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第1話 予定にないサバイバル

俺はヤクザの一人息子だった。 みんな俺とは距離をとって、遠巻きに見る。 誰も一緒にいてくれない。 友達もできない。 俺が近寄るだけで、何をしなくても相手は勝手に泣く。 公園や学校に行っても避けられ怖がられるだけだから、行かなくなった。 だから普通にグレて、家の金でダラダラして生活するクズ人間にしか、ならなかった。 *** 「~~っ直知(なち)!」 「坊ちゃん!!」 そんな俺はある日、俺のお目付け役兼警護担当の直知と一緒に、二人で異世界転移とやらを果たした。 ただしそのことを認識したのは転移した次の日のことで、転移直後は自分たちに何が起きたのかわからなかった。 俺たち二人、渋谷の路地裏でぽっかりと空いた黒い空間に吸い込まれたと思ったら、次の瞬間には森の中にいたから、異常事態が起きたことだけはわかった。 「坊ちゃん、ここはどこですかね」 「俺が知るかよ」 「歩けますか? おんぶしましょうか?」 森の中で直知から心配そうに言われ、俺はピキ、と小さく額に怒りを浮かべる。 こいつ、未だに俺を、出会った当時の六歳児から歳をとってないとでも思っているんじゃねえのか。 出会ってから十四年経過した今、俺は二十歳だっつうの。 怪我も病気もしてねえのにおんぶして貰う二十歳が、どこにいるんだよ。 六歳年上の直知は、二十六。 あと三ヶ月で、二十七になるけど。 お前のほうがおっさんじゃねえか。 むしろおぶって貰うほうだろ。 「触るな、ひとりで歩ける」 差し伸べられた手を(はた)いて啖呵を切った手前、自力で歩くしかない。 しかし日頃の運動不足がたたって、情けないことに俺は、直ぐに歩けなくなった。 仕方がないだろ、行きたいところにはいつも直知が車で直接送迎してくれるんだから。 俺のせいじゃない。 俺は膝に手をつき息を整えながら、二メートルくらい先の斜面を歩く直知の後ろ姿を見上げる。 いつもは俺の後ろを静かについてくる直知が、俺の前を歩いていることに違和感を覚えた。 よくわからない場所だったから、どこへ向かえばいいのか、俺にはわからない。 だから、直知に任せた。 直知は、太陽の位置や苔の位置、高低差や獣道の観察をしながら、注意深く先導した。 「直知」 「はい、なんでしょう?」 「もう歩けない」 「わかりました。少し、休憩しましょうか」 直知は文句も言わずに辺りを見回すと、近くにあった岩に自分のジャケットを置く。 俺は当然のように、その上に座った。 「坊ちゃん、靴擦れはしていませんか?」 「ああ、まだ大丈夫だ」 「それなら良かったです」 靴擦れしているならお前のほうだろ、と思いながらちらりと直知の足元を見る。 直知は革靴で、俺はスニーカー。 歩き方も普通だから痛そうには見えないが、実際はどうだかわからない。 直知は脇腹を刺された時も、平気そうな顔をして俺に悟らせなかったから。 そんなことをぼんやりと思い出していた俺の目の前に、半分くらい水の入ったペットボトルがすっと差し出される。 「坊ちゃん、水です。鞄に入っていて良かった。ただし、一口にしてくださいね。いつ水飲み場を発見できるかわからないので」 「ああ」 本当は飲み干したかったが、直知に言われた通り、我慢して一口、少し多めに飲む。 ペットボトルを直知に返すと、直知はそのままそれを鞄にしまった。 「お前の分は」 「私はまだ、大丈夫です」 「飲めよ。お前が死んだら、俺ひとりで生きていける気しない」 それは本音だった。 こんな不測の事態に発狂しないですむのも、前へ進めるのも、直知がいるからだ。 だから水を飲むよう勧めるのも別に、直知のためじゃない。 俺のためだ。 「わかりました。では、我慢できなくなったら、飲みますね」 ただでさえ細い目をさらに細くして、直知は微笑む。 笑っていられるような状況じゃねえよ。 そう思いながら、通常運転の直知に、どこか安堵した。 やがて日が暮れ、俺たちは木の生えていない大きな岩場でその日の休息をとることにした。 逆に言えば、日が暮れるまで歩いても、何も見つけられなかったってことだ。 「坊ちゃんは、ここで休んでいてください」 「直知は?」 「近くを探索してきます」 「俺を置いて、いくな」 思わず直知の腕を掴んで、そう言ってしまった。 心細い、なんて気取られたくないのに。 直知は細い目を少し見開くと、小さな子供を安心させるように、掴んだ俺の手の上に自分の手を重ねた。 「大丈夫ですよ、坊ちゃん。水飲み場が近くにないか、少し周囲を探してくるだけです。必ず戻りますから」 「……ああ」 直知が、水を飲むふりしながら結局一口も飲まなかったことを、俺は知ってる。 でも、直知だって疲れてるのに。 「わかった」 「直ぐに戻ってきますね」 俺は頷き、立てた両膝の間に自分の顔を埋める。 俺みたいな使えない荷物は、置いて行いったほうが直知には都合がいいだろう。 この道中も、俺に体力がないから何度も休む羽目になって、ちっとも進まなかった。 直知ひとりなら、もっと自由に動ける。 だったらここで見捨てられたとしても、仕方がないのかもしれない。 直知がひとりで逞しくしぶとく生き残ることを想像して、少し笑ってしまった。 死にたいわけじゃないが、それならいいかと、少し思えた。 直知が戻って来るまで寝るつもりはなかったのに、余程疲れていたのか、俺はそのままあっという間に夢の中へ旅立ったらしい。 *** ――翌朝起きた俺は、ペットボトルいっぱいの水を飲ませて貰えた。 どうやら直知は昨日、岩の裂け目から清水が沸き出していた場所を見つけたらしい。 それは今まで飲んだどんな高級な水よりも、美味しかった。 「ああ、生き返る。よく水飲み場なんて発見できたな」 「雨が降っていないのに、途中から道が湿っていましたよね。湿っている部分をたどっていくと、近くに湧き水のある可能性が高いんですよ」 「へえ、そうなんだ」 「戻って来たら、坊ちゃんはぐっすり眠っていましたね。まだどんな生き物が生息しているのかもわからないので危機管理的にはどうかと思いますが、それくらい神経の図太いほうが、現状ではいい気がします」 「悪かったよ」 直知は俺が寝ている間に、近くの水飲み場以外に、小屋らしいものを発見したらしい。 一山越えた辺りにある遠くの小屋は、薄暗いだけの山中に灯りが光って見えたから、逆に気づけたそうだ。 「今日はひとまず、もう一度ペットボトルいっぱいに水を汲んでから、その小屋へ向かいます」 「わかった」 二日目も、直知の先導で俺たちは山歩きを開始した。 水を確保できた分、昨日よりは多少、心のゆとりがある。 しかし休憩中、直知は足元の雑草や周辺にある木を見ては、微妙な表情を浮かべていた。 「直知、どうかしたのか?」 「いえ、ここは本当にどこなのかと思いまして」 「ああ、足元の穴に落ちたから、地球の反対側にでも来てたりして」 冗談のつもりでそう言ったのだが、直知は真面目な顔をして「日本の地球の反対側は、そのほとんどが南アメリカ大陸沖の大西洋上になりますよ」と言った。 そういう話、してない。 「なんで改めて、そんなこと考えてるんだ?」 俺たちがどんなに考えたって、この摩訶不思議な状況を説明できるわけないのに。 真面目な直知は、納得できる答えを探していたってことか。 「ここには、私の知っている植物がひとつもないんですよ」 「へえ……?」 「ひとつくらい、生食ができる植物が生えていてもおかしくはないと思うのですが」 そう言って直知は、「野草だけでなく、木もそうなんです。見たこともない木です」と笑顔を浮かべる。 「杉とかじゃねえの?」 「違いますね。日本の森に生えている木ではない気がします」 俺には全くわからない。 流石にマングローブくらい違えば、気づけたんだろうけど。 「じゃあなんだ、ここは日本じゃないってことか?」 「まだ、わかりません。確信が持てないので先送り……ですが」 直知は、俺を真っ直ぐに見て言った。 「これから向かう小屋も、直ぐに近づかずに様子を見ながらどうするか決めましょう」 普通、遭難したら近くの家に助けを求めるもんじゃねえの? そう思ったけど、言えないまま頷いた。 直知の鋭い目つきに、自分が誘拐されそうになった時のことを、思い出す。 つまり事態は、それくらい深刻だということだった。

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