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【番外編】虹色の日々:side ミノリ 2
二次会に行くという連中とは店の前で別れ、畠とはひとまず連絡先を交換して、それぞれ別の路線の電車に乗り込み帰路についた。
「おかえり、実」
家に入ると、すでに寝支度を終えていたハルが寝室から顔を覗かせた。俺が遅く帰るとき、ハルはできるかぎり玄関まで迎えに来てくれる。
出会ったころのつんけんとした態度は、彼の深すぎる愛情の裏返しだった。
「ごめん、起こした?」
「まだ起きてた。ってか実のほうこそ、帰ってくるのが早すぎないか?」
日をまたぐかと思ってたのに。ちょっとばかり眠いのかいつもよりやわらかい笑みを浮かべるハルに、靴を乱暴に脱ぎ捨て抱きしめる。
嫌がりはしないものの、こら、と早速お叱りが飛んできた。手厳しい。
「酒臭い。あとシャワー。で、早く着替えろ」
「……もう。一気に言わないでよ」
畠の発言が、もうずっと尾を引いている。
界隈で生き残るためには、諦めも自分を変えることも時には必要で、それはかつての自分が散々畠の知らないところで悩み抜いてきたことだった。
風景を撮りたい気持ちが消えたわけじゃない。
しかし、心のままに従うといつだって人が息づく景色に行き当たる。
いつかそれがまた風景に向かうこともあるだろう。今じゃないというだけで。
絶対的に変わらないのは、心を裏切れば『卯木ミノリ』はその瞬間に死んでしまうということだった。
それを「戦略的な生存のため」と雑に括られたことが悔しい。さらには自分のアイデンティティに勝手に烙印を押されたみたいで、気分は下がる一方だ。
「ハルは俺の写真好きだよね?」
「当然」
即答だ。世界で一番俺の写真を見ていてほしい人に認められた快感にくらくらとする。
「それじゃあ、昔と今なら?」
「どっちも。おまえが撮ったものを嫌いになる理由がない」
「全部好き?」
「うーん、たまにこれはちょっと惜しいなっていうのはあるかもな」
「……そこは恋人らしく『全部』って言ってよ。今すげえ落ち込んでるのに」
「なんだよ、落ち込んでたのか。いつも手あたり次第くっついてくるからわかりにくいんだよ」
同窓会楽しくなかったのか、なんて見当違いなことを言いながら、ハルが俺の背中を撫でてくる。
そうやって寄り添ってくれるけれど、落ち込んでいる理由をハルはすぐには聞き出そうとしない。
聞いてやるべきか。それともそっとしておくべきか。そんなふうにハルの頭は今、揺れ動いてるはずだ。
本当にハルに聞いてほしい話は、訊ねられなくても進んでする。だからハルがこの後どう結論づけても俺には大した問題じゃない。
ただこの瞬間、俺のことを考えすぎて思考回路が渋滞を起こす、繊細な恋人が愛おしいから泳がせる。
それだけで憑き物が落ちたようにすうっと息がしやすくなって、急激にお腹が空いてきた。
「ねえ、ハル。冷蔵庫になんか残ってたっけ」
「明日買い出しにいくつもりだったから、そんなには。あ、けど今日ともちゃん家で恒例のパーティーしてきたから、余ったそうめんもらってきた」
「そうめんかあ。気分じゃないかも」
「あとは薬味か。しょうが、みょうが、大葉……あ、梅干しももらったな」
「それいい。鮭の切り身も冷凍してあったはずだから、合わせて出汁茶漬けにしよ」
シャワーを急いで浴び、部屋着に着替えてキッチンに立つ。一人暮らし用のワンルームからファミリー向けの2LDKに引っ越して、キッチンも二人並んでもわずかにおつりが出るぐらいには広くなった。
ハルは料理が得意じゃない。
俺だって得意じゃなかったけれど、恋人はどんなものもおいしそうに食べてくれる。もっと喜んでもらいたいと、腕前はいつのまにか日々の暮らしを豊かにできる程度には上達した。
俺の料理の師匠であるともちゃんには「カメラで稼げなくなったら『トレモロ』で雇ってやる」と言われたけれど、本当かどうか。しかし彼の大切な幼なじみの腹を満たす、大事な役目を任せてもらえているのは間違いないだろう。
まな板の上で梅干しから種を取り除き、軽く潰してくれるハルの横で、焦げつかないホイルシートをフライパンに乗せると鮭を焼いた。普段はガスコンロのグリル機能を使う。
でも後片づけの難儀さを思えば、夜中にそれを実行する気にはなれなかった。
ご飯を小さなどんぶりに軽くよそい、そのうえに身をほぐした焼き鮭と梅干し、ついでに余っていた小ネギ、鰹節を散らして温めた出汁を注ぐ。
「あ、俺も食べるから」
「いつもみたいに少なめでいい?」
「うん」
普段夜食なんてハルは口にしない。なのに俺がなにか作り出すと必ず自分の分を求めてくる。
これが彼なりのやさしさで、さみしさの埋め方なのだと気づいてからは、素直に俺よりも少なめの量で盛りつけるようにしている。
茶漬けを食べ終えて、ハルが空いたグラスに麦茶を注ぎながら口を開く。
「さっきの話だけどさ」
「さっきの?」
「昔と今の写真、どっちが好きかって……」
「ああ、うん」
「生涯かけて同じモチーフを撮り続ける人もたしかにいる。だけど、少しずつ撮りたいものが時代に応じて変化していくのも、それはそれで人間らしいって思う」
言葉を吟味するように、ハルはそこで一旦言うのをやめた。カランと溶けた氷が鳴る。二人で迎える、何度目かの夏の音。
「あと、実の写真はモチーフが変わっても不思議と実のものだってわかるんだ。だから俺も安心して見守れるし、好きでいられる。誰になにを言われても、俺は実の撮る写真が好きだ」
最高の賛辞だった。
ハル自身もフォトグラファーだからこそ、透明な湖の底を覗いているような恐怖と美しさが贈られた言葉に込められていて、ぞくぞくとした高揚が止まらなくなる。
俺の心臓は動き続けている。止まらないように、止めないように。
ハルがいる限り、もう二度と打ち砕かれることもない。
「ふふ。ありがとう、元気出た」
「単純だな」
「ハルといるときぐらいは単純でいさせてよ」
行こう。
そのひとことで全部を察して、ハルがゆっくりと立ち上がった。やさしく手をつないで、寝室へと向かう。軽く肩を押せば、大した抵抗もなく細身の体がベッドに向かって崩れていく。
二人分の汗が夜の色に染まったシーツに滲む。
何度も何度も体を求め合ううちに、ハルがリモコンにそろそろと手を伸ばした。
一度、二度、電子音が鳴る。下げられていく室温に逆らうように腰を動かせば、ハルの体は一段と熱を孕んで苦しそうに口がぱくぱくと開いた。
暑いと行動がためらいがちになる。
俺の首に抱きつこうとして、でも寸前で手を止めて、いじらしさのあまりたまらずキスをする。うめき声が耳を打った。
ああ、夏のセックスは苦手だって言ってたなあ。
いつだったか俺の腕に包まれながらぼやかれた記憶を、溶け合うような錯覚に溺れながらうつらうつらと思い出している。
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