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【番外編】虹色の日々:side ミノリ 1
「なあ、卯木。僕とオーロラ撮りに行かない?」
ほかのやつらはもうとっくに仕事の愚痴やら将来への不安やら、果ては彼女との関係がどうとかのさして興味も湧かない話題を大衆居酒屋でばら撒く中、向かいの席にいる畠が誘ってきた。
せっかくなんだからゆっくりしてこい。
同棲中の年上の恋人は、同窓会に参加する俺をそう言って快く送り出してくれた。しかし一時間もすればうまい言い訳を並べて、家に帰りたい気持ちで満たされていた俺を、畠がいい具合に惹きつけてくれる。
「どこの? フィンランド?」
また唐突な。そう思いながらも、ビールの入ったジョッキをテーブルに置いて畠に乗っかっていく。会話の受け手として、そこから話を広げていくのはむしろ思わぬ掘り出し物を見つける感覚もあって案外好きだ。
「予定してんのはカナダのイエローナイフ。フィンランドは前に行った」
「あ、オーロラ二回目? 行くのは冬?」
「そ。ついでにずっとやり損ねてた犬ぞり体験もしようと思ってさ。いいよな、犬。生きてるし。電車もバスもタクシーもエンジン駆動で味気ないんだよね、乗り飽きた」
「乗り飽きるとかあるんだ」
ガラスの大皿に残っていたサーモンのカルパッチョを自分の取り皿へと移しながら、こんなやつだったけ、と記憶を手繰り寄せながらも畠の独特な思考に笑ってしまう。
大学時代、同じ写真学科だった畠とはいわゆる友達らしい親交はなかった。何度かグループワークで組んだ際に授業内容に沿った会話をしたことだけは覚えているけれど、卒業すればそれっきり。
今さっきまで俺たち二人はテーブルの隅でひたすら周囲の聞き役に徹していて、会話なんか指折り数えられるほどしかなかった。
「けどまたなんで俺を誘ってくれるの?」
ただただ純粋に浮かんだ疑問だった。嫌味でも謙遜でもなく、それこそ遠回しにお断りをしようと思ったわけでもなく。
何年かぶりに開催された今日の同窓会のように、こんな機会がなければ畠と直接顔を合わせることもないだろう。そもそも連絡先すら知らない状況で、社交辞令にしても俺を旅に誘うにはあまりに縁が希薄だ。
「いやだってさ、同じ学科だったやつらで生き残ってんの僕たちだけだぜ?」
畠の視線が、ちらりと横に逸れる。
そこには相変わらず写真以外の話で盛り上がる同級生たちがいて、ああと合点がいった。
大半は業界と関係のないところで会社勤めをして、さらにその半分は別の新しい夢を見つけて、またさらにその半分ぐらいはデザイン事務所や印刷会社、出版会社に勤めながら写真に関わっている。
カメラ一本で食べていくのは難しい。嫌というほど身に染みたつらい現実。
それを証明するように一人、また一人と業界から離れて、今ここにいる奴らの中でカメラを仕事として「まだ」握っているのは俺と畠の二人だけだ。
「畠はネイチャー専門だよね」
「本当に食えないよ、ネイチャー。大抵はテレビとか雑誌とかに素材の提供ばっかりやってる。ほかにはストックフォトで地味に小銭稼ぎとかさ。だから普段は中華屋でアルバイト三昧」
「バイトで稼いで、そのお金でまた海外に飛ぶってこと?」
「そう。ってか卯木、僕の専門知ってたんだ?」
「知ってるでしょ。同級生なんだし」
在学中から畠の写真はそうだったのもあるけれど、畠が俺を「生き残り」と称したように、旧友の動向はどうしたって気にかけてしまうものだ。
「卯木って人に興味ないんだと思ってた」
すいませーん、と隣のテーブルから酔った声が上がり、店員が寄ってくる。追加の注文をする間、俺はカルパッチョが乗っていた皿をテーブルの端に寄せ、畠はおかわりのレモンサワーを頼んだ。
「興味ないってことはなかったけどなあ」
店員が去ったところで切り出すと畠は、ふうん、と腑に落ちない表情のまま頬杖をついた。
「だって大学んときはずーっと風景ばっか撮ってたよな? それってイコール人への興味が薄いってことにならない?」
「じゃあ畠はそういうタイプなんだ?」
「ま、そうだね。写真なんて自分と被写体さえあれば、不都合なくコミュニティが完成するだろ。自然ばっかり追いかけてたら、人に関心を持つ必然性がなくなるんだよな」
「えー、じゃあ人が自然にもたらす環境問題については?」
「アンサー。人間はクソ」
だから卯木も人に興味を持てないタイプなんじゃないか。口にしなくても畠がそう思っていることは明白だった。
人は一辺倒な生き物じゃない。
学生時代は今よりもっと多感で、畠やここにいるみんなにわからないようにひっそりとマイノリティが集まる場に出かけては人並みに恋愛をしていたし、付き合う相手にはきちんと興味を持っていた。
それでも畠の言葉に少なくとも理解は示せる。
ゲイだとある程度オープンにするようになったのは、社会に出て、案外みんな縁遠い他人には興味がないのだと知ったからだ。だとしても、俺は畠みたいに写真の外の世界を遮断しようと思ったことは一度もないけれど。
「だから意外だったんだよ」
届いたレモンサワーがバケツリレーの要領で畠の元へとやってくる。生搾りタイプらしい。真っ二つになったレモンを、畠が搾り機でぐいぐいと押し潰した。
「最近卯木の名前を雑誌とかでちらほら見かけるようになって、人物ばっかり撮ってるって知って。しかも去年フォトスタジオ立ち上げたんだろ? 共同経営?」
うなずけば、畠は海外映画さながらのオーバーリアクションで肩をすくめた。
「僕には無理だ。中華屋のギトギトぬるぬるの床と、口を開けばクレームつけるかSNSで攻撃してくる人間から、さっさとおさらばしたい」
ため息をこぼすと、畠はレモン汁をジョッキの中へ豪快に投下した。種入っちゃったな、なんてぼやきながらマドラー代わりの割り箸でがちゃがちゃと突っ込むように混ぜる。
ふとハルの顔が浮かんだ。
夏が来てから、ハルはよくアイスコーヒーを飲んでいる。
氷を鳴らし、たまに牛乳をたっぷり入れてストローでくるくる混ぜる仕草は丁寧で、似たようなシチュエーションでもハルと畠の性格の違いはこんな細部にまで反映されるのかとしみじみしてしまう。
「そんで行くの、行かないの」
「え?」
テーブルに点々と散った果汁から、畠へと視線を戻す。
「オーロラだよ」
「あー、うん。ちょっと考えてもいい? 今、一緒に住んでる人がいるから……」
「へえ。卯木も案外人間らしいとこあんのな」
案外、畠は体面を気にしない男らしい。
久しぶりに味わう、ずかずかと土足で踏み込まれる感覚。普段からいかにハルが奥ゆかしい気質なのかを実感してしまう。
むっとした気持ちのまま、どういう意味、と言い返した。
「卯木は今、僕とその同棲相手を同時に気遣ったろ」
畠がジョッキから箸を抜き去り、レモンサワーを飲んだ。酸味とアルコールの辛味で顔をしかめながらも、畠の話は続いていく。
「そもそも僕としては一か八かなとこあったんだよな。風景を撮りたい気持ちがまだ卯木に残ってんのかな、って。それでデカい賞も獲ったのにさ。まあわかるよ、人物撮ってる方が仕事の間口もネイチャーに比べて広いし。戦略的な生存だわ、賢い」
畠のそれはひどく投げやりな言い方だった。間違いなく畠は勝手にかつての俺に期待をしていたらしく、そして今また勝手に失望している。
畠の言うことは一理あるだろう。
いつかAI画像にフォトグラファーの仕事は取って代わられるなんて言われてはいるものの、人を撮る行為にはいつだって、その日のコンディションや場所、フォトグラファーと交わした会話が体験としてついて回る。
人に撮られることでしか生み出せない価値がある限り、仕事がゼロになることはないだろう。
やがて畠は、あーあ、と気だるそうに隣のテーブルを見た。そこでの話題は、先週から始まった甲子園の話題へと移っている。
「……人を撮るってそんなに楽しいもんかねえ」
畠の独り言を聞きながらバルサミコソースがたっぷりかかったカルパッチョを口にすると、思わず「酸っぱい」と声が出た。
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