きく良く通る声が響いた。会議室に残っていた面々が一斉にマリリスとバルト伯爵に視線を向けた。マリリスが振り返ると、そこにいたのは騎士団長だった。 (おっきぃ!)  遠目で見ていたためここまでとは思わず、マリリスはミゲルの背後にいながらもたじろいだ。赤茶の髪と褐色肌。そして緑の瞳。まさしくバーガス種だ。フーゴとは骨格が異なり筋肉の一つ一つが大きく、マリリスには筋肉隆々の巨人に見えた。にこにこと陽気そうな団長だが、体つきとの差異に違和感を覚えてしまう。 「バルト伯爵、今回調査同行にライン士爵を推薦されたわけですから、是非出資されたいのではないかと伺いに参ったのです。騎士団が費用をすべて負担する、などと副団長が息巻いてしまい、全くお恥ずかしい。調査が成功を収めると確信しておられるのでしょうし、伯爵が出資し後押しされたとなれば箔もつくことでしょう。──まさか、賛同しておきながら逃げに走るなどされませんよね?」 「……もちろん負担させていただこう。後日、請求書を送ってもらって構わない」 「それはありがたい。うちの経理は財布の(ひも)が固いので助かります。では推薦者の頭数で……そちらは四人、こちらはザムエルの一人ですから、全体の八割を請求させていただくことにいたしましょう」 「は!? ま、待て!」 「おっと、これは失礼を。八割では足りませんよね、伯爵の顔に泥を塗るところでした。いかほど増やしましょうか?」  団長が目を糸のように細めて微笑んだ。その威圧感は見ているだけでも足が竦みそうになる。 「か、構わない。そちらにも花をもたせてやらなければならないからな! 私はこれで失礼する!」 「そこまで考えてくださるとは、ご恩情痛み入ります」  と取り巻きを連れて逃げるように去っていく背中に、団長が追い打ちをかけた。 (とんでもない人だ)  さすが侯爵様。マリリスは絶対敵に回したくない人、という認識を抱いた。  すると、ふぅとため息をついた団長がマリリスに向き直り、胸に手を当てると軽く膝を折る。 「先ほどは私の部下が無礼を働き、大変申し訳ありませんでした」 「へ?」  唐突に謝罪されマリリスは思い切り気が抜けた声を発してしまう。慌てて咳払いで誤魔化すと、団長が困ったように微笑んだ。 「驚かせてしまったようですね」  伯爵に対しての険のある態度とは違い、優しさが滲み出ている。どこかミゲルが向けてくる眼差しと似ており、先ほどまでのような怖さは感じなくなっていた。  不躾(ぶしつけ)に観察してしまったマリリスに対し、団長は体を屈ませながら手を差し出してくる。大丈夫ですよ、とミゲルに後押しされて、マリリスはその厚みのある手のひらを握り返した。 ●・○・●・○・●・○・●・○・●・○・●・○・●・○・●・○・●・○・ 試し読みはここまでになります。 続きは各電子書店で好評配信中!

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