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王国最強騎士、私情で魔法を封印する

 副団長が復帰したのは、三日後だった。いつも通りの姿勢、いつも通りの無表情、いつも通りの無敵感――ただし、ほんの少しだけ機嫌が良い。  それが、団員たちの逆鱗に触れた。 「副団長」  朝の点呼後、若手の一人が恐るおそる声を上げる。 「先日の欠勤ですが……回復魔法を使えば、即日復帰できたのでは?」  場の空気が、一瞬で凍った。その事について、誰もが思っていた。だが、口に出す者はいなかった。  団長は額に手を当てて、内心で叫んだ。 (やめろ……やめてくれ!)  だが遅い。リオンは眉一つ動かさず、淡々と答える。 「使えたが、使わなかった」 「……え?」 「魔力的にも戦力的にも問題はなかった。あれは軽症だ」  さらに追撃するように、言葉が続く。 「療養の判断は、私自身が下した」  あまりにも堂々としている。正論の顔をした確信犯に、皆が呆気にとられた。  団員の一人が、思わず声を荒げる。 「ですが! 副団長ほどの魔力をお持ちなら、回復魔法を使って休む必要は――」 「ある」  即答だった。 「伴侶が看病を申し出た」  ――沈黙。皆の理解が追いつかない。 「……それって、私的な理由では?」 「私事と職務の線引きは、理解している」  リオンは静かに言い切った。 「だが私は命に関わらぬ範囲で、伴侶の意思を尊重する」  団員たちは完全に黙った。誰もが察した。これは戦略でも判断ミスでもない。ただの選択だ。  その瞬間、団長はこめかみを押さえた。 (ああ……これはダメだ……)  副団長は規則を破っていない。虚偽報告もない。戦力低下も起こしていない。つまり――叱れない。 「団長」  リオンがこちらを見る。 「問題があるなら、処分を」  平然、あまりにも平然。団長は乾いた笑みを浮かべ、震える声で答えた。 「……いや、問題は……ない……」  胃が、きりりと痛んだ。団員たちはその様子を見て悟る。 (副団長より、団長のほうがダメージを受けている……)  その日の午後。団長は医務室で、胃薬を処方された。  一方その頃、副団長は――。 「真琴、無理はするな。今日は私が夕食を作る」  何事もなかったように、平穏な家庭を営んでいた。  なお後日、「回復魔法を使わず休むのは、前例として認められるのか」という議題が会議に上がり、団長は議事録を閉じたまま、深く天を仰いだという。  ――副団長の策士ぶりは、今日も平和に胃を削っていた。 ***  副団長が復帰して三日。騎士団の空気は、どこか落ち着かない。理由はひとつ――副団長が回復魔法を使わずに“正当に休んだ”という前代未聞の事実のせい。 「……納得できないよな」 「副団長だぞ?」 「軽症だったって言ってたよな?」  昼の休憩時間。若手から中堅までが集まり、低い声でひそひそと話をしていた。  そして、誰かがぽつりと口にした。 「……真琴殿に、聞けばよくないか?」  その言葉で、それぞれの顔を見合わせる。一様に困惑を示す表情だった。 「い、いや、でも……」 「副団長の伴侶だぞ?」 「でも、真琴殿なら……」  結果、全員で行くことになった。  ショコラトリエの午後は、とても穏やかだった。チョコの甘い香りと柔らかな陽光が差す店内は、真琴の性格を表すように明るい。 「あ、皆さん。いらっしゃいませ」  真琴はいつも通り、にこやかに迎えた。その笑顔を見て、団員たちは一瞬だけ思った。 (……この人に、あの副団長が……)  だが本題は、そこではない。 「えっと……その……先日の副団長の件で……」  歯切れの悪い切り出し方に、真琴は首を傾げた。 「リオンの欠勤のこと、ですよね?」 「っ……ご存知で」 「はい。看病してましたから」  さらっと言われた。団員の一人が、意を決して訊ねる。 「回復魔法を使えば、すぐ治ったのでは?」  真琴は一瞬きょとんとして、それから申し訳なさそうに笑った。 「……実は、それ」  全員、身を乗り出す。 「回復魔法、使える状態だったんです」 「ですよね!」 「でも……」  真琴は、少しだけ頬を赤くした。 「僕が……お願いしたんです」 「え?」 「え、お願い?」 「……え?」  理解が追いつかない団員たちに、真琴は正直に続ける。 「リオン、騎士団とお店の掛け持ちで、普段から無理しがちなので……たまには、ちゃんと休んでほしくて。それに……」  赤く染まった頬を隠すように俯いた真琴は、ほんの一瞬だけ言葉を選び、ぽつりと呟く。 「看病、したかったんです」  告げられた瞬間、世界が音を立てて崩れた。 「…………」 「………………」 「………………副団長……」  団員の一人が、震える声で言う。 「副団長、それ……最初から狙ってたんじゃ……?」  真琴は慌てて首を振る。 「い、いえ! そんなつもりじゃ!」 「でも……」  真琴は少し考えて、困ったように微笑んだ。 「リオン、回復魔法を使わないって決めた時……すごく、嬉しそうでした」  ――完全KO。団員たちは、静かに理解した。   副団長はズル休みした。きっかけは主犯の真琴殿。しかも、副団長はそれを喜んでいる! 「……勝てない」 「誰も勝てない……」  そのとき。 「お前たち、何をしている?」  低く、よく知る声。振り返ると、リオン・ヴァルハート本人が立っていた。  団員たちが、一斉に背筋を伸ばす。 「副団長! い、いえ、その……!」  リオンは真琴を見る。 「体は?」 「大丈夫です」 「無理は?」 「してません」  それだけで、満足そうに頷く。そして団員に視線を戻す。 「質問は済んだか」  誰も答えられない。リオンは淡々と言った。 「私が休んだのは、伴侶の願いを受け入れた結果だ。後悔はない」  真琴が、少し慌てて袖を引く。 「リオン……」 「事実だ」  その場にいた全員が悟った。 (――副団長、完全に手のひらの上だ……)  その夜。団長は報告を聞き、無言で机に突っ伏した。 「……もう……好きにしてくれ……」  胃薬の量が、またひとつ増えた。  一方その頃。 「リオン、今日は無理しないでくださいね」 「了解した」  真琴の一言で素直に従う副団長を見て、団員たちは遠くから、そっと手を合わせたという。  王国最強騎士の唯一の弱点は、今日も健在だった。

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