40 / 50

「規格外」を抱え続けてきた男の記憶

 団長室の机に置かれた書類の束を前に、私は無意識にこめかみを押さえていた。 (……また、この名前か)  リオン・ヴァルハート、今や副団長。王国最強と称される騎士。そして、私の胃を何度も殺しかけてきた男。 「……」  ペンを止めた瞬間、記憶が勝手に遡る。私が第1師団の一部隊長だった頃。補充兵として、ひとりの新人が配属されてきた。  金髪碧眼の美丈夫で無表情。無駄口を叩かず指示に忠実。ゆえに扱いやすい新人、当時の印象はそれだけだった――最初の戦闘までは。  騎士団が管理する森の奥であたったのは、魔獣討伐の任務だった。団員との連携も取れ、順調に任務が遂行される。  だが、想定よりも強力な個体がいきなり目の前に現れた。大人数でかかれば、仕留められるのではないか――大型魔獣と団員の力量差を計算してる間に、仲間の一人が弾き飛ばされ、魔獣の爪が振り下ろされる。 「逃げろ!」  私の判断ミス、間に合わない――そう思った次の瞬間だった。その場の空気が圧縮し、ひっくり返った。 「……下がれ」  新人リオンの声。低く、感情のない声が聞こえた刹那、魔力が爆ぜた。いや、爆ぜたなどという生易しいものではない。  熱と光、そして体感したことのない圧――大型魔獣は一瞬で消し飛び、周囲の樹木は炭になり、地面は赤黒く焼け焦げた。  立っていたのはただ一人、リオンだけ。無傷で息も乱さず、私に振り返る。  あの時、私は理解した。 (ああ……これは剣の問題ではない。人の枠に収まらない力だ)  それからだった。彼は「規格外の新人」として恐れられた挙句に、仲間から距離を置かれ、それでも本人は何も変わらなかった。  リオンが全力で魔力を振るえば、仲間を巻き込んだ形で全てが終わる。だからこそ振るわない。それゆえに、制御できる立場に置くしかなかった。上に責任を背負わせる位置に。 「副団長」という役職は、彼を縛るための鎖だった――そう、思っていた。 「……はぁ」  現実に戻り、私は目の前の書類を見る。  表題:《副団長・リオン運用および安定化に関する補足企画書》……いや、違う。中身は、ほぼ一行に集約されている。 「真琴殿の取り扱いについて」  ストッパー・制御装置……そして増幅器。 (――皮肉なものだ)  かつて一帯を焼き払った男が、今は一人の体調や感情で戦力値が上下する。 (だが危険なのは、力そのものじゃない。失うことだ――)  真琴殿が傷ついたり彼が失われれば、あの時以上の“焼け野原”が生まれる。  私は深く息を吐き、ペンを走らせる。 ・真琴殿への過度な政治利用は禁止 ・夜会・外交の同行は本人の意思最優先 ・精神的負荷が確認された場合、任務から即時外す ・副団長本人への報告は、必ず私を通すこと (……丁寧に扱え。国家より先に、王国最強の“引き金”を)  書き終えた瞬間、また胃がきゅう、と縮む。 「……私は、何の企画書を書いているんだ」  騎士団か。王国か――いや恋人を持つ一人の男を守るための、取扱説明書だ。 (――まったく。あの新人が、ここまで来るとはな)  机に突っ伏しそうになるのを堪えながら、私は静かに結論を出す。 (だが真琴殿がいる限り――あの男は世界を焼かない)  そう信じているからこそ今日も私は団長として、そして胃痛持ちとして、丁寧に丁寧に「真琴」という存在を守る文章を書き続ける。 ***  机の上に置いた企画書。《副団長・リオン運用および安定化に関する補足企画書》……いや、正確には“真琴殿保護運用案”。  私は額を押さえた。 (――念のため、だ。あくまで念のため)  軽快なノックの音が室内に響いた。 「入れ」  扉が開く。入ってきたのは、当然のようにリオン・ヴァルハート。無駄のない歩みで、無表情はいつも通り。だが部屋の空気が、ほんのわずかに重くなる。 「団長。頼まれていた魔獣討伐の計画書を」 「ああ……そこに置け」  書類を受け取り、視線を落とす……視線を落とした、はずだった。 「……」  妙に静かなことに疑問を抱き、ふと顔を上げる。リオンの視線は、机の上にあった――例の企画書に落ちている。 (――あ、まずい)  何も言っていない。しかしながら、明らかに空気が変わった。 「それは」  低い声には、怒気はないものの温度がない。 「……内部調整用の書類だ」 「内容を伺っても」  伺うではない。確認でもない。許可を与えた覚えはない、という響きに聞こえた。私は覚悟を決めて差し出す。リオンは一枚めくり、目を走らせる。  静か、静かすぎる。そして、ページを閉じた。 「……団長」 「なんだ」  視線が合う。戦場で見たことのある目。あの森で一帯を焼いた直後の、“無”の瞳に見つめられる。 「私の恋人を書類で管理するのは、やめていただきたい」  目に見えない圧を体に感じる。それと同時に、部屋の空気がわずかに震えた。 「これは、お前の制御のためだ」 「私は制御される立場ではありません」 「お前の立場は、国家戦力だ」 「それは承知しています」  一歩、近づく。足音は小さい。だが、床が軋んで嫌な音が鳴った。 「しかし、真琴は兵器ではない」 「……」 「ストッパーでも、増幅器でもない」  リオンは無表情のまま、紙の端を指でなぞる。その指先から、ほんのわずかに魔力が滲む。焦げる匂い――書類の角が、黒く変色する。 「私の」  蒼い目が意味深に細まるだけで、背筋がゾクッとした。 「恋人です」 (……ああ、これはまずい。完全に“そちら側”だ)  私は椅子に背を預け、ゆっくり息を吐く。 「失うのが怖いのは分かる」 「怖い?」  わずかに、眉が動く。 「失えば、王都が消えるだけです」  冗談ではない。コイツは事実として言っている。だからこそ怖い。  私は怒気を込めて言い放つ。リオンの圧に負けないように。 「だから守る」 「彼を守るのは私です」 「国家も守る」 「優先順位が違う!」  即答は、迷いのないものだった。 「団長」  今度は、ほんの少しだけ温度が戻る。 「私は王国に忠誠を誓っています」 「知っている」 「だが」  その目が、はっきりと私を射抜く。 「真琴が最優先です」  空気が完全に凍るが、不思議と暴走の気配はない。あるのは確固たる選択のみ。  私は小さく笑った。 「……やはり、書類は破棄するか」 「賢明です」  焦げかけた紙を取り上げる。 「ただし」  私は睨み返す。 「お前が壊れそうになったら、今度は無断で介入する」 「……」  一瞬の沈黙。 「その時は」  わずかに、ほんのわずかにリオンの口元が緩む。 「きっと真琴に叱られます。何をしてるんだって」  想像できる。あの柔らかな青年が、困った顔で眉を下げる姿。  私は深く息を吐いた。 「……まったく」 「団長」 「なんだ」 「私の恋人に関する書類は」  完全にいつもの副団長の顔。だが、目の奥は揺るがない。 「今後、なるべく作成しないでください」 「善処する」 「約束を」 「……努力はしよう。だがお前の力を制御するためには、どうしても必要になることを忘れるな」  数秒、睨み合う。やがて、諦めた顔のリオンが一礼する。 「失礼します」  扉が閉まった途端に、空気が軽くなる。私は机に突っ伏した。 「……誰だ、あれを副団長にしたのは」  ――私だ。  遠い昔、焼け野原の中心に立っていた若い青年を思い出す。 (あの時より厄介だな。今は“守るもの”がある――)  だが同時に、確信もある。焦げた書類を見つめながら、私は小さく呟いた。 「……国家より重い恋人か」  ――王国最強は、今日も平和だ。たぶん……。

ともだちにシェアしよう!