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【1月】盗み聞きで。

「吉野は、年末はどうするの?」 「別に何もしません。この家でゆっくりさせてもらいます」  クリスマスも、吉野にはあまり関係なかったようで、ツリーはもちろん、ケーキもチキンも、食卓には並ばなかった。 「実家には帰らないの?」 「実家と呼べる場所はもうないし、家族もいません。どうぞお気遣いなく」 「じゃあさ、一緒に僕の実家に行こうよ」  勢いでそう誘ってしまった。  実家の正月は、毎年賑やかだ。  父の仕事関係者、多数の親戚、家族の友人知人、多くの人が出入りするし泊まっている。  実際、吉野が一人増えても、料理の準備に差はないだろう。  吉野にそのことを話すと「お兄さんたちは?」と聞かれた。 「一彦兄さんは婚約者の家に行くんだって。怜二兄さんはスノボ。弟の四郎は予備校じゃないかな」  吉野はしばらく考え込んでいた。 「できたら、レンタカーを借りて吉野の運転で行きたいな」  僕はそんな我が儘を口にし、彼の背中を押す。  吉野は長距離の運転が好きらしいから。 「では、お兄さん達がいないなら、伺わせてもらいましょうか」  なんとか了承してくれた。 ---  実家に到着すると、例年のことだが、大袈裟なほど大きな門松が門扉に飾られていた。  玄関を開ければ、立派な鏡餅も置かれている。  父はこうした伝統を重んじる人で、商売繁盛を舞い込むためには、こういうことが大切だと信じているらしい。  紅白歌合戦が始まる時間から広間で宴会が始まって、吉野もその中に混じっている。  父の仕事関係者だろう知らないおじさんたちと、吉野は日本酒を酌み交わし、楽しそうに料理をつついていた。  僕には、高校の同級生からスマホにメッセージが届く。 『初詣行こうぜ』 『いいよ』  広間に吉野の様子を見に行くと、大晦日らしく蕎麦を食べ、さっきとは違う知らないおじさんたちと、また盛り上がっている。 「僕、初詣に行ってくるね」  そんな吉野に、耳打ちして家を出た。  懐かしいメンバーで寺に集まり、煩悩の数の除夜の鐘を聴く。  年が明ければ大混雑の神社に行列し、参拝をした。  友達がお守りを買うというので、僕も吉野に一つ選ぶことにする。  何が吉野の願いだろうか。  まだまだ彼のことは、よく知らない。  迷った挙句「家内安全」のお守りにした。  執事は家を守ってくれているのだから、これがぴったりなはずだ。  そこからは、二十四時間営業のファミレスで、ダラダラと内容のない会話を、初日の出が昇るまで続ける。  会話が誰かの悲恋の話に傾けば、さりげなく違う話題に誘導することにも、無事成功した。  日の出とともに解散し家に帰ると、母や親戚のおばさんたちはもう台所に立って雑煮を作っていた。  この家での年末年始の女性の働きぶりには、頭が下がる。  ただ、正月が終わったあと、女性陣がみんな揃って三泊の温泉旅行に出掛けていくのも、この家の恒例行事だ。  母に吉野を起こしてくるよう言われ、僕の部屋で布団を敷いて眠っている執事の様子を見に行く。 「吉野、おはよう。お雑煮、食べるでしょ?」  布団の上から身体を揺すって声を掛ければ、もぞもぞと動き出し目を覚ました。 「あぁ、郁三さま。明けましておめでとうございます」 「おめでとうございます、吉野。今年もよろしくお願いします」 「今、帰ったのですか?徹夜?若いですね」 「うん、さすがに眠い。お雑煮食べたら風呂に入って寝るよ」  僕は吉野にお守りを渡す。 「これ、どうぞ」 「私に?家内、安全……」 「変かな?」 「いいえ。執事にこれほど最適なお守りはありません。ありがとうございます」  吉野は自分の財布を出してきて、大事そうにその中へ、しまってくれた。  こんなに沢山の人が泊まっていたのかと驚く程、ぞろぞろと広間に皆が集まる。  父さんがかしこまって挨拶をした後、揃って雑煮を食べた。  食べている途中から眠くなってウトウトしてしまい、隣に座る吉野に笑われる。 「寝ながら食べたら、お餅を喉に詰まられますよ」  僕は頭を振って眠気を追い払い、また雑煮の続きを食べた。 「郁三さまの部屋にあるサッカー漫画、あとで読んでもいいですか?」 「吉野、少年漫画なんて読むの?」 「自分の興味がない漫画を読むのって、人の家に泊まりに来た醍醐味じゃないですか」  美味しそうに雑煮を食べる吉野は、正月の行事を楽しんでいるように見え、一緒に来てよかったと思えた。  シャワーを浴び、自室に戻って、ベッドに入り、僕はいつの間にか眠っていた……。  夢なのか現実なのか、ボソボソとした声が耳に入ってくる。 「ちょっと今、いいか」 「……。正月は留守にしてるんじゃなかったのか?」 「雪矢が来てるって、父さんに聞いたから、寄ったんだ……郁三は?」 「昨晩、徹夜で遊びに行って、さっき寝た」 「父さんに聞いたよ。東京で、郁三の様子を時々見に行ってくれてるんだって?」 「あぁ。まぁ、そんなところだ」 「まさかオマエら二人が、顔見知りになってるなんてな」  ドアが閉まって、誰かが部屋に入ってくる気配がある。  吉野は僕が眠る時、部屋の炬燵で漫画を読み始めたところだったはず。  誰が入ってきたのかとても気になったけれど、僕の中ではまだ眠気が勝っていて、再び微睡んだ。  次に意識が浮上したのは「はぁ」と甘ったるい吐息が聞こえた時だ。 「ゆ、ゆきや……あっ」  チュッチュッというリップ音も耳に入る。 「なぁ、もっと。なぁ、ゆきや……。キスだけじゃなくて……そこだけじゃなくて……」  布がこすれる音がする。 「いちひこ、脱いで」  吉野の声だ。相手は一彦兄さん? 「い、郁三が、起きちまう……」 「じゃ、ここでやめるか、いちひこ」  僕は掛布団を握りしめ、ギュっと目を閉じ、寝たふりを続ける。 「あっ、んぁっ」 「結婚するだって、いちひこ?おめでとう」 「ゆ、ゆきや……あっ」 「いちひこ、元々、女の子好きだし、元に戻れて、よかったよ」 「あっ、そこ、触んな、あっ」 「でも、どうするんだ?乳首とか。こんな風に、奥さんは触ってくれないだろ?」 「ゆ、ゆきやじゃなきゃ……触ってほしい、なんて、思わねぇんだよっ、あっ」 「ふーん」 「最後だから、これで。挿れられる側で、セックスすんのは、もう……最後だから。き、きもちよく、してくれよ、なぁ。あっ」 「そんな、センチメンタルな感情に、正月から付き合わせるのか、この俺を。しかも弟が寝てる部屋で。なぁ、いちひこ」  僕と接する時よりも強い口調で話す吉野と、大好きな兄さんの甘く掠れた声。  嫌悪感よりも、盗み聞きの興奮が上回って、心臓がバクバクと高鳴り、どうしようもない。  ピチャピチャという水音がして、吉野が兄さんの胸の突起を舐めているところが、容易に想像できてしまった。  困ったことに、僕の股間まで、勃ちそうになる。  耳からの情報だけでは我慢できなくなった僕は、二人に見つからぬよう、ゆっくりと薄目を開けた。  僕の眠るベッドからでは、炬燵の天板と吉野が積み上げた漫画本が邪魔していて、その向こうに寝転ぶ二人の姿は見えない。  けれど、だらしなく脱ぎ散らかされたセーターやシャツが見えた……。 「風呂場で準備してきたから、ゆきや。……もう、もう挿れて大丈夫だから、なっ、挿れろっ」 「いちひこっ。これで、本当に最後?そうだよな。うん、最後。これで、俺たちは、おしまい」  僕は混乱する頭で吉野と兄さんに、いつどこでどんな接点があったのだろう?と考える。  二人は一体、どんな関係なのだろうと。 「気持ちよく、してやるから」  兄さんは快楽に流されて、僕がこの部屋にいることなんて忘れてしまっているのだろう。  でも吉野は、ひょっとすると僕に聞かれてもいいと、思っているのかもしれない……。  そこから先、二人に会話は無かった。  ただただ、一彦兄さんの「あっあっ」と喘ぐ声と、吉野の「はぁはぁ」と乱れた呼吸が聴こえる。  肌と肌がぶつかり合う音と、グチュグチュという卑猥な想像を掻き立てる音が、添えられている。 「あっ、ゆ、ゆきや。もう、もう、イ、イクっ」  掠れた声が小さくそう告げ、吉野が動く速度が速くなる。  兄さんが気持ち良さそうな呻きと共に絶頂に達した時、僕はなぜか嫉妬心を感じる。  しばらくし、二人が服を着ているのが、布の擦れる音で分かった。 「いちひこ、幸せになれよ」  そう告げた吉野は、涙声だった。  再び薄目を開けると、立ち上がった二人が力強くハグしているのが見え、慌ててまた目を閉じた。  兄さんの声は聞こえないまま、ドアの開く音がしパタンと閉まった。  僕はもう眠気など感じなかったが、寝たふりを続けた。  それから一時間程経っただろうか。  白々しくモゾモゾ動いて、ふぁーと欠伸をして、たった今、目を覚ましたってフリをし、上半身を起こした。  吉野は炬燵に入り、漫画を開いていたが、まだ一巻のままだった。 「あぁよく寝た。吉野ずっとそこにいたの?全然気が付かなかったよ」 「よく眠れたならよかったです」  大丈夫、僕は自然に振る舞えている。  そう思ったけれど、吉野は真面目な顔をして、僕に言った。 「おかしな夢を見たのなら、それを忘れる為に、まじないでもしてあげましょうか?」 「え?」  僕はなんのことか分からない、というスタンスを貫いた。 ---  元旦の夜はまた宴会だったが、その宴に一彦兄さんはいなかった。  お節や、茹でたカニ、ちらし寿司がテーブルいっぱいに並んでいる。  酔った父が「そうだ郁三、面白いものがあるぞ」と、結婚式場のパンフレットを取り出してきた。 「ほらこれ、吉野くんだ。一昨年だったか、モデルが病欠で、カメラマンと知り合いだった吉野くんが急遽来てくれたことがあったんだ」  吉野は僕からしたら見慣れたタキシード姿で、そこに写っていた。 「格好いいね」 「だろ。タキシードがこんなに似合う男は、世の中そんなにたくさんはいないぞ」  僕はコクリコクリと頷く。 「これは、うちの衣装レンタルの仕事だ。一彦が担当になったばかりの頃だったかな。吉野くんの写真、好評だったのにもうやってくれんのか?」 「二度とやりません」  父の問いに、吉野はそう断言し、茹でたカニと格闘していた。

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