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第4話
「今日もダメもとだったんだけど、来てくれて嬉しいよ」
百瀬の笑顔は、大きな口から覗く歯並びがとてもきれいだ。そして前髪の奥の切れ長の一重の目はあたたかい光に満ちている。大きな手がそっと差し出されて、正真の持っていた重たい学生鞄を軽々と引き受けてくれた。
「じゃあ行こっか。ついてきて」
歩き出した百瀬と一緒に交差点を渡り、ゆるやかな坂道を下って並木道へ入る。夏に向かう新緑が風に揺れ、空は夕方でもまだ明るく澄んでいる。ブランドショップの立ち並ぶ横を雑談しながらしばらく歩いて、裏通りに入った。さらに細い道に入って、果たしてどこまで行くんだと思いかけた頃に、百瀬が「ココ」と急に立ち止まった。指さした先はごくシンプルな白いコンテナハウスだ。奥行きはあまりなく、横に細長い。前に突き出したひさしの下は、ガラス張りになっている。正真はそこに大胆にペイントされたアイスクリームの絵を見つけて思わず「わぁ」と声をあげた。
透明なガラスにクレヨンのような柔らかな質感で、ストロベリーやチョコミント、ソーダなど色とりどりのアイスクリームが自由な配置で描かれている。手書きだからこその、滲んだ線や濃淡のムラに光が透けて、指先で触れたくなってしまう。少し溶けたように描かれているバニラアイスクリームは生々しくて、ミルクの甘い香りが漂ってきそうだ。
「これ百瀬さんが描いたんだ?」尊敬のまなざしを向ける正真に、百瀬が
「うん。どうかな、いい感じ?」照れくさそうに微笑む。
ここは来週オープンする期間限定アイスクリームショップで、百瀬はたまに仕事を貰っているデザイン事務所から依頼を受けたそうだ。いつものように百瀬がデリバリーに来たときに話を聞いて、正真はそれまで断ってばかりいた百瀬の誘いに初めて「行く」と答えた。
ガラスじゅうのアイスクリームを全部見渡して、正真は後ろで様子をうかがっていた百瀬を振り向いた。
「やっぱ百瀬さんってスゴいんだね。すごいリアルなアイスクリーム。でも、ただ映えるとか美味しそうってだけじゃなくて、すごく惹きつけられる。アイスクリームはよく見てよく知ってるのに、この絵だと見たことないみたいで、目が離せないんだ……」
感激を伝えたいのに、全然上手く言えない。それに百瀬があまりにじっと聞いてるから、だんだん恥ずかしくなってきた。最後は笑って誤魔化した。
「とにかく……カッコいい。すごく好きだよ」
「そっ、そう!? ホントに!?」
百瀬の目が見開かれた。真っ赤な顔をしてる。でもすぐ青くなった。
「あっ、褒めてんのは絵だけね!? モチロン、分かってるから……」
首を横に振ったり、縦に振ったり、慌てふためいて、正真はやっぱり自分が変なことを言ったのかと首をひねった。
「……よし、ともかく自信を持って完成だ」
百瀬は深呼吸したあと、どこにでもあるような黒いペンをポケットから取り出して、ガラスの前にしゃがみ込んだ。アイスクリームのアートのななめ下にサインの位置を決めたら、さっと“momose”のサインを入れた。今にもほどけてしまいそうな柔らかな線に、百瀬の人柄を感じる。完成を祝って、正真は拍手を送った。
百瀬が完成写真を撮っている間、製作に使ったガラス用のクレヨンと、テスト用の透明アクリル板を貸してもらって、正真も描いてみることにした。とはいっても絵は苦手だから、百瀬の提案で、スマホの画面に小鳥の写真を出して写し始めた。
「どう?」
作業を終えて戻ってきた百瀬に、亡霊のような鳥を見せると苦笑された。
「どんなイメージだった?」
「俺の部屋は二階にあるんだけど、たまに窓の向こうの柵に小鳥がとまってるんだ。見たいのに近づくとすぐに逃げちゃうから、窓辺にきてくれたらいいなってずっと思ってて……」
百瀬の口元が緩んだ。
「可愛いな。こんな感じ?」
横にしゃがみ込むと、あっという間に、ちょこんとした小鳥を描いてくれた。つぶらな目がたまらない。
「これくらいならすぐに仕上げられるよ。消したくなったら簡単に消せるし……」
「こんなの百瀬さんしか描けないよ」
上目遣いで見上げると百瀬はウンとうなずいた。
「じゃ、俺に描かせて。今日来てくれたお礼」
「いいの!?」
百瀬がまたウンとうなずいて、さっそく構図を詰めようとする。正真は、その手をぱっと押さえた。骨ばっていて、関節の形がはっきり伝わってくる。
「な、なに?」百瀬が驚いた顔を向ける。
「じつは、理想がもう一つあって……そっちのほうが良いかも」
「そっ、そっか。じゃあそっちにしよう」
「どんな絵?」と改めてたずねられた。
「窓に巨大なヘラクレスオオカブトが止まってる」
このくらいの、と手で大きさを表現して見せたら百瀬の笑顔が明らかにこわばった。
「へっ、へぇぇ! カブトムシが好きなんだ? でもそんなデカいのが、窓にいたらちょっと怖くない?」
「怖くないよ、捕まえたい。……もしかして百瀬さんは昆虫苦手?」
「いやっ、……まあ、ちょっとだけ…………」
ならどうしようかなぁ。正真が呟くと、百瀬が慌てた様子で、全然平気だと言ってくれた。しかしそれとは別に、実は気になる問題がもう一つ正真の胸に浮かんでいた。要一だ。正真の部屋に滅多に来ることはないものの、窓に手書きのアートなんか見つけたら、変に気にして、根掘り葉掘り聞いてくるに違いない。それでもし、百瀬の事を話せば、それもまたしつこく聞かれる。
ふと、歩道のほうから人が近づいてくる気配に気づいた。
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