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第7話

「ま、こんな感じ、なんだけど⋯⋯どう?」  ちらりと視線を投げかけてきた百瀬に、正真は動画の最後のポーズを真似して、親指を立ててみせた。 「絵を描いてる百瀬さんすっごいカッコイイ」 「マジ?」百瀬が声をあげ、前髪をかきあげる。 「じゃあ、ちょっと、見直してくれた?」 「うん」  うなずいたら、百瀬は小さくガッツポーズした。 「正真が今日来てくれて、マジで良かった」  照れ笑いする顔は耳まで赤くなって、瞳は潤んでいる。その目でじっと見つめられたら、なんだか正真までこそばゆい。耐えられなくて、とうとう吹き出した。 「アハハ、ごめん。そんなに喜ぶなんてさ、百瀬さんって本当に絵を描くのが好きなんだね」 「あ……ウン、もちろん。そう。そうだけど……」 「?」  百瀬がちょっと困った顔をしてるのはなんでだろう。  首をかしげていたら、高成にそっと腕を引かれた。 「正真君、そろそろ残りのドーナツをいかがでしょう」  そういえば、すっかり忘れていた。紙ナプキンに置かれたままの猫耳のドーナツと目が合う。高成が手にとってこちらへ向けた。 「お店で見つけたとき、この赤茶色が、フジちゃんと同じだなって。そう思いませんか?」 「うん。かわいいね……」  ドーナツを受け取ろうとしたら、その手が引っ込んだ。 「はい、あーんして」 「え……」  戸惑ううちに、高成の笑顔がどんどん近づいてくる。アップに耐えられる顔は、長い睫毛や瞳の中の光の揺らぎまで見える。  仕方なく、口をつけた。かじると少しビターなキャラメルソースが舌に絡んできて口の中を舐め取った。 「どうですか? 甘すぎない?」 「う、うん……おいしいよ」 「良かった。では、どうぞ」  高成はさらにドーナツを差し出してきた。 「あ、あのさ……残りは自分で食べるよ。かして?」 「そんなこと言わず、ぜひ最後までどうぞ。この方が手も汚れませんよ」 「ええー……」  やっぱり、高成さんって変な人だ。何が楽しいのか、頬を赤くしてる。あまりに楽しそうで、もう食べるしかないような気がしてきた……が、隣の百瀬が自分のバナナマフィンを二人の間に差し込んだ。 「正真、こっちまだ口つけてないから交換しよ」  前髪が邪魔で表情が見えない。 「う、うん。いいけど……」  正真がうなずくと、百瀬のあごが高成に向いた。 「高成さん、そういうことなんで、それ俺のになりました」 「へえ……。そうですか……」  高成の声のトーンがさっきまでとまるで違う。何か言いたそうにしつつ、結局何も言わずにドーナツをさっさと百瀬に渡した。  受け取った百瀬は席に戻り、ドーナツにかぶりつく。 「…………」  場がシーンとしてしまったのは、正真のせいだろうか……。  成り行きで交換したバナナマフィンも美味しかった。トールサイズのカフェオレも、残り少ない。 「そうだ……」  手を拭いている正真に、高成が自分のスマホを向けた。 「正真君、良かったら連絡先を交換してもらえませんか?」 「やめとけ〜」と百瀬が言うが、ごちそうしてもらったし、会うのも二度目だし、断るのは変だ。 「うん、いいよ」  正真も制服のポケットからスマホを取り出す。すると高成が一目で気付いた。 「あっ、いいな。正真くんのスマホ、今月出たばかりの最新モデルですね。それも、一番上のグレード。お友達に羨ましがられるでしょう?」 「あ、うん……」  正真はあいまいに笑う。高校生が持つには手に余るほど高性能で、高価なスマホを、まるで自慢しているようで、褒められて嬉しいよりも恥ずかしくなる。 「すぐ分かるなんて、高成さん詳しいんだね」 「仕事柄、流行や情勢にはアンテナを広く張っています。相手の方が、どういうところや、どんな物にこだわっているのかを見るのは営業の基本ですから」 「そっか。仕事って、ほかの色んなことにも気を配らなきゃだめなんだね……」  成績のために、教科書に向かって勉強するだけの自分を思うと、百瀬や高成はやっぱりずっと大人だ。 「だから……」高成が、スマホよりも正真を眩しそうに見る。 「正真君が着てるその制服が、どこの学校かも当然分かります。一般家庭のご子息では、まず入学できないような日本一の名門男子校ですよね。正真くんって、すごくすごく優秀なんですね」 「っ……」  言われ慣れているはずなのに、思わず視線を反らした。 「そ、そんなことないよ、全然。……」  正真が有名校の生徒なのは、中学受験がたまたま上手くいっただけ。まぐれだったから、高校からはすっかり落ちこぼれて、要一にも叱られてばかりで、とても優秀とは言えない。  そうとは知らない、おそらく、正真が謙遜してると思っている百瀬が笑い声をあげる。 「正真って、ビジュ好し・頭良し・性格良しで、王子様級の高スペックだな。将来の夢は決まってるの?」  期待に満ちた目に、逃げ出したくなりながら、それでも、恐る恐る言った。 「医師……を、目指してる……。うち、結構大きい総合病院なんだ」 「マジか……。そりゃ、正真はきっとただ者じゃないとは思ってたけど、大病院の御曹司だったとは」  驚く百瀬の横で、高成はさもあらんという笑顔を浮かべる。 「正真君なら白衣が似合う素敵な先生になりますね。ぜひ、診てもらいたいな。ねえ、正真君のおうちの病院ってもしかして……」  高成はやはり物知りで「梅澤総合病院」と言い当てた。 「以前、お世話になっている方のお見舞いに行ったことがあります。最新の医療設備や検査機器が整っていて、医師も経験豊富で実績のある方が多数在籍なさってるんですよね。有名な病院です」  高成の言う通り、現在の梅澤総合病院は世間から高く評価されている。それは正真にとって誇らしいと同時に、自分だけが釣り合っていないという不安にもなっている。 「今の院長は正真のお父さん?」  百瀬に尋ねられ、正真は首を横に振った。 「ううん。俺には父さんはいないから。院長は俺のおじさん。ちなみに、この最新のスマホを買ってくれたのもおじさんだし、俺の学費とかも全部おじさんの援助」  百瀬はすまなそうな顔をしているけど、気にしなくていい。  正真の母は本当に不真面目で、未婚のまま正真を産んだ。正真は父が誰だか知らないが、気になった事もない。母の兄であるおじが、いつも気にかけて面倒をみてくれるし、要一は鬱陶しいくらいそばにいてくれる。それが不幸なわけがない。 「おじさんの息子で、同じ学校に通ってる、要一っていうすごく優秀な従兄弟がいるんだ。将来は俺と要一と二人で、病院を継ぐ約束なんだよ」  要一の名を口にしたら、要一に嘘を言ってここに来たことが今さら後ろめたくなった。高成と連絡先を交換して、スマホの左端の時刻は七時を少し過ぎたころだ。 「俺、そろそろ帰らなきゃ……」  名残惜しくもそう二人に告げた。

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