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女騎士の来訪!
有給休暇を使って、アルセリアの王都の石畳を踏みしめながら、私は胸を高鳴らせていた。
副団長リオン殿、王国最強の騎士。あの|静謐《せいひつ》な剣。あの無駄のない所作。「弟子にしてください」と言うために、わざわざ訪ねてきたが、その前にアルセリアの名物になっている菓子の店に足を運ぶ。
「いらっしゃいませ」
出迎えたのは、柔らかな笑みを浮かべた青年だった。店内は甘い香りで満ちている。そして奥でエプロン姿の副団長が、何かを刻んでいた。
「副団長⁉」
「……何故ここにいる」
(え、店を手伝っている? 騎士団の副団長が?)
混乱している私に、あの青年――噂になっている副団長の伴侶だとすぐ分かった。驚きを隠せない私に向かって、にこりと笑う。
「遠いところから、ありがとうございます。今日はどうされました?」
空気が、少し冷えた気がした。私は背筋を伸ばす。
「副団長に、正式に弟子入りをお願いしたく参りました!」
一瞬だけ伴侶の笑みが、ほんのわずかに深まる。
「……弟子、ですか」
なぜだろう。背中がぞくりとした。副団長は淡々と答える。
「断ったはずだ」
「諦めきれません!」
言い切ると、横から声をかけられる。
「まずは、アルセリア名物のチョコをどうぞ」
目の前に皿が差し出される。完璧な笑顔なのに、なぜこんなに圧を感じるのか。
***
(――リオンの弟子?)
内心驚く僕の目の前で、女騎士はリオンに熱い視線を飛ばす。それだけで胸がじりじりと焼けた。
わざわざ他国から? うちの店まで? リオンが手伝っている日に?
偶然なわけがない、きっと狙ってやって来たに違いない。しかも、リオンは普通にチョコを刻んでいる。いつもの無表情で。
(まったくもう、止めてよ。そういうとこ!)
絶対に悪気がないのが、余計に腹立つ。でもここは店だ。そして僕は店主という立場にいる。接客をするために、笑わなければならない!
「どうぞ。カカオ70%、王都限定ブレンドです」
にっこりほほ笑んでいるけれど、内心は――。
(――近づくな。僕の騎士に)
女騎士は一口食べた。途端に目が見開かれる。
「……おいしい。こんな味、初めてです」
さっきまでリオン一色だった瞳が、今はチョコに向いている。
「これを作られたのは……?」
「僕です」
女騎士が、がばっと頭を下げた。
「あなたもすごい! 副団長が尊敬する理由が分かります」
言いながらリオンを見る。
「副団長、あなたは剣の達人。だがこの方は――」
すごくキラキラした目で僕を見つめる。
「甘味の達人です!」
さっきまでの殺気はどこへ。僕は思わず後退りした。
女騎士は真剣な顔で宣言した。
「私は、あなた方お二人を心から尊敬します」
(……なんだ、この展開?)
***
女騎士は結局、弟子入りは諦めると言った。「まずは甘味を極めます」と。
彼女が何を言っているのか――真琴は呆然としながらも、どこか誇らしげだった。さっきまでの棘は消えている。
「……随分と懐柔したな」
小声で言うと、真琴が睨む。
「懐柔じゃない。正当なおもてなしをしたまでだよ」
だが耳は赤い。女騎士は深々と礼をする。
「お二人のような関係を目指します!」
不意に、真琴と視線が合う。そして、同時に苦笑した。
嫉妬して拗ねて、ニコニコしながら圧を出して。最後はチョコで心を掴む……やはり私の伴侶は最強だ。
「帰ったら――」
真琴が小声で言う。
「今日のこと、ちゃんと説明してくださいね」
少し拗ねた声に、私は小さく息をつく。
「いくらでも」
嫉妬する真琴もかわいいが、チョコで勝利する真琴も悪くない。
王国最強騎士は思う。剣ではなく、菓子で弟子を増やすとは――やはり、真琴のほうが一枚上手だ。
***
(ああ、なぜ私は、あの男に頼んだのだろう……)
机に肘をつき、こめかみを押さえる。
発端は単純だった。他国からの正式要請。
「我が国にいる将来有望な女性騎士の鍛錬を、王国最強の副団長殿にお願いしたい」
外交上、友好に接するために断れるわけがない。そして私は、何も考えずに命じた――副団長リオンに。
「団長、以上がこれまでの経緯だ」
目の前の副団長は、いつもの無表情で淡々と報告する。その“報告”の内容が問題だった。
「訓練は、問題なく終了した」
「問題なく、だと?」
「なのに数日後、女騎士は店に来た」
胃がきゅっと縮む。
「……どの店だ」
「真琴の店だ」
ああああああああ、胃が痛い。
「それは何故だ?」
「私に弟子入りを希望した」
机に額を打ちつけたい衝動を抑える。
「それで、お前は何をした」
「断った」
即答。それは知っている。問題はその後だ。
「私が断った後、真琴が応対した」
「……生きているのか、女騎士は」
副団長の目がわずかに細くなる。
「真琴は何もしていない」
“何もしていない”という言い方が怖い。
「ただ、彼女にチョコを差し出した」
甘味か、甘味で済んだのか。
「女騎士はチョコを食べて、真琴のファンになった」
さっぱり意味が分からない。
「弟子入りは、甘味修行を優先するらしい」
副団長に弟子入りする話が、どうして真琴殿に弟子入りする話になったんだ?
私は椅子にもたれ、天井を仰ぐ。
「副団長」
「何だ」
「お前は何を考えている」
ほんのわずかに、副団長の口元が動いた。
「……真琴が嫉妬していた」
はい、出ました。安定の仲がいい自慢!
「リオン、お前は楽しんだな?」
指摘した途端に、意味深に微笑む。否定しない時点で終わりだ。
「女騎士に剣の指導をしたことについて団員たちが騒いだせいで、真琴が知ってしまった」
それも報告するな。
「それから、どうなった?」
「帰宅後、真琴の機嫌は大変悪かったが――」
(――あ、なんか想像ついたぞ。そこから先は言わなくていい)
「……良い夜だった」
あらぬ方を見ながら告げられた言葉を、実際聞きたくなかった。胃が、きりきりと痛む。
「副団長」
「何だ」
「私は外交を円滑にするために命じた」
「ああ」
「お前の伴侶との夜を充実させるためではない」
副団長は真顔で答える。
「結果として友好は深まった」
反論できないのが腹立たしい。
女騎士は満足。店の評判は上昇。副団長の機嫌も良い。問題がない……私の胃以外は。
「次は」
副団長が率先して言う。嫌な予感しかしない。
「他国の騎士団長も来るらしい」
立て続けか、やめてほしい!
「菓子を買いに」
もう駄目だ。私は机に突っ伏した。
王国最強の剣。そして最強の伴侶に甘味外交。
「副団長」
「何だ」
「今後、訓練は複数名体制にする」
「……何故だ」
「私の胃を守るためだ」
副団長は一瞬だけ、ほんの少しだけ笑った。それがまた腹立たしい。
王国は平和だ。外交も順調だ。副団長は有能だ。伴侶は優秀だ。ただ一つ問題がある。
――その中心にいる男が、すべてを面白がっていること。
胃薬を探しながら、私は心に誓う。次に他国から依頼が来たら、まず真琴殿に相談しよう。
副団長ではなく……絶対に。
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