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第3話 不必要な存在

現地の言葉が話せる直知のおかげで、俺は夕飯も寝床も確保することが出来た。 寝床はデリックさんとマークさんがそれぞれ使っている大きなベッドを片方使わせて貰えるらしい。 感謝しかない。 小屋の中で話すと迷惑になるかもしれないので、直知に誘われ小屋の外に二人、満点の星空を見上げながら直知が仕入れた情報を聞かせて貰った。 直知が謎の言語で話すことができたり、夕飯に出てきた肉が兎に鬼のような角が生えているのを見なければ、はっきり言って俺を騙そうとしていると勘違いしてもおかしくない内容だった。 結論からいえば、ここは日本ではない。 それどころか、地球ですらないところらしい。 俺たちみたいな、いきなり他の世界から人がやってくることはこの世界では当然珍しいことではあるし、そうした異世界人とは一生会うことがない人は圧倒的に多いものの、たまに耳にする話であるそうだ。 俺たちみたいな人間は召喚もしくは次元の狭間とやらに落っこちてこちらの世界へやってくるらしく、現地の言葉を理解することができるという。 「じゃあ、直知にはあの人たちが日本語を話しているように聞こえるってことか?」 「ええ、そうですね」 俺の質問に、直知はこくりと頷く。 直知からしてみれば、俺に向けて日本語を話すのと同様、彼らとも日本語で話しているようだ。 もしかしたら、直知が誰に向けて話しているかという意識次第で、現地語か日本語かになるようなのだが、その境は本人でははっきりしないという。 「なぜ坊ちゃんが現地の言葉を理解できないのかはまだわかりませんが、私が傍におりますのでそんなに心配しないでも大丈夫ですよ」 「ん……」 俺は頷いたが、胸には大きな不安が渦巻く。 この世界で直知の傍を離れれば、俺は帰る場所すらない、迷子のようなものだ。 体座りをしたまま、ぎゅ、と自分の両腕を握り締めた。 小屋に住んでいる大柄な男性はデリックさんで、小柄な男性がマークさん。 この森の管理を仕事にしている人たちらしく、異世界人についても詳しくないので、もう少し大きな街へ行ってみてはどうかと勧められた。 彼らもこの小屋に常駐しているわけではなく、夏場だけ小屋を拠点として働いているとかで、冬じゃなかっただけ、俺たちは運が良かったようだ。 ついでにこの辺りの森は管理されているから危険な肉食獣がいないだけで、管理されていない山では凶暴な動物がたくさんいるらしいから、その辺も助かった要因のひとつらしい。 「彼らも生活がかかっていますので、一週間後でよければ、一番近い村まで案内してくれるそうです」 「わかった」 どうやらその村のほうが彼らの本宅があるらしく、村でもデリックさんとマークさんは一緒に暮らしているそうだ。 「ふたりは兄弟なのか?」 あまり似てないけどな、と思いながら尋ねると、直知は首を横に振った。 「夫夫(ふうふ)だそうです」 「……え?」 「この国では、同性婚も当たり前だそうで」 「そ、そうなのか……!」 いきなり異文化に触れて、動揺する。 だからあの二人、やたら距離が近かったんだな、と今さらながら納得した。 そして四十代だと思っていたデリックさんは三十代前半で、マークさんは二十代後半の、直知より年上だった。 「坊ちゃん、明日から私はデリックさんの仕事を手伝います。坊ちゃんはマークさんの仕事を手伝っていただいても構いませんか?」 少し俺の顔色をうかがうように、申し訳なさそうに直知が尋ねてくる。 家でダラダラニート生活を送っていた俺、当然ながら何もできない。 実家の家事は住み込み家政婦の十和子さんが全てやってくれていたし、バイトでもパートでも家業の手伝いでもなんでも、外に働きに出てお金を稼いだことは一度もない。 だから直知は、心配しているのだろう。 「仕方ねえな」 ここは日本じゃない。 カードを出したりスマホを翳したりすればいい世界ではなく、ここでの通貨は一銭たりともなく、まさに無一文というやつだ。 その時玄関の扉が開いて、マークさんが俺たちに声を掛けた。 「ナチ、ボッチャン、يلا ندخلو للدار دابا」 「نعم。坊ちゃん、そろそろ家の中に入りな、だそうです」 「直知」 「はい、坊ちゃん」 「ここではもう、坊ちゃんって呼ぶな」 マークさんの中で、俺の名前が「坊ちゃん」になっている。 「それもそうですね。では穂積(ほづみ)、明日は朝早いらしいので、もう寝るそうですよ」 「ああ、わかった」 いきなり呼び捨てされ、少し驚く。 でもそうか、直知のほうが年上だし、この世界に俺の家……というか、実家はない。 だったらお互いに呼び捨てが、一番妥当なのかもしれない。 日本ではどれだけお願いしても、直知は俺の名前を呼んでくれなかった。 初めて呼んで貰えて、じんわりと胸に喜びが広がる。 たったそれだけのことなのに、この世界に来て良かった、と少し思った。 マークさんは、地球にはない不思議な光る石に、その光を遮るカバーを被せて部屋の中を暗くした。 俺と直知は、一台のベッドに二人、横になる。 男二人が横になっても、少し狭いと思う程度ですむ、広いベッド。 俺は壁と直知に挟まれ、壁のほうを向いて寝に入 背中に感じる温もりが、懐かしかった。 出会った当初は、夜になるとしょっちゅう直知を呼びつけたり、直知の布団に潜り込んで、一緒に寝かせて貰っていた。 その頃は優しく抱き締めてくれる直知に、しがみついて寝た。 だから未だに、直知は俺を六歳児扱いするのだろう。 今となっては、黒歴史でしかないが。 直知は十二歳の時、親の借金のせいでヤクザの屋敷に来る羽目になった。 直知に与えられた仕事は、当時六歳児だった俺の相手役。 俺は政略結婚をした本妻の子どもだったけど、母が家庭内別居するようになってからは特に、親父も愛人と愛人の子どもだけに夢中でほとんど本邸に寄り着くことはなかった。 そちらは堅気だったが、親父にとってはそっちが本当の家族だったのだろう。 そして親父に目を掛けられない俺に、誠意を尽くす大人なんていなかった。 家の外ではヤクザの子どもと言われて避けられ、家の中でも相手をしてくれる人間がいない俺。 それでもまだ小さい俺には、世話役が必要だった。 だから直知は、俺という面倒事を押し付けられたのだ。 俺はそんなことにも気付かず、ずっと傍にいてくれる直知にべったりで。 直知だけが全てで、直知がいなければヒステリーを起こし、直知の周りにいる同級生に威嚇するような、そんな可愛くない子どもだった。 直知が親父の金で高校に行かせて貰えたのは、純粋に頭が良くてもったいないからだ。 しかし、大学にも行かせたほうがいいという俺の説得は全く聞きいれて貰えず、高校卒業後は車の免許を早々に取らされ、親父のあくどい仕事を手伝いながら、俺の身の回りことを全てやってくれていた。 その上で自力で税理士だか行政書士の資格を取るのだから、ある意味大学なんか行かなくてもいいという親父の判断は正しかったのかもしれない。 直知は俺にとって、魔法のランプの精のような奴だ。 なんでもできるし、なんでも与えてくれる。 学校に行きたくないと言えば親父を説き伏せたし、セックスがしたいと言えば女を見繕ってくれたし、どこへ行きたいとか何をしたいとか何を食べたいとか、どんな我儘を言っても文句ひとつ言わずに全てを叶えてくれた。 直知がいれば、俺は特別な人間になれた気がした。 直知は俺の傍を離れないという絶対的な自信があった。 借金というものに縛られた直知には、俺の傍以外、帰る場所がなかったから。 ――今の俺が、直知から離れられないのと同じように。 なんで俺が、現地の言葉を理解できないのか。 直知はその理由がわからないと言ったけど、俺にはわかった。 この世界に「呼ばれた」のは、直知だった。 直知の足元にぽっかりと穴が開いて、直知が俺の傍からいなくなる、と思った瞬間、無我夢中で手を伸ばしてしまったのだ。 俺は直知についてきてしまった、オマケみたいなもので。 だから、呼んでもいない俺に、この世界は現地語を理解する能力を授けなかったのだろう。 向こうの世界でも、こちらの世界でも、必要とされていない存在。 それが、俺だった。

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