2 / 20

絶交

 しかしその2人の夏休みも、次の年には戻ってはこなかった。  この年の、冬も近い秋の終わり頃に弥生に重大な病がみつかったのだ。  子宮体がんだった。  ずっと二人目をと思っていたができずにいて、遥翔も来年には3年生になるから歳が離れすぎてしまう前にと医者にいって発覚した。  医師に言わせるとだいぶ進行しているということで、同じ医師である廉遥(やすはる)は画像と病理結果の全てを見せてもらったがそれをみて声も出せなかった。  医師から病名を聞かされたのは廉遥のみで、弥生は検査入院だと聞かされての入院だったので不安でいっぱいだった。  毎日学校が終わってから義母と共にきてくれる遥翔が弥生の支えになった。 「お母さん、クリスマスには帰ってこられる?今年は僕もお飾りするからね。見てね」  まだ11月も半ばで大人は気が早いと思うが、遥翔にしてみればそれは待ちきれないイベントだ。そして当然家族で楽しむものだと思っている。  遥翔はその頃には母も帰ってきているだろうと信じていた。 「え?はるくんが?それは楽しみね。その頃にはお母さんもお家にいるよ。絶対に見るから」  会う時に不安そうな顔をしていると遥翔は気づいてしまうので、極力明るく過ごしてはいた。  そんなクリスマス前に、廉遥は医師から弥生の余命を宣告された。  検査の結果、転移が複数見られ脳へも時間の問題だと。  病院では打つ手がないということで、年明けに緩和病棟への転院を進められた。  クリスマス前に弥生は家に戻り、弥生の母頼子と父宗一郎もやってきて本人に実感がないからなのか随分元気に過ごしクリスマスを楽しんだ。  ツリーの飾りも遥翔と共に飾り毎年手作りのケーキも、遥翔に手伝ってもらいながら頑張って作った。  弥生は、最後になるかもしれないという気がして、ケーキだけは作りたかったと、後に廉遥に話していた。 「遥翔とお母さんが一緒に作ったケーキでーす」  いつもの笑顔でケーキを出してくる母に、遥翔はもう大丈夫なんだと思っただろう。  しかし宣告を受けたとは思えないほど元気な姿でいた弥生だったが、年明けに急に体調を崩し、家でも寝ていることが多くなった。 「お母さん、大丈夫?」  学校へ行く前と帰ってからは、遥翔は弥生の部屋で過ごすことが多くなり、2月に緩和病棟へ入ると聞かされていた頼子と宗一郎はそれまでは…とずっと弥生と遥翔の面倒を見ることにした。  弥生は2月上旬に緩和病棟へ入院し、そしてその4ヶ月後に鬼籍に入ることとなった。  葬儀も済んで、弥生の両親が帰ってからも、廉遥は仕事ができない状態でいた。  気付いてあげられなかったことに責任を感じるし、なにより医師としてしばらく定期検診に行っていない弥生を気遣わなかったことが悔やまれてならなかったのだ。  遥翔も毎日毎晩泣き腫らして、学校も休みがちになっていて遥翔が離れたがらなかったために元の家に遥翔と二人で住み、お互い言葉少なく涙の多い時期を過ごしていた。  四十九日も終わり、それから3日も経ったころ廉遥は遥翔が寝てから弥生の病院から引き上げてきた荷物にやっと手をつける覚悟ができた。  櫛や手鏡、カップや歯ブラシなどの日用品の一つ一つが廉遥の胸を刺激する。  そこで、入院中に弥生が書いていた日記を見つけた。  1ヶ月半以上も経って漸く廉遥の手に渡った日記だが、まだ読めずにパラパラとめくってゆくだけのなか、ひときわ大きな文字が目に入った。 『遥翔をお願いね』  最後のページに、薬で朦朧としていたのか震える文字で、それでも大きくそう書かれていた。  その一言で弥生の決意が伝わった。もうダメだと悟り、ずっと遥翔と一緒に過ごしたかった夢を、廉遥は託された。  それを感じた廉遥は声を殺して号泣し、うんうんと頷きながら日記を抱きしめた。 「まかせろ」  小さく呟いて、日記を大事なもののように抱きしめ小さく丸まって。そして泣いた。 「遥翔、ちょっとお父さんとお話ししようか」  次の日の午後。  廉遥は遥翔の部屋にいってそう声をかけると、遥翔は机に付いて何かを書いているようだった。  遥翔は今日も学校へはいかなかった。 「お話し?」 「うん、男同士の話をしよう」  ベッドに座って、回転する椅子を自分に向けると、ふと目に入ったのは机の上の画用紙。 「何を描いていたの?」 「お母さんを描いてたんだ。見せてあげようと思って」  廉遥が手に取ると、拙いながらも優しく笑う弥生がそこにいるような絵で思わず涙が出そうになってしまったが、それは我慢した。 「上手だねえ遥翔。お母さんも喜ぶよ」  へへ〜と笑って、遥翔は画用紙を机に戻し、 「男同士のお話ってなあに?」  と自分も椅子から降りて、廉遥の隣に腰掛けた。  それは不意にでも泣いてしまいそうになることを、父親に見せないためだと廉遥は気づいただろうか。 「なあ遥翔。泣くのはお父さんいっぱい泣いてもいいと思うんだ。涙はね、悲しいことを流すお水だからね。いっぱい泣いてもいい」 「そうなの?僕は泣いたら弱虫だと思って…」  膝の上の指をいじりながら、唇を尖らせる。 「弱いから泣くんじゃないだろ?悲しいことは誰でも悲しいよ」  遥翔はそう言われてベッドに乗り上がって廉遥の方へ向いた。 「お父さんに遥翔の気持ち聞かせてくれないか?」  大きな目で見てくる遥翔にそう告げると、遥翔は廉遥に抱きついてきて 「僕ね、すごく悲しいよ。だってお母さんにもう会えないでしょ。抱っこしてくれないし、お母さんのパンケーキも食べれない」  廉遥のTシャツの肩に、ジワリと暖かさが広がる。涙は暖かいんだと当たり前のことを実感した。 「うん、そうだね…お母さんのパンケーキ美味しかったね」 「うん、大好きなの。でももう食べれない。じゅぎょうさんかんにもきてくれない…とても悲しいんだ。でも泣いてたらお母さん悲しむかなって思って、さっきの絵を描いて、僕はもう泣かないって決めてたの」  廉遥は机の上の笑う弥生を見つめた。 「泣くのやめなくていいんだよ。さっき言った通り、悲しいのを流す魔法のお水だからね。いっぱい泣いて、出なくなるまで泣いていいよ」  遥翔を抱きしめて廉遥も泣いた。 「お父さん…」  後にも先にも父親が泣いたのを見たのはこれが最初で最後だったが、遥翔の胸にこの光景は刻まれた。 「遥翔が大きくなって何になるかは、遥翔が決めなさいってお母さんが言ってたよ。お父さんのお家がお医者さんだからって、お医者さんにならなくてもいいからね」  抱きしめながらそう言ってやると、遥翔は小さな頭を横に振った。 「さっきね、絵を描きながら思ったんだ。お母さん病気で大変そうだったでしょ。僕ね、お医者さんになるよ。お医者さんになって、お母さんを辛くした病気をやっつける」  廉遥にぎゅうっと抱きついて、遥翔は決意を口にした。  肩口で言われたその言葉に廉遥は目を見開くが、その後により強く抱きしめて 「うん…遥翔がそう思うならがんばれ。きっとお母さんも応援してくれるよ。お父さんのお家のこととかは遥翔に関係ないからね。自分の目指すお医者になりな」  廉遥の家の病院は、内科と呼吸器内科が専門だった。  遥翔が言ってることを考えれば、内科はいずれにしろ外科も視野に入る。未だ未知だが、家には縛られて欲しくはなかった。  まだ細かいことは理解できてはいないだろうが、ただ家を継ぐとかそんなことより自分で将来を決めてくれたことは、弥生の意思も継げたようで嬉しかった。 「お医者さんて大変なんでしょ。ぼくがんばるよ」 「宿題はちゃんとやらないとだな」  弥生からあまり宿題をしないと聞いていたので、少しだけ意地悪で言ってやるが 「うん、もう絶対にやる。僕はお医者さんになるんだから」  廉遥から身体を離して、遥翔は正面からそう言った。  その目が頼もしくて、廉遥はその頭を撫でてやり、 「お父さんはいくらでも協力するから」  ともう一度抱きしめた。  弥生の実家では、娘を亡くした両親がやはり暫くぼんやりと過ごしていた。  先日四十九日で東京に行って以来、追いつかなかった亡くなったという感覚が現実味を帯びてしまい、二人とも随分憔悴しているようだ。  孫ももう滅多に来ることもないだろうし、もう1人息子がいるが今は海外で好き勝手をしていて、姉の訃報もまだ届いていないだろう。 「こんにちは」  隣の笙子が大ぶりな器をもって縁側から顔を覗かせた。 「ああ、笙子ちゃんいらっしゃい。おあがりなさいよ」  頼子が縁側まで出向いてそう言うが、 「もうすぐ汀も帰ってくるし、これをお裾分けしようと思ってきただけだから」  と手に持った器を差し出す。 「肉じゃがなんだけど、作りすぎちゃって」  笙子は定期的に、こうやって手作りの惣菜を持ってきてくれた。  二人が憔悴しているのをしって、食事作りなどを支援しようと思ったのだろう。 「いつもありがとう。気にしないでいいのに」  目の下にクマを作った顔で微笑む頼子に笙子も微笑んで、 「気にしてないよ気にしてない。ついでだし、多く作らなかったら持ってこないから、それこそ気にしないで」  弥生の訃報を聞いた時には、笙子も家で人知れず泣いたものだ。  年に何度も会うわけではない人だったが妙に気が合い、会わない時でも連絡を取り合うような仲だった。  親友を失った感覚で、笙子にも寂しさは広がっていた。 「器はまた取りに来るから、そのまま食べてね、それじゃ」  汀がそろそろ帰ってくる時間に、家にいなければと思っている。  それは子供を待つためというのもあるが、歳の近い孫がもうこないかも知れない寂しさを抱えた老夫婦に、年の近い子供を見せないよう気を遣う意味もあった。  じゃあね、と去ってゆくのを見送って、頼子は居間へと戻り 「ありがたいですね…」  と器をちゃぶ台に乗せた。  そんなある日、頼子と宗一郎の元へ遥翔から電話がかかってきた。 『おばあちゃん僕だよ、遥翔』  思ったよりも元気な声の遥翔に、今まで顔色もすぐれず上部だけの笑みしか出なかった頼子に心からの笑みが出た。 「遥翔〜、元気そうだね。ご飯食べてる?」  四十九日では暗い表情で、心許なさそうに座っていた遥翔を見ていただけに、落ち込んでいるかと思っていた遥翔の声が想像以上に明るくて、頼子は宗一郎の顔を見ながら笑顔を浮かべている。 『うん、食べてるよ!おばあちゃんも元気?おじいちゃんも元気かなあ』 「うんうん、みんな元気だよ。遥翔の声聞いたらもっと元気になったよ」  祖父の宗一郎もウズウズして変わってくれと、そばでワクワクしていたので笑いながら 「おじいちゃんがね、遥翔と話ししたいってかわるね」 「遥翔か、じいちゃんだ。おお、声も元気だな。じいちゃん安心したぞ」  宗一郎は鼻を啜って、こちらも笑顔で話す。 『元気だよ!あのね、お父さんと男同士のお話をしたんだよ』  得意そうな声が、微笑ましいなと宗一郎は再び鼻を啜った。 「お、かっこいいな、男同士の話し合いか」 『うん、それでね、僕ね、お母さんのかかった病気をやっつけるのにね、お医者さんになることにしたの!』  瞬間的にー娘の死すら利用するのか…ーと思ってしまったのは仕方がないかもしれない、しかし… 『僕ね、いっぱい泣いちゃったんだよ。学校も休んじゃったりしたの。だってお母さんがいなくなっちゃったからさ。でもね、お父さんは僕が泣いてても、もっと泣いていいって言ったの。学校も行かないで泣いてていいって。そしたらね、僕泣き止んじゃった』  そう言ってきゃきゃっと笑う声に、宗一郎から涙が溢れた。  遥翔の声が大きいものだから、頼子にも聞こえていて頼子も泣いている。  心の中で廉遥に感謝もした。 「そうか…いいお父さんだな…」 『うん。お父さん大好き。でね、お父さんのお家がお医者さんだからってお医者さんにならなくてもいいから、好きな道を僕の好きにいっていいって、いうの。よくわからなかったんだけど、でもぼくお医者になってママがかかった病気をやっつけるって決めたって言ったら、お父さん泣いちゃって。僕悪いこと言っちゃったかな』  宗一郎も頼子も涙で声が出なくなってしまった。  あちらの家に都合のいい…などと考えてしまったことが心苦しくもなる。 「悪いことなんか言ってないよ。はるくんはお父さんに嬉しいことを言ってあげたんだよ」  頼子が傍から答えてあげた 『ほんと?だったらよかったー』  もう泣いてしまって声が出ない2人を、縁側から見ていた子供がいた。 「はるくんのおじいちゃんおばあちゃん、泣いてるの…?」  笙子からあまり行かないように言われていた(みぎわ)だったが、『はると』という名前が前を通りかかって聞こえたものだから、縁側まで来てしまっていた。 「みー君」  2人は驚いたが、手招きして 「はる君よ、お話しする?」  と受話器をあげた。 「え!はる君?お話ししていいの?」 「いいよ。ほらおいで」  家の電話は縁側までいかないからと呼び寄せて、靴を脱ぐのももどかしそうに足をモゾモゾさせてやってきた汀に受話器を渡してやる。 「もしもしはる君?」 「あ、みー君?わあ!みー君だ!嬉しいなあ」 「はる君、もう夏休みになったよ!来るんでしょ?そしたら遊ぼうね」  汀も、大体は察してはいるが、遥翔と遊びたい気持ちはどうしても消えない。 『夏休みは、わかんないの…僕もいきたいけどさ、お父さんのお家に居るから、どうなるのか僕にもわかんないの』 「ええ~~きてよ~~待ってるから!」 『うん、行きたいけど。僕も行きたいけど』 「待ってるからね!来なかったら絶交だからね!」  汀はそう宣言して、受話器を荒々しく頼子へ戻すと、どすどすと音を立てて縁側から帰ってしまった。  あらあら、と微笑ましく見送って、頼子は受話器に耳を当てて 「みー君ははる君に会いたいからあんなこと言っただけで、ほんとの気持ちじゃないからね」 『うん…』  遥翔が父方の実家で遠慮をしているのだろうことはわかっている。  でも、今年は無理でも来年再来年にはまた一度くらいは来てくれるだろうとは思ってはいた。 「おじいちゃんもおばあちゃんも待ってるから、来られるようになったらおいでね」 『うん、1人で電車に乗れるようになったら行きたい!』 「うんうん、そうなったら大人だね」 『大人になって遊びに行くね!』 「待ってるよ」  そんな電話を機に、この夫婦もいつまでも落ち込んではいられないと、分けてもらった位牌を見つめ、徐々に元の生活へと戻っていった。  しかし汀の放った『来なかったら絶交』という言葉が本当なのか確かめられないまま日々だけが過ぎ、お互い会いたいなと思い続けて、気づけば6年もの月日が流れていた。

ともだちにシェアしよう!