2 / 4

第2話 謎の言語

俺たちがその小屋の傍まで辿り着いたのは、お昼過ぎのことだった。 「昨日灯りが付いていたので人は住んでそうだと思いましたが、やはりいそうですね。洗濯物が干してあります」 「ああ。住んでいるのは二人、かな」 木と木を繋ぐようにロープがジグザグに張られ、そこに男物のズボンが二着、男物の上着も二着、そしてシーツやタオルと思われるものが数枚掛けられている。 「でもさあ、あれ……着ている物が、道着っぽい?」 ズボンや上着の形状が、まるで道着のようだった。 道着は普通白だけど、それが色鮮やかになった感じ。 「トルコ……いや、モンゴルなんかの騎馬民族の衣装に似ていますね」 やっぱりここは、日本じゃないのかもしれない。 けど、変わった衣装を着るのが好きな日本人が住んでいる可能性もある。 そうだ、コスプレする人とか。 ……こんな森の中で? 「しかし、特に物音はしませんね。もしかすると、家を空けているのかもしれません」 「直知、どうする?」 「私が様子を見て来ますので、坊ちゃんはここにいてください」 「わかった」 直知は音を立てないように、慎重に小屋のほうへ近づく。 俺は息を殺して、木陰からその様子をじっと見ていた。 直知はガラスの張られていない窓からそっと中を覗くと、今度は玄関と思われる扉の前に立って、ノックをする。 返事はないようで、ドアの取っ手と思われる縦方向に伸びた棒に手をかけると、そっと引く。 鍵がかかっていなかったのだろう、その扉は普通に開いた。 小屋の中に入ることはないまま、直知はそのまま一度小屋から離れ、俺の方を見る。 にこりと笑ってこちらに手を振ろうとした直知が急に鋭い目つきをしたかと思えば、「坊ちゃん!」と叫んだ。 え? ぐいっと首に腕を掛けられ、同時に片腕を拘束される。 後ろに引っ張られるようにして、立たされた。 俺は窒息しないよう、自由なほうの手を、首に回された腕に引っ掛ける。 「شكون نتاو!」 苦しい。 息が出来ない。 後頭部で顎を攻撃しようとしても、腕がキマっていてびくともしない。 力の差が歴然で、手で腕を外そうとしても、無理だった。 「شكون كيدير شنو فالكوخ ديالنا!?」 やっぱり日本語じゃない。 何を言っているのかわからない。 でも、俺の後ろにいる人間が恐らく小屋の持ち主で、俺たちに警戒して何かを言っていることだけはわかった。 知らない言語なんだから、俺たちは説明すらできない。 そんな俺たちのことを警戒している後ろの人は、果たして助けてくれるのだろうか? いや、むしろ下手をすれば、死……! ぎゅっと目を瞑った俺の脳裏に、最悪なパターンがよぎる。 「سمح لينا، حنا ماشي شي ناس مشبوهين」 「شنو كنتي كتدير هنا?」 「حنا في حالة اضطرار」 「واش فعلا هاد الشخص تاه?」 「بغيت شي حد يعاونني، قربت للكوخ」 ……え? 俺の首を絞めていた腕が少しだけ緩まり、呼吸も楽になる。 普通に交わされ始めた会話に、俺はそろ、と目を開けた。 どうする? 今のうちに、踵で男のつま先を踏んで、逃げることが出来るかもしれない。 しかし、後ろの男と会話していたのは、直知だった。 知らない言語。 直知の目は俺のほうを向くことなく、真っ直ぐに男に向けられている。 特に合図もない。 「ماشي حرامي?」 「لا」 「واش غير جوج اللي كاينين?」 「نعم」 「……فهمت، غادي نآمن بيه دابا。إلا درتي شي حاجة غريبة، غنموت هاد الولد」 「سمح ليا إلا فاجأتك」 直知と話はついたのか、後ろの男が俺の首に回していた腕を離す。 「坊ちゃん、大丈夫ですか?」 「ああ、大丈夫だ。それよりも、直知」 「ماتستعملش لغة مشبوهة」 俺たちの会話に、男が口を挟んできた。 その言葉を聞いて、直知は細い目を少し見開く。 「……واش نتي ما كتصرفيش على الكلام ديالي وكلامو?」 「مستحيل نقدر نفهم」 直知は今度は俺に向かって尋ねた。 「坊ちゃん、彼の言葉がわかりますか?」 「わかるわけねーだろ。直知、何語で話してるんだ?」 「……日本語、です」 「は? いや、さっきから、変な言葉で話してるけど」 俺が言うと、直知は少しだけ、途方に暮れたような顔をした。 *** 俺の首を絞めていた男性は、四十代くらいの男性だった。 こんな出会い方をしていなければ、顔は多少強面だけれども気のいいおじさん、という印象を持てただろう。 威勢のいい八百屋のおじさんとかラーメン屋の店主とかのイメージだ。 男は直知を小屋の奥へ追いやると、距離をとったまま俺をイスに座らせた。 両腕を後ろに回され、そのままロープで固定される。 どうやら、人質という扱いのようだ。 不意を突かれた先ほどとは違い、今だったら逃げようと思えば、逃げられる。 しかしやはり、直知に目配せを送っても、なんの合図もない。 どうやら直知はひとまず、男と乱闘ではなく対話をするつもりのようだ。 だったらそれに、従うだけだ。 「申し訳ないですが、坊ちゃんはしばらく黙っていてください。私が話します」 「わかった」 男と話せない俺には、何もできない。 俺はただひたすら二人の会話を邪魔しないよう、無言を貫いた。 そろそろ小一時間経っただろうか。 それが二時間にも三時間にも感じられる中、もう一人の男性が帰宅した。 強面の男性よりも少し小柄で、背中に籠を背負っている。 「رجعت~」 「مرحبا برجوعك」 「سمح لي على الإزعاج」 「تصدقتي。شنو كديري?」 「كيبان بحال شي واحد تايه」 「شنو كتدير، تربط الناس اللي مضايقينهم!」 少し小柄な男性は強面の男性に何かを叫ぶと、俺を縛っていたロープを外してくれた。 「لا باس?」 「大丈夫です、ありがとうございました」 何を言われているのかはわからないけど、お礼を伝えて頭を下げる。 彼らの縄張りに侵入しているのは、明らかに俺たちのほうだ。 「ما فهمتش شنو كايهدر。غادي نوجد الشاي دابا」 ロープを片付けた小柄な男性はそのあと台所に立ち、ヤカンのようなもので湯を沸かしながら大柄な男に何か言った。 「خلي حتى هو يقلس معاكم」 「آه.。هاه، جلس تماك」 「شكرا」 「آه كتقدر تهضر」 小柄な男性の登場で、殺伐とした雰囲気は一変した。 部屋の中のイスは二つしかないのに、彼はまず直知も座らせてくれた。 そのあと一旦外に出ると、外にあったらしいベンチ椅子を中へ運び、自分たちが座る場所を確保する。 そしてテーブルを挟んでそれぞれの着席する場所に、お茶らしきものを置いてくれた。 俺と、多分直知も、お礼を伝える。 「ありがとうございます、いただきます」 「شكرا، بصحة والراحة」 そして今度は二人ではなく、男性二人と直知の三人で話し合った。 先ほどまでとは打って変わって、和気あいあいとした雰囲気にホッとする。 話せない俺に、たまにその小柄な男性のほうが申し訳なさそうな顔で「راحي فراغ، سمح ليا」と声を掛けてくれた。 そして直知が何かその小柄な男性に声を掛けると、その小柄な男性はパッと顔を輝かせ、俺の前に大量のどんぐりらしきものが入った木のボウルを置く。 これは、もしかして。 「坊ちゃん、殻剥きでもして、点数を稼いでください」 「仕方ねえな。わかった」 小柄な男性が手本を見せてくれ、俺は道具を借りて見様見真似で同じことをやってみた。 「كتعرف ديرها مزيان!」 ニコニコとしながら、小柄な男性が両手の人差し指をちょんちょんとくっつける。 多分、褒められた。 そして俺は、彼らの会話が終わるまで木の実の殻剥き作業に没頭したのだった。 ▼謎の言語通訳▼(知りたい方だけどうぞ) 「お前たちは何者だ!」 「俺たちの小屋で、何をしていた!?」 「すみません、私たちは、怪しい者ではありません」 「ここで何をしていた?」 「私たちは、遭難者です」 「本当に遭難者か?」 「助けてもらいたくて、小屋に近づきました」 「強盗じゃないんだな?」 「違います」 「二人だけか?」 「はい」 「……わかった、ひとまず信じよう。もし変なことをすれば、この子どもを殺すからな」 「驚かせて、すみません」 「怪しい言語を使うな」 「あなたは、私と彼の言葉がわからないのですか?」 「わかるわけがないだろう」 「ただいま~」 「お帰り」 「お邪魔しています」 「驚いた。何しているの?」 「遭難者らしい」 「遭難者を縛り付けるなんて、何してるの!」 「大丈夫?」 「なんて言ってるのかわからないや。とりあえず、お茶淹れるね」 「そっちの彼も、座らせてあげなよ」 「ああ。おい、そっちに座れ」 「ありがとうございます」 「君は話せるんだね」 「ありがとうございます、いただきます」 「暇だよね、ごめんね」 「上手だよ!」

ともだちにシェアしよう!