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【プロローグ|椿の約束】

 白い椿は、冬の庭でいちばん静かに咲く。  風も止まって、雪が降る前の光だけが残る。  あのころ、俺たちはその花の前で、何度も同じように笑ってた。 「秋、これ折れた」 「大丈夫、なつ。もう一回挿せば咲くよ」 「ほんと?」 「うん、ほら」  秋の指は小さくて、でも器用だった。  折れた茎を指先で水に挿し直して、  それが魔法みたいに花瓶の中で立つ。  俺はただ見ていた。  そして、秋の笑い声が聞こえると、つられて笑った。 「なつ、大きくなったら俺が守るから」 「……まもる?」 「うん、泣かないで済むように」 「ふふ、秋がいるもんね」  意味なんて、よくわかってなかった。  でも、笑えば秋も笑ってくれたから、それでよかった。  冷たい空気の中にふたり分の白い息が重なって、  庭の椿は少し揺れた。  祖母の声が奥から呼ぶ。  「なつ、生け花の水、替えておいてね」  「はーい」  バケツの中で、氷がひとつ溶ける音がした。  そのあとで秋が言った。 「なつの指、花と似てるな」 「え、どこが」 「触ると、冷たくて、でも痛くない」 「秋、なにそれ」 「わかんない、でも――好き」  その“好き”の意味も、まだ知らなかった。  ただ、秋の言葉があたたかかった。  それが、椿の香りと一緒に胸の奥に沈んだ。  時間が経って、呼び方も変わった。  秋は俺を“夏生”と呼ぶようになり、  俺は“秋”のことを、“秋葉”って呼ぶようになった。  名前が少し遠くなっても、  あの冬の庭の白い匂いだけは、今も覚えている。  花のように落ちても、香りは残る。  ――たぶん、あれが最初だったんだ。  俺が、秋を好きになった日の。

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