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僕を怒ったような真顔で見据えている美青年は、やがてすこし顎を引きながらふとその涼やかな両目を伏せ、ふぅ…と鼻からかすかなため息をつく。
「…………」
そうして彼はまたひざ枕をしているあめ色肌の美青年の、その長い銀髪を指ですきながら、「ふふ…」と麗 しく微笑する。
「……、…、…」
一方の僕は動揺している。
なにせ声もなく唇を動かしただけの彼ではどうも判然とはしないが、…まさか僕に…、
まさか彼は今、僕に話しかけてきたのか……?
何かを…いやまさか、まさか…僕は彼らに認識されていないはずだ、これまでは一度もこんな…――そう…一度もこんなことが起こった試しはなかった。
いつもこの夢はこの同じ場所、同じ場面、そして同じことのくり返しなのである。
しかし今、にわかには信じられない初めてのことが起こった。――今僕は初めてこの色白の美青年に見つめられた(のかもしれない)し、ああして彼が虚空 …あるいは僕に向けて唇を動かした、…口パクとはいえ僕に話しかけてきた? のも、僕はこの夢で初めて見た…経験したことだった。
「……、…」
ひょっとすると…――僕は前にネットか何かの記事で見たことがある。
夢の中のご先祖さまが自分に何か話しかけてきたとき、その人が語った内容は自分にとってかなり重要なメッセージなので、起きたならすぐメモなりなんなりして、しばらくはご先祖さまからのそのメッセージを心得て過ごすように…――しかも彼の先ほどの厳しい表情から察するに、僕は今彼からなにかしらのお叱りを受けたようだ。…これはきちんと覚えておかな…っていや、…口パクのメッセージをどう心得て過ごせって……?
「……、…」
口パクで重要なメッセージ伝えてくるとは…いや顔に似合わzってその高飛車ドSっぽい麗しい顔には非常に似合っているんですが(襲い受けっぽくて良き)、…しかし鬼畜すぎないかこのご先祖さま…(もしや僕があなた方でBLしてる報復ですか…?)。
「…んん゛……」
いやしかし、いやいやいや、そもそも、だ……と僕は顎の両側面をつまむ。「ん゛ー」僕の眉は悩ましく寄る。
そもそも彼は本当に僕のご先祖さまなのか?
そもそも……いやもはや「僕の(ご先祖さま)」という以前に、まずこんなアニメやらゲームやら漫画やらに出てきそうな絶世の美青年たち(まぁその「二次元的美青年」の片方は実在する僕の推しに瓜 ふたつなんですが)、そして、そのようなちょっと特殊な衣装を着ているこの美青年たちが、そもそも過去の日本に本当に存在した日本人なのかどうかも怪しいところだろう。…見たことも聞いたこともないが?
こんなアニメっぽい衣装の歴史上の人物…――?
「……?」
実在…したわけないよなこれで、…このアニメっぽい服装で…――?
というのも…――この色白の美青年はまず、肌着にぴたっとした黒いハイネックを着ている。
……先ほどは狩衣のような、とは思ったものの、それというのは切り離されている着物の袖 と帯 下の前垂れ――腰巻きエプロンのようなものだが、彼のそれは狩衣の下部分のように左右に深いスリットが入っている――だけの話で、彼は黒い肌着の上からノースリーブの着物を着 、紫の半衿 がのぞく白い衿 をV字にひらき気味にしている(そのためぴたっとした黒い肌着の胸もとが見えている)。
またその白い着物と切り離されている袖は白いが――なお袖が着物と切り離されているため、彼の生白い肩は十センチほど見えている――、袂 (着物の袖の下のほう)から上へ向けて、その白地に美しい精巧 な藤の花が描かれている。ちらちらと時折見える袖口の中は青紫である。また袖口からまっすぐ下へ、等間隔に赤い紐――袖括 り用の紐(袖をまくった位置に留めておくための紐)――が縫い付けられており、たもとの端からは赤い紐と青い紐が二本垂れ下がっている。
そして彼の下腹部を締める帯は黒に近い紫、その濃い紫地に金縁 の豪華な赤い牡丹 が描かれている。その帯から垂れる白い前垂れには、下から上へ、たもとのそれと同じ藤の花と昇 り龍 が描かれており、またその前垂れの下に穿 いている袴 は、上から下へむけて紫から青紫にグラデーションしている。――また彼は黒足袋 に、鼻緒 が赤茶、足をおく部分(台)が青紫の草履 を履いている。
で、この色白の美青年の装飾品は、…――あ〜〜でも彼、やっぱり僕のご先祖さまかもなぁ……?
「…んーー……」
僕は首をかしげる。
いやでもな…、…彼は両耳に銀のリングピアスをいくつかつけている。昔の日本に…ピアス?
まあしかし、コスプレイヤーのような衣装を着ているわりに『撮影会っすか(一枚いいですか?)』とも思わせない自然な着こなしっぷりではあるが――とはいえ、…ピアス…?
……どうだろうか? あるいは僕(ら)が知らない歴史があるだけかもしれないが、しかしこのコスプレっぽい改造和服にリングピアスを着けた彼らが昔の日本に実在…いやいや、まさかな…――だがしかし、…こうして僕が『彼は僕のご先祖さまか…? いや違うか…?』と本気で悩んでいる訳 というのは……、
彼が左耳に着けているこの赤い組 み紐 の耳飾り――紐をくみあわせて花のような形にし、それの下を小さいサンストーンで留め、そしてその石から二本の赤い紐を垂らしている耳飾り――これは一見そうとはわからないだろうが(その花のような部分が耳たぶに着いているだけと見える以上、イヤリングだとも何だとも思えるだろうが)、ピアスだ。裏側に銀の芯がある。
なぜ僕が、彼のこの赤い組み紐の耳飾りがピアスだと知っているか?
それは――僕も赤ん坊のころ、親にピアスホールを空けられ、そのときから肌身離さずこの耳飾りを着けているためだ(陰キャオタクの僕はもちろん、自らピアスホールなんか空けた試しもない)。
そして彼の黒い肌着の胸板によく映えるその白い勾玉、…銀のチェーンの首飾りの先についたその白い勾玉の真上にはサンストーンのかけら、そのサンストーンのかけらは、勾玉のチェーンより短い金のチェーンの先についている。
……つまり短い金チェーンのペンダント(サンストーンつき)と、やや長めの銀チェーンのペンダント(白い勾玉つき)を、彼は…いや、彼 も 重ねて着けているのだ。
この勾玉とサンストーンの二つのペンダントも、僕は生まれたときから三十二歳の今にいたるまで、肌身離さず着けている。
というのも、――まぁ、もし本当にご先祖さまから受け継いだものなら、大切なものには違いないのはそうだが――未 だによくはわからないにせよ、僕は子どもの頃から、いつなん時もこの耳飾りと二つのペンダントを外してはならない、と母と祖父に言われて育ったのだ。――まあさすがに入浴時には外すことも許されてはいるが、それだって浴室内の専用の箱(僕用に防水の箱が置かれている)に入れて、そして浴室から出るときには必ずそれらをつけなおすように、…なんてくらいの徹底ぶりである。
しかしといって小さな子どもにとっては、四六時中アクセサリーを身に着けていなければならない、なんて状態はなかなかのストレス、おそらく小さい頃の僕も『なんかこれ邪魔だな』と思ったのだろう。
「……、…」
――このアクセサリーに関する事件の記憶は、今でもわりとよく覚えている。
曖昧 な点もあるが――たしか僕が三歳か四歳ごろのことだったと思うが、母に連れられてデパートに行ったとき、僕は彼女がちょっと目を離したすきに、そのペンダントのどちらかを首から外してしまったばかりか、それをうっかりデパート内のどこかに置き忘れてしまったのだ。
買い物が終わったそのあとのデパートの地下駐車場、僕が車に乗りこんだとき、母はすぐ僕の胸もとに大切なペンダントがないことに気がついた。彼女は途端にさあっと青ざめた。
――そして血相を変えて僕にこう怒鳴った。
『ペンダントは!? ペンダントはどうしたの! どこにやったの! ずっと着けてなきゃ駄目って言ったでしょ! 悪戯 ならそんなことおよしなさい!!』
母に初めて怒鳴られた僕は、すぐにうわーんと泣きだした。
普段はあんなに優しい母が、見たこともない鬼の形相で怒鳴っている――僕の母は、少なくとも僕には叱るときも怒鳴り声をあげないおだやかな人だった。…何ならこうして彼女に怒鳴られたのは、これが最初で最後だったと思えるくらいである。
そして母は、今度は顔をおおって泣き出した。
『わたくしがいけないんだわ、なんてこと、…どうして今になって気が付いたの、…なんてこと…なんてこと…っ!』
僕は何度もごめんなさい、と泣きながら謝った。
大好きなママが怖いくらい怒った――そうしてママを怒らせてしまったばかりか、僕が大好きなママを泣かせて、悲しませてしまった。
僕は今でも母が(マザコンというくらい)大好きだが、母のその豹変 ぶりは、子ども心にかなりショックを受けた。ちょっとした出来心でペンダントを外しただけだったのだ。まさかこれほどまでに母が悲しむとは思いもよらなかった。
それから母は泣きながら僕のことをぎゅうっと苦しいくらい強く抱きすくめ、『どうか助けて、お助けくださいませ天神 よ、…お願い、お願いよ、…』とひたすら神様に祈っていた。
ただ『怒鳴ってしまってごめんね、ごめんなさい、ママ怖かったわよね、…』と時折僕に謝りながら、しかしまたお願いお願いと祈り……と、…そして小さい僕も、母のその切羽詰まった様子から、よくわからないが自分はとんでもないことを仕出かしてしまったのだ、と、とにかくわんわん泣いていた。
……ただ幸い、僕たちがそうしているあいだにもじ い や が(僕の家には執事のような存在の「じいや」がいる)、『ありました!』と僕がなくしたペンダントを持って僕たちがいる車に帰ってきてくれた。――彼は、僕がペンダントをなくしたとわかったなり慌てて車の運転席から降り、僕らが先ほどまでいたデパートに戻ってくれていたのだ。
そうしてじいやからペンダントを受けとった母は、震えている手で僕の首にそのペンダントをかけなおしながら、しかしまだ泣いていた。彼女は悲痛なほどの泣き顔で僕を見据え、懇願 しているというほどの切実さでこう言った。
『お願いよ、…お願い、…ママとお約束して、絶対にこのペンダントを外してはなりません、…っいいわねハヅキ、…お願い、もう二度とこんなことはやめて、…絶対よ、絶対、このペンダントと耳飾り、どれも絶対にずっと着けていてちょうだい、……』
そして彼女はほとんど泣き叫ぶように、
『じゃないとあなた、…あなた、これを着けていなきゃ死んじゃうのよ…――っ!』
と言ったあと、また顔を覆いかくして『あぁよかった…よかった…』と、しばらく泣いていた。
そうして…なんだか正直よくわからないのだが、とにかく僕はこ れ ら を 外 し た ら 死 ぬ らしいのだ…――。
ちなみにふとしたとき、もしやこれってヤバい宗教…? と不気味に思わないでもなかったのだが、…といってカルトだとかそうじゃないとかそれ以前に、そもそも僕の家庭には宗 教 っ ぽ い 習 慣 が 全 く な い のだ。
母が神に祈っているのを見たのもこれっきりであるどころか、僕はお墓参りにさえ行ったことがない。天春 家はかなり由緒ある家系のわりに墓さえないそうなのである。逆に(普通は大なり小なりあるはずだろう)宗教的な習慣が一切ない、というほうが謎は深まる。
……まあいずれにしても――そうして僕はそれ以来、このペンダント二つと耳飾りを肌見離さず着けるようになったのだった。
で…――。
「……、…」
そして、その(なんか知らんけどめちゃくちゃ大事なものらしい)ペンダントと赤い組み紐の耳飾りを、なぜかこの色白美青年も着けているので、僕は彼が自分のご先祖さまなのではないか……と疑っているのだ。――が、それにしても彼らは、やけに現実味のないファンタジーな和服を着ているばかりか、…
「ねぇ…」――目を伏せている色白の美青年が、そうあでやかな囁 き声でいう。
……彼の白い片手は、ひざ枕をしているあめ色肌の美青年の、その銀髪の頭頂部にそえられている。
しかし先ほどまで彼のもう片手は、あめ色肌の美青年の帯、黒地に銀縁 の青い桔梗 が描かれているその帯におかれていた彼のそのもう片手、その白く長い指の先がおもむろに上がり、…つーー…と、あめ色肌の美青年の着物の灰色の半衿――あめ色肌の美青年は、真紅の着物の衿のなかに、黒に金糸 で唐草模様 が刺繍されたふたつ目の衿、その二つの衿を二の腕まで大胆にさげて着崩している。色白美青年の指先は、その真紅の衿と黒い衿にちょうど挟まれている灰色の半衿――を、ゆっくりと首もとから指先で撫で下げ……、
「…ねぇ…ってば……」
更に彼のその生白い指の先は、あめ色のあらわな肩を撫で――二の腕まで衿もとを着崩しているあめ色肌の美青年はぴたっとした、ノースリーブの真紅のハイネック(肌着)を着ているので、そのつやのあるあめ色の肩があらわなのだ――、それから、ぴっちりとした肌着に浮きでている鎖骨をすーー…となぞり、やがては――やや大ぶりな木製の数珠のネックレス、それの先の黒い勾玉をつまみ、くりくりといじくる。
……そう…あめ色肌の美青年もまた、色白の美青年の白い勾玉のペンダントとあたかも対 となるような、黒い勾玉をつけている。ちなみにその黒い勾玉の真上にはロイヤルブルームーンストーンらしきかけらが、ターコイズビーズのペンダントについている。
「……僕のこと…愛している…?」
と色白肌の美青年が、あめ色肌の美青年の寝顔を愛おしげに見下ろしながら、なにか少しいたずらな微笑を含ませていう。
ざああああ…――やや強い気持ちの良い風が吹いた。
舞いちる藤の花びらを乗せてなびく黒髪、色白の美青年の長い黒髪が紫につやめきながら波たち、その白い左耳に着けられた赤い組み紐の耳飾り、それの赤く長い紐もまた黒髪と薄紫の花びらにまざって波立つ。藤の花がゆらめいて差しては陰る日光に、彼の両耳の大小のピアスもまたチラチラと小さく銀にまたたく。
ひざ枕をしているあめ色肌の美青年を眺めおろすその青い瞳は切なく、彼の艶のある青みがかった桃色の唇はこうつぶやく。
「この可愛い春風を誰が吹かせているのか…、私はいずれ、そんな簡単なことさえもすっかり忘れてしまうのだね…――。」
そう悲しげにつぶやいた色白の美青年の、その憂鬱な長いまつ毛の先にある愛しい存在――そこにはもちろん銀髪にあめ色肌の、エキゾチックな美貌をもつ美青年がいる。その珊瑚色の唇がニヤッとし、「んん…」とややわざとらしくうなった彼は、色白の美青年の帯のほうに顔を向ける。
……すると――よく見えるようになった彼の右耳にも青い組み紐の耳飾りが着けられており、それから垂れ下がる二本の紐は彼の首半分ほどまでも長い。これにもちょうど長い紐の根本にロイヤルブルームーンストーンらしき石が取り付けられている。また彼も両耳にリングの金のピアスをいくつかつけている。
「……、…」
やっぱり、まるで対……仮に色白美青年が僕のご先祖さまであった場合、…このあめ色肌の美青年もまた、あるいは僕のご先祖さまなのでは……?
いやしかし…――。
「…ねえ…狸 寝入りはもうよしたら」
とこの春風のなか、色白の美青年が目を伏せたままニヤリとし、小首をかしげる。
……そう…そもそも彼(あるいは彼ら)が僕のご先祖さまである、とするのは――やっぱり間違いだと、僕はそう思うのである。
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