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第4話 小屋での生活

翌日、日の出と共に起こされた。 まだ眠たくて瞼が落ちたが、風呂代わりの清拭をして必要以上に目が冴えた。 直知はデリックさんに、俺はマークさんに着替えを借して貰えることになったらしい。 着替え方を教わりながら、初めて異世界の服に袖を通す。 少しチクチクする感じはするけど、着心地は悪くなかった。 伸縮性はあまりないかわりに生地がしっかりしていて、棘や枝で怪我をする機会は減りそうだ。 スープに少しだけ具が入ったような簡単な朝食をすませると、直知とデリックさんが斧のようなものを持って山へ入って行くのを見送った。 俺はマークさんと一緒に、まずは身の回りの家事に精を出す。 食器洗いに、洗濯。 食器は陶器やガラスじゃなくて全て木でできていたから、割ることもなくてホッとした。 洗濯は昔の日本のようにタライでごしごしするのかと思えば、たっぷりと水の入った樽のようなものの中に小さな石を二つ入れてただけだった。 マークさんが何か説明してくれていたけど、当然俺にはわからない。 そしてその樽から離れていったので、俺もそれについて行った。 どうやらその樽は放置でいいようだ。 それが終わると籠を渡され、二人で野草やら枝やら木の実拾いを開始した。 マークさんは、拾うべきものを実際に摘んで、俺に見せてくれる。 俺はそれっぽい草を拾うけれども、途中でマークさんが俺の拾った野草を選り分け、その片方を捨てていた。 どうやら似たような見た目の、いらない草まで摘んでいたようだ。 その違いをマークさんが再び指先で示してくれて、俺は頷く。 物凄く小さな違いだけど、草の先端がギザギザしているほうは拾わないでいいらしい。 それと、毒だか何かで、触ってはいけない草についても教えてくれた。 「ボッチャン」 「穂積です」 一応名前を訂正しながら、マークさんの手招きっぽい仕草に呼ばれて、近寄る。 マークさんは一つの葉っぱを指差し、片方の手でそれに触れるような仕草をすると、もう片方の手でその手をぺチン、と叩いた。 そして、首を横に振る。 首を横に振るのと首を縦に振るのは、日本と同じジェスチャーだと直知が教えてくれていて助かった。 俺は「わかりました」と言いながら、首を縦に振る。 小一時間ほど山で色々拾って、小屋に戻る。 マークさんは背負っていた籠を小屋の中に置くと樽のほうへ行って洗濯物を取り出し、それを干しはじめた。 どうやら洗濯が終わったらしい。 俺の目にはもう、その樽が洗濯機にしか見えなかった。 見よう見まねで洗濯物を干すのを手伝う。 ジグザグになったロープに引っ掛けるようにして干すと、洗濯ばさみの代わりにしっかりした小枝二本で洗濯物を挟むようにして固定した。 「ボッチャン、شكرا」 「穂積です」 「ホヅミデス、شكرا」 言い直していた甲斐は、あったらしい。 俺の名前は「ボッチャン」から「ホヅミデス」に変わった。 *** 俺とマークさんが昼食の準備をしていると、興奮したようなデリックさんの声が外から聞こえてきた。 「رجعت、マーク、ボッチャン! هاد الراجل عجيب بزاف! ضرب الغزال بالكاد وتفوق عليه حتى طاح مغشي عليه!」 「مرحبا بيك、デリック、ナチ。واو، غزالة كبيرة。وما كاين حتى فخ، ومع ذلك قدرتي تصيّدو!」 マークさんと二人で外に出れば、そこには立派な鹿モドキが寝転んでいた。 血は出ていないみたいだから、気を失っているだけのようだ。 マークさんとデリックさんはニコニコして、何かを話し合っている。 「直知、お帰り。これ、どうしたんだ?」 「たまたま捕まえました」 「そうか。珍しい生き物なのか? デリックさんがとても喜んでいるみたいに見える」 「罠なしで捕まえたのが、凄いようですよ」 「お前が捕まえたってこと?」 「蹴っただけです」 「ああ、お前の靴、色々仕込んであるからな」 普通の靴に比べてとても重たいし、爪先や踵で人が簡単に殺せるくらいに硬い。 当然ナイフも入っているので、ある意味サバイバル向けかもしれない。 直知が捕まえた鹿モドキはどうやら毛皮を剥いで、ご馳走になるようだ。 生肉でも食べられるくらいに新鮮で、生き血も飲めるらしい。 生き血はご遠慮したが、生肉のほうはいただいてみた。 普通に、美味しかった。 直知とデリックさんが午後も山へと作業に戻り、俺とマークさんは小屋に残る。 マークさんは鹿モドキを捌く処理をしていて、俺はそれを見学させて貰った。 肉を部位ごとに分け、骨は切り株の上に並べておく。 あとで直知に確認したところ、どうやら鳥が数日でその骨を綺麗にしてくれるらしく、骨は乾燥させたあと色々な物に加工することで、まだまだ利用価値があるという。 こうして鹿を捌くというイレギュラーな仕事を片付けたあとは、乾いた洗濯物を取り込んで畳んだり、山へ再び今度は茸を採取しに行ったり、夕飯の準備をしたりして過ごした。 *** そんな毎日を送っていると、あっという間に一週間が経過した。 毎日の発見で一日は長く感じられるのに、不思議だ。 小屋暮らしは不便だし、テレビもスマホもなくて自然しかないのに、とても楽しかった。 毎日ダラダラ死んだように生きて時間を費やしてきた日々とは違って、「生きている」気がした。 俺は特に、マークさんにお世話されっぱなしだった。 直知以外の人からこんなに構って貰ったのは、家政婦の十和子さん以来だ。 「直知、マークさん知らない?」 小屋での最終日。 鹿の角で作ったお手製のネックレスをマークさんにプレゼントしようとしたが、小屋の中にも外にもいなかった。 「ああ、さっきデリックさんと外に出て行ったが、その辺にいないのか?」 「ああ、いない。もうそろそろ日が暮れるのに……」 デリックさんと一緒なら大丈夫だろうが、心配だ。 言葉は通じなくても、マークさんの朗らかで温かな人柄に、俺はすっかり懐いてしまっていた。 あまり近づくとデリックさんに睨まれるから距離は保つようにしているが、小さい頃から「友達」というものを作れなかったせいか、マークさんにそれを求めてしまっている自覚はある。 直知は俺を気にかけてくれる「身内」ではあったが、「友達」ではなかったから。 俺はもう一度外に出て、小屋が視界に入るほどの距離で森の中を歩く。 直知が後ろに着いて来てくれていた。 そして直ぐに、獣道から少し離れた場所で、見慣れた二人のカラフルな服を発見する。 「あ、あそこに二人が……」 「しーっ」 手を挙げて二人に声を掛けようとした俺の口を、直知が掌で塞ぐ。 「今は取り込み中みたいなので、声は掛けないほうが良さそうですよ」 「え? 喧嘩でもしてる?」 なら尚更声を掛けたほうがいいんじゃないか。 そう思いながらもう一度二人を見ると、マークさんは木に手をつくようにして上半身を折り曲げ、デリックさんはその後ろからマークさんにぴったりと寄り添っていた。 マークさん、気持ち悪いのか? 一瞬心配になったが、二人の動きに違和感を覚えてやっと気付いた俺は、ぱっと真っ赤になったであろう顔を背けた。 手っ取り早く言えば、二人は行為中だったのだ。 「戻ろう、直知」 「ええ、そうしましょう」 俺と直知は無言で足早に、小屋へ戻った。 二人はカップルだと理解はしていたのに、身体の繋がりがあることまでは理解していなかった。 「お二人は夫夫なのに、私たちのせいで一週間も禁欲生活を強いられましたからね」 申し訳なさそうに、直知が言う。 「そうだな。明日以降、気を付けよう」 小屋から村までは、一週間かかると聞いている。 友達が出来たみたいでマークさんにくっついてしまっていたが、自重しなければ。 「なあ、直知。これってマークさんにあげても問題ないと思うか?」 俺は直知に尋ねた。 「手作りのネックレスですか。この国は同性婚が認められているので、好意があると勘違いされてもおかしくはないかもしれませんね」 「うーん、そうか」 感謝を込めて作ったが、やはりやめておこう。 デリックさんに、恨まれたくはない。 「じゃあ、直知、貰ってくれるか?」 俺はずいとそれを直知に差し出した。 「……私に、ですか?」 「考えてみれば、マークさんよりもよっぽど世話になってるし」 他人にあげる予定だったものをあげるのは失礼だと思うが、本当は二カ月と三週間後にもっと凝った物を直知には渡す予定だったのだ。 マークさんには三日くらいしか時間が残されていなかったから、先にそちらを優先しただけで。 「ありがとうございます、ではいただきますね」 「ん」 直知が笑顔でネックレスを受け取ったことに、俺は少なからず驚いた。 直知は俺がどんなに高級な物をプレゼントしても、それこそ車をあげても、喜んだことがなかったから。 指を怪我してでも作った甲斐はあったな、と思いながら、その日は温かい気持ちで眠りについた。 「ホヅミ、واش نوجد نتوكلو على الله ونمشيو」 「はい、マークさん」 名残惜しさすら感じる小屋を一度振り返って、瞳と脳裏に焼き付ける。 俺がこの世界に来て、一番初めにお世話になった場所。 そして一番初めにできた、知り合い……友達だと、思いたい。 「ホヅミ、غادي نخليكم!」 「すみません、デリックさん!」 とりあえず俺の名前はこの一週間で、「ホヅミデス」から「ホヅミ」になった。 ▼異世界語通訳▼ 「ボッチャン、ありがとう」 「ホヅミデス、ありがとう」 「ただいま、マーク、ボッチャン! こいつは凄い奴だ! 鹿を蹴りだけで昏倒させた!」 「おかえり、デリック、ナチ。うわあ、大きな鹿。罠もないのに、よく捕まえたね」 「ホヅミ、そろそろ行こうか」 「ホヅミ、置いて行くぞ!」

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