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「いやハヅキぃ…」
と仕事机に着いている僕の真後ろ――そこに立ったハルヒさんが、口にくわえた歯ブラシを片頬におさめたまま言う。
「…そ れ で 、なんで自分が神なのかもぉ…――とか、今までおもわなかったのぉ……?」
「……え…?」
僕は今座しているレザーチェアの脚のキャスターをうまく使い、背後のハルヒさんをふり返り見た。
……彼は青い歯ブラシの柄を口端からはみ出させたまま、げんなりとした顔をしている。
ただその不服げな顔はおそらく僕のせいではない。
というのも――こうして僕が仕事机に着いているとおり、僕とハルヒさんとはあのまま致 す にはいたらなかったのである。
いや、正直あのときは僕のほうも、もうこのまま……というまでの恍惚とした気分になっていた。
だからこの仕事机の前でハルヒさんに唇をふさがれたなり、まったりとそのやわらかい唇に唇を食まれながら、彼のうなじに両腕をまわした。
そうして愛するひととあむ…あむと唇をはみ合うにつれ、当然僕の官能的な気分は体の熱とともにより高まってゆき…――両耳を挟まれ、やや顔を上げさせられ…――にゅる…と僕の唇を撫でながら入りこんできた彼の舌も、今度の僕は拒まなかった。
くちゅ…にゅるん…と僕の舌に、スムーズにまとわりついてくるハルヒさんの熱いぬるついた舌――僕も不慣れながら、精いっぱい舌を同じように回して、絡め合わせてみた。…すると彼は嬉しそうに僕の背中の中 ほどを抱きよせ、…しかしもう片手では僕のジーパンの上からまたお尻を撫でまわし、…やがてふにふにと揉みしだいてきた。
……すると僕の会陰 が快感を得て、その快感は僕の陰嚢 や陰茎、果てには膣口や子宮へまでじっくりと伝わった。
『……んう……♡』と僕はその愛撫にうっとりした声を鼻からもらした。――ちゅるん…とハルヒさんの舌が引いていったのを合図に唇を離し、僕はゆるんだまぶたをそっと少しだけ開け、彼の目を見上げた。
ハルヒさんは優しい――だが欲情に濡れて鋭い――眼差しで僕を見下ろし、…たちまち軽々と僕を横抱きにした。――ひょいっと体を持ち上げられた僕は、しかしそれにさえ驚きよりもときめきを覚え、甘えるように彼のうなじにある両腕へやや力を込めながら、その銀の長いまつ毛に彩られた紅い瞳をじっと見つめた。
そうしてうっとりと見つめ合いながら僕はベッドまで運ばれ――やさしく、丁重に、そぉ…っと――ベッドの上に体を横たえられ、そのまま自然とハルヒさんに組み敷かれた。
……そしてお互いに何の強制力もなく、ただ穏やかながら艶 めかしい流れのままにまた唇をはみ合い…――舌をじっくりと絡め合い…――そのキスのさなか、ハルヒさんの大きな手が、やさしく僕の片胸を黒いハイネックの上から撫でまわす。
僕の体はこの時点で準備をはじめていた。
つまり、もう僕の膣口は濡れはじめていた。
――僕はハルヒさんへの愛しさのあまりに、ちょっとだけ大胆になれた。
キスをしながら、彼のチノパンのなかにひそむ熱情を左手でそっと撫でてみたのだ。――そこはもう硬くふくらんでいる。
……する…と一度だけ撫でたなりハルヒさんは興奮したように、まるで暴 くかのように僕のハイネックの裾から手を差し入れて、…『ぁ、♡』と僕はビクついた――ちょっと荒々しく胸を揉まれたのだ。
ちなみに痛くはなかった。むしろ気持ちいいと感じられるくらいの強さで、もっとしてほしいとさえ思えた。――僕はそうして胸を揉みしだかれながら、薄目を開けて彼を見上げた。
『…は…♡ ぁ…♡ …はぁ…ハルヒ、さん、♡』
じわ…と僕の目が潤み、僕の頭のなかには陶然 とした靄 がじわりじわりと広がっていった。
こんなに…荒々しい手つき、…何だかすごく、嬉しい…――暴かれる、だの、犯される、だの、そういった強引な乱暴さにはいたらない程度ではあったが、といって僕はハルヒさんにならそうされてもいい、なんて本気で考えるほど陶酔していた――。
『…はは…』――僕を鋭い伏し目で見下ろすハルヒさんは、すこし勝ち誇った感じで笑った。
『かわいい顔してるよハヅキ…、もうとろけちゃった…?』
そして彼はちゅ、と僕の唇に軽快な甘いキスをし、ちょっといたずらな調子でこう言った。
『それに…まさか君が俺の触ってくれるなんて、…えへへ、うれしー…――愛してるよハヅキ…――やっぱりハヅキも、ほんとは俺とえっちしたかったんでしょー……?』
『……♡ …♡ …♡』
僕はうっとりとハルヒさんを見つめたまま浅くコクコクと頷いた。――えっち…したかった…、いや…、今も僕、ハルヒさんと、えっちしたい……♡♡
……彼の爪先がカリカリ、僕の凝 った乳頭の先をかすめるように引っかいてくる。
『…ぁ…っ♡』と甲高い声をもらした僕の腰の裏が、ビクンッと浅く反れた。
……その少し鋭い快感にともなって目を細めた僕だったが、彼の欲情した男の目と見つめ合いながら、興奮のままに、ハルヒさんの勃起した陰茎をそうした手つきでまさぐりつづける。
『……あぁ…♡ 硬い……大きく、なってる…。う、嬉しいです…、へへ…愛してます、はるひさん……♡♡』
『…うん、俺もぉ……、……』
そう幸せそうにほほ笑んだ彼は、また目を伏せながら顔をかたむけ、僕の唇に唇を寄せてきた。
『……、…』
僕もそっと目を閉ざし……かけたが、
そのときであった。
この部屋のドアをコンコンコン、と三度ノックする音が聞こえた。
『……、…』
『……、…』
瞬時にキス間際の距離で固まった僕たちは、耳を立てて警戒する兎 のようにじっと息をひそめ、緊張感のある沈黙のうちで気まずく見つめあっていた。――ノックからそう間をあけず『シタ様』と、そこからハルヒさんに呼びかけたじいやは、
『マネージャーの平河 様がご到着になられましたが…』と慇懃 な態度で言ったが、彼はドアへ顔を向けてこう叫んだ。
『いないって言って!』
……しかしそのドア越しに、僕の知らない男性の冷静な低い声がこう言った。
『いない奴が〝いないって言って〟とは言わないんだよハルヒ。』
そう…どうやらハルヒさんのマネージャー・平河 さんは、もうこの部屋のドアの前でじいやと一緒にいたらしかった。
もちろん僕は――そもそもじいやのノックの時点で――中断を余儀なくされることを察していたため、照れくさいやら声を聞かれていなかったろうか、とのいささかの不安やらで眉尻が下がりつつも、ひとまずハルヒさんに『また夜に…』と微笑みかけた。
……しかしハルヒさんはむーーっとして何も答えない。
僕は仕方なく彼の肩を押し、すると腑に落ちない様子ではありながらベッドの上に座ったハルヒさんとともに、そこに座って――上がってしまった服の裾を下ろしたあと、勇気をだして彼の頬を両手で包み込んだ。
それからハルヒさんの悔しそうに力んだ唇にちゅ、とキスをした。――そして照れくささに笑いながら、こう彼の耳にこそこそとこう囁いた。
『ここは我慢しましょう…? お仕事、頑張ってきてください…――ご褒美…というか…、ご褒美にはならないでしょうけど、その…――続きは今日の夜の…お楽しみ、ということで…、…ね……?』
『……、やだ。』
しかしハルヒさんは子どものようにそう言って、僕にぎゅーっと抱きついてきた。
『わかった、今はえっち我慢する。夜のご褒美でいいよ。…でも、まだハヅキと離れたくないの。』
『……はは…、もう…可愛いなぁ……』
愛おしい……僕はついハルヒさんの後ろ頭をなでなで…――しかしついつい忘れていたが、そうしている間にも『ハルヒー、入るぞー』とマネージャーさんがガチャッとこの部屋に入ってきた。
僕ははたと恥ずかしくなり、目を見開いてあわあわと『ハルヒさん、マネージャーさんが…』なんて言いつつ、彼の背中をトントンと叩いた。…だがハルヒさんは僕に抱きついたまま微動だにしない。
ハルヒさんのマネージャーである平河 さんは、ビジネスマンっぽい黒いつややかな短髪、四角い銀ぶち眼鏡をかけている、生真面目そうな一重まぶたの鋭い目をした若い男性だった。といって三十代後半くらいと見えるが、そのレンズ越しに見える黒く濃いまつ毛が、どこか少年っぽいあどけない印象をいだかせる。
ただその顔立ちには柔軟なところがなく、骨太な顎や高い直線的な鼻、濃い太い眉毛、それに特別今は眉をひそめているわけでもないのに、シワが刻まれて盛りあがった眉間が、何か気難しそうな人のように見えた。――彼は紺色のスーツに群青のネクタイをピシッと身に着けている。
しかし平河 さんは僕を見たなり、その眼鏡のレンズの奥の両目を大きくひらいて、恐縮気味にペコペコと会釈した。ただ彼の黒い瞳は冷静に、僕が何者なのかを見極めようとしている。
『あぁどうも、おはようございます、…』
『あ、おっおはようございます、あの僕…』
僕はまだすんなりとは「ハルヒさんの夫の…」とは言えなかった。昨日の今日では当然である。
ましてやベッドの上で彼に抱きつかれたままの姿を初対面の人に、などというわりと恥ずかしいシチュエーションでは、平常心でなどいられなかった。
『あのえっと、あの、彼のぉ…夫…の、その……』と僕は顔を熱くしながら、モゴモゴとその単語をやっと口にした。
ただ平河 さんはそれを耳聡 く聞きとると、『ああ〜』と目を大きくしたまま表情を明るませながら、部屋の中へ進み……、
『ハルヒの旦那さん…――私も彼から話は聞いてたんですよ、どうも、…』
と僕たちのいるベッドのやや近くまで来て、僕を見て少し笑ってから、生真面目な顔で僕に目礼する。
『私 、ChiHaRuのマネージャーの平河 晋 と申します。お世話になっております。』
『…ぁ僕は、えっと……彼の…夫の、天春 春月 と申します、…はい、こちらこそ……あはは、…』
と僕もペコペコと彼に頭を下げる。
すると平河 さんは、ここでちょっと申し訳なさそうな顔をした。
『そうかそうか…旦那さん…、すみません、突然押しかけてしまって…』
『いやぁとんでもないです……』
……なんて、…僕たちが初対面らしいぎこちない形式ばった会話をしているあいだも、ハルヒさんは断固むっつりと黙って僕に抱きついたままであった。
『…ほらハルヒ』とここで、平河 さんの一重まぶたが、ハルヒさんの片耳あたりをキッと叱るように睨みつける。
『行くよ。』
『やだ。』
すると平河 さんは呆れ顔をした。
『…全く…昨 日 の 配 信 の ア レ に関してもそうだが、お前、新婚だからってちょっと浮かれすぎなんじゃないのか…――なあハルヒ? お前、昨日はほんとにやってくれたよ。』
『…………』
だがハルヒさんは聞こえていないかのように――僕にぎゅーっと抱きついたまま――何も答えない。
どうも(まあやっぱりといえばやっぱり)昨日の配信での「結婚宣言 」は、マネージャーさんの不可測的、…いうなればあれは事務所サイドの予定にない彼 本 人 の 衝 撃 暴 露 だった、ようである。
まあいずれにしても…――と僕はハルヒさんの銀髪が密生した頭頂部を見下ろし、彼の背中をトントンと叩いた。
『ほらハルヒさん、マネージャーさんがお迎えに…』
『まだ早いじゃん…やだ。』
ハルヒさんは子どもっぽく拗ねたようにそう言ったが…――『やだじゃないだろハルヒ、』と僕たちにさらに歩み寄ってきたマネージャーさんは、ベッド近くに立って腕を組み、厳しい顔をしてハルヒさんを見下ろす。
『お前、今日は早めに出るって俺は昨日言ったよな。この新居から事務所までの時間がまだ予測しきれないからって。ほら、支度して、早く。』
『やだ』
しかしハルヒさんはなおも僕に抱きついたまま――もはやしがみついたまま――『やだ』の一辺倒であった。
それに見かねたマネージャーさんはハルヒさんの胴体をかかえ、…だが『やだやだやだ』とグッと引っ張られても頑なに動かないハルヒさんに、じいやまで加勢することになり――となればさすがに僕から引き剥がされ……、
『やあああだああああ…ハヅキいいい゛――っ!!』
と、…まるで今生の別れか、あるいは愛する親から引き剥がされた子どもかのように泣き叫びながら…――マネージャーさんとじいやに、連れ去られていったのだった。
そういったわけで…――僕はハルヒさんも連れ去られたことだし、と仕事に取りかかりはじめたのである。
ただ機材一式が新品ともあっては、まずその前にそれらのセットアップをワクワクしながら済ませ――新品機器のセットアップ、僕はこの作業が大好きなのだ――、そうして多少の試し描きなども終えたあと、今しがたやっと本格的に漫画を描き始めた。
思いのほか今日は好調なすべり出し、次から次に作業はすいすいと進んでいった。のだが…――そこに歯磨きをしながらやってきたハルヒさんが、「なんでそ れ で 自分が神だとは疑わなかったのか」という疑問を、僕の後ろから投げかけてきたのである。
「……?」
それで僕は今座っているレザーチェアのキャスターを使い、背後のハルヒさんになかば体ごとふり返らせて、そのひとを見上げたのだった。
……彼はげんなりとした顔をして僕を見下ろしているが、
「人間の子はさぁ、」
と、頬におさめた歯ブラシから離した右手で、ペンタブの液晶画面に転がっていた僕のペンを取ってにぎり、
「みんな、こ う や っ て 絵 を 描 く んだよ…?」
と空中で「文字を書くような」動きをして見せた。
しかし僕はからかわれているのか、と少し疑いながら、といって、そんな感じにも見えないハルヒさんの曇った表情に何か察するところがあり、胸をドキドキとさせながらそっと首をかしげた。
「……? いや、そ れ は 文 字 を 書 く と き の ……」
「…そうそう」ハルヒさんが僕を見てコクコクとうなずく。
「そうだよ…? 人間の子は文字を書くときも、絵を描くときもぉ、こうやっていちいち手作業でやるの……」
「…えぇ? 嘘 で す よ そ れ は 、…あはは……」
しかし僕は、やっぱりハルヒさんが冗談を言っているのだと思って笑った。が、
「ううん。嘘じゃない。」
と彼は真顔できっぱりとそう言うのである。
……ただ、僕が本気でいぶかっているのを知っているハルヒさんはまず僕にペンを返すと、ふと目を伏せ、片頬を歯ブラシでちょっとふくらませたまま、パーカのポケットから黒に赤基調で炎とギターとが描かれたケースの、その自分のだろうスマートフォンを取り出し――ちょっとの時間それを操作して…――ややあってから僕にそのスマホを手渡して、ある動画を見せてきた。
それはあるプロ漫画家の作画工程を映した動画だった。――その漫画家は、黒いグローブを着けた手に持つペンタブのペンを動かし、手描きでスクリーンに慎重に線画を描きこんでいる。
そしてハルヒさんは口端から垂れそうになったよだれをジュルル、とすすってから、こう少しもごつき気味にもきっぱりと言った。
「人間の子は基本全員こうやって絵を描いてんの。ほんとに。嘘じゃなくて。…たまに口とか足で描いてる人もいるけど…――てか人間の子は、基本こうやって手 描 き で し か 絵ぇ描けないんだよ。」
「……、…、…」
僕は目も口もかっぴらき、言葉を失う。
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