1 / 20
小さな夏
「遥翔 行くわよ」
玄関のドアを開けて、母の弥生が家の中へと声をかけた。
東京の戸越銀座にある一軒家。
そこに今年小学校2年生になった及川遥翔は、今は母と2人で住んでいる。
「待って~虫かご忘れたから~」
一度玄関まで来てから慌てて部屋に戻った遥翔に微笑んで、弥生は『早くね~』と声をかけ、家の前に来ていたタクシーにもう少し待ってくださいと頭を下げる。
夏休みも5日目。
毎年夏休みは、母の実家へと行くのが決まりだった。
母はとりあえず送るだけで日2、3日で家へ帰り、またお盆に来る。
遥翔は夏休みいっぱいお婆ちゃんちで過ごすのが恒例だ。
「ごめんなさい~じゃあ行こう~」
自分で遅れてきて先頭に立つ遥翔に微笑んで、弥生は鍵をかけて後を追った。
「今年もみー君遊んでくれるかなぁ」
タクシーの中で、膝の上に置いた空の虫かごを見つめて、遥翔はつぶやく。
「遊んでくれるわよ、きっと。どうしてそう思うの?」
少し寂しそうにいった息子を首を傾げてみて、弥生は頭を撫でてやった。
「だってみー君も一年生になったでしょう?学校のお友達と遊ぶんじゃないかなって。僕が行っても遊んでくれないかもって」
みー君というのは、お婆ちゃん家 のお隣に住む本庄さん家 の一人息子、汀 である。
1歳年下だが、毎年来る遥翔に懐いてお婆ちゃん家に来るといつも一緒にいるような仲だ。
遥翔は毎年お婆ちゃん家 に行くのでお友達とは遊べないが、それでも声をかけてくれる子も多い。
「僕もお友達いっぱい声かけてくれたし、きっとみー君もおなじでさ、僕は家にいないから断れるけど、みーくんはきっとお友達と一緒に遊ぶんじゃないかな~って」
膝の上の虫かごは、お婆ちゃんちの庭の木や近くの山にスイカの皮を仕掛けて捕まえるカブトムシを入れるため。
それをみー君と一緒に集めて毎日育てるのを楽しみにしているのだが、今年はそれができるかなと、少々寂しそう。
「カブトムシも、一緒に取ってゼリーあげたりしたいのにさ」
「みー君のお友達と一緒じゃ嫌なの?」
「ん…僕はみー君とだけ遊びたいかなあ…」
弥生も、遥翔が初対面では人見知りをするのはわかっている。
しかし子供のことだ、お友達が来ればすぐに慣れて一緒に遊ぶだろうとそこは心配はしなかった。
「じゃあみー君といっぱいお話しして、お友達と遊んでもはる君とも遊んでねってお願いしないとね」
その言葉にちょっと唇を尖らせて、遥翔は虫かごを一度持ち上げてトンっと膝に置き直した。
新幹線に乗って2時間かかるおばあちゃんち。
途中から畑や田んぼの景色が増えてきて、水の張られたところに緑色の葉っぱが敷き詰められているのをみるのが遥翔は好きだった。
去年きたときにあれが田んぼと言って、いつも食べてるお米になると聞いてからは、もっと楽しくなっていつかお米ができるのも見たいなあと母弥生に話したこともあった。
もう少しいくと、赤い屋根のサイロというのがあって…と窓の景色も随分覚えた。
鉄塔がいくつか見えるともうすぐ着く。
遥翔はそれを目印に周りのお片づけをはじめ、窓の淵においておいた虫かごを首にかけた。
地方都市の駅は大きくて、降りる人も多い。
降りてからキョロキョロとおじいちゃんとおばあちゃんを探した遥翔は、
「はるく〜ん」
の声に振り向いて、おばあちゃんを見つけて手を降った。
「よく来たねえはる君。お婆ちゃん待ちくたびれて首が伸びちゃうかと思ったよ~」
お婆ちゃんは遥翔を優しく抱きしめてくれて、
「どれ、お顔ちゃんと見せて」
と両の頬を包み込んでくれたが、遥翔は不安そうな顔。
「どうしたの?」
おばあちゃんが不思議そうに首を傾げるとその首を見て
「お首伸びちゃった?」
と首に触れてきた。
遥翔は本当に首が伸びてるのかと心配だったらしい。
「あら、お首伸びてた?確かめて見て?」
お婆ちゃんが手を添えて一緒に首に触ってくれたら
「伸びてない、よかった」
遥翔は安心したように微笑んだ。
「はる君が来てくれたの間に合ったんだよ~。伸びる前に来てくれて有難うね」
頭を撫でて、『さ、手を繋ご』と手を出してくれて、遥翔はその手を取って歩き出した。
そんな光景を見ていた弥生とその父宗一郎も一緒に歩き出し
「あちらとは話はついたのか」
荷物を持ってやりながら、宗一郎は隣の弥生の顔は見ずに聞いてくる。
「家に行ったらあまりじっくり話せないからな。不躾で悪いが」
弥生は自分のハンドバッグを右手から左手に持ち替え、左に立つ父親と数センチの距離を置く。
「話し合いはしてないの。まだ遥翔は小さいし。向こうの気持ちもわかるんだけど、今から遥翔の進路を『医者に』って聞いてしまうと、私の気持ちのやり場がね…」
前をゆく遥翔と自分の母を眺めながら、弥生は小さくため息をつく。
「悪い方々では決してないんだけど、余りに性急で」
「そうだな…。遥翔はお前の子でもあるんだしな」
その会話だけをして、2人は黙って歩を進めた。
遥翔の父親廉遥 は医師で、実家の病院を継ぐ身である。
その為にいまは、遥翔の父廉遥だけ実家暮らしをしていた。そこに遥翔を、と言ってきているのだ。
「いずれにせよ、遥翔の将来は本人に任せたいよな」
宗一郎の言葉に弥生は『うん』と頷く。
「あの子が医者になりたいなら、同居して学ぶのはいいとは思うけれど。まだ遥翔に聞いてもわからないだろうしね」
遥翔の考えを尊重するという夫婦の考えは一緒だ。夫婦仲に亀裂が入るようなことはなかった。
ただ義実家の方は『医者になるなら、同居は早い方が…』と言っているらしく、嫌な義両親ではない分弥生もどうしていいのかが整理がつかないでいた。
「はるく~~~ん」
家に着いて車を降りるなり、家の前で待ち構えていた|汀《みぎわ》ことみー君が走ってやってきた。
「みー君!」
遥翔も車から走り出し、汀と手を取り合ってぴょんぴょんと跳ねあう。
その後ろから、汀の母笙子がやってきて
「おかえりなさい、弥生さん」
「笙子さん〜、久しぶりね〜」
「はる君こんにちわ〜大きくなったねえ〜〜
汀の母笙子が、『こんにちは』という遥翔の頭を撫でた。
「うん、僕もうにねんせいになったからね、みー君よりも大きいよ」
小さな手で汀の頭のてっぺんと自分の頭のてっぺんを移動させて、得意げに笙子を見上げる。
「お兄ちゃんだねえはる君。みー君も大きくなるかなあ」
「なるよ!」
横でちょっと面白くなさそうな汀を、祖父の宗一郎が頭を撫でていた、
「そんなことよりはるくん、今から遊ぼ?川に行く準備してあるんだ」
思いついたように汀が言い出し、背のことなんか瞬時に忘れてしまう。
汀が自宅の家の前を指すと、そこには魚取り網や子供用のちいさなバケツなどがおかれていて、遥翔は目を輝かせた。
「お母さん、行ってもいい?」
着いたばかりだから、少しくらい休んでからと思ってはいたが、遥翔が心配していたみー君から遊びにきてくれて嬉しいのだろう
「いいわよ、でも川に行くなら大人がいないと」
川といっても近所の小川で、溺れるような事はないのだが少し歩くので大人がいた方が安心ではある。
「じゃあお爺ちゃんが一緒に行ってやろう」
「わあい、じゃあ待ってて、ちょっと着替えてサンダル履いてくる!」
遥翔はお婆ちゃんが鍵を開けてくれるのを足踏みで待って、自分で背負ってきたリュックからタンクトップをだしてその場で着替え、持ってきた帽子を被りサンダルに履き替えて外にやってきた。
「みーくん見て見て、カニの形の虫かご買ってもらったの。あとでカブトムシとろうね」
「わーいいなー、お母さん俺もほしい!かにの形の虫かご」
隣に立つ笙子のパンツの膝をつまんで汀 が上を見てくる。
「この間新しいの買っちゃったね、あれが壊れたら買おうか」
汀は少し残念そうだったが、新しいのもレンズのついた奴なのでそれはきにいっていたから『わかった』と返事をして、遥翔の手をとった。
「じゃあ行ってくるねー」
2人の声がかさなってそう言い、笙子と弥生は宗一郎に
「じゃあお願いします」
と声をかけ2人が出かけるのを手を振って見送った。
「普段からあんなに早く着替えてくれたらいいのに。速攻だったわね」
苦笑しながら弥生が言うと、笙子も
「本当よね。汀もはる君が来ちゃうから!着替えなくちゃ、て見たこともない速さよ」
と笑い合う。
毎年夏と、時々年末年始に来る弥生は、遥翔と汀が仲良しなように汀の母とも仲が良い。
「それで着替えたら着替えたらで、|おばあちゃん《頼子さん》たちが駅に出発するのを捕まえちゃって『みーくんきたの!』って食いつきがすごかったのよ、ずっと門の前に座って待ってたんだから」
「遥翔もずっとみー君の話ばかりだったわよ」
二人の立ち話が始まってしまう前に、頼子が玄関から顔を出し
「笙子さん、お茶入れるからおいでなさいよ」
弥生が持ってきたお菓子を掲げて笑っている。
「あれれ、あれは私の好きな新宿バナナでは?」
東京土産の定番をみて、笙子は家に吸い込まれるように入っていった。
「ちゃんと笙子ちゃんにも買ってきたわよ、後で家でもたべてね」
「あら嬉しい~~じゃあお邪魔します~」
子供達だけではなく、弥生も笙子と会うのを楽しみにしていたからそこから女3人午後のお茶会が始まった。
夜は夜で、遥翔がここにくるとお互いの家交互に子供に晩御飯を食べさせることが暗黙で決まっており、今日は孫が来たと奮発した料理があると言うことで、遥翔側で食事をする事になっていた。
お風呂も一緒に入って、お爺ちゃんはビール、子供達は特別ご飯の時のジュースを飲みながら、頼子と弥生が頑張って作った唐揚げやテイクアウトのお寿司などをお腹いっぱい食べた。
「どっちが早く飲めるか競争しよう!」
汀がコップを持ち上げて、遥翔に掲げ、遥翔も『いいよ!』とコップをあげる。
「よーい…ドン!』
炭酸ではないりんごジュースなのできつくはないか、汀は口からだいぶこぼしていた。
弥生が笑いながらタオルを汀の胸に当ててやり、
当然先に空になった汀が
「勝ったー」
とグラスをあげる。
「みーくんずるじゃん!」
「ずるじゃないよ!」
つまらない喧嘩も、たのしいひとときだ。
そして食後のスイカを食べた後は、祖父宗一郎に手伝ってもらって庭の木にスイカの皮を置いたりぶら下げたり。
「去年は10匹くらい来たかな。今年はどうだろうなあ」
庭の柿の木の枝に、紐を通したスイカの皮を下げ、それと枝の分岐に立てかけるのを5個ほどおいた。
「100匹くらいくるよ!」
遥翔がいうと、汀 は
「ひゃくごひゃく匹くらいかもよ!はるくん!」
ひゃくごひゃく匹と言われ、遥翔が混乱するのも、大人が見ていて面白い。
「ひゃくごひゃくひきくるといいね!みーくん!」
「くるよ!きっと!」
認めてしまった。
それから縁側になっている廊下に座り、2人で庭を見つめる。
「朝早くに見るんでしょ?はるくん起きてるの?」
「起きてるさ。みー君は寝ててもいいよ。僕はお兄ちゃんだから、カブトムシきたらちゃんと捕まえておくから」
少しお兄ちゃんぶりたいのか、汀 の頭をまだまだ小さい手で撫でて任せなさいと言う態度でドヤ顔をしている。
「僕だって起きてるよ!」
「ほんとう~~??」
汀に対する遥翔のお兄さんぶりたさが面白くて、汀を迎えにきた笙子も微笑ましそうに笑っている。
「寝たら連れて行くから」
と笙子が言った30分後には2人とも縁側廊下で寝てしまうことになる。
祖母頼子の手配ですぐに庭が見られるように居間に布団を敷いてもらいそこに寝かされるのだが、それでも親心としては未だ庭を見ている30分後には寝る子供達の小さな背中を見つめ
「ずっと仲良くいてくれたらいいわねえ」
そう小さく呟いた。
「そう思うけど、中学に行くと部活やら何やらで…ここにくるかどうか」
弥生は思うことがありすぎて、つい現実的なことを言ってしまったが、弥生とて笙子が言ったように、いつまでも仲良くいてほしいとは思っていた。
「現実はそうなのよね〜。まあ…今を楽しませてあげましょう」
出された緑茶を啜って、ーあ~暑くても緑茶は熱いのがいいわ~ーと目を瞑って笙子は堪能する。
子供達は子供達で、廊下で外を見ながらこの夏が一生続くと思っていた。
毎年夏にはみー君とはるくんで一緒に過ごして、カブトムシを捕まえて、川で遊ぶのがずうううっと続くんだと思っている。
並んで座る2人の右手と左手が汀の足の上で握り込まれているのが、ずうっと一緒にいる証であるように、その繋ぎ方の名前も知らない握り合い方で手を握っていた。
二人がその繋ぎ方の呼び名を知るのはまだまだ先のこと。
ともだちにシェアしよう!

