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真琴の嫉妬騒動!

 他国から派遣された女騎士は、とても真面目だった。構えは悪くないし、筋もいい。だが、力に頼る癖がある。 「肩の力を抜け」 「はいっ!」  背後に立ち、手首を軽く支える。指示を出せば、すぐに飲み込み、何度でも繰り返す。悔しさを隠さず、強くなりたいとまっすぐに剣を振るう。 「違う。この場合は剣を振るのではなく、流す」  細い指が緊張で固くなっている――真琴なら、どうだろう。  そう思った瞬間、わずかに胸が温む。  もし真琴が剣を持ったなら、きっと無茶はしない。力ではなく、考えるだろう。必死な顔で、真剣に私の言葉を聞いて剣を振る。  ああ……見てみたい。 「肩に力が入っている」  女騎士の背後に立ち、肩と腰に軽く触れて軸を正す。 「ここを意識しろ」  距離は近い。必要だからだ。だが心は、微動だにしない。触れても、何も揺れない。真琴に触れるときの、あの熱は一切ない。 「副団長、今日は随分熱心ですね」  傍で鍛錬している団員の囁きが耳に入るが、気にしない。  女騎士が汗を滲ませながら踏み込む。 「違う。足の運びが遅い」  手を添え、腰の位置を修正する。 「近い……っ」  女騎士が息を詰める。 「戦場で距離を気にするな」  淡々と告げる。内心は冷静だ。私は、真琴以外に欲情しない。触れても、何も揺れない。  ――だが。 (これを見たら、真琴はどう思うだろうな)  ほんの少しだけ、意地の悪い考えがよぎる。  訓練の休憩時には、団員たちが明らかにざわついていた。 「副団長、本気ですね」 「距離近すぎません?」 「噂になりますよ」 (――真琴が知ったら、どうするだろうな)  嫉妬するだろうか。拗ねるだろうか。「リオンは僕のだ」と言うだろうか。  それを思っただけで、胸の奥がわずかに熱を持つ。私は黙って指導を続けた。噂が広がるのを、あえて止めなかった。 ***  お昼休憩を使って店に来ていた団員たちが、噂話をしていた。 「団長命令で副団長が、他国の女騎士殿に剣技を直々に指導しているらしい」  最初は、誇らしかった。だってリオンは王国最強だ。その技を学びたいと言われるのは当然で、団長命令ならなおさらだ。  ……でも。 「手を添えて、構えを直してやっていたそうですよ」  その一言で、胸の奥がきゅっと縮む。  手を添えて? どこに? どのくらい近く? どんな顔で?  想像が勝手に膨らむ。仕事中のリオンは、感情をあまり表に出さない。だからこそ、余計に怖い。  もし相手が美しくて強くて、彼と並んでも違和感のない人だったら?  僕は、ただの一般人で菓子職人だ。剣も魔力も持たない。 (何か……嫌だ)  気づいたときには、爪が手のひらに食い込んでいた。 ***  扉が開く音で、彼が帰ってきたのが分かった。 「ただいま」  いつも通りの、低くて落ち着いた声。僕は椅子から立ち上がる。 「……おかえりなさい」  視線が合う。青い瞳は変わらない。いつもと同じ。なのに、胸がざわつく。 「疲れているのか?」 「ううん」  嘘をついた。正直とても疲れている。嫌な妄想が進んでしまい、ずっと考え込んでいたせい。  リオンが外套を脱ぐ。腕が動くたび、今日その腕が誰かの背に回ったのかと考えてしまう。  どうにも耐えられなくなって、口に出た。 「……今日、女騎士の方に剣技を教えたんですよね」  リオンが瞬きをする。 「ああ、団長命令だ」 「……手を添えて?」  ほんのわずかに、形のいい眉が動いた。 「基本姿勢の矯正だ。効率がいい」 「距離、近かった?」 「近いが指導の範囲内だ」  リオンは正直に答えてくれた。その一言で、胸がきゅうっと締まる。 「そうなんだ、ふぅん」  分かってる、分かってるのに。 「……嫌だ」  小さくこぼれた本音に、リオンの気配がすっと変わる。 「真琴?」 「分かってるよ、仕事だって。でも……」  思いきって顔を上げる。頬が熱くてたまらない。 「リオンは、僕のだもん」  言った瞬間、顔だけじゃなく体も熱くなる。まるで子供みたいだ。独占欲なんて、みっともない。でも、止められなかった。  リオンは、しばらく黙って僕を見つめたあと一歩近づく。 「私は真琴のだ」  低い声を聞くだけで胸が跳ねる。 「王国にも忠誠は誓っているが」 「……うん」 「最優先は、君だ」  真っ直ぐな目。嘘も迷いもない。それでも、胸のもやもやは消えない。だから――僕は彼の胸元を掴んだ。 「だったら……証明して」  ほんの少し震えた声で告げると、リオンの手が僕の頬に触れる。  優しくて熱い熱を感じた瞬間、唇が重なった。深く、確かめるように息が混ざる。彼の体温が、鼓動が、全部伝わってくる。  僕は負けじと、彼の首に腕を回す。逃がさないように。 「リオンは、僕の」  唇が離れた瞬間、そう囁いて、もう一度キスをする。今度は僕から。強く、熱く。彼の指が背に回る。 「……嫉妬か」 「悪い?」 「いや」  わずかに口元が緩む。 「嬉しい」  ずるい。そんな顔、僕にしか見せないくせに。  リオンの胸に顔を埋める。鼻腔から彼の香りが入ってきて、イライラしていた気持ちが幾分落ち着いた。 「リオン。他の人に、あんなふうに触らないで」 「必要以上には触れない」 「必要も最小限で」 「分かった、努力する」  少しだけ笑う。 「団長命令でも?」 「君が嫌がるなら、交渉する」  僕のお願いを聞いてくれたリオンの声は、本気だった。 (ああ、もう。だから僕はリオンから離れられない!) 「……そこまでしなくていいよ」  僕は笑いながら顔を上げる。 「でも帰ってきたら、ちゃんと僕に触れて」  リオンの蒼い目が、柔らかく細まる。 「毎日でも」  また、キス。今度はゆっくり。甘く、深く。他国の女騎士なんて、どうでもよくなるくらい。  彼の腕の中で、ようやく安心する。 (――大丈夫。この人は、僕を最優先にしてくれる。だからきっと――)  多少近くで剣を教えたくらいでは、揺らがない。 「……明日はもっと早く帰ってきて」 「努力する」  王国最強の騎士は、今日も真琴には勝てない。そして僕は、少しだけ意地悪く思う。 (リオンは、僕のだ!)  他国の誰にも、渡さない。  その夜。嫉妬の熱を全部塗り替えるように、何度も確かめ合ったのだった。

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