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〖プロローグ〗1

               ――僕はどこかの椅子に座り、目をつむっている。      僕の名前は……――そう…僕は天春(アマカス) 春月(ハヅキ)――ハヅキだ。    まぶた越しにこの場所の明るさがわかる。  ぽかぽかとあたたかい。春の日の心が(なご)むような穏やかなあたたかさだ。    そしてこの(にお)い、この甘い花の匂い――少しだけ葡萄(ぶどう)の果実のような、さわやかながら甘いこの花の匂いは――そうだ、これは(ふじ)の花の匂いだ。      僕は目を…そっと開けた。     「……、…」    よく晴れた日本庭園らしい場所だ。前方に見えるそこは春の昼間の陽気をうけて明るい。  しかし僕は今、木かげのような少し薄暗い場所にいる。――ふと見上げると絢爛(けんらん)な藤の花、短長まばらな長さの不ぞろいの短いカーテンのような藤の花が見える。…その藤の花は強いまばゆい日差しに照らされ、一房(ひとふさ)もつぶつぶと小さい薄紫色の花びらのところどころがより薄く白っぽい薄紫、または陰ってより濃い紫と、あでやかな濃淡が生まれている。  その華やかな藤のカーテンが生あたたかい春風にそよいで波打つと、垂れてはゆらぐ花の房の隙間(すきま)からよく晴れた青空が垣間(かいま)みえ、ちらちら、はらはらと薄紫の花びらが舞い落ちる。  その風に乗って濃くにおい立つ、この甘く華やかな藤の香りは、その花がやや強い日差しに熱されているせいかもしれないし、あるいは今の春風がその匂いを周囲にひろげ、僕の鼻によりたしかに届けてくれたのかもしれない。    そうか――。  僕は藤棚の下のベンチか何かに座っているのだ。    ちなみに前方には大きな綺麗(きれい)な池が眺められる。  岩の囲いのなか、その透きとおった水面を横から見るに、赤やまだらや白やの大きな(こい)が数匹ゆったりと泳いでいるように見える。その優雅な池の岩の周りを青々とした草や小花が囲っている。白い(はね)の小さい紋白蝶(もんしろちょう)や、黄色の紋黄蝶(もんきちょう)が数匹小花あたりをのどかに飛び交っている。  ホーー…ホケキョ、…(うぐいす)甲高(かんだか)く鳴いた。――さらにその池の奥、遠くには横に広がった豪邸といえる、お寺のような荘厳(そうごん)な日本家屋がある。人影はない。 「…………」    そうだ、そう…これはまた()()()――。  僕は今夢の中にいるのだ。つまり僕は今、ほんとうは眠っている。――僕はふしぎと、この夢を幼い頃から何度もくり返し見てきた。  それこそ何度も何度もこの夢をくり返し見てきたばかりに、あるときから僕は、この夢を見るとこうして『今僕は(またこの)夢の中にいるんだな』と認識するようになったのである。  ――僕はすっと立ち上がる。    そして何歩か前に歩き、しかし藤棚の下からは出ないまま…――そっと後ろにふり返る。   「……へへ…、……」    やっぱりいる。と僕はニヤけた。    いつもそうなのだが――今度も僕は()()、この()()()()()()のとなりに座っていたのである。    僕のこの夢には必ずこの二人が出てくる。  ちなみに、このあとこの超絶美青年たちは非常に尊いキスしますからね、いや本当にキスしますから、本当ですから。――それも大概のお腐れファミリー(腐女子はもちろん貴腐人、腐男子から腐紳士に至るまでの全お腐れ兄弟たち)がきっと大好きな、ちょっと悲恋っぽいせつなーい感じのキスである。    一人は驚くほどに肌の真っ白な、黒髪のストレートロングの勝ち気そうな猫顔の美青年――なにか神秘的な、平安時代の狩衣(かりぎぬ)(着物)のような、しかしその狩衣をアニメやゲームチックに改造したような、少し特殊な白基調の和服を着ている――どことなく中性的な美貌の彼は、いま藤棚の下の木製のベンチに座っている。    この彼の今伏せられている長い黒いまつ毛のキワには、あざやかな赤いアイラインが引かれている。  そして彼の優美な長い直毛の黒髪は、そのシルクのような艶が上品な紫いろをしている。後ろ髪は彼の腰の下まであるようだ。そして前髪は真ん中わけ、僕から向かって右側の前髪は根本から立ち上げられて毛先が眉尻や頬にかかっているが、もう片方はこめかみを(おお)うように耳のほうへ流されている。彼の白い額や切れ長の両目はさほどその前髪に隠れていない。  また彼の白い眉間(みけん)上には「()(どもえ)」といって、神事(しんじ)に使われる和太鼓(わだいこ)などにもよく(えが)かれている、円形の中に三つの勾玉(まがたま)が組み合わされたような紋様(もんよう)が浮かんでいる――ただしその勾玉のなかは塗りつぶされておらず、青い輪郭(りんかく)線だけ、そしてその青い輪郭線のなかそれぞれにまた小さい赤い勾玉が描かれている(この赤い勾玉は丸い穴が空いている)――。    そしてもう一人の美青年、色白の美青年にあお向けでひざ枕をされて目をつむっているこのどこかエキゾチックな美青年は、ほのかに薄紫がかった銀髪、そのゆるゆるとウェーブがかかった長髪と――背中の下に()いては痛むからだろうか、えり足から折り返して、そのゆるく波打つ銀髪をベンチのほうに広げている――、そして、褐色よりは明るいなめらかなあめ色の肌をもつ、パッと見外国人にも見紛(みまが)うような彫りの深い精悍(せいかん)な美青年だ。    彼は頬まである前髪を完全にまん中わけにしている。…その濃い目の灰の凛々しい眉、彫りの深い眉骨のしたのうすいまぶたは今完全にとざされ、その青年の長い銀のまつ毛の先が少しそり返っているのがわかる。きれいな二重まぶたのキワには青いアイラインが引かれている。――彼の珊瑚(さんご)色の形のよい唇は、見るに力が抜けてふっくらとやわらかそうなわり、その口角がほんのわずか上がっている。  この青年も少し特殊な狩衣のような、赤基調の着くずした和服を着ている。彼のほうは首から木製のこげ茶の数珠(じゅず)のネックレス、右の手首に赤い数珠のブレスレット、左足首にもオレンジの天然石の数珠アンクレットと、色白の彼にくらべてエキゾチックな装飾品が多い(ファンキー・ヤンキー・僧侶…みたいなイメージが湧いてくる…)。  ……また彼のあめ色の眉間上にも三つ巴の紋様があるが、彼のほうは色白の青年と逆、赤い輪郭線のなかに青い勾玉が入っているデザインのものだ。     「……ふふ…、……」    と色白の美青年が、愛おしげにあめ色肌の美青年の寝顔を見下ろしてほほえむ。――彼の白く長い指はしきりにあめ色肌の美青年の、そのベンチにひろがった長い銀髪をすいている。  安らかに眠っている美青年の、つやのあるあめ色の肌には藤の花のぽつぽつとした影が落ちている。藤の花が風に揺れるたび、その影もまた彼の顔をやさしく撫でる…――。    てかこのエキゾチックな美青年のほう――実は僕の「()し」にそっくりなんだよなぁ……。   「……、…」    そりゃあ僕の本物の「推し」のほうにおいては、――僕が彼に「ガチ恋」しているというのもあってか、――どうも「そういう目」で見られないほど神聖視してはいるんだが、…ひとたび「これは推しではない(そっくりさんだ)」という要素が加わるとこう、やっぱり推しの良すぎる顔面で()()()()()()()といいますかね……。  なんだかこう…この美青年二人はこう妙に神々(こうごう)しいというか、なんというか…――うんうん、(とうと)い……と僕は腕組みをする。  何が尊いって、…この僕、腐男子を極めたあまりに「神BL漫画家」とまで登りつめてしまったこの僕から言わせてもらえば、この二人の美青年というのは大変尊いカップリングなのだ。  もはや小学生のころに開眼してひさしい僕の第三の目(腐男子センサー)はビンビンにこの二人を「そういう目」で見まくっている。…()()()()いなかった小さい頃ならまだしも、今となっちゃこの夢というのは眼福(がんぷく)の極み、ご褒美、もはや栄養、この夢でしか得られない栄養がある。    ちなみにお腐れファミリーたちはみんな、一度は「頼む神…我が身を推しカプのいる部屋の壁にしてくれ…」と神社で願掛けされたことがあるだろう。うんうんわかる、わかるよ、みんな一度はあるよな。  しかし別にマウントを取るつもりはないんだが、…何と僕、この夢の中だと「実質壁」です。  ……というのも僕は、(どれだけなめ回すようないやらしい目でねっ…とりと見ていても)この二人に認識はされない。僕はこの夢の中では存在しない者、いうなれば空気、よくて「壁」なのだ。――推しカプのいる部屋の壁になりたい腐男子としては、これほどまでに都合のいいこともない。   「……、…」    色白の美青年は、ひざ枕をしている美青年の安らかな寝顔を愛おしげに眺めおろし、彼の銀髪を優しく撫でている。――この色白の美青年の、その伏せられた長く黒いまつ毛、そのピンク味の濃いあわい薄紫の唇は猫のような愛らしい、しかしなまめかしい曲線のある造形をしている。    しかし思うとこの気の強そうな猫顔…この美青年においても――この夢を何度も見ている以前に――どこかで見たような気が……?   「……、……?」    僕は首をかしげ、色白の彼の顔をじっくりと観察する。――あぁ、僕の母か…?  猫顔の母と彼、多少その二人には似通った面影がある。…ただ…確かに僕の母も猫顔ではあるのだが、しかし彼女の猫顔は(女性というのもあるか)可愛らしい印象の猫顔、彼女が可愛さを極めつつも涼やかさがのこるスコティッシュホールドだとするなら……。  この美青年のほうは、とことん凛としていながらもふとした拍子に可愛らしさが垣間見えるノルウェージャンフォレストキャット、という感じで、今は伏せられているが、その浅い二重まぶたのツリ目も(男性にしては)大きいほうだが――そのまぶたのキワに引かれた赤いキャットラインや、やや細めな黒いつり上がり気味の眉のせいもあるだろうか――、しかし彼のその猫顔からは――猫顔に代表されるような、単純にそのツリ目が大きくて可愛らしい、という印象よりかは――端整(たんせい)、気高い、どこか冷艶(れいえん)とした美しい猫、という印象を受ける。  まあひょっとすると僕たちのご先祖さまかもしれない(すると僕はご先祖さまでBLを楽しんでいることにはなるが、歴史上実在した武将たちをイケメン化した末()()()()()する我々には、もはやそんな倫理観はないといっていい)。  ……ちなみに僕的にはこの色白の彼が「受け」だと思っている。わかるだろうか、彼はあの「受けの雰囲気」をどことなく(かも)し出しているのだ。美人受け、ツンデレ受け、(はかな)げ受け、強気受け、それらに象徴されるようなあの雰囲気が……。  いやしかし、それはまぁお腐れファミリーたちそれぞれの第三の目(お腐れセンサー)の感受点にもよるかーー、これは僕の第三の目(腐男子センサー)(とら)えている「受けの雰囲気」であって、ともすればある人とは解釈違いになり、…   「……、…」    僕はドキッとした。  ――つぅ…と色白の彼の黒い長いまつ毛が気高くあがり、ともなってややその小さい顔を上げながら、彼がその特殊な青白い(ひとみ)で僕を見上げたからである。   「…………」   「…、…、…」    ぼ、…僕は「壁」、であるはず、…なんだが、…  こんなことは初めてだ…――彼の力強いそのツリ目が、前に立つ僕の目をじっと見つめてくる。    この美青年のぞっとするような瞳の色――。    白い虹彩の中でぬらぬらと青や水色の光沢があらわれては消える、この不思議な色の瞳――これは、たとえば貝殻の内側のあの色を変える光沢にもよく似ている。  もちろん多くの日本人の黒や茶、こげ茶の瞳とは似ても似つかない、いや、もはや地球上のどのような人種の瞳ともいえない「月の瞳」――白地の虹彩のなかに神秘的な(あお)い光(シラー)が宿っている美しい瞳――彼のこの瞳は「ロイヤルブルームーンストーン」によく似た輝きをもっている。    ま、まあ…しかし、…   「……、…、…」    おそらく彼は僕の目ではなく、僕の背後にある藤の花を見上げているに違いない……。ついドキッとしてしまったが、僕がこの夢で彼らに認識されたことは一度もないのだ。  ……しかしその青白い瞳の、怒ったような呆れたようなキツい眼差しで僕の目を見つめている…――ような彼の、その艶のある青みがかった桃色の唇が声もなく、ゆっくりと動く。     『この……も…。いつに……、………す』       「……、……?」      ――な…なんて?  この夢でこんなことが起こったのは、初めてだ。      

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