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第四章 凱旋と祝祭、甘く溶ける想い2
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凱旋パレードを終えた数日後、いつもの業務に戻った私は少し……いや、かなり冷静さを欠いていた。それを自覚したうえで、止まれなかった。優先すべきものを、私はもう知ってしまったからだ。
真琴の姿が見えなくなったのは、市場を抜けて街道に出る直前だったはず。人混みの中で迷いやすいことも、興味を引かれると立ち止まる癖があることも知っている。知っているからこそ、心臓がざわつき始めた。
(――遅い)
嫌な予感は、往々にして当たる。私は馬を進め、街道沿いを走らせた。周囲の商人や旅人の視線は感じていたが、気にする余裕はなかった。頭の中にあるのは、ただひとりの姿だけ。
やがて、小さな商店を営んでいそうな商人の荷馬車が目に入った。馬の蹄が地面を蹴る音を響かせる中、慌てて止める。私は瞳を細めて馬上から彼を見下ろした。
「そこの商人。さきほど、このあたりを黒髪の青年が通らなかったか?」
声が低くなっていたのは自覚している。それでも、抑えるという選択肢は最初からなかった。怒気に近い私の口調に、商人は明らかに怯えていた。顔色が一瞬で変わり、荷馬車ごと震えている。
「ひ、ひいぃっ……く、黒髪の青年、でございますか!?」
「そうだ。背は高く、穏やかな目をしている。歩き方はのんびりしていて……人混みでは、よく他人とぶつかりそうになる」
守るべき存在だと、考えるより先に思ってしまった。口にしながら、胸が締めつけられる。
(――まったく、なんて無防備な説明だろうか)
だが、それが真琴だった。思い浮かべるだけで、優しい疼きが胸に広がる。
商人は必死に記憶を辿るように視線を泳がせ、それから恐るおそる言った。
「い、一刻ほど前に……そこの道を歩いておりました。えっと、その……道端の花を、眺めておられて……」
その瞬間、身体の奥に溜まっていた緊張が一気に抜け、息が軽くなる。
(――ああ、やはりそうだ。彼は、そういう人間だ)
しかも無事。怪我も、厄介ごともなさそうだ。
「そうか……この先か」
思わず微笑みながら息をついたことで、頬が緩んでしまったことに気づき、私は慌てて表情を引き締め、咳払いをひとつする。
「助かった。礼を言う」
それだけ告げて、再び馬を走らせた。背後から、商人が呆然とこちらを見ている気配がしたが、気にしていられない。馬を急いで走らせると、風が頬を切るように吹き抜ける。
――早く、追いつかなければ。今度は隣に立つために。
村の入り口で、真琴を見つけた。荷物を抱えて、困ったように笑っている。その姿を見た途端に、心臓が甘く締めつけられた。
(私は、なぜ彼から目を離した。ひとりにしなければ、こんなことにはならなかったのに――)
そんなことを考えつつ馬を降り、歩いて近づいた。
「真琴」
彼は振り向き、少し驚いた顔をしてから、すぐに困ったように笑う。
「リオン様……あの、そんなに心配して追いかけて来たんですか?」
「別に。心配したわけではない」
目を逸らしながら、馬の鬣を軽く撫でて反射的にそう答えたが、彼は信じていない顔だった。それは無理もない。
「君はすぐ迷う。だから……放っておけない」
言ってから少し後悔した。だが、撤回するつもりはなかった。
真琴は一瞬きょとんとして、それからわずかに頬を赤らめる。
「すみません。でも、ただ花を見ていただけで……」
「だから危ないのだ」
私は彼の荷物を取り上げ、自然に隣へ立った。そして歩幅を合わせる。こうしていると、ようやく心拍が落ち着いてくる。
「君は無防備すぎる」
そう言いながら、それを咎めるつもりはなかった。
守ることに理由など要らない。ただ彼の隣に立っていたいと、迷うことなく思ってしまう。
真琴は小さく息をつき、観念したように笑った。
(―――ああ、本当に)
見失った数刻だけで、ここまで心が乱されるとは思わなかった。私は副団長として騎士として、冷静沈着であるべき人間だ。だが、彼に関してだけは話が違う。
不安になる。焦る。必死になる。
きっと先ほどの商人には、相当恐ろしい騎士に見えただろう。だが、それでいい。誰かが怯えるより、彼に何かが起きる方が私には耐えられない。
真琴が隣で歩いている。それだけで、世界はようやく正しい位置に戻った。
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