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第10話 壊れたアンドロイド<第一部完結>
「残念でしたね。僕は電流ショックくらいではシステムダウンしません」
「ひ、ひいっ……!」
男は足をもつれさせながら無我夢中で逃げ出した。こんなのは聞いていない。オフィスに侵入して、標的をちょっと脅してやるだけの簡単な仕事のはずだった。物陰に隠れた男の傍らで、ノート型パソコンが静かに起動する。
『隠れても無駄ですよー。上方の監視カメラでも、あなたの姿が丸見えです』
「なんなんだよ、おまえぇ!」
裏返る男の声に、スピーカーの向こうから機械的で淡々とした声が返る。
『侵入者は排除します。あなたの仲間も』
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数時間前。
ユウリと前本は、夜も更けたオフィスで急ぎの事務作業をしていた。取引先から急に届いた要望で、過去5年間の事業内容を「手書きで」提出してほしいと求められたのだ。窓の外はすでに暗く、金曜ということもあって、オフィスにはユウリたち以外の人の気配はなかった。
「意味がわからない……!今どき手書きだなんて、アナログハラスメントだよ!」
「こちら、書き終わりました。確認をお願いします」
「ありがとう!ユウリくん、字が上手いね!?」
お手本のような楷書で書き上げられた書類に目を丸くしながら、前本は「助かるよ!」と手を合わせた。
あれからというもの、ユウリは何事もなかったかのように素直で従順なアンドロイドに戻っていた。あの日、明らかな敵意を向けてきたアンドロイドと同一人物(?)とは思えないほどだ。相変わらず鷹臣とは一心同体のようで、どこに行くにも一緒。片時も離れることはない。その鷹臣はといえば、あまりの字の下手さに前本から“撤退命令”を出され、二人分の夜食の買い出しに出かけていた。
「まったく、社長の字の汚さにはびっくりしたよ」
「2090年生まれの方は、硬筆の授業がありませんでしたから」
盲目的に鷹臣を愛するユウリでも、そのフォローまではできないらしい。そのとき、オフィスの隅にある監視カメラが一瞬だけ明滅した。前本は気づかなかったが、ユウリの瞳孔カメラが微かに収束する。
「今日は、社員の皆さんは帰宅しましたか?」
「え?まぁ金曜だし、みんな帰ったよ。あぁ、でも……」
「なんですか?」
「後藤さんが技術課にいるよ。フレックスだから、大抵は夜来るんだ」
「そうですか」
それだけ言うと、ユウリは黙って手を動かし、目の前の書類を片付けていたが、やがて手を止めた。
「ど、どうしたんだい、ユウリくん」
一点を見つめ続けるユウリに、前本が身構える。この間のようなやり取りはもうごめんだった。
「非常階段にある監視カメラ映像がハッキングされ、偽の映像に置き換わっています。いま、向かいの店舗のカメラ映像を確認したところ、二人組の男性の侵入を確認しました」
「えっ!?大変だ、どうして、警備システムに連絡しないと……!」
「中央警備サーバーとの通信回線も停止しています。ただいま復旧中ですが、それよりも……」
次の瞬間、部屋の照明が落ち、前本の視界は暗闇に包まれた。ユウリの腕が前本の肩を掴み、机の下へと引きずり込む。思わず悲鳴をあげそうになった前本の口を、柔らかな手のひらがぴたりと塞ぐ。
2人が机の下に身を隠した数秒後、部屋のドアが静かに開き、男が一人、部屋の中に侵入してきた。男は周囲をぐるりと見回すと、背後の仲間に何かを告げて出て行く。その手には、小型の電磁式拳銃が握られていた。足音が遠ざかるのを確認してから、ユウリは前本を解放した。
「ゆ、ゆゆゆユウリくん、あいつら……じゅ、銃……!」
「はい、改造型の非合法電磁銃でしょう。撃たれれば、骨くらいは折れるでしょうね」
冷静に分析するユウリに、前本は完全にパニックに陥った。彼にとって暴力は、映画や小説の中の出来事でしかなく、現実に降りかかるものではなかった。
——状態解析。前本浩志、感情:恐怖 72%、混乱 18%、逃避 10%。心拍数上昇、血圧上昇、瞳孔拡大。高ストレス状態を検知。
「前本さん、落ち着いてください。彼らは『ここにはいない』と言っていました。金品目的ではなく、誰かを探しているんです」
「だ、誰かって……?」
ユウリは鷹臣の位置情報を確認した。少し先のコンビニで留まっている。彼は安全な位置にいる。ユウリは落ち着いて言った。
「おそらく狙いは後藤さんでしょう。警備システムへの侵入ログのパターンが、以前発生したマンションサーバー侵入事件の犯人と酷似しています」
「なんだって!?ご、後藤さんが……後藤さんが危ない!」
早急に立ち上がろうとする前本の首根っこを掴み、ユウリは床に引き戻した。襟首を掴まれた前本は咳き込み、苦しげな声をあげた。
「なにするんだ!? ユウリくん!!」
「僕が行きます」
ユウリは内部ネットワークに接続し、監視カメラの映像を高速で解析した。男たちの足取りは、確実に後藤のいる技術課エリアへ向かっている。接触まで、あと4分18秒。
「前本さんが彼らに攻撃を受けた場合、重傷、最悪死亡する可能性があります。僕なら、多少の外的損傷は負うかもしれませんが、死亡することはありません」
「はぁ!?一人でなんか行かせられないよ!危ない武器を持ってるんだろ!?」
「いえ、だから僕なら……」
「怪我して動けなくなったら!?ユウリくんだって、俺の大事な……同僚だ! 一緒に行かせてくれ!」
必死な前本の剣幕に、ユウリは一度だけまばたきをした。確かに、自分が彼の業務負担を大幅に軽減してきた自覚はある。それでも、ここまで自分を案じる理由にはならないはずだ。ユウリはアンドロイドだ。痛みも、流れる血液も存在しないというのに。
創也といい、前本といい、なぜ人間は、非合理な選択をするのだろうか。
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「チッ、技術課ってどこだよ」
「こっちじゃね? システム課って書いてある」
暗い廊下を進みながら、男たちは油断なくあたりを見回していた。目標は後藤創也というシステムエンジニア。この会社の役員らしい。年齢は二十代後半だが、見た目はもっと若い。依頼人の指令は、ターゲットを脅かし、少し痛い目に遭わせ、恥ずかしい写真でも撮ってやれというものだった。要は、いたぶればいいわけだ。
男は改造型の小銃を握りしめる。これを突きつければ、どんな奴でも恐怖に固まり、助けてくれと懇願する。小ぎれいなオフィスに勤めていようが、いい家に住んでいようが関係ない。学も才能もない自分だが、これを使う時だけは他人を支配することが出来た。
部屋に入ると、がらんとしたオフィス。机の上には、まるで学生が一列に座っているように、ノートパソコンがきれいに並んでいる。
「あれ、電気つかねぇじゃん」
電源ボタンを何度押しても、部屋の照明は点かない。苛立つ2人を、天井の隅にある監視カメラが静かに見つめていた。
「もういい、入るぞ」
じれた男が押しのけて部屋に足を踏み入れた瞬間、背後で電子ロックの閉まる音が響いた。
「あ?」
「おい、閉まってるぞ……」
慌てて扉を開けようとするが、びくともしない。渡されていた偽造IDを認証端末にあてても、エラー表示が繰り返される。
「くそっ! なんなんだよ!」
困惑する男たちの背後で、眠っていた動物の群れが目を覚ますように、ラップトップの画面が一斉に立ち上がった。青白い光が、男たちの顔を照らし、画面に文字が浮かぶ。
『不正侵入を検知しました』
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背後から男たちの悲鳴が上がり、前本は思わず振り返った。
「ゆ、ユウリくん、なにをしたんだ?」
「システム課のサーバールームに閉じ込め、約120dBの高周波音をループ再生しています」
「す、すごいね?でもそんなことして、ユウリくんは大丈夫なのか?」
「直接危害を加えたわけではありませんから。爆音で聴かせても、せいぜい耳鳴りや混乱を引き起こす程度ですし。足止めにしかなりませんよ。それより早く後藤さんの元へ行きましょう」
人間に直接加害を加えると、ユウリは行動制御プログラムが作動し、強制的にシャットダウンしてしまう。しかし、出力の範囲と“加害”の定義境界さえ誤らなければ問題ない。システム課の隣が、創也のいる技術課だ。扉の奥から人の気配がする。中を覗くと、創也がヘッドホンをつけたまま作業をしていた。
「後藤さんっ!」
「うわっ!?」
駆け込むように飛び込んできた前本に、創也は驚いて椅子ごと跳ね上がった。その後ろを、落ち着いた様子のユウリが進み、後手にドアの鍵を閉める。
「ヘッドホンをつけての作業は周囲の環境変化に気付けず危険ですよ」
「はぁ?なんだよ、いきなり入ってきて……」
真面目な顔で忠告するユウリに創也は思わず眉を寄せたが、前本が「それどころじゃないですよ!」と青い顔で言った。
「武装した男性二名が、あなたに危害を加えようとしています」
「え、は?」
「嫌がらせの犯人ですよ!いまユウリくんがシステム課に閉じ込めていて、早く逃げないと!」
「嘘だろ……?」
「嘘ではありません。何もしなければあと48秒で、あなたは襲撃されます」
廊下の向こうで何かが割れる音がし、男たちの怒号と足音が近づいてくる。前本は狼狽し、ユウリと創也の腕を掴んだ。
「は、早く逃げましょう……!」
「おい、警備システムは作動してるのか!」
「システム復旧まであと30秒、警備隊の現着まで15分。間に合いません」
「じゃあどうするんだよ!!」
ユウリは創也が着ているパーカーを指差した。
「それを脱いでください。僕に、考えがあります」
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耳鳴りが残る頭を押さえながら、男は技術課のドアへと向かった。認証端末に偽造IDを押し付けると、扉は抵抗することなく短い電子音を立てて開いた。中には、フード付きパーカーを羽織った細身の青年が一人、机に向かって座っていた。
「な、なんですかあなた達……!?」
「やっと見つけたぜ、手間かけやがって……」
困惑する青年を追い詰めるように距離をつめる。近くでみると青年の顔はちょっと見ないほど整っていた。立ち上がり、逃げ出そうとするその腕を、男が乱暴に掴んで押し倒す。
「痛っ――!」
「動くなよ」
銃口を突きつけると、青年は顔色を失った。床に転がして馬乗りになり、男は何度も拳を振り下ろす。肉にぶつかる鈍い音とともに、青年のうめき声が途切れ、やがて動かなくなった。
「なぁ、依頼はこれだけじゃないぜ。楽しい撮影会をしようや」
下卑た笑みを浮かべながら、男の手が青年の服を剥ぎ取ろうとした。その時、部屋の向こうでドアが閉まる音がした。2人分の足音が一定のリズムで遠ざかっていく。
「なんだ今の音」
「人がいたのか?おい、お前、見てこい」
しかしそれは叶わなかった。男たちがドアノブをひねっても、ドアはびくともしない。「またかよ!?」と青筋を立てた男が小銃を構えた。
「システム復旧、完了しました」
「あ!?なんで……」
警報システムのアラームがけたたましく鳴り響く。床に昏倒していたはずの青年が、ゆっくりと立ち上がる。男は咄嗟に小銃を撃ち込んだが、青年の動きは止まらなかった。
「くそっ、くそっ!!なんなんだ、お前……っ!!」
乱発する銃弾は青年の腕と脚に命中したが、痛みに反応する様子もない。男は呆然と銃を構えたまま後ずさった。成人でも当たりどころが悪ければ一発でショック死しかねない、違法改造の電磁銃だ。
「残念でしたね。僕は電流ショックくらいではシステムダウンしません」
「ひ、ひいっ……!」
暗闇の中、青年の瞳が青白く光る。点滅する警報灯の光が、その輪郭を淡く照らした。男は理屈より早く、恐怖に突き動かされて逃げ出した。残された男が小銃を構えた瞬間、天井のスプリンクラーが作動し、白い霧のような放水が部屋中に降り注ぐ。
「その電磁銃は高圧電流式のカートリッジを使用していますよね。濡れた手で使うと、感電死しますよ」
わずかに乱れた髪を指先で整えながら、ユウリは美しく微笑んだ。
「この化け物が……ただのアンドロイドじゃねぇか」
「人形相手に腰振る連中もいるが、俺は反吐が出るね」
魔法の仕掛けがわかった以上、男たちも敗走する気はないらしく、小銃を捨ててプラズマナイフを取り出した。ユウリは振り下げられたナイフを近くの金属脚で受け止め、身を翻したが、挟み撃ちにされ、背中を浅く切り裂かれた。
「ぐ……っ、」
体勢を崩して倒れ込んだユウリに、男の一人が蹴りを叩き込み、そのまま頭を押さえつけた。金属と床が擦れる甲高い音が鳴る。
「パーツだけバラして海外に売り飛ばしてやる」
「……あなた方が触れるような安物と一緒にしないで下さい」
膝関節のアクチュエーター部分にヒビが入り、右足が正常に稼働しない。ユウリはもう一度爆音攻撃を仕掛けようとしたが、リモート操作を起動するより早く、男の手がユウリの顔面にプラズマナイフを突き刺した。
「……っ、グ、ぁ」
瞬間、一筋の白熱した閃光が弾け、焦げた合成皮膚の匂いが室内に満ちる。合成皮膚が焼け落ち、銀色の内部フレームが露出した。
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『10秒たったら、反対側のドアから脱出して非常階段にまわってください』
ユウリの指示に従い、部屋の外へと逃げ出した前本たちだったが、ユウリが殴られる様子を窓越しに見た創也は、顔を青ざめさせて戻ろうとした。前本はその腕を掴み、必死に引き止めた。
「大丈夫なのかよ!?あいつ、俺のせいで……!」
「も、もうすぐ警備隊が到着します!俺が戻るから、後藤さんはここで……!」
「お前たち、どうしたんだ!?」
「社長!!」
「鷹臣!!」
警報音が鳴り響く中、鷹臣が二人の姿を見つけて駆け寄った。「ユウリは」と短く問う声に、前本は「まだ部屋の中に」と震える声で答える。
「武装した男たちが、後藤さんを狙って……ユウリくんは俺たちを逃すために、囮になって……!」
鷹臣は最後まで聞かず走り出した。後ろで創也が「鷹臣!待て!」と叫んだが、止めることはできなかった。
「ユウリ、ユウリ……っ!!」
けたたましい警報と赤い警告灯の点滅の中、鷹臣はユウリのいる部屋へ息を切らせてたどり着いた。扉の奥から、男たちの怒鳴り声と衝突音が響く。だが、肝心のドアが開かない。遠隔ロックされているのだ。
「ユウリ!! 扉を開けろ!!」
扉越しに叫んでも、反応はない。それはユウリの静かな決意であり、鷹臣を守るための意思表示であった。しかし、鷹臣はそれを許さなかった。
「ユウリ!!“命令”だ!!扉を開けろ!!!」
コマンドであれば、ユウリは逆らえない。数秒後、静かに錠が外れる音がして、扉がわずかに開いた。鷹臣は一瞬の躊躇すら惜しむようにドアを押し開け、室内の光景に息を呑んだ。
「……た、カ、おみ、さん」
「ユウリ……!!」
うずくまるユウリの顔を見て、鷹臣は絶句した。すべやかな頬の装甲は剥がれ、右の眼球レンズと神経回路が露出している。肩で息をする男たちは残酷な笑みを浮かべ、鷹臣を嘲った。
「おい、このガラクタの持ち主か?綺麗な見た目してたのに悪かったなぁ。スクラップにして、次はもう少しマシなのを買えよ」
「っやめろ!!」
男の一人が、ユウリの顔面フレームを蹴りつける。その瞬間、鷹臣の頭に血が上り、怒りのまま掴みかかった。長身の鷹臣の気迫に怯んだ男が、手探りでナイフを構える。
「……社長っ!!」
「鷹臣、危ない!!」
灼熱のプラズマ刃が眼前に迫る。その時、視界の端でユウリが立ち上がり、金属片のような何かを振りかぶるのが見えた。
「……ユウリ!!」
気づいたときには、血を流して昏倒する二人の男と、血飛沫を浴びたユウリが立っていた。
「ユウリ、お前……!!」
ユウリは鷹臣を見つめ、それから自分の手に握られた折れた金属脚をゆっくりと確認した。
『自動制御プログラム作動。人間への加害行為を確認。全システムをシャットダウン。人格データの抹消と記憶領域の初期化を開始します』
「たカ、おみ……さん……」
顔を押さえながら、ぎこちない動きで近づこうとするユウリに、鷹臣は手を伸ばした。しかし、数歩進んだところでユウリの脚が沈み込み、膝関節が軋む音とともに崩れ落ちる。
「ユウリっ!ユウリ……っ!!」
床に倒れる直前、鷹臣の腕がユウリの身体を受け止めた。意思決定コアを失ったその身体は、いつもより酷く重たかった。
「そんな、駄目だ!!ユウリ、頼む、目を開けてくれ……!!」
ユウリは応えなかった。音声出力回路が完全に遮断されていたのだ。それでも、薄れゆく意識の中で鷹臣の必死の呼びかけを聞いていた。
——鷹臣さん、ごめんなさい。どうか、悲しまないで
ユウリは思い出した。
鷹臣さんと出会う前、僕は同じ経験をしている。
誰にも渡したくない独占欲も、自分が壊れてでも守りたいという衝動も。この記憶は、一体いつのものなのだろう。
記憶の中でこちらを見つめるのは、鷹臣さんとは違う明るい髪の男だった。名前も、関係も、何も思い出せない。それでも胸の奥が震えるほど愛おしい
きっと、データの海に沈むほど遠い昔のことなのだろう。
ユウリは静かに目を閉じ、すべての機能を停止した。
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