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【10月】電話で。
十月もあと三日で終わるという月末。
夕飯の時、郁三さまに伝えた。
「明日から三泊四日で留守にします」
「え?そうなの」
彼は不安そうな声を出す。
「鍋にクリームシチューを作り置きしておきますから、それを食べてください。たまには外食でもして、お好きなものを召し上がるのもいい。この前遊びにきた友達たちとファミレスに行ったりするのも、楽しいですよ」
「旅行に行くの?」
「秋の行楽シーズンですけど、仕事です」
「執事の?」
本物の執事ならば、主人の側を離れることは、しないはずだ。
「別件ですよ。執事だけじゃ暮らしていけないですから」
勝手に執事と名乗り郁三さまに寄生し、住居と生活費を手に入れているくせに、悪びれもせずそう言ってみた。
「ねぇ、吉野はいつも自分の部屋で何をしているの?」
「気になりますか?でもね、内緒ですよ」
フフフ、と美しく笑いかけてやれば、やさしい郁三さまはそれ以上聞いてこなかった。
実はライフワークにしている年に一度の取材旅行なんです、と正直に郁三さまに言ってもよかったのだ。
貴方のような特異な性質の人に会いに行って、話を聞いて、誰に見せる訳でもなく文章にまとめているんです、と。
本業は翻訳家で他人の書いた文章と向き合う仕事だけれど、たまに自分の文章を書きたくなるんです、と。
それは、隠すようなことでもないのだから。
「飛行機で長崎空港へ行って、そこから九州を何県か回ってきます」
行き先は共有しておいたほうがいいだろう。
「九州?いいなぁ。僕も高校の修学旅行で行ったよ」
「お土産、買ってきますね。電話は毎晩しますから」
「毎晩じゃなくて大丈夫だよ、吉野」
そう言って笑うから、確かに大学生相手にそんな必要はないかと気が付く。
「それもそうですね。では、途中で一度だけ電話をします」
「はい。そうしてください」
「いいですか?郁三さま。ご自分で気をつけてくださいね。悲恋の話をされそうになったら、言い訳を作って逃げるんです。スマホが鳴ったフリして席を立つとか、ね」
「うん」
素直に可愛らしくうなずく姿を見て、やはり少し心配になった。
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二泊目の大分の夜に電話をかける予定だったが、ホテルに着いたのが遅く断念した。
だから、三泊目の熊本の旅館で電話を入れることにした。
旅館に着き、まずは大浴場で汗を流し浴衣に着替える。
ここ半年、あの男が大量に置き忘れていったタキシードばかり着ていたから、楽な浴衣がより快適に思える。
旅館内のレストランで夕食を食べ、部屋に戻れば布団が敷かれていて、思わず横になり少しウトウトしてしまった。
ずっとレンタカーを運転しているから、流石に疲れが溜まってきたようだ。
目が覚めスマホを見れば、二十二時を過ぎたばかり。
いつもの郁三さまなら風呂から上がって寛いでいる頃だろう。
「もしもし」
「もしもし、吉野?」
その声を聞いただけで、元気がないのだと分かった。
「どうしました?郁三さま」
「どうもしないよ」
誤魔化せると思ったのだろうか。
俺に心配をかけないようにと。
「もう一度聞きますね。どうしました?」
「……吉野が言うように河津くん達とファミレスに行ったよ。楽しかった。一緒に行った子の失恋話が始まりそうになったから、わざとトイレに立って回避もした」
「そう、それは偉かったですね。なのに、なぜそんな声を出しているのですか?まったく貴方という人は……」
「怒らないでよ」
「怒っていませんよ……。私は今、熊本です。紅葉はまだでしたが、気候がいいですよ。夕食も終わり旅館の部屋にいますけど、郁三さまはどこにいるのですか?」
「風呂から上がって、自分のベッドの上だよ」
広いベッドの隅で体育座りをし、憂鬱そうに座っている姿が、ありありと目に浮かんだ。
「それで、鬱々としている原因は?」
そう問いかければ、彼はポツリポツリと話し始める。
「大学の准教授が講義中に、例え話として自分の体験を話し始めたんだ。僕は一番前に座ってたんだけど、准教授、途中から僕の目を見て話し出して。それが結婚式直前に婚約を破棄されたっていう実体験の話で」
いったい何の授業で、何の例え話なのだ?
「でね、准教授は話し終わったら機嫌が良くなっちゃって、僕は「うんうん」て相づち打ってただけなのに、体調が悪くなって……」
皆、郁三さまに話を聞いてもらいたくなるのだ。
話せば悲しい気を吸い取ってもらえるという事実を知らなくとも、不思議な性質に引き寄せられてしまうのだ。
「だから、不測の事態だったんです。回避できなかった。僕はちゃんと、吉野の留守中は特に気をつけなきゃって思ってたのに」
可哀そうに……。
いつの間にか、すっかり郁三さまに情が移っている俺は、心から気の毒だと思ってしまうのだ。
「仕方ないですね、自分で出してみましょう。聴いていてあげるから。ね、郁三さま」
「無理だ、上手く出せないよ」
可哀そうと思っておきながらも、ぐじぐじ言われると、腹が立つ。
「はい、まずは洗面所に行って」
「洗面所?」
「行きました?タオルを置いている棚の隣の戸を開けてみてください。ローションが入ってるでしょ?それを持って部屋に戻って」
ガサゴソと電話の向こうで音がしている。
「戻ってきたよ。これを使うの?」
「次は電気を消して。それからスマホをヘッドボードに置いて。スピーカーにして」
「……したけど、ホントにやるの?ねぇ、無理だよ」
「グズグズ言ってないで、裸になりましょう。とっとと脱いでください。ほらパジャマの上も下も、下着も」
「え?全部?」
「どうせ家に一人でしょ?脱いでしまえばいいですよ」
「は、恥ずかしいよ」
「じゃ、肩からタオルケットをかけて、包まったらいい」
「うん……」
郁三さまのベッドは贅沢なダブルサイズ。
何故かといえば、あの家の家具は全て俺が持ち込んだものだから。
俺が、あの男と暮らす為に用意したベッドだから。
けれど結局、あの男と一緒に暮らせたのは一か月間だけだった。
貯金を全部使い果たし、ローンまで組んで買った家具は、全て無駄になった。
あの家の家賃も一人では払いきれなくなって、郁三さまのところに寄生することになった。
思い出のベッドを俺が独りで使う気にはなれず、郁三さまの部屋に置いた。
だから俺の自室にベッドはなく、床に布団を敷いて眠っている。
あの男と俺のことが、いつか郁三さまにバレる時が来るだろうか。
あの男は郁三さまの上の兄だから、そう遠くない日に、知られてしまうかもしれない。
「郁三さま、まずはどこを触りたいですか?」
「ど、どこって」
「じゃ、まず勃たせましょう。私に触られていると思って、握って、上下に擦って」
「吉野に?吉野の手で?」
「そう、私の手が包み込むように郁三さまのものを握って、擦っていると思い浮かべて」
「んっ」
郁三さまから溢れる小さな声を聞きながら、俺は窓際に行き、部屋のカーテンをピシャリと閉めた。
「どうです?勃ってきました?」
「……うん」
俺は布団の上にゴロンと寝転がった。
「反対の手で胸も触りましょう」
「ねぇ、吉野、吉野、あっ」
「どうしました?まずは指を舐めて、たっぷり唾液をつけて、その指で突起を摘まんでみましょう。それとも擦るほうが好き?」
「ねぇ、吉野。僕ばっかり、ねぇ」
「そりゃ郁三さまばかりですよ。貴方が准教授からもらってきた悲しい気を、排出する手伝いをしているのです。執事として、ね?」
「吉野も、部屋に一人、でしょ?」
「一人です。そうじゃなきゃこんな電話しませんよ。ほら手、休んでませんか?」
「吉野も、自分のを、触ってよ」
「何を甘えたことを」
「ねぇ、おねがい……吉野」
「じゃ、私も」なんて明確な返事はしなかった。
それでも俺も通話をスピーカーにして、スマホを枕の上に置く。
浴衣の中の下着をそっと撫でれば、既に大きくなり始めていた。
「郁三さま、後ろも触ってみましょう。ローションを手のひらに出してください。それをたっぷりと中指につけて」
「うん……」
「後ろ、触れます?ほら、私が触っていると思って」
「あっ、んっ、吉野、ヌルヌルする。ねぇ、あっ。指、指が……」
その声を聴きながら俺も自分の中心を、ゆっくりとしごいた。
「郁三さま、指、入りました?ほら腹側の奥に、貴方がいつもビクってなる箇所、あるでしょ?」
「んぁっ、あっ。わ、わかんない、あっ」
郁三さまの息遣いが、甘く乱れる。
それを聴きながら俺も深い息を吐いていることが、郁三さまに伝わっているだろうか。
「指、中の壁を触るように動かして。反対の手で硬く大きくなったものをしごいている?ちゃんとやってますか?ねぇ、郁三さまっ」
ぐずぐずと鼻をすする音が聞こえた。
甘い声で「んっ、あっ、あぁ」と言い「ふぅふぅ」と息を吐きながら鼻をすすっている。
「どうしました?気持ち良くない?」
「いぃ、よしの、いぃ、きもち、いい。でもくるしい。くるしい、無理だよ、よしの、自分じゃ。ねぇ、あっ、よしの、さわって」
「先端を親指でグジュグジュ押してごらんなさい。ほら先走り、溢れてるでしょ?郁三さま、大丈夫。出せますよ、ほら、頑張って」
「あっ、あっ、うしろも、まえも、いっぺんになんて、さわれない、ねぇ、よしの」
郁三さまの声がどんどん涙声になっていく。
その声に、可哀想だなんて思わない。
目元を赤くし涙を浮かべ、眉を下げ、口を半開きにした郁三さまの顔を思い浮かべて、俺は興奮していく。
このままでは、俺だけが達してしまいそうだ。
「くるしい、よしの。出ないよ、出せないよ。うしろ、きもち、いいのに」
「郁三さま、指を抜いて」
「やだよ……、もっと、もっと」
「抜いて、ローションを足して指を増やして。二本挿れてみましょう。中指と人差し指を。ほら今度は、後ろだけに集中してみて」
ベチョベチョっと、容器から粘度のある液体を出す音が聞こえた。
「んっ、あっ、やっ。よ、よしの」
「奥まで擦って。郁三さまの指、ほら届くでしょう。いいところまで、触れますよ」
グチュグチュっという音と「はぁはぁ」という息遣いがスマホの向こうから、旅館の狭い室内に響く。
「い、いくみさま」
ダメだ、俺が先にイってしまいそうだ。
「よしの、よしの、もっと、もっと。あっ、中が、中が、うねってる。ねぇ、よしの、変、変だよ。あっ、いい、いい」
「いくみさま、わたしも、わたしも、一緒に、して、あげますからっ」
「よ、よしの、なんか、すごい、あっ。あっ、んぁぁぁーーーっ」
その郁三さまの悲鳴のような喘ぎを聴きながら、俺は自分の中心を強くしごき、清潔なシーツに白濁を飛ばした。
「はぁはぁ」と、天井を見上げ、息を整える。
「郁三さま?出せました?」
「……ダメだった。でも、なんだろう、奥が、ギュってなって、うねって。まだ、きもちが、いい……あぁ、よしの、すごい、きもちが、いいよ、ねぇ……帰ってきたら、キス、してよ……。僕の執事として……ねぇ」
声がだんだんと小さくなって、息遣いも、だんだんと穏やかになっていく。
そして、そのままスースーと寝息が聞こえた。
後ろで達したのだろうか。
でもそれでは、郁三さまの中の鬱々としたものは、追い出せなかったはずだ。
とにかく、主人が気持ち良く眠りにつけたのだから、執事としてはよかった。
「明日、帰ります。おやすみなさい」
聞こえないだろう、と思いながらも、そう伝え通話を切った。
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