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第六章 Spring fill in the blank 5-2【本編完結】

「今から?」 「そう。今日、ホワイトのバックスクリーンが届いたから試し撮りしたいなあって」 「ああ、そういうこと」 「でもそれ以上に、スタジオの玄関入ってすぐの白い壁に写真を飾りたいんだよね」  もし今写真を撮らなかったら、第一候補は以前ミノリの個展で飾ったあの俺の写真になるのだという。  絶対に嫌だ。間髪入れずに答えるとミノリは唇をぐにゃりと曲げた。 「なんで?」 「俺たち二人のスタジオなのに、俺しか写ってないやつを飾ってどうするんだよ」 「それを見ると、俺がお仕事頑張れる」 「……まったく。実物で我慢しろ」 「あー、わかってないよね、ハルは」  ミノリがやれやれと首を振る。 「実物のハルも写真のハルも、俺はどっちも好きだし大切にしたいんだよ」  愛しいから、最高の瞬間で時間を止めたい。  愛しいから、永遠に見守りたい。  矛盾しているようで、それはどちらも等しく俺たちの中に存在している。  フォトグラファーとして生きると決めた途端、背負わされた業みたいなものだ。なにがあってもカメラを手放せなかった俺たちは、どちらをおろそかにしてもバランスが崩れて苦しさを覚えてしまう。  綱渡りな愛し方。けれど俺たち二人でなら、足を踏み外して奈落へと落ちることもない。 「ミノリ」 「ん?」 「ここに飾るなら、俺はおまえと二人の写真がいいよ」 「……うん。そうだね、ハルならそう言うと思ってた」  俺の額にキスを落とすと、ミノリは撮影のためのセッティングに向かった。  その間にも俺は、脱いだジャケットとネクタイをかろうじてスペースのある打ち合わせ用のテーブルの上に置き、スクリーン周辺のゴミや段ボールを片づけにかかる。  散らかっていた梱包資材をぎゅっとゴミ袋に押し込み、屈めていた腰を伸ばす。  改めて周囲を見回すと、ここ数か月にわたるミノリの奮闘ぶりがそこかしこに現れていた。  撮影用のテーブルやソファー、小道具に至るまでミノリのこだわりで自らビンテージ加工を施したと聞く。照明の設置の際も、ミノリが業者に最初から最後まで付きっきりだった。  俺が積極的に携わったのは、ミノリが苦手とする金回りと複雑な事務手続きぐらいだ。 「ハル、ちょっと写りの確認したいからこっち来て」  ミノリが手招きする。パンパンにふくらんだゴミ袋の口を結んでから、急いで足を運んだ。 「ほらここに立って」  指示されたのはホワイトスクリーンの前だ。ラフな姿のミノリの横に立ったときのバランスを考えて、ジャケットとネクタイは身につけないことに決めた。 「フラッシュ焚くから」  そう告げると、ミノリのヘーゼル色の瞳に一瞬にして熱が灯った。  ちり、と肌が灼かれていく。しがらみや抑圧をことごとく焼き尽くし、丸裸にされるような炎がそこにある。  そしてミノリに撮られたモデルたちは、口をそろえてこう言う。  ――いつも以上の実力を、卯木さんに引き出された気がします。  もうミノリは「撮れない」とは口にしない。  それでもミノリはときどき、ふらりと旅に出ていく。  短くて二、三日。長くて一週間ほどの撮影旅行だ。  自分が大切にしている撮影の感覚を見失わないように、ミノリは心に従って自由になりにいく。  そうして帰ってきたミノリとじっくりセックスをして、国内や海外で撮り溜めてきた写真を思う存分眺める時間は、俺にとってもこれ以上ない至福のときだった。 「ねえ。表情硬くない?」  ファインダーから顔を離して、ミノリが言う。 「うるさい。撮られるのは慣れないんだよ、やっぱり」 「あ、そういえばさ。今日ともちゃんが差し入れ持って来てくれたよ」 「昨日トレモロ寄ったときに伝えておいたんだ。ともちゃんのスイーツ食べたいってミノリが最近駄々こねてるって」 「別に駄々はこねてない。食べたいとは思ってたけど」 「差し入れ、なんだった?」 「ともちゃんお手製のいちごタルト」  カシャリ、と一枚分のシャッターが下りる。同時にフラッシュが光り、一瞬にして白く飛び散った景色がまた視界の中で色を取り戻す。 「よかったな、ミノリの好物だ」 「でもハルといっしょに食べたかったら、まだ手をつけてないよ」 「そういえば夜ご飯はどうする。おまえもまだ食べてないだろ?」 「俺、親子丼作っておいた。帰ったら食べよう。デザートはいちごタルトで」  再び、まばゆい光。  一眼レフから飛ばしたデータを、ミノリがノートパソコンで確認する。よしとうなずくと、ミノリが軽やかな足取りで俺の隣に並んだ。 「それで、どんなふうに撮る?」  シャッターを遠隔操作するための小さなリモコンを掲げ、好奇心を孕ませながらミノリが俺を見つめてくる。 「横並びで……まあ、なんか適当に?」 「……ハルってディレクション苦手だよね。その分、ライブ感のあるスナップ撮影に強いんだろうけど」 「あのなあ。文句あるならミノリがディレクションしろよ」 「いいの? 本当に?」  ミノリがにじり寄ってくる。美しい造形の顔には気迫が宿り、たじろぎたくなるほどの強い圧に思わず足を後ろに引いた。 「離れないで」  しかしすぐにミノリの腕が俺の腰に回ってくる。逃げられない。ゆるやかな拘束に抵抗するのをやめて、ミノリのやさしいキスを唇で受け止めた。 「バカップルフォトでも撮るつもりか?」 「それいいね。乗った」 「こら。冗談だよ、実」 「……え?」 「だから冗談だって言った」 「ま、待って。今、俺のこと名前で呼んだ?」 「隙あり」  ミノリの右手を握りしめる。手の中にあったリモコンが作用して、カシャリ、とシャッター音が鳴った。  さっきまでゆらゆらと湯気のようにミノリの体から放たれていた熱がなりを潜め、心のままに生きる男が俺の前に立っている。 「いい写真撮れたな?」  珍しく、オニキスのピアスが鎮座したミノリの耳が赤い。笑いかければミノリは目を細めて憤り、抗議するようにもっと強く抱き寄せられてしまう。  顔をぴたりと寄せ合ううちに、幾度もシャッターが切られていく。  露骨に仲睦まじい写真なんか恥ずかしくてスタジオに飾れるはずもない。  だからこれは俺たちだけが見るフォルダの中に、静かに降り積もるだろう。  来年も、再来年も。一年に一枚だけでもいい。  俺たちのポートレートがいつまでも積み重なっていくようにと、スタジオに響くシャッターの音に淡い願いを込める。 「ほら、ハル。今度こそカメラ目線で――撮るよ」  フラッシュがまたパッと光った。  春は始まったばかりだ。 ***  本編を最後までお読みくださり、ありがとうございました。  作者のとみとめです。  愛に怯えた二人がもう一度愛を信じられるようになるには、と考えれば考えるほどこの話は一足飛びには進みませんでした。  まったりゆっくり、ゆるやかに自分を確立していく二人をここまで見守っていただけて感謝します。  少しでも何か感じることがあれば反応を頂けるととてもうれしいです。   そして明日4/5(日)はミノリ視点の番外編公開ですので、こちらもよろしくお願いします!  

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