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 僕は慌てて服――水色地に白いリリー柄のアロハシャツと、白いハーフパンツ(もちろん下着も)――を着なおしたのち(ちなみにハルヒさんも一緒に、あの真っ赤なパイナップル柄のアロハシャツに、黒いハーフパンツを着なおしていた)、ベッドからおりて、今大雨の降りしきるバルコニーに続くガラス戸のほうへ歩いてゆく。  ……これはもはや天変地異としか思われない。 「……、……?」  アーチ型の白い窓枠のおしゃれなガラス戸のその向こう、半円状の白い床を、おなじく白い手すりが囲っているその薄暗いバルコニーには今、暴力的なほど激しい大雨が降っている。――いやそれどころか、その半円の白いびしょ濡れの床にはバチバチと(ひょう)まで降りそそぎ、その雹や雨粒がピョンピョンと(のみ)のように跳ね返っているのが見える。  ……ゴロゴロゴロ…――低くうなるような音が遠くから聞こえた次の瞬間、薄暗いにごった雨雲が、刹那パチパチッ、ピカピカッと明滅する。  そして、あたりがパッと(まぶ)しい閃光(せんこう)に明るくなり、  ――ドゴ…オオォォ…ン……!! 「……、…、…」  また大きな雷が落ちた…――。  僕はそのガラス戸の前に立ち、ぼう然とする。  一体なにがどうなったら、あの綺麗な虹まで出ていたすがすがしい青空が、あんなほんの一瞬で()()()()というんだ…――?  ……まるであの一瞬で、突然別世界線にでも送りこまれたかのような、何かとても不思議な気分だ。…なんの予兆もなく一瞬で台風が来たかのような、いや、突然その台風が来ているパラレルワールドにでも送りこまれたかのような…――このあまりにも唐突に、なんの予兆も気配もなくにわかにおとずれた、嵐といって差し支えないほどの大雨は何かおかしい。 「……、…」  しかし…なぜ僕はこんなに…――。  …なぜこんなにも、胸が高鳴って……僕は両開きのガラス戸、その二枚の扉それぞれにとりつけられた、片方の金の取っ手をそっと掴んだ。  ただそれはその実なんとなくで、別にこの扉を開けようとしたわけではなかったのだが、すると――いつの間にか僕の真後ろに立っていたハルヒさんの、そのあたたかい手のひらに上からふわりと、その手を優しく包み込まれる。 「……?」  ふと斜め上――ハルヒさんへ顔を向ける。  彼はちょっと複雑そうな真顔で僕を見下ろし、僕と目を合わせながら、ふる、と首を横に振った。 「今は外出ちゃだめ……」  そしてハルヒさんは、うしろから僕のことをそっと抱きしめて――というよりか引き留めるように、優しくも抱きすくめて――くる。 「……あぁ…、いや、…」  と僕は目を伏せる。  ハルヒさんは、今バルコニーに出れば雨に濡れてしまう以上に、当たればまちがいなく痛いだろう雹がもはや避けようもないほど降っている、それも雷が憤怒しているように暴れている外に行くのは危ない、と僕の身の安全をおもんばかってくれているのだろう。  だが、…と僕はまたハルヒさんを見上げる。 「はは…別に外に出ようとしたわけじゃなくて、この手に関しては、なんとなくこうしてしまっただけというか…――ただ、何かおかしいと思いません…? だってあんなに晴れていたのに、…ほんと、妙だな……」  するとハルヒさんは「はぁ…」と短い呆れたようなため息をつくと、そのうんざりしたような気だるいブラッドオレンジの色の瞳を、ふとガラス戸の外へ向ける。 「ううん…これ、()()()()()()()()()だから……」 「……え、…ロクライさんの…? ……、…」  僕はまた外を見やった。  ……いや、まあ…たしかにロクライさんの本性もまた神、彼の真名(まな)建御雷神(タケミカヅチノカミ)――つまり彼はその名もまたあらわすとおり、「雷の神様」でもあるのである。  しかしそれにしたって、どうしていきなり…――それこそ本当にこの雷雨の原因が彼にあったとして、もしくは彼が自らこの雷雨を呼びおこしているとして、…それは一体どうして、何を目的として……? 「…んん〜〜…」  とうなったハルヒさんをまた見上げると、彼はうんざりとした眼差しで外の大雨をぼんやりと眺めながら、あきれ返った小声でこう答える。 「どうしてって言ってもぉ、まあ…いろいろパターンはあるよねぇ……?」 「…色々…」 「そそ…、えーと……」 「…ん」  突然ハルヒさんが僕の唇に唇を押しつけてきた。  僕は条件反射で目をつむった。…そのままあむ…あむとやわらかい彼の唇にゆっくりと唇を食まれ、ましてや背中から全身を包みこまれるように抱きしめられながら、そうしてやさしいキスをされてしまうと…――そもそもまだ火照りの抜けきらない「事後」ともあって…――、 「ん……♡ ……んん……♡」  僕の体の芯に埋まった火種がまたちか…ちかと紅い光を、おもむろに明滅させはじめる。  そして僕の頬や耳の表面には、また内側のその熱がじわりとにじみ出し…――唇がふと離れたそのとき、僕はもうほとんどぼんやりとしながら、体をハルヒさんのほうへ返して向かいあい、やや顔を上げて彼を見上げる。 「また…何か思い出すべき〝記憶〟が……?」 「…そう…、へへへ…、……」    と優しく目を細めてわらったハルヒさんの、その大きくあたたかい手のひらに両頬を包み込まれ、僕は顔を少し上げさせられ……目を伏せながら近寄ってくる彼の彫りの深いうっとりとした整った顔、その珊瑚(さんご)色の唇にまた斜めから、はむ…――僕はそっと目をつむり、はむ…と食みかえす。 「ん…♡ ……♡ ……、…」  でも…キスをしていると、またむらむら、してきちゃうな…――ましてや、まだ僕のなかはその道を閉ざしきっていない感覚がある。  つまりまだ僕のそこには、ハルヒさんの感覚が幻のように残っているのだ。すると、そのある種の違和感はなおそこに僕の意識を集中させ、さらには、先ほどまでそこにいてくれた「ハルヒさん」をも――彼のたくましいあの形や熱いほどの温度、やさしい・はげしい動き方、はたまたそのときの快感をも――思い出させて、そこをひくっ…ひくっと切なく収縮させてしまう。 「……ん…ぅぅ…♡ ……♡♡」  するとハルヒさんの唇を食む動きでさえおろそかになってゆく…――ただ彼のやわらかい唇に、やさしくはむ…あむ…とはさまれては離される唇の気持ちよさは、――膣内の感覚と同時に――うっとりとするほどよく感じている。 「……んん…♡ ぁ……♡」  ちゅぷ…と彼の唇にはさまれた僕の上唇が、やさしく引っぱられる。――僕は少し顎を引き、彼の唇からちょっと逃げた。…この動きを何度かして、僕の唇の力がゆるみ…そうして口が開かれたとき、彼は大概僕の口の中に舌を入れてくるからだ。  だから僕は、ハルヒさんのうっとりと細まったタレ目を見上げながら「それは嫌です…」とささやき声で言った。 「舌を入れられたら…悪いけど、またしたくなっちゃ…ぅむ、♡ ん…っ♡」  ……しかしニヤッとしたハルヒさんにさっと唇をふさがれ、そして彼の舌は僕の話していたために開いていた唇を越え、にゅるんと口内に侵入してきた。僕はその瞬間きゅっと目をつむり、眉を寄せる。 「……っん、♡ ……んー…っ!」  駄目って言ったのに、もう……!  ……といって満更でもないどころか、僕の胸はキュンキュンときめいてしまっているのだが。  舌をにゅるり…にゅるりと裏からすくい上げられ、裏側の根本をちろちろとくすぐられる。と、腰がビクンッと跳ね、 「……んふ…っ♡」  と、つやめいた吐息まじりの声がもれてしまう。  いわばそこが僕の「弱点」なのであった。  ほとんどくすぐったいようなのだが、ぞくぞく…ときて、そうされるととても気持ちがいい…――くちゅくちゅとそのまま舌を絡めとられる…――頭が、ぼーっとしてきた……。 「……ンん……♡ …っふ……♡」 「……ふふふ…、……」  すると微笑ましげにやわらかく笑ったハルヒさんは唇を離し、そのまま正面から僕のことをぎゅうっと抱きしめ、そして僕の耳もとでこう色っぽくささやいてくる。 「可愛いハヅキ、ほんと…――俺もむらむらしてきちゃった…。へへ、も一回えっちする……?」 「…もう…だめ、あとは夜……あっ、?♡」  ちろっと僕の耳を舐めてきたハルヒさんに、僕はビクンッと肩をすくめる。――ただハルヒさんはそれっきり、その大きなからだで僕のことを包み込むように、ぎゅう…と僕をその頼もしい両腕の中にとじこめてしまう。 「えへへ…なんてね…? 大好きだよ、ハヅキ…」 「……、…」  う……これは、――しあわ、せ……。  僕はハルヒさんの鎖骨のあたりに片頬を押し付け、そっと目をつむりながら彼の大きな背中に両腕をそろりとまわし、きゅうっと彼に抱きつく。  ……甘いキスをしてもらって、「可愛い、大好き」だなんて色っぽい声でささやかれて…ついでに耳にかわいいいたずらををされて…――ちょっとむらむらしている今、最愛のひとのたくましい大きな体に抱きしめられて、あたたかいそのひとの体に密着している…――もはや、こうしてハルヒさんに抱きしめてもらえているだけで…すこぐしあわせだ…、気持ちいい……――僕をとろかすようなこの幸せは、僕のことをぽーっと心地よい恍惚の沼に、ゆっくりと落としてゆく。 「……、…はぁー……」  僕はハルヒさんの体に全身全霊をゆだねきれる、その深い悦びをともなったうっとりとするような幸せに、思わず深いため息をついた。――トクトクとお互いのやや速い心音が聞こえてくるばかりか、密着した胸板同士からもその鼓動が伝わってくる。とろけてしまいそうなくらい…心地いい……。  そのさなか…彼の優しいやわらかな声が、僕の耳にこうささやいてくる…――。 「ね…、覚えてるでしょウエ…――俺たちが初めて、タケじいのお仕事を見学させてもらった日のこと……」 「……、…――。」  ……あぁ…――。  それは……僕とシタハルがまだ子どもの頃――。  あのときの僕たちは人間の子にして、まだ七、八歳の子どもであった。  そうした子どもの僕たちに、ある夏の日の朝――その朝食の席、タケミカヅチの(じい)はニカッと白い歯を見せて笑い、僕たちを見比べながら突然こうひょうきんな感じで言い出した。 『よおよお、ワシのかわいーかわいーかわいこちゃんたちや! 今日はのお、と・く・べ・つ・に! じいじのお仕事をお主らに見せてやるぞお!』  すると僕の隣に正座していた母上は、そんなのは危険だとたちまち顔を険しくし、『およしになってくださいませお義父(とう)さま、まだウエとシタは小さいのよ、なにかあったら……』とそれを止めようとしたが、母がそう言い切る前にも好奇心のかたまりであった僕は、タケ爺のその楽しそうな提案に『ほんとう!? やったー!』と飛び上がって喜んだ。…ただごはん茶わんも(はし)も持ったまま、お(ぜん)の前で立ち上がりピョンピョンと跳びはねたので、母上に『ウエちゃん、お座りなさい』と叱られ、すぐさまあぐらをかきなおしたが。  しかしその一方、僕の隣であぐらをかき、やはり両手それぞれに(はし)とごはん茶わんをもっていたシタハルは、…というと…――。 『えぇ…おれやだぁ…、やだよぉ…っ』  と、その話を聞いただけで顔をしかめて半べそをかき、それを嫌がった。  ――それはなぜか? 『おれかみなり怖いもん、…やだぁ、いかないぃ……っ』  そう…――この頃のこと臆病であったシタハルは、雷をひどく怖がっていたのである。  それこそタケ爺がひとたび雷を(とどろ)かせれば、この弟はすぐさま僕たちの部屋(寝室)に駆け込んで、あわてて押し入れのなかに入り、更にはそのなかにあるかけ布団を頭からかぶって隠れ、そこで小さくなりながらガタガタ震えている始末であった。  ちなみに僕はそういう場合、……別に僕まで雷が怖かったわけではないのだが、…仕方がないので、シタハルと一緒にその真っ暗な押し入れにはいり、弟の手をにぎって、タケ爺の「仕事」が終わるまでずっとそばにいてやったものだ。…しょうがないだろう、シタハルは終わるまでずっと泣きながら震えていたのだから、兄としての面子(めんつ)がある僕はそうしてやる他なかったのだ。  もっともタケ爺がそう言い出した理由は、まさにそのシタハル…――端的にいえば、()()()()()()()()()()()()()()()()のである。  孫当人である僕が言うのもなんだが、タケじいは――というか祖父二人はなお――孫である僕たちのことを溺愛している。  ――家族や周りの大人たちから聞くところによると、彼らは僕とシタハルが生まれたなり、驚くほど丸くなったんだそうである。

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