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第四章 凱旋と祝祭、甘く溶ける想い3

***  春の訪れとともに、王都アルセリアでは年に一度の《祝祭》が開かれた。広場いっぱいに屋台が並び、笛や太鼓の音楽と笑い声が絶え間なく響く。  この日の目玉は――“精霊の祝福を受けた新しい甘味”の発表。そして、それを任されたのが僕だった。 「はぁ……人が多いな」  工房から運んできたチョコレートの香りが、風に乗って通りいっぱいに広がっていく。準備を手伝ってくれているニナが、籠を抱えながら駆け寄ってきた。 「真琴さん! 王城からの使いの方が来てましたよ! リオン様もお手伝いに来るって!」 「えっ……リオン様が⁉」  彼が来ると分かり、心臓が軽やかに跳ねる。リオン様が北の砦から帰ってきたあの夜、工房で見つめ合ったまま、言葉にできなかった想いがまだ胸のどこかで甘く疼いている。  フェリシュが肩の上でふわりと舞った。 「真琴~、今日はぜったい大成功の日ですぅ! ほら、香りの波がいい感じです~!」 「ありがとう、フェリシュ。君がいなかったら、ここまで来られなかったよ」 「も、もうっ……そんなこと言ったら、照れるのですぅ~!」  フェリシュがリボンをばたばたさせて顔を隠すのを見て、少しだけ緊張がほどけた。  広場の中央――特設の台座へ向かう途中、見慣れた金髪と蒼い瞳が人混みを分けて進んでくるのが見えた。  陽光を受けたその姿は凱旋の日よりも穏やかで、けれどどこか誇らしげに僕の目に映った。 「真琴、準備は順調か?」 「はい、なんとか。……見に来てくれたんですね」 「当然だ。君の初舞台だからな」  その声のやさしさに心が溶けるように揺らぎ、緊張が不思議となくなった。彼がいるだけで、世界が少しだけやわらかくなる気がする。  やがて王城の鐘がゴーンと鳴り響き、司会の声が広場を包んだ。 「今年の祝祭では、新たに“精霊の菓子職人”の称号を授与される者がいます――清水真琴殿!」  歓声がわっと広がる。僕は深呼吸をして、チョコレートの蓋を静かに開けた。  ――“ショコラ・ド・アルセリア”。  この国の果実《ルゼラ》と、雪花石で冷やしたガナッシュを層に重ねた、精霊の祝福を宿す一皿。途端に、空気がふわりと甘く包まれた。チョコの香りとともに見えない光がゆらめき、人々の頬をやさしく撫でていく。  フェリシュが小さく囁いた。 「真琴の想い……みんなに届いたですぅ」  王様が一口味わうと、ゆっくりと目を閉じて言った。 「これは……幸福の香りだ。まるで心のざわめきが溶けていくようだ」  次々と歓声と感嘆の声があがる。その光景を見ているうちに、胸の奥が熱くなった。  ――“届かない想い”を抱えたまま異世界へ来たはずの僕が、今は誰かの心を甘くしている。  そんな奇跡みたいな瞬間に胸が熱くなり、涙が滲んだ。  リオン様は拍手の中で、ただ一人こちらを見ていた。その視線を受け止めたそのとき、すべての迷いが消える。 (――この人の隣に立つ未来を、きっと僕は選んでいい)  式が無事に終わり、夜の帳が降りた。人の波が去った広場の隅で、僕は残ったショコラを箱に詰めていた。こちらに向かって、足音が静かに近づいてくる。 「真琴」 「……リオン様」  振り向くと彼は鎧を脱ぎ、白いシャツに外套を羽織っていた。手にはルゼラの花枝が一輪。足音が石畳に響き、ルゼラの花枝の淡い香りが近づく。 「祝福を受けたのは、君だけではない」 「え?」  リオン様は蒼い瞳を細めて、ルゼラの花枝を軽く握りしめる。 「この国も、君の甘味に救われた。……いや、私もだ」  言葉の意味を理解するより早く、彼の指先が頬をそっと撫でた。その触れ方があまりにやさしくて、心が溶けるように揺らぐ。 「リオン様……?」 「真琴。君に会ってから、ずっと感じていた。この世界に甘味がなかったのは、きっと――君が来るためだ」  切なさを感じるように、胸がきゅっと締めつけられる。フェリシュがそっと羽音を潜め、気配を消して静まり返った。  彼の蒼い瞳が、まっすぐ僕に注がれる。空気が静まり返り、どこか遠くで楽師の笛の音だけが、かすかに揺れていた。息を吸う音さえ相手に触れてしまいそうで、ドキドキが止まらない。  彼は一瞬だけ視線を伏せ、まるで自分に言い聞かせるように息を吐いた。それは騎士としてではなく、一人の男として。 「私の世界を甘くしてくれて、ありがとう。真琴……君が好きだ」  その言葉とともに、リオン様の顔が近づいた。唇が触れた瞬間、僕は逃げずに与えられる温度を受け取った。チョコの香りと春風が混ざり合い、世界がやさしく溶けていく。それは一瞬なのに、永遠のような時間だった。  フェリシュがふわりと舞い上がり、金色の光の粉を散らす。 「やっと……本当の“スイートセンス”が目を覚ましたのですぅ」  僕はリオン様の胸の中で、小さく笑った。 「ねぇ、リオン様。これからも……僕の作る甘味を隣で食べてくれますか?」 「ああ。何度でも」  夜空の彼方で、花火のように甘い光が弾けた。それは、僕たちの“約束”を祝福するよう。この世界で、まだ知らない甘さがたくさんある。その隣に、いつも彼がいてくれたら――。

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