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小さな夏
「遥翔 行くわよ」
玄関のドアを開けて、母の弥生が家の中へと声をかけた。
東京の郊外の一軒家。
そこに今年小学校2年生になった及川遥翔は、訳あって今は母と2人で住んでいる。
「待って〜虫かご忘れたから〜」
一度玄関まで来てから慌てて部屋に戻った遥翔に微笑んで、弥生はー早くね〜ーと声をかけ、家の前に来ていたタクシーにもう少し待ってくださいと頭を下げる。
夏休みも5日目。
毎年夏休みは、母の実家へと行くのが決まりだった。
母はとりあえず送るだけで日曜日の夜には帰り、またお盆に来る。
遥翔は夏休みいっぱいお婆ちゃんちで過ごすのだ。
「ごめんなさい〜じゃあ行こう〜」
自分で遅れてきて先頭に立つ遥翔に微笑んで、弥生は鍵をかけて後を追った。
「今年もみー君あそんでくれるかなぁ」
タクシーの中で、膝の上に置いた空の虫かごを見つめて、遥翔はつぶやく。
「遊んでくれるわよ、きっと。どうしてそう思うの?」
少し寂しそうにいった息子を首を傾げてみて、弥生は頭を撫でてやった。
「だってみー君も一年生になったでしょう?学校のお友達と遊ぶんじゃないかなって思って。僕がいっても遊んでくれないかも」
みー君というのは、お婆ちゃん家 のお隣に住む本庄さん家 の一人息子、汀 である。
1歳年下だが、毎年来る遥翔に懐いてお婆ちゃん家に来るといつも一緒にいるような仲だ。
遥翔は毎年お婆ちゃん家 に行くので、お友達とは遊べないが、それでも声をかけてくれる子も多い。
「僕もお友達いっぱい声かけてくれたし、きっとみー君もおなじでさ、僕は家にいないから断れるけど、みーくんはきっとお友達と一緒に遊ぶんじゃないかな〜って」
膝の上の虫かごは、お婆ちゃんちの庭の木や近くの山にスイカの皮を仕掛けて捕まえるカブトムシを入れるため。
それをみー君と一緒に集めて毎日育てるのを楽しみにしているのだが、今年はそれができるかなと、少々寂しそう。
「みー君のお友達と一緒じゃ嫌なの?」
「ん…僕はみー君とだけ遊びたいかなあ…」
弥生も遥翔が最初に合う人間に人見知りをするのはわかっているので、子供のことだ、慣れたら一緒にお遊ぶだろうとそこは微笑んで、
「じゃあみー君といっぱいお話しして、はる君とも遊んでねってお願いしないとね」
その言葉にちょっと唇を尖らせて、遥翔は虫かごを一度トンっと膝に置き直した。
新幹線に乗って2時間。
地方都市の駅は大きくて、おじいちゃんとお婆ちゃんが車で迎えにきてくれていた。
「よく来たねえはる君。お婆ちゃん待ちくたびれて首が伸びちゃうかと思ったよ〜」
お婆ちゃんは遥翔を優しく抱きしめてくれて、遥翔は本当に首が伸びてるのかとお婆ちゃんの首に触って見る。
「伸びてた?」
お婆ちゃんが身体を離して顔を覗き込んできたが、
「伸びてない、よかった」
と笑う遥翔に微笑んで、
「はる君が来てくれたの間に合ったんだよ〜。伸びる前に来てくれて有難うね」
頭を撫でて、ーさ、手を繋ごーと手を出してくれて、遥翔はその手を取って歩き出した。
そんな光景を見ていた弥生とその父宗一郎も一緒に歩き出し
「あちらとは話はついたのか」
荷物を持ってやりながら、宗一郎は隣の弥生の顔は見ずに聞いてくる。
「家に行ったらあまりじっくり話せないからな。不躾で悪いな」
弥生は自分のハンドバッグを右手から左手に持ち替え、左に立つ父親と数センチの距離を置く。
「話し合いはしてないの。まだ遥翔は小さいし。向こうの気持ちもわかるんだけど…それを聞いてしまうと私の気持ちのやり場がね…」
「当たり前だ。遥翔はお前の子で、俺たちの孫だ」
その会話だけをして、2人は黙って歩を進めた。
遥翔の父親廉遥 は医師をしており、実家の大きな病院の副院長をしている。
長男である廉遥は家を継ぐ身であったため、実家から同居を持ちかけられたのだが、弥生にしてみたら医者一家の家に短大卒の自分が入るのは気後れがあってなかなか了承できないでいた。
遥翔もいずれは医者に、と義両親に言われていてそれも同居を拒む理由の一つである。
義両親は決して悪い人物ではなかったが、遥翔の将来を今決めてしまうのは母親としても納得はできず、返事を遅らせている間に廉遥も忙しくなり家からの方が職場も近いということで単独で実家に戻ったということだ。
今2人で暮らしてはいるが、廉遥も休みの度に帰ってきて家族で暮らす時間も多く、離婚という選択肢はないがいずれ遥翔の意志を聞いてからでも遅くは無いということになり今は静観中である。
とは言え義実家の方は、早い方が…と言っているらしく、今はどうしていいのかが整理がつかないでいた。
「はるく〜〜〜ん」
家に着いて車を降りるなり、家の前で待ち構えていた汀 ことみー君が走ってやってきた。
「みー君!」
遥翔も車から走り出し、汀と手を取り合ってぴょんぴょんと跳ねあう。
「今から遊ぼ?川に行く準備してあるんだ」
汀が隣の自宅の家の前を指すと、そこには魚取り網や子供用のちいさなバケツ、などがおかれていて、遥翔は目を輝かせた。
「お母さん、行ってもいい?」
着いたばかりで、少しくらいは休んでからと思ってはいたが、遥翔が心配していたみー君から遊びにきてくれて嬉しいのだろう
「いいわよ、でも川に行くなら大人がいないと」
川といっても近所の小川で、溺れるような事はないのだが少し歩くので大人がいた方が安心ではある。
「じゃあお爺ちゃんが一緒に行ってやろう」
「わあい、じゃあ待ってて、ちょっと着替えてサンダル履いてくる!」
遥翔はお婆ちゃんが鍵を開けてくれるのを足踏みで待って、自分で背負ってきたリュックからタンクトップと持ってきた帽子を被り、お婆ちゃんちに置いてあるサンダルを履いて外にやってきた。
その間、弥生は出てきた汀の母と話をしていて2人が出かけるのを手を振って見送った。
「普段からあんなに早く着替えてくれたらいいのに」
苦笑しながら弥生が言うと、汀母の笙子も
「本当よね、うちもだわ。みー君が来ちゃうから!着替えなくちゃ、て見たこともない速さよ」
と笑い合う。
「笙子さん、お茶入れるからおいでなさいよ」
中から弥生の母頼子が呼んでくれて
「そうよ、お土産あるし買ってきたお菓子食べましょう?」
「あら嬉しい〜〜じゃあお邪魔します〜」
子供達だけではなく、ここで生まれ育った弥生も隣に嫁いできた笙子と会うのも楽しみで、女3人午後のお茶会が始まった。
夜は夜で、遥翔がここにくるとお互いの家交互に子供に晩御飯を食べさせることが暗黙で決まっており、今日は孫が来たと奮発した料理があると言うことで、遥翔側で食事をする事になっていた。
お風呂も入って、お爺ちゃんはビール、子供達はこう言う時の特別ご飯の時のジュースを飲み、頼子と弥生が頑張って作った唐揚げや買ってきたお寿司などをお腹いっぱい食べた。
そして食後のスイカを食べた後は祖父宗一郎に手伝ってもらって庭の木にスイカの皮を置いたりぶら下げたり。
「夜中に見るんでしょ?はるくん起きてるの?」
「起きてるさ。みー君は寝ててもいいよ。僕はお兄ちゃんだからねカブトムシきたらちゃんと捕まえておくから」
少しお兄ちゃんぶりたいのか、汀 の頭をまだまだ小さい手で撫でて任せなさいと言う態度でドヤ顔をしている。
「僕だって起きてるよ!」
「ほんとう〜〜??」
汀に対する遥翔のお兄さんぶりたさが面白くて、汀を迎えにきた笙子も微笑ましそうに笑っている。
「寝たら連れて行くから」
そう言って、廊下でスイカの皮を見つめている小さな背中を見つめ、
「ずっと仲良くいてくれたらいいわねえ」
「そう思うけど、中学に行くと部活やら何やらで…ここにくるかどうか」
それ以外にも問題はあるが、今ここで言う事ではなかった。
「そうなのよね。まあ…今を楽しませてあげましょう」
出された緑茶を啜って、ーあ〜暑くても緑茶は熱いのがいいわ〜ーと目を瞑って笙子は堪能する。
子供達は子供達で、廊下で外を見ながらこの夏が一生続くと思っていた。
毎年夏にはみー君とはるくんで一緒に過ごして、カブトムシを捕まえて、川で遊ぶのがずうううっと続くんだと思っている。
並んで座る2人の右手と左手が汀の足の上で握り込まれているのが、ずうっと一緒にいる証であるように、その繋ぎ方の名前も知らない握り合い方で手を握っていた。
それが『恋人繋ぎ』と言うのを知るのはまだまだ先のことである。
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