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川辺と陽だまりのキス

「そういえば小さい頃にはここに来なかったね」  岩に座って、水の中の沢蟹を枝でツンツンしながら遥翔はいう。確かに来たことはなかった。まあそれも、小学校高学年辺りになったら来たのだろうけれど。 「まあな。まだあの頃は小さすぎて、いつものあのちっちぇえ川が精一杯だったじゃん」  俺らも可愛かったよな、と笑っている汀はまだ魚を探している。 「もっと来ていたかったな。ここに」  来る気になれば来られないこともなかったのだが、1人で電車に乗れなかっただけだった。もう少し勇気出せばよかったと、これもまた後悔。 「今来てんだからいいじゃん」  やっと見つけたヤマメの18cm級をニコニコしながらバケツに入れて、汀が腰を伸ばす。 「済んじまったことを色々言ったって仕方ないだろ。今楽しいんだからいいんだよ」  そう言って笑う汀の後ろに木漏れ日がさし、まるで後光のように見えて、遥翔はつい笑ってしまった 「汀が神様に見えたよ〜〜」 「なんだよそれ〜」  汀が足で遥翔に水をかけ、それに応戦して遥翔も水をかける。  エキサイトしすぎて2人ともびっしょりになり、乾かす意味も含めて少し陽の当たる岩の上で寝転んでみた。 「蝉…鳴かないんだよな。暑すぎて…」 「あー、そういえば静かだね…」  水の流れる音がして、少しの風で揺れる葉が擦れる音。 「鳥の声も聞こえないねえ…」 「鳥も暑いんだろ…」  上を向いて寝ているけれど、木の上は葉が生い茂っていて、身体だけ陽に当てているために、ちょっと眠気を誘う。 「寝るなよ?」  汀が声をかけると 「寝てないよ?」  という眠そうな声。 「寝るとクマ来るぞ」  その言葉に遥翔は飛び起き、 「え!熊いるの!?」  汀はその驚き具合に笑って 「いないいないwこの辺では確認されてないから」  脅かすな!と少し怒りながらもまた寝転ぶ。 「ここいいところだね」 「だろ?ここは、俺が見つけた穴場」  そうは言っても、川を伝ってくれば辿り着いてはしまうところではあるが、遥翔はここが気に入った。 「来年は…来られないな…」  目のずうっと先の高いところで揺れている、陽に助けて黄緑色に見える葉を見つめていう遥翔の声は寂しそうだ。 「くればいいじゃん」 「そういうわけにもいかなくてさ…高校はちゃんとしたとこ行かないと、大学が選べないじゃん?だから来年の今頃は、毎日塾だろうね」  そういう難しい話は知らんけども…でも自分もそういうの考えなきゃなんだろうなぁ、とも思ってみる汀。 「医者になるのって大変なんだなぁ。でもはる君が医者になったらかかるの恥ずかしくね?」 「いや来いよ、って言いたいところだけど、俺はね研究するお医者さんになるんだよ。いつも行くお医者さんみたいなのはしないつもり」 「え、そうなの?そういうお医者さんもいるんだ?」  いわゆる研究畑のお医者さんだ。  病気に対抗していく術や、どうしたら病気にならないかとか色々な角度から研究していく仕事。もちろん分野は多岐にわたりはするけれど。 「俺は、母さんが罹った癌を研究したいんだ。多いだろう?罹る人。母さんみたいに苦しまないように、そもそも癌にならないように、そうしたら俺みたいに寂しい思いする子供も減るしな」  汀はそんなことを話す遥翔の横顔を見ていた。  今こうして話せるようになるまでいっぱい考えたのかなと思える顔をしている。 「偉いなぁはる君」  もうすっかりはる君呼びになってることには気づかない。 「今こうやって一緒に岩の上に寝そべってるの、貴重な時間だな」  観念めいたことが言いたくてそんなことを汀は言ってみるが 「え、結構詩的なこと言うねみーくん。結構そっちに向いてるんじゃない?」  そっちとは…と思うけど、とりあえずスルー。 「次は…いつ会えるのかな…」  木のてっぺんの葉っぱが重なり合う合間を飛行機が通って行った。  後からゴゥンゴゥンという音が聞こえてくる。 「いつだろうね…来年受験で高校行ったらもっと勉強だからなぁ…」  以前は…6年前は、たまにお正月にも会えていたのに、確かに今ここでこうして寝転んでいるのは貴重な時間かも知れなかった。  岩の上で小指同士が触れて、遥翔が思い出したように汀の手を握る。 「え、なになに」  半身を起こして、それでも手は振り払えずに一緒に起き上がった遥翔と手を握り合って硬直していた。 「昔縁側で、こんな風に手繋いでたじゃん」  硬直している汀の指の間に指を挟んで恋人繋ぎ。 「これね、恋人繋ぎっていうらしいよ」 「え、これ?うわ恥ずい!はる君それ知っててよくこれできるね」 「前にやってたことやってるだけだし」  あははと笑って指を解く。 「あんなこと簡単に出来る歳には戻れないねえ〜」  どんな意味で言ってるのかはわからないけど、飛行機の音が遠ざかっていって、また森は静かになった。 「夕方になったら蝉が鳴き始めるからさ…蝉が鳴いたら帰ろうか」  それまではずいぶん時間があるけれど、魚をたくさん取って晩ごはんにしなきゃと急激に芽生えた使命感で、2人は起き上がり 「もう乾いた!」  と濡れていたシャツを手で叩いて笑い合った。  3日目は遊園地、4日目はプールと2人は毎日を惜しむように遊び倒した。  次にいつ会えるかわからないから というのが原動力だ。  汀などは、午前中部活やってからのそれなので、夜は結構いい感じによく眠れていた。  そして遥翔が明日帰るという日。とうとう2人はぐったりと、その日1日はゆっくりすることにした。  遥翔のおじいちゃんちで、2人でゴロゴロしながら買ってきた漫画を読んだり、お菓子を食べたり、汀の家のiPadでアニメやホラー映画見て騒いだりして過ごした。 「お買い物行ってくるからお留守番よろしくね。みー君も今日はウチで食べていきなね」  祖母頼子が宗一郎と一緒に車で買い物にゆき、家には2人になった。 「この家の縁側、庭も綺麗にしてるしいいよなぁ」  エアコンが効いているため窓は閉まってはいるが、カーテンは開けているので庭がよく見える。 「まあこれで街が見下ろせたりするといいんだけどなぁ」  2人して廊下に並んで外を見た。 「サマーウォーズのばあちゃんちみたいなの?」  汀がさっき見たばかりの映画の和式豪邸の家をいいだすが 「あれはお金持ちの家じゃんよー」  笑ってそのまま遥翔は後ろに寝転んだ。 「そんな贅沢じゃなくていいや。俺はこの家大好きだし」  天井を見て、明日帰るのが寂しそうに呟く。 「またくればいいじゃん」  隣で未だ座ったままの汀は、庭を見つめている。 「うん…そうなんだけどさ…」  おばあちゃんは頑張っているのか、天井までもが綺麗にされてる。  夏の静寂は胸を締め付ける感覚があるな…と鉢に植っている背の低いひまわりを見て、汀は思っていた。  次にいつ会えるかわからない幼馴染。  小学校の5年間を埋めるように遊んだ夏。夏は未だ終わらないのに、夏が終わるような寂しい気持ちが汀にはあって、それをどうしていいか持て余す。 「なあ。向日葵がいっぱい咲いてるところが有るんだよ。今からでもうちのかーちゃんに…」  どうしても寂しい気持ちを払拭できず、それを行動で紛らわせようと提案してみるが 「あれ…おい〜はる君〜」  遥翔は障子の敷居を枕に静かに寝息を立てていた。  そんなの枕じゃ痛いだろうに…。汀は居間に這っていって座布団を一枚持ってきて、半分に折り遥翔の頭の下に入れようと頭を抱え込んだ時、それまで結ばれていた唇が薄く開いてそこから前歯が細く見えた。  学校の友達が持ってきたエロ本の女性がそんな口元をしていたのが蘇る。  1週間前に会った時の遥翔の輝きや、何度見ても綺麗だなと思ってしまう横顔とかが一気に頭になだれ込んできた。 『いやいやいやいやいや』  素早く座布団を頭の下に入れて、座布団と頭の間から静かに手を抜こうとした時に、口が一番近づいた。  エロ本の扇情的な唇と、目の前の遥翔の唇が同じように煽り立てて目の前にあって、汀はそのまま唇を重ねてみた。 ー柔らけえ…ー  唇を閉じたまま重ねた唇は柔らかく、さっき食べたアイスの香りがした。  生々しく味を感じた瞬間、汀はそうっと抜こうとしていた腕を少々乱暴に抜き取り、 「え…あ、あれ…」  自分の唇に指を当てて暑い最中に顔を真っ赤にして立ち上がった。  乱暴に腕を引き抜かれたにも関わらず、遥翔は熟睡していて起きなかったのが救いだと真っ赤な顔で安堵したが、どうしていいかわからずに、汀はそのまま自宅へと戻ってしまった。  いま遥翔が起きたら顔が見られない。  唇の感触はずうっと残り、ガジガジ君ソーダ味を見るたびに思い出すんかなとまた胸が高鳴る。 「今…俺、何…」  家に入るのも何だか気恥ずかしくて、また玄関前の階段に座り込んで髪をくしゃくしゃと混ぜ、 「ファ…ファーストキs」  うあああぁぁとガムシャラに髪を混ぜ返し、抱えた膝に顔を埋めた。  1人でうぁあ〜とか、うはーとか言っている汀を、笙子がまたしても居間の出窓から眺めている。 「思春期ねえ〜」

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