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ひまわり

 高3の夏休みに入り、汀は目指す大学の受験勉強に集中し始めた。  なんせ2教科しか受験科目がなく一見楽勝に思えたが、教師や塾の講師に言わせると、『誰でも高得点が望める分ほぼ完璧に近い状態に持っていかないと結構危ない』と言われ、舐めていたわけでは決してないのだが楽勝だと思うことはやめた。 「満点取る気で行かないと」  などと言い切って毎日苦手な英語や数学の基礎などに取り組んでいる息子を、笙子も心配そうだ。  何を思い詰めているのかはわからないが、親としてできることは食事を作り、少しでもリラックスできる家庭を作ることなのかなと、笙子なりに考えてはいたが、それでも余りに机に向かいすぎるのが気に掛かり 「ちょっといい?」  と部屋のドアをノックした。 「んー」  入ると、机に向かっている汀の手元には、夏休みに入った頃に買った英語の問題集がすでにヘタれた様子で置かれており、汀はそれの問題の答え一つ一つをノートに書き連ねていた。  その様子に笙子は少し立ち尽くしてしまい、入ってきたまま何も話さない母に汀はようやく振り向いた。 「どしたの」  笑いながら横向きになった汀に、何故かほっとした笙子だったが、やはりその様子にはがまんができなくなり 「ちょっと出かけようよ。あまりこん詰めても良くないんじゃない?」  ベッドに投げ捨てるように置いてあったジャージを放り投げて、『ほら行こう』 と、靴下も投げてくる。 「何だよ急に。いいよ別に。決めたスケジュールでやらないとならないから」  汀は壁にかけてある自作の勉強スケジュールと、時計を見比べて再び机に向かったが、 「だ〜め、でかける!今のままだと、詰め込んでも向こう側から落ちてっちゃう状態よ。少しキャパ広げに行こう」  わかるようなわからないようなことを言ってくるが、逆にいえば『俺の脳の領域をディスってる?』とも思えて、 「どういうこ…」  言い切る前に、Tシャツが顔に飛んできた。  笙子はいつも自分を自由にさせてくれていた。  悪いこと以外はうるさく言ってこないいし、見守ってくれていることに感謝すらしていた。が、その笙子がこれだけ言ってくるというのは…と汀は考えた。 「街じゃなくて、自然に浸りに行こうよ。地平線みれば脳みそ広がるよ」  『脳がデカくなるわけじゃないだろう』などと思いながら、膝の上のTシャツを手に取り 「わかったよ。まあ確かに詰めすぎだよな」  Tシャツを持ったまま伸びをして、 「お母様に従いますよ、で、どこにいくの?」  立ち上がって、さっき投げられたジャージを拾う汀に、笙子は 「内緒」  と言って部屋を出た。 「45秒で支度しな!」  どっかで聞いたことあるセリフを言いながら階段を降りてゆく笙子に、汀は少しだけ感謝した。  Tシャツを着てジャージを履くだけの着替えは45秒も必要なく、降りていくと、すでに笙子は車に乗っていて、リビングから見える車の中で手を振っている。 「行動が早いんよ…」  呆れて汀も靴を履きに玄関へと向かった。 「まずはコンビニ行って、飲み物買おうか?それともスタバとかのカフェ系がいい?」  なんだ?今日は優しいぞ?  妙な警戒心が湧く。まだ汀には親心などは理解できないだろうが、笙子にしてみれば『いつか』わかってくれたらいい。今日はとことん甘やかそうと決めたのだ。 「いつもならスーパーの飲み物しか買わねえのに」  恐々言ってみる 「ばっかねえ、ドライブに行くなら小さなことに拘らない!何がいいの?」 「え…じゃあ、スタバ」  高校生のお小遣いではそう頻繁に買えないから、親が買ってくれるというならそこ一択だ。コーヒーも飲みたかったし。 「オッケーじゃあスタバ寄って、ドライブよ〜」  車はどうやら北の方面に向かっているらしかった。  道中は、勉強の進み具合や学校でのこと、少し高野さんの話などもしたりした。 「で、いまだに告られてないの?」  汀は頷く。 「俺も受験体制に入ったからさ、それに気づいてくれたんかなとは思うけど」 「タイミングを逃しちゃったのねえ、高野さんって子も。で、告られたら受けるの?あんたは」  そう問われて汀は窓の外を見た。  夏の盛り。  田んぼが緑色の葉を揺らす光景が延々と続いている。 「いや…断るつもりだけどね」  その答えに笙子は横目でちらりと汀を見て、すぐに目線を前に戻した。  何となく…うっすらとだが、息子の恋愛事情は気付いている。  それが本当かどうかなどは知らない。しかし、隠そうとするには汀の態度は露骨だし、隠し方も下手くそすぎる。  でもまあ、そこも自由にさせておきたい。自分は犯罪以外は受け入れる覚悟はできているから。 「卒業式とかにくるかもしれないわね…優しくしてあげてね」 「かーさんも断られたの?」 「バカ言わないで、私は断ったほうよ。やさ〜しくね」  ムキになるところを見ると、断られたんだな、と汀は察して、それ以上の言及は避けておいた。 「まあでも、高野には感謝してる。よくしてくれたし、何かあげようかな」 「誤解するからやめなさいって。お断りするならキッパリとね。相手の未練を引きずらせたらダメよ」  やはり経験者…というのはやめて 「そういうものか…難しいね」  そんな簡単に割り切れたら、今の自分はないだろう。  そのことに、まだ汀は気付けなかった。  遥翔と会わなくなって3年も経った。  普通の「夏に隣によく来てた子」だったらとっくに忘れている。  でも、汀の頭の中心にはいつでも遥翔がいた。  別れ方が急で、何が何やらわからないということもあったけれど、それでも「何だよ!勝手だな」にもならずに、ずっと頭で考えてしまうのもまあ…理由はわかってはいた。が言葉を明文化するのをよしとしなかった。『遥翔のために』だ。 「ソフトクリーム食べよう」  笙子がよりこんだのは、小さな道の駅風なところだった。  そこでソフトクリームを買い、車で食べてから、 「さて、本命へ向かいますか」  と笙子はエンジンをかけた。  いったいどこへ連れていかれるんだろう。  今までこう言うとき、笙子が連れて行ってくれたところはハズレがない。 「もう教えてくれてもいいじゃん、どこ行くんよ」 「みればわかるから〜」  としか言わなくて、汀はずっと窓の外を見続けた。  しばらく田園風景が続いていた中に、不意に黄色の一面が見えてきた。 「え?」  驚いて身を乗り出すと 「ひまわりよ」  笙子が教えてくれた。 「あんたにこれを見せたかったの」  ただのひまわり畑ではなく、観光のようになっているのか駐車場まで完備していた。  入園料などはなく、駐車場から出て畑に踏み入ると、一面のひまわりだった。  通路がちゃんとあり、そこを歩きながら花を見て歩くようだ。  汀は背が高いからかろうじて花が見渡せるが、笙子は自分の身長ほどの高さなので、背伸びしながらだ。 「かーさん、あっちに見晴らし台あるよ」  汀が指差す方に、木で組まれた5人ほどが乗れる櫓が組まれていた。 「あ、いいわね。私でも一望できるわ」  笙子はそこへ向かい、すでに3人ほどいるところに昇って行った。  汀はその下で櫓に寄りかかって一面の黄色を見ていた。  中学の時遥翔に会った…あの、遥翔が廊下で寝てしまった時に、ここにこようと提案したことを思い出した。  あの後、不意にキスしちゃったんだっけな…などと、忘れようもないことまで浮かんでしまい苦笑いが出た。  小さな頃、父親の肩車で見たこの黄色い風景。  今は自力で見られる。これを今でも遥翔と見たいなあと思った。  何してるんだろう。昔の夏休みなら一緒だったのに…   様々な思いや、少々の憤りが黄色い畑に映し出されてくる。  陽に照らされているひまわりが遥翔を思い起こさせ、心が乱れた。  ああ、自分はこの気持ちにならないように勉強に没頭している“ふり”をしていたんだ…と気付いた。  心を乱したくないと言うより、苦しいことから逃げている気がした。  どうにもできない現状も苦しいし、それから勉強に逃げていた。  勉強に逃げてたとは、以前の自分からは考えられない理由だったが、集中していれば遥翔を思い出さずに済んでいたから…。 「くそっ…」  1番口にしたくない言葉が頭に浮かんで口をつきそうになって、汀はすんでで止め、その悪意ある一言でかき消した。 『遥翔…会いたいよ。ちゃんと話してほしい』  それは、今の汀にとってはまだ言ってはいけない言葉だから。  受験を頑張って、受かってちゃんと夢を追っている自分を見せられてからの話だ。  そうしたら絶対に決着を…と思っていたのだから。  その小さな悪意のつぶやきは、汀の真上で見ていた笙子にも届いていた。  笙子は、上からひまわりを見ずにずっと汀を見つめていた。  息子のつむじを見下ろせるのはこんな時しかないと、最初は思って真後ろに立ったが、切なそうな肩を見て、笙子の方が思わず泣きそうになってしまっている。  口を出せない領域、とわかってはいるが笙子だって苦しい。抱きしめてあげたい。  でもそれもできずに、今は「つむじを見る優越感」と言い張って息子を見下ろして、その切なさを受け止めることしかできなかった。 「何でそんなしかめっ面なの?楽しくないの?こんな自然に触れて」  いつの間にか正面に笙子がいて、見上げてきていた。  楽しいか楽しくないかで言えば、見ているだけなので楽しいと言い切れるものでもない。 「いや、楽しんだよ。こうもいっぱいあると壮観だな花って。ひまわりは花もでかいから迫力あるしな」  もう一度見回して、少しスッキリした顔をした。  心が乱されることから逃げていた。遥翔から逃げていたことがここで気付けて良かったとも思えた。それだけでひまわりに感謝だ。  明日からは、少し楽に勉強ができそうな気分になっていた。 「ひまわりってさ…」  駐車場に向かいながら、まだひまわりを眺めている汀に顔も向けずに笙子は不意に 「はる君思い出させるわよね」  これは何の気も無しに言った言葉だった。  素直に笙子が思ったことなのだろう。  汀は驚いて笙子を見下ろしてしまう。 「え、どゆこと?」 「え〜?どう言うって言われてもわかんないんだけど…なんていうか、寂しそうなのよひまわりって。大きくて朗らかでもさ、どこかそんな感じがするのね」  そんなふうにひまわりを見たことはなかった。  ただただ夏の明るい象徴。太陽を盲信してひたすら従います!みたいな従順さは感じてはいたけれど、寂しい? 「ここでこんなにたくさんの向日葵見てるとそうは感じないんだけどね。家の近くとかで栽培してるのって一本とか2本じゃない?あれがどうも寂しそうでねえ」  通りがかりの花びらを見ながら、笙子は歩き続ける。 「そんなポツンと咲いてても、こう…凛々しくまっすぐに咲いてるじゃない?ひまわりって。それがあの件以降のはる君にリンクしちゃってね」  “あの件”とは遥翔の母親が亡くなったことを言っているのだろう。  それを聞いた後会ったのは、少し大きくなってからだったがそれがさっき思い起こしていた縁側でのキスの時だった。 「はる君立派に立ち直ったように見えたけど、やっぱりどこか無理してた気がしてね。同年代のあんたがいるから余計かもしれないけどね」  そう言うふうに見たことはなかった。遥翔はあの時も明るくて、医者になる夢を力強く語ってくれたし、川でも楽しそうだったし。  大人ってすげえな。汀は少しだけ母を尊敬した。  それからひまわりが、汀にとって遥翔の象徴になってしまった。 「さて、じゃあこれから温泉でも行ってひと風呂浴びていこう!今日は勉強お休みね!」  半命令のように言って、笙子は車へ向かって歩いて行った。 「温泉てどこよ」 「この先にあるじゃない。ちょっと走るけど。晩御飯も好きなの食べなさい」  笙子が車に乗りながらそう笑うと 「敵わないな」  そう呟いて笑う汀を笙子が見つめて、 「ようやく笑ってくれたわ」  満足そうに笙子も笑って、車に入り込んできた汀を迎え入れた。

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