87 / 91

女騎士の来訪!

 有給休暇を使って、アルセリアの王都の石畳を踏みしめながら、私は胸を高鳴らせていた。  副団長リオン殿、王国最強の騎士。あの|静謐《せいひつ》な剣。あの無駄のない所作。「弟子にしてください」と言うために、わざわざ訪ねてきたが、その前にアルセリアの名物になっている菓子の店に足を運ぶ。 「いらっしゃいませ」  出迎えたのは、柔らかな笑みを浮かべた青年だった。店内は甘い香りで満ちている。そして奥でエプロン姿の副団長が、何かを刻んでいた。 「副団長⁉」 「……何故ここにいる」 (え、店を手伝っている? 騎士団の副団長が?)  混乱している私に、あの青年――噂になっている副団長の伴侶だとすぐ分かった。驚きを隠せない私に向かって、にこりと笑う。 「遠いところから、ありがとうございます。今日はどうされました?」  空気が、少し冷えた気がした。私は背筋を伸ばす。 「副団長に、正式に弟子入りをお願いしたく参りました!」  一瞬だけ伴侶の笑みが、ほんのわずかに深まる。 「……弟子、ですか」  なぜだろう。背中がぞくりとした。副団長は淡々と答える。 「断ったはずだ」 「諦めきれません!」  言い切ると、横から声をかけられる。 「まずは、アルセリア名物のチョコをどうぞ」  目の前に皿が差し出される。完璧な笑顔なのに、なぜこんなに圧を感じるのか。 *** (――リオンの弟子?)  内心驚く僕の目の前で、女騎士はリオンに熱い視線を飛ばす。それだけで胸がじりじりと焼けた。  わざわざ他国から? うちの店まで? リオンが手伝っている日に?  偶然なわけがない、きっと狙ってやって来たに違いない。しかも、リオンは普通にチョコを刻んでいる。いつもの無表情で。 (まったくもう、止めてよ。そういうとこ!)  絶対に悪気がないのが、余計に腹立つ。でもここは店だ。そして僕は店主という立場にいる。接客をするために、笑わなければならない! 「どうぞ。カカオ70%、王都限定ブレンドです」  にっこりほほ笑んでいるけれど、内心は――。 (――近づくな。僕の騎士に)  女騎士は一口食べた。途端に目が見開かれる。 「……おいしい。こんな味、初めてです」  さっきまでリオン一色だった瞳が、今はチョコに向いている。 「これを作られたのは……?」 「僕です」  女騎士が、がばっと頭を下げた。 「あなたもすごい! 副団長が尊敬する理由が分かります」  言いながらリオンを見る。 「副団長、あなたは剣の達人。だがこの方は――」  すごくキラキラした目で僕を見つめる。 「甘味の達人です!」  さっきまでの殺気はどこへ。僕は思わず後退りした。  女騎士は真剣な顔で宣言した。 「私は、あなた方お二人を心から尊敬します」 (……なんだ、この展開?) ***  女騎士は結局、弟子入りは諦めると言った。「まずは甘味を極めます」と。  彼女が何を言っているのか――真琴は呆然としながらも、どこか誇らしげだった。さっきまでの棘は消えている。 「……随分と懐柔したな」  小声で言うと、真琴が睨む。 「懐柔じゃない。正当なおもてなしをしたまでだよ」  だが耳は赤い。女騎士は深々と礼をする。 「お二人のような関係を目指します!」  不意に、真琴と視線が合う。そして、同時に苦笑した。  嫉妬して拗ねて、ニコニコしながら圧を出して。最後はチョコで心を掴む……やはり私の伴侶は最強だ。 「帰ったら――」  真琴が小声で言う。 「今日のこと、ちゃんと説明してくださいね」  少し拗ねた声に、私は小さく息をつく。 「いくらでも」  嫉妬する真琴もかわいいが、チョコで勝利する真琴も悪くない。  王国最強騎士は思う。剣ではなく、菓子で弟子を増やすとは――やはり、真琴のほうが一枚上手だ。 *** (ああ、なぜ私は、あの男に頼んだのだろう……)  机に肘をつき、こめかみを押さえる。  発端は単純だった。他国からの正式要請。 「我が国にいる将来有望な女性騎士の鍛錬を、王国最強の副団長殿にお願いしたい」  外交上、友好に接するために断れるわけがない。そして私は、何も考えずに命じた――副団長リオンに。 「団長、以上がこれまでの経緯だ」  目の前の副団長は、いつもの無表情で淡々と報告する。その“報告”の内容が問題だった。 「訓練は、問題なく終了した」 「問題なく、だと?」 「なのに数日後、女騎士は店に来た」  胃がきゅっと縮む。 「……どの店だ」 「真琴の店だ」  ああああああああ、胃が痛い。 「それは何故だ?」 「私に弟子入りを希望した」  机に額を打ちつけたい衝動を抑える。 「それで、お前は何をした」 「断った」  即答。それは知っている。問題はその後だ。 「私が断った後、真琴が応対した」 「……生きているのか、女騎士は」  副団長の目がわずかに細くなる。 「真琴は何もしていない」  “何もしていない”という言い方が怖い。 「ただ、彼女にチョコを差し出した」  甘味か、甘味で済んだのか。 「女騎士はチョコを食べて、真琴のファンになった」  さっぱり意味が分からない。 「弟子入りは、甘味修行を優先するらしい」  副団長に弟子入りする話が、どうして真琴殿に弟子入りする話になったんだ?  私は椅子にもたれ、天井を仰ぐ。 「副団長」 「何だ」 「お前は何を考えている」  ほんのわずかに、副団長の口元が動いた。 「……真琴が嫉妬していた」  はい、出ました。安定の仲がいい自慢! 「リオン、お前は楽しんだな?」  指摘した途端に、意味深に微笑む。否定しない時点で終わりだ。 「女騎士に剣の指導をしたことについて団員たちが騒いだせいで、真琴が知ってしまった」  それも報告するな。 「それから、どうなった?」 「帰宅後、真琴の機嫌は大変悪かったが――」 (――あ、なんか想像ついたぞ。そこから先は言わなくていい) 「……良い夜だった」  あらぬ方を見ながら告げられた言葉を、実際聞きたくなかった。胃が、きりきりと痛む。 「副団長」 「何だ」 「私は外交を円滑にするために命じた」 「ああ」 「お前の伴侶との夜を充実させるためではない」  副団長は真顔で答える。 「結果として友好は深まった」  反論できないのが腹立たしい。  女騎士は満足。店の評判は上昇。副団長の機嫌も良い。問題がない……私の胃以外は。 「次は」  副団長が率先して言う。嫌な予感しかしない。 「他国の騎士団長も来るらしい」  立て続けか、やめてほしい! 「菓子を買いに」  もう駄目だ。私は机に突っ伏した。  王国最強の剣。そして最強の伴侶に甘味外交。 「副団長」 「何だ」 「今後、訓練は複数名体制にする」 「……何故だ」 「私の胃を守るためだ」  副団長は一瞬だけ、ほんの少しだけ笑った。それがまた腹立たしい。  王国は平和だ。外交も順調だ。副団長は有能だ。伴侶は優秀だ。ただ一つ問題がある。  ――その中心にいる男が、すべてを面白がっていること。  胃薬を探しながら、私は心に誓う。次に他国から依頼が来たら、まず真琴殿に相談しよう。  副団長ではなく……絶対に。

ともだちにシェアしよう!