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第5話

 心拍数が自分でも驚くくらい上がっていた。元々、彼がここに来ると聞いていた。それで正真も「会いたい」と言った。けれど、いざ彼の姿を見ると咄嗟に声が出なかった。  目の前に立つ彼──高成 昴(たかなり すばる)は、社会人らしい品の良いジャケットに身を包んでいる。緩やかに波打つ髪が風に揺れていて、前髪を上げて形の良い額を出したスタイルが大人っぽい。だが何より、美貌に息を呑む。正真の従兄弟、要一は涼し気な顔立ちで誰よりもかっこいいけれど、高成の華やかな容姿は人間離れしている。透き通るような肌は、しっとりと濡れて見える。  彼から目が離せない。そして彼の視線も真っすぐに正真に向いている。初めて会った日と同じだ。突然現れた彼と、言葉もなく見つめ合っている。  それは百瀬のアパートで、プレゼントしてもらったフジの絵にお礼を言って帰ろうとしたときだった。ちょうど高成が百瀬を訪ねてきた。高成はデザイン会社の社長である兄の手伝いをしていて、ときどき百瀬に仕事を紹介したり、部屋に積み重なった絵画から顧客のニーズに合うものを見繕いに来たりしているそうだ。  高成は初対面の正真の手をつかみ、帰るのを引き留めてきた。洗練された印象とは裏腹に、すごく強引で。百瀬も驚いていた。  「私にも運命の相手がいたなんて、こんなにも突然、まるで物語の始まりのように出会うなんて、思っていませんでした……」  それはどういう意味? 聞き返そうにも、どんどん迫って来る高成に話しかけるなんてできなかった。輝くような瞳に吸い込まれてしまいそうで、無我夢中で手を振りほどいて逃げた。 「──高成さん、」  百瀬が呼びかけた声に、正真ははっと我に返った。 「なかなか戻ってこないから、オーナーと一緒に帰ったと思ってた」  百瀬の問いに高成が不快そうに眉を寄せる。 「帰るもんですか。お車まで見送っただけです」  話がみえない正真に、百瀬が説明してくれた。  このアイスクリーム店のオーナーが、先ほどまでここにいたそうだ。やり手な雰囲気のイケオジで、百瀬のイラストが自分のイメージ通りに仕上がるように確認しにきたと言っていた。 「でも実際は絵なんかそっちのけで、高成さんのこと、ずーっと、ドライブに誘っててさ。明らかに最初から高成さん目当て。高成さんはうまく交わしてたけど、隠しきれてないイライラが、ガラスを塗ってる俺の背中にびしびし伝わってきて……。いたたまれなかったわ〜」  正真にもなんとなく想像できた。高成ほどの美貌なら老若男女問わず引きつけて、迷惑することも多そうだ。高成が百瀬を睨みつけた。 「そんなこと、正真君に聞かせなくていいんですよ」  「ね?」と振り返った高成は、正真には打って変わった麗しい微笑みを向ける。声色も所作も大人の余裕をまとっていて、この前の嵐のような登場がウソのようだった。あれはきっと、何かの間違いだったんだろう。緊張が安心に変わると、今度は彼の美しさに胸がときめいて、頬が熱くなってくる。 「正真くん、いらっしゃい。いつ来てくれるのかって、首を長くして待っていたんですよ。お腹が空く頃かなって思って、甘いおやつも買ってきました」  紙袋をかけた長い指がこちらに向いて、ほんのりと甘い香りが漂ってくる。すっかり緊張がとけた正真は笑みを返した。 「わあ。ありがとうございます。いただきます」  ただの見学で、もてなして貰うつもりはなかったけれど、甘いものは大好きだ。 「外は暗くなってきましたし、中に入りましょう」  オーナーから入り口の鍵を預かったという高成に連れられて、店内に入った。床が黒で、ショーケースや家具は白のシンプルなツートンカラー。ショーケースの中にはまだアイスクリームは入っておらず、ビニールや梱包材がかかっている。完成したばかりの百瀬のアイスクリームの絵が目の前の、窓際のカウンターテーブルに、正真、その隣に高成、高成と反対側の隣に百瀬が腰掛けた。高成に頼まれて、正真が高成の差し入れを開封する。甘い香りが一気に広がった。 「……わぁっ、すごい!」  箱いっぱいに、ジャムや砂糖菓子でカラフルにデコレーションされたドーナツが詰まっていた。原宿の人気店だそう。あまりの可愛らしさに、まずは写真を撮らずにはいられない。  正真が最初に選んでいいと言われた。それでは遠慮なく、2つ、広げた紙ナプキンの上に取った。ストロベリージャムのドーナツと、キャラメルソースのドーナツ。ストロベリーのドーナツは砂糖菓子の白い花が可愛らしく、キャラメルのほうは、猫のイメージで目と耳がついている。  それと、飲み物にホットのカフェオレも用意してくれていた。開けた飲み口から熱々の湯気が立ち上る。 「食べるのもったいないなー」  高成が、これからは友達として、敬語で話さないでと言ったので、素のままで話す。 「そう言わずにどうぞ。見た目だけでなく、味もとってもおいしいそうですよ」  高成が相変わらず丁寧な口調を崩さないのがちょっと気になりながら、「いただきます」と手に取った。  まずはストロベリーのドーナツ。一口かじると甘酸っぱい苺の風味が口中に広がり思わず首をすくめた。 「うわぁ~、ホントだ、すっごくおいしい!」  感激のあまり、ドーナツを頬張ったまま振り向いたのは、ちょっと子供っぽかったかもしれない。高成が顔をほころばせている。 「お口に合いましたか。良かった」  隣の百瀬も、「美味い」と青いチュロスを大きな口でかぶりついている。

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