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「規格外」を抱え続けてきた男の記憶
団長室の机に置かれた書類の束を前に、私は無意識にこめかみを押さえていた。
(……また、この名前か)
リオン・ヴァルハート、今や副団長。王国最強と称される騎士。そして、私の胃を何度も殺しかけてきた男。
「……」
ペンを止めた瞬間、記憶が勝手に遡る。私が第1師団の一部隊長だった頃。補充兵として、ひとりの新人が配属されてきた。
金髪碧眼の美丈夫で無表情。無駄口を叩かず指示に忠実。ゆえに扱いやすい新人、当時の印象はそれだけだった――最初の戦闘までは。
騎士団が管理する森の奥であたったのは、魔獣討伐の任務だった。団員との連携も取れ、順調に任務が遂行される。
だが、想定よりも強力な個体がいきなり目の前に現れた。大人数でかかれば、仕留められるのではないか――大型魔獣と団員の力量差を計算してる間に、仲間の一人が弾き飛ばされ、魔獣の爪が振り下ろされる。
「逃げろ!」
私の判断ミス、間に合わない――そう思った次の瞬間だった。その場の空気が圧縮し、ひっくり返った。
「……下がれ」
新人リオンの声。低く、感情のない声が聞こえた刹那、魔力が爆ぜた。いや、爆ぜたなどという生易しいものではない。
熱と光、そして体感したことのない圧――大型魔獣は一瞬で消し飛び、周囲の樹木は炭になり、地面は赤黒く焼け焦げた。
立っていたのはただ一人、リオンだけ。無傷で息も乱さず、私に振り返る。
あの時、私は理解した。
(ああ……これは剣の問題ではない。人の枠に収まらない力だ)
それからだった。彼は「規格外の新人」として恐れられた挙句に、仲間から距離を置かれ、それでも本人は何も変わらなかった。
リオンが全力で魔力を振るえば、仲間を巻き込んだ形で全てが終わる。だからこそ振るわない。それゆえに、制御できる立場に置くしかなかった。上に責任を背負わせる位置に。
「副団長」という役職は、彼を縛るための鎖だった――そう、思っていた。
「……はぁ」
現実に戻り、私は目の前の書類を見る。
表題:《副団長・リオン運用および安定化に関する補足企画書》……いや、違う。中身は、ほぼ一行に集約されている。
「真琴殿の取り扱いについて」
ストッパー・制御装置……そして増幅器。
(――皮肉なものだ)
かつて一帯を焼き払った男が、今は一人の体調や感情で戦力値が上下する。
(だが危険なのは、力そのものじゃない。失うことだ――)
真琴殿が傷ついたり彼が失われれば、あの時以上の“焼け野原”が生まれる。
私は深く息を吐き、ペンを走らせる。
・真琴殿への過度な政治利用は禁止
・夜会・外交の同行は本人の意思最優先
・精神的負荷が確認された場合、任務から即時外す
・副団長本人への報告は、必ず私を通すこと
(……丁寧に扱え。国家より先に、王国最強の“引き金”を)
書き終えた瞬間、また胃がきゅう、と縮む。
「……私は、何の企画書を書いているんだ」
騎士団か。王国か――いや恋人を持つ一人の男を守るための、取扱説明書だ。
(――まったく。あの新人が、ここまで来るとはな)
机に突っ伏しそうになるのを堪えながら、私は静かに結論を出す。
(だが真琴殿がいる限り――あの男は世界を焼かない)
そう信じているからこそ今日も私は団長として、そして胃痛持ちとして、丁寧に丁寧に「真琴」という存在を守る文章を書き続ける。
***
机の上に置いた企画書。《副団長・リオン運用および安定化に関する補足企画書》……いや、正確には“真琴殿保護運用案”。
私は額を押さえた。
(――念のため、だ。あくまで念のため)
軽快なノックの音が室内に響いた。
「入れ」
扉が開く。入ってきたのは、当然のようにリオン・ヴァルハート。無駄のない歩みで、無表情はいつも通り。だが部屋の空気が、ほんのわずかに重くなる。
「団長。頼まれていた魔獣討伐の計画書を」
「ああ……そこに置け」
書類を受け取り、視線を落とす……視線を落とした、はずだった。
「……」
妙に静かなことに疑問を抱き、ふと顔を上げる。リオンの視線は、机の上にあった――例の企画書に落ちている。
(――あ、まずい)
何も言っていない。しかしながら、明らかに空気が変わった。
「それは」
低い声には、怒気はないものの温度がない。
「……内部調整用の書類だ」
「内容を伺っても」
伺うではない。確認でもない。許可を与えた覚えはない、という響きに聞こえた。私は覚悟を決めて差し出す。リオンは一枚めくり、目を走らせる。
静か、静かすぎる。そして、ページを閉じた。
「……団長」
「なんだ」
視線が合う。戦場で見たことのある目。あの森で一帯を焼いた直後の、“無”の瞳に見つめられる。
「私の恋人を書類で管理するのは、やめていただきたい」
目に見えない圧を体に感じる。それと同時に、部屋の空気がわずかに震えた。
「これは、お前の制御のためだ」
「私は制御される立場ではありません」
「お前の立場は、国家戦力だ」
「それは承知しています」
一歩、近づく。足音は小さい。だが、床が軋んで嫌な音が鳴った。
「しかし、真琴は兵器ではない」
「……」
「ストッパーでも、増幅器でもない」
リオンは無表情のまま、紙の端を指でなぞる。その指先から、ほんのわずかに魔力が滲む。焦げる匂い――書類の角が、黒く変色する。
「私の」
蒼い目が意味深に細まるだけで、背筋がゾクッとした。
「恋人です」
(……ああ、これはまずい。完全に“そちら側”だ)
私は椅子に背を預け、ゆっくり息を吐く。
「失うのが怖いのは分かる」
「怖い?」
わずかに、眉が動く。
「失えば、王都が消えるだけです」
冗談ではない。コイツは事実として言っている。だからこそ怖い。
私は怒気を込めて言い放つ。リオンの圧に負けないように。
「だから守る」
「彼を守るのは私です」
「国家も守る」
「優先順位が違う!」
即答は、迷いのないものだった。
「団長」
今度は、ほんの少しだけ温度が戻る。
「私は王国に忠誠を誓っています」
「知っている」
「だが」
その目が、はっきりと私を射抜く。
「真琴が最優先です」
空気が完全に凍るが、不思議と暴走の気配はない。あるのは確固たる選択のみ。
私は小さく笑った。
「……やはり、書類は破棄するか」
「賢明です」
焦げかけた紙を取り上げる。
「ただし」
私は睨み返す。
「お前が壊れそうになったら、今度は無断で介入する」
「……」
一瞬の沈黙。
「その時は」
わずかに、ほんのわずかにリオンの口元が緩む。
「きっと真琴に叱られます。何をしてるんだって」
想像できる。あの柔らかな青年が、困った顔で眉を下げる姿。
私は深く息を吐いた。
「……まったく」
「団長」
「なんだ」
「私の恋人に関する書類は」
完全にいつもの副団長の顔。だが、目の奥は揺るがない。
「今後、なるべく作成しないでください」
「善処する」
「約束を」
「……努力はしよう。だがお前の力を制御するためには、どうしても必要になることを忘れるな」
数秒、睨み合う。やがて、諦めた顔のリオンが一礼する。
「失礼します」
扉が閉まった途端に、空気が軽くなる。私は机に突っ伏した。
「……誰だ、あれを副団長にしたのは」
――私だ。
遠い昔、焼け野原の中心に立っていた若い青年を思い出す。
(あの時より厄介だな。今は“守るもの”がある――)
だが同時に、確信もある。焦げた書類を見つめながら、私は小さく呟いた。
「……国家より重い恋人か」
――王国最強は、今日も平和だ。たぶん……。
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