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絶交
しかしその2人の夏休みも、次の年には戻ってはこなかった。
この年の、冬も近い秋の終わり頃に弥生に重大な病がみつかった。
廉遥 の実家のこともありもう1人子供が欲しいと思っていた夫婦だったが、遥翔ももう2年生になりあまり年が離れすぎるのもと思い検査を受けて発覚したものだ。
子宮筋腫が拳ほどまでになっており、元々は大豆くらいでしかなかったのでそれが癌の恐れがあるというものだった。
生理不順や謎の腹痛はちょっと感じてはいたが、廉遥の実家や遥翔の卒園入学色々あるからかなとも思って放置してしまっていた。
元々遥翔を産むときにも子宮に筋腫が有ることは判ってはいたのだが、妊娠出産には影響のないレベルということで、経過を見ながらも無事に遥翔を出産しその後も半年に一度程度の検査は受けてはいたのだ。
だがここ1年半ほど、それを怠っていて今回実家の事もあることだし今年を最後にもう1人狙ってみるかという事で検査して出た結果だった。
廉遥を伴って検査を受けにいった弥生はそのまま入院を勧められ、精密検査を受けることとなった。
廉遥は婦人科の医師から、可能性は非常に大きいと伝えられ今日、組織診と一応細胞診もしたからとりあえず1週間は待とうということだった。
「入院して何を…まさかとは思いますが…」
「はい、転移の確認です」
廉遥はショックだった。さっき可能性だと言ったじゃないか。
「エコーで見たときに…あ、お医者様でしたね、ではご一緒に。これなんですが」
手元の機械を廉遥に向け、医師は画面を出してくれた。
画面は、医師なら見慣れたエコー映像。
「これが、筋腫です。そしてここを見てください…」
医師が映像を止めてペンで示した部分。筋腫に隠れてもう一つ塊が見て取れた。
「たまにありますよね…隠れている病変」
医師が廉遥の顔色を見て画像を消した。
「結構大きいんです…転移をしていなければ、子宮全摘で終わると思えますので…それを確認しようかと入院をお願いしました」
もう1人子供をと思っただけなのに、子宮を奪われる…いやその前に癌の可能性…頭が混乱して何を考えていいのかすらわからない。
十中八九とは医者も言えなかった。
そんな出来事があって数ヶ月後に、弥生は鬼籍に入った。
エコーに映った箇所はほんの一部で、筋腫の裏で相当な大きさになっており、あの時の転移検査で既に、胃や肺、リンパ節等に広がっていて手術もできない状態だった。
気付いてあげられなかった医師の自分を呪い、廉遥はしばらく業務ができなくなるほどだったが、入院中に弥生が書いていた日記を半年後にやっと開いたときに、『遥翔をおねがいね』の言葉に目が覚めた。
遥翔も毎日毎晩泣き腫らして、学校も休みがちになってはいたが、父親と男同士の話し合いをし、泣いていたらお母さんが悲しむ。お母さんがなった病気は僕が倒す!の気持ちを新たに、学校へも行くようになってくれた。
図らずも、廉遥の実家が何もせずとも遥翔は医師への目標を掲げ、手が足りないという理由で実家へは戻ったが、実家の両親は遥翔に強制的に何かをしようとはせず、あたたかく見守る日々となっていった。
弥生の実家では、娘を亡くした両親がやはり暫くぼんやりとしていた。
孫ももう滅多に来ることもないだろうし、もう1人息子がいるが今は海外で好き勝手をしていて、姉の訃報もまだ届いていないだろう。
隣の汀の家も、最初は励ましのお茶会などをしていたがそんなものがどうにもならないと悟り、今は時々声をかけに来る程度に済ませていた。
毎年来ていた孫も来なくなったと聞き、汀も懐いていた家だったができるだけ顔を見せないようにさせてもいたのだ。
しかし、ある時遥翔から電話が来て、
「おばあちゃん僕だよ、遥翔」
思ったよりも元気な声の遥翔に、今まで顔色もすぐれず上部だけの笑みしか出なかった頼子に心からの笑みが出た。
「遥翔、元気そうだね。ご飯食べてる?」
「うん、食べてるよ!おばあちゃんも元気?おじいちゃんも元気かなあ」
「うんうん、みんな元気だよ。遥翔の声聞いたらもっと元気になったよ」
祖父の宗一郎もウズウズして変わってくれと、そばでワクワクしていたので笑いながら
「おじいちゃんがね、遥翔と話ししたいってかわるね」
「遥翔か、じいちゃんだ。おお、声も元気だな。じいちゃん安心したぞ」
「元気だよ!あのね、お父さんと男同士のお話をしたんだよ」
「お、かっこいいな、男同士の話し合いか」
「うん、それでね、僕ね、おかあさんのかかった病気をやっつけるのにね、お医者さんになることにしたの!」
瞬間的に『あちらの家に好都合なことを娘の死で…』と思ってしまったのは仕方がないかもしれない、しかし…
「僕ね、いっぱい泣いちゃったんだよ。学校も休んじゃったりしたの。だってお母さんがいなくなっちゃったからさ。でもね、お父さんは僕が泣いてても、もっと泣いていいって言ったの。学校も行かないで泣いてていいって。そしたらね、僕泣き止んじゃった」
そう言ってきゃきゃっと笑う声に、宗一郎から涙が溢れた。
遥翔の声が大きいものだから、頼子にも聞こえていて頼子も泣いている。
「そうか…いいお父さんだな…」
「うん。お父さん大好き。でね、お父さんのお家がお医者だからってお医者にならなくてもいいから、好きな道を僕の好きにいっていいって、いうの。よくわからなかったんだけど、でもぼくお医者になってママがかかった病気をやっつけるって決めたっていったら、お父さん泣いちゃって。僕悪いこと言っちゃったかな」
宗一郎も頼子も涙で声が出なくなってしまった。
あちらの家に都合のいい…などと考えてしまったことが心苦しくもなる。
「悪いことなんか言ってないよ。はるくんはお父さんに嬉しいことを言ってあげたんだよ」
頼子が傍から答えてあげた
「ほんと?だったらよかったー」
もう泣いてしまって声が出ない2人を、縁側から見ていた子供がいた。
「おじいちゃんおばあちゃん泣いてるの…?」
孫が来られなくなって、同年代の子を見るの寂しいだろうからとあまり行かないように言われていた汀 だったが、『はると』という名前が前を通りかかって聞こえたものだから、縁側まで来てしまっていた。
「みー君」
2人は驚いたが、手招きして
「はる君よ、お話しする?」
と受話器をあげた。
「え!はる君?お話ししていいの?」
「いいよ。ほらおいで」
家の電話は縁側までいかないからと呼び寄せて、靴を脱ぐのももどかしそうに足をモゾモゾさせてやってきた汀に受話器を渡してやる。
「もしもしはる君?」
「あ、みー君?わあ!みー君だ!嬉しいなあ」
「はる君、また夏に来るんでしょ?そしたら遊ぼうね」
汀も、大体は察してはいるが、ここに来る来ないは関係ないと思っている
「今度の夏休みは、わかんないの…僕もいきたいけどさ、お父さんのお家に居るから、どうなるのか僕にもわかんないの」
「ええ〜〜きてよ〜〜待ってるから!」
「うん、行きたいけど。僕も行きたいけど」
「待ってるからね!来なかったら絶交」
汀はそう宣言して、受話器を荒々しく頼子へ戻すと、どすどすと音を立てて縁側から帰ってしまった。
あらあら、と微笑ましく見送って、受話器に耳を当てて
「みー君ははる君に会いたいからあんなこと言っただけで、ほんとうのきもちじゃないからね」
「うん…」
遥翔が父方の実家で遠慮をしているのだろうことはわかっている。
でも、今年は無理でも来年再来年にはまた一度くらいは来てくれるだろうとは思ってはいた。
「おじいちゃんもおばあちゃんも待ってるから、来られるようになったらおいでね」
「うん、1人で電車に乗れるようになったら行きたい!」
「うんうん、そうなったら大人だね」
「大人になって遊びに行くね!」
「待ってるよ」
そんな電話を機に、この夫婦もいつまでも落ち込んではいられないと、分けてもらった位牌を見つめ、徐々に元の生活へともどっていった。
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