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第6話

「そうだ……」  1つ目のドーナツを飲み込んだ百瀬が砂糖のついた手を払ってからスマホを取り出し、正真に顔を向けた。 「今日の制作をタイムラプス撮影してたんだけど、見る?」 「見る見る! そんなの撮ってたんだ」  作業開始直前になって、このアイスクリーム店のオーナーに、SNSに載せる広告動画に使いたいと依頼されてスマホで撮ったらしい。  身を乗り出して、見たいとねだった正真に百瀬が驚いていた。 「こ、こんなの、つまんないよ、きっと」 「そんなわけない。俺、もともと作業動画好きだし。なによりずっと、百瀬さんが、どういう風にあんなすごい絵を描くのか気になってたんだ」  今日こそと思っていたら、来たのが遅すぎて、すでに完成済みで、内心残念に思っていたので、本当に嬉しい。  ところが、この動画撮影にはちょっとしたトラブルもあったようだ。高成が「確認ですけど」と百瀬をたしなめた。 「今後は、私に相談もなく勝手に引き受けないでくださいよ。用途が広告なら、撮影料や使用料を追加で請求するんです」  百瀬は「すんません」と謝りつつも、「高成さんってあんがい真面目だよね」と笑った。 「これくらいサービスで構わないでしょ。余計に時間がかかるわけでもないし……」 「はあ?」  高成の美しい瞳にギンと力が入る。 「百瀬さんは絵で食べていくつもりがないんですか? このまま一生アルバイトを続けるつもりなんでしょうか。まあそれはご自由ですが、私も兄に任されている身で、兄のアトリエのため、収益を損なえません」  冷酷な視線に百瀬が縮こまる。 「……。は、はい、以後気をつけます……」  見ていて百瀬が気の毒ではあるけど、正真にも、高成は正論を言っているように気がする。 「──それで百瀬さん、動画、早く見せてよ」  正真が呼びかけると百瀬が「助かった」と言う顔で「そうだね」とこちらを向いた。高成も「大変失礼しました」と正真に笑顔を向ける。 「撮ったまんまだから、見づらいと思うけど……」  百瀬のスマホを横向きで受け取ると、ちょんと再生ボタンが押される。映ったのは百瀬の大きな顔。 「げげ」  百瀬が自分のドアップに情けない声を上げた。  昼の明るい光の中、設置したスマホのカメラを見上げているようだ。こうして見るとやっぱりイケメン。しかもいつもの柔らかい目線とは違う無機物への涼しい目つきに変に惹かれてしまう。百瀬が、後で編集で消すと言っていたけどちょっと惜しい気がした。  角度をチェックし終えた百瀬は、カクカクとコマ送りで画面から消えた。カメラは、キャンバスとなるガラスに向かって左斜め上をとらえていて、横に長い全体を映している。  再び百瀬が戻ってきた。ガラスと向き合って、絵を描き始めるのかと思いきや、手には雑巾を持っていて、せっせと拭きはじめた。 「ホコリがついたままだと、きれいに仕上がらないからさ」  なるほど。そういう事もしないといけないんだと正真は感心しながら眺める。  スマホの中の百瀬は、行ったり来たり、立ったりしゃがんだりして、大きなガラスを端から端まで丁寧に拭き上げていく。大変そうだなと思っていたら、途中で高成が登場した。黙々と作業をしている。しばらく終わりそうもなかった拭き掃除が二人がかりになったおかげで、終了間近だ。 「仲いいんだね」  いやあ、と百瀬は苦笑した。 「高成さん普通は絶対に手伝ってくんないよ。今日はオーナーがしつこかったから体よく逃げる口実だったんじゃない」 「ああ……」 「百瀬さん、そこは私がたいへん親切だったと言えませんか?」  首をすくめた百瀬に、高成が「ここまで全部データ削除です」と指示する。百瀬はじっとしたまま「ハイ」と返事していた。ここに来る途中、百瀬が高成の尻に敷かれてると言っていたのが、だいたい分かった気がする。  さて、ここからが本番だ。正真はワクワクして画面を見つめる。  ガラスの前から高成が去り、百瀬だけになった。  百瀬はガラス全体を改めて見渡したあと、ガラス用の絵具を筆に取った。するするとなだらかな曲線が引かれだす。輪郭ができるとそこに今度はベースとなる色がすいすい塗られていった。  さすがプロ。作業に迷いがなく、修正もほぼなくどんどん進んでいく。ガラスの清掃にどれほど手こずっていたか、バカバカしく思えてくるくらい。  全体に色が行き渡った頃、急に画面が真っ暗になった。 「あれ?」  キョトンとした正真に、高成が優しく教えてくれた。 「そろそろバッテリー切れしそうだったので、百瀬さんに充電と休憩をしてもらいました」  再開したときは、さっきよりもカメラがガラスに近づいて、手元がよく見えるようになっていた。ここからは、さっき正真に貸してくれたクレヨンを使うようだ。  色が何度も重ねられ、ガラスの上で溶けるように混ざっていく。チョコチップやキャラメル、ストロベリーなどのトッピングがのって、まるで本物の、明るい光を受けた、冷たくて柔らかい質感と、香りさえも感じられそうなアイスクリームがガラスに一つ、二つと浮かび上がってきた。  高成が百瀬の方を向いた。 「想像していたよりもずっと素敵ですね。透明なガラスから徐々に絵が現れてくる様子は、鳥肌が立つくらいきれいです」 「えっ、そ、そう?」  百瀬は腰が引けていて、高成の素直な褒め言葉を信じられない様子だったけど、正真もまったく同じ気持ちだ。 「うん、本当にすごい。カッコいいよ……」  だけど、正真はいつの間にか、絵よりも絵に向かう百瀬の背中から目が離せなくなっていた。シャツごしに浮かぶ肩の線、しなやかな腕の動き。静かで力強い集中が伝わって胸が熱くなる。  それは要一がバイオリンを奏でる姿と重なった。もうバイオリンのレッスンは終わった頃だ。今頃はきっと自宅の練習室で、さらに練習しているだろう。  色とりどりのアイスクリームがガラスに完成した。少し距離をとって、百瀬が眺めている。真剣な横顔が写っている。 「よしOK。完成!」  笑って振り返ったところで、動画が終了した。

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