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【番外編】虹色の日々:side ミノリ 3

 翌朝、メッセージの受信音で目が覚めた。  枕元に投げ出されていたスマホを手に取ると「同窓会」と名付けられたグループのトーク画面に、昨日集まったメンバー数人からお礼のメッセージが投下されていた。  律儀なやつらだ。  また集まろう。つぎはいつにする。これでも社会人のはしくれだから、明らかに社交辞令だとわかるメッセージだなと思う。しかしそれに混じって「俺の母校、一回戦。応援よろしく」。  寝ぼけた頭でなんのことかと必死に考え、甲子園かとようやく思い至る。そういえば隣の席で盛り上がっていたっけ。  ベッドから手を伸ばし、閉めたカーテンの隙間から外を見る。  削ったばかりのかき氷のような雲に、真っ青な空のコントラストが激しく網膜に焼きつきそうだ。  甲子園にはおあつらえ向きの天気。 「……ん、実……」  隣を見ると、ハルが顔を隠すようにして布団に包まっていた。すぐに「おはよう」と声をかける。 「もしかして、まぶしかった?」 「うん……」  もう少しだけゆっくりする時間はある。フォトスタジオのオープンは十一時だ。  カーテンを引き直し、布団に潜りながら裸のままのハルを抱きしめ、額にキスらしいキスをする。 「ねえ。ハルって、オーロラに興味ある?」 「……なんだよ、朝からいきなり」  苦笑する恋人の吐息が鎖骨にかかり、羽でなぞられているようにくすぐったい。身をよじって隙間を作れば、ハルが自ら距離を詰めてくる。 「昨日、同窓会でオーロラ撮りに行かないかって誘われてさ」 「ああ、いつもの撮影旅行の話か? 行くなら行ってこいよ。ただスケジュール調整だけはしっかり……」 「そうじゃないよ」  そうじゃないんだ。強い否定に、ようやく眠りを振りほどいたハルの潤んだ瞳が俺の顔を映す。  今、ハルの中でどんなふうに俺は映っているんだろう。多分初めてカメラを握ったあのころみたいに、いい歳してはしゃぐ一人の男が映り込んでいるはずだ。 「俺さ、オーロラを撮りたいんじゃなくて、ハルといっしょに見たいって思ったんだよ」  できればオーロラを眺めるハルの横顔を撮影できたら、と思ったけれど最後までは言わなかった。多分、俺がそう口にした時点でハルはわかっている気がした。  日々心の奥底から湧き起こるあらゆる欲求は、ハルを撮りたい、という一点へ面白いぐらいに還っていく。  衰えて体を繋げられなくなっても、喉をまともにご飯が通らなくなっても、最期のときまで俺はこの人を撮りたいと願うだろう。 「……オーロラ、か」  ハルがぼそっとつぶやいた。続けて口角が持ち上がって、余裕を感じさせる笑みが驚くほど上品で綺麗だった。 「いいな、考えておいてやる」  意外にも手ごたえのある反応に、胸がじんと熱くなる。  ハルから求められるものは本当にささやかだ。  元々の性分なのか、長年抑え込んできたツケみたいなものなのかは俺にはわからないけれど、それを手繰り寄せられたときの快感は何事にも代えがたかった。 「ただし二人分の旅費をしっかり稼いでから」  浮かれた俺に釘を刺すと、ハルは二度寝を決め込んだ。幸福そうな寝顔を見守りながら、畠個人宛てに断りのメッセージを送る。  すぐに返事がある。  ――了解。これからも頑張って。  それからちょっとした間を置いて、次のメッセージ。  ――本場のフランスのオーロラソースと日本のオーロラソースって味が違うんだって。知ってた?  あまりの唐突さに吹き出した。  オーロラについてずっと調べていたら、行き着いた雑学だったんだろうか。それを誰かと共有したいと思った時点で十分すぎるほどヒト社会の一員だと思うけれど、畠自身は自覚がないのかもしれない。  アリの巣みたいな都会の地下鉄に乗る姿より、犬ぞりに乗って振り回されているほうが似合う男だと思った。  そして奔放な姿を連想させる畠と俺は、ちょっと似ている。  フランス人の祖母が作る味に慣れていたら、下町の中華屋で出されたエビのオーロラソース和えにびっくりしたエピソードがあるけれど、知ってたよ、とだけ打ってスマホを伏せた。  なんとなく、畠とは今後ともつかず離れず縁が続く気がした。  もう一度ハルを見る。飽きることなく見続けていると、すっかり寝入ってるのかと思っていたのに、おかしそうにハルが喉を鳴らした。 「あ、タヌキ寝入りだ」 「しまった、バレた」 「ねえ、そういうかわいいことされるとダメなんだって。出勤前なのに……いい加減わかって」 「さあ。俺にはなにがダメなのかさっぱり」  突き放すような台詞を口にしながらも、ハルはずっと楽しそうに笑っている。  体も心も、同じ速度で満ち足りていく。雨が地面を濡らし奥深くまで染み渡るみたいに充足して、ハルがいない人生にはもう戻れないんだとキスをしながら思う。 「ハルって、結構えっちなこと好きだよね?」 「……まあ、実とだったらな」  大胆なまでに言い切って途端に恥ずかしくなったらしく、腕の中からハルが逃げ出そうとした。半ば強引に体を連れ戻す。耳から頬にかけてうっすら赤くなっている。 「もう……すげえかわいい」  今日の仕事を放棄して恋人の体を貪ってしまいたいような、でも旅行のために精魂を仕事に向けたいような、複雑で甘苦しい気持ちに絡めとられた。  隙間なくくっつけあった肌が次第に汗ばんでくる。恋人はもう逃げない。暑くても。  視界の端では、エアコンの風を受けたカーテンがオーロラのようにいつまでも揺れている。

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