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第38話 理想郷

 激しい口づけを交わしながら、カナタは僕の身体を撫でていく。  仕事から帰ってきたばかりだし、できれば少し休みたいのに。  まさか顔を合わせるなりこんなことになるとは思わなかった。 「カナ……やめ……」  口づけの合間にそう声を上げても、カナタの行為は止まらなかった。  カナタの気が済めば終わるだろうか。そう思いつつ僕は彼の背中に手を回し、自分からも舌を出す。  びちゃびちゃと唾液が絡まる音と肌を撫でる手のせいで、僕の体温が徐々にあがっていく。  ここは玄関だ。さすがにキスより先の事をする気はないし、したくはない。  時おり聞こえる外を歩く足音が、気になって仕方なかった。 「……よかった、ちゃんと触れるし、キスできる」  唇が離れたときほっとした様な顔をして、カナタは言った。   「僕が、幽霊とでも思った?」  ちょっと意地悪く笑って言うと、カナタは視線を巡らせた後、苦笑して、 「ちょっと」  と答える。 「ちゃんと足も手もあるよ。僕は大丈夫」 「うん。よかった……帰り遅かったし、心配かけたくなくって大丈夫って言ったけど……」  そこで言葉を切り、カナタは顔を伏せる。 「顔見て声聞いたら我慢できなくなった。ごめん」  申し訳なさそうな声で言い、そのまま俯いてしまう。  少し考えて、僕は息を整えてからカナタの頬に触れて言った。 「遅くなって悪かった。待たせてごめんね。夕食、食べようか」  言いながら僕は部屋の奥へと視線を向ける。  肉の匂いがするからきっと、ごちそうを用意しているんだろう。 「あ、うん。俺、今日、音耶が帰って来るっていうから、デパートで肉、買ってきたんだ」  言いながらカナタは顔を上げて、僕を見て笑う。   「じゃあ早く食べないと。冷めたらおいしくなくなるし」 「うん、そうだね」  名残惜しそうにカナタは僕から離れ、床に置かれた僕の荷物へと視線を向ける。 「ねえ、何か宝物とかあったの?」 「あったけど、全部依頼主に届けたよ」 「なーんだ、残念。ねえ、カナガワのその遺跡、どんなところだったか教えてよ」  そう言った後、カナタは僕の荷物を持ち、部屋の奥へと戻っていった。  三月一日金曜日。  着慣れない紺のクローゼットに身を包み、僕は鏡に映る自分の姿を見て苦笑する。  カナタの卒業式のために仕立てた、真新しいスーツ。それにネクタイを締める。 「音耶がスーツ着てるー」  紺のスラックスに濃いグレーのブレザー、それにえんじ色のネクタイをしたカナタが、ノックもなく僕の部屋に入り嬉しそうな声を上げた。 「入学式以来? あれ、あのときと色違うよね」 「あぁ。仕立てたから」  そう答えて僕は鏡の前でくるり、と回る。  ネクタイなど慣れなさ過ぎて苦しい。   「かっこいいな、音耶。何着てもかっこいい」 「褒めても何も出ないよ」  恥ずかしさを誤魔化すように笑い、僕はカナタの方を見た。  今日で彼の制服姿を見るのは最後かと思うと感慨深い。  十二年前、六歳で小さかったカナタは、僕の背を追い越してしまった。  あと数年もすれば、見た目の年令も僕を越えてしまうだろう。  そう思うと何とも言えない気持ちになる。  僕の時は止まったままだけど、町も人も、カナタも時間が動き続け、変化していくのだから。  僕の言葉に、カナタは声を上げて笑い言った。 「あはは。わかってるよ。でもかっこいいんだもん。音耶、俺が子供の頃から変わんなくって、ずっとかっこいいよ」  本人的には素直な感想なのだろうけれど、その言葉は僕にとって重いものだった。  だってその言葉は、僕の時間が動いていないことを表しているのだから。 「ねえ音耶。俺を引き取ってくれてありがとう。音耶と過ごせて俺、すっごい幸せだよ」  そう言って笑うカナタは、僕の前に立つ。 「急にどうしたの」  正直、面と向かって言われると恥ずかしい。  するとカナタは恥ずかしげに小さく首を傾げて言った。 「だって、今日で俺、高校卒業するから、節目かなって思って。免許とりにもいかせてもらえて、大学まで通わせてもらえるし、ハンターの講習も受けられて。あの日、音耶が助けてくれたから俺、やりたいことたくさんできるんだもん」  そう言われると何を言えばいいのかわからず、僕は思わず視線を泳がせてしまう。  僕がカナタの両親を殺した事実は変わらないのだから。 「べつに……」  と言い、僕は黙り込む。  僕にとってカナタは何だろうか。  守るべき者であり、何があっても僕が帰るべき場所。  そうだ、海物に腕や足を喰われた時、僕はカナタの所に帰ることをまず考えたのだから。  カナタと一緒にいられる時間など、僕の人生の中で考えたらほんの短い時間だろう。  それでも僕は、この子のために今を過すことをえらんだ。 「カナタ、卒業式の後はどこか行くの?」 「え? とりあえず友達と出掛けようとは言われてるけど……」  そう言った後、カナタは不満げな顔になる。 「俺は音耶と一緒にいたいからあんまり行きたくないんだよな」  などと言い出す。  僕との時間などいくらでも作れるのに、なぜ友達との今を大事にしないのだろうか。 「カナタ。友達との時間は今だけだよ。来年になったらどうなるのかわからないしね」 「えー? そうかなぁ」 「そうだよ。会えるうちに会っておいた方がいよ。想い出は何ものにも代えられないから」  そう僕が言い含めると、カナタはうーん、と呻った後、頷いて笑った。 「わかった。そうするよ。でも音耶、明日はまだ仕事行かないでね。俺と一緒に過ごしてね」 「わかったよ」  この通り、カナタは僕から離れる様子もない。   「あ、そろそろ俺行くね。式、九時半からだからね」  時計を見ながらカナタは言い、僕の肩に触れる。  何をするのかと思って顔を見つめると、顔が近づきそして、唇が触れた。  そしてカナタは僕の顔を見つめて微笑み、手を振る。 「じゃあ、行ってきます」 「うん……行ってらっしゃい」  カナタは僕から離れ、背を向けて出て行った。  静まり返る部屋の中。  僕は服の上から腹の傷に触れる。 「もう少しだけ、僕はこの呪いを楽しむことにするよ、ルシード」  だからもう少しだけ、僕はあの子のそばにいようと思う。  僕の相棒は君だけだと思っていたけれど、そうはならなくなったみたいだ。  そして僕は出かける準備を進めた。  あの子の、新しい門出を祝うために。                終

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