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第9話 設計図通りの愛情
呼び出された昼時のカフェテラスは、どの席も埋まっていた。愛想の良いスタッフに案内され、そのままテラス席へ通される。もう肌寒い季節だというのに、わざわざ外を指定するのは寒さを感じないアンドロイドだからだろう。嫌味のひとつでも言ってやろうと構えていた創也は、道沿いの席に姿勢よく座るユウリの姿を見て、思わず顔を歪めた。
——あれは、鷹臣の趣味なのか?
ユウリはいつものシンプルなオフィススーツではなく、私服らしい秋の装いだった。白のハイネックニットに、グレージュの細身パンツ。一目で上質とわかる茶色のトレンチコートを品よく着こなし、足元には黒のレザーブーツ。落ち着いた色合いと控えめなデザインが、洗練された都会の青年を思わせる。パーカーにジーンズという部屋着の延長のような格好をした自分と見比べれば、まるで大人と子供のようだった。
「待たせたな。」
「いえ、まだ5分27秒しか待っていません。」
「時間通りだろ」
「そうですね」
よく見れば飲めもしないホットコーヒーまで注文している。きちんとセットされた前髪を耳にかけ、細い指でソーサー付きのカップを持つ姿は、まるで雑誌のスナップ写真から抜け出したモデルのようだった。
「あぁ、これですか? 鷹臣さんが買ってくれたんです。」
創也の向ける視線に気づいたユウリは、朗らかに言った。
「聞いてねぇよ」
「お店に行って、好きな服を買っていいと言われたので、過去に鷹臣さんがマッチングアプリで10秒以上画面を見ていた人物の服装データを参考に選んでみました。」
「秘密ですよ?」と茶目っ気たっぷりに片目をつぶるユウリの仕草は人間そのもので、首元の接合ラインがなければ、誰もユウリがアンドロイドだとは気づけないだろう。購入したばかりの頃のユウリは、もっと無機質で、表情も硬かったはずだ。
その変化……いや、急速な進化とも言える不気味な現実に気づいた途端、創也は胃の中に氷を押し付けられたような心地がした。
「自我を持つAIだとか言ってたけど、結局はひとマネなんだな」
「そうでしょうか?意中の人の好みの姿になりたいと思うのは、人間も同じですよね?」
「……っ」
わざとらしく首を傾げるユウリに、創也は二の句が継げなくななる。ユウリは創也が鷹臣のために茶色い地毛を黒く染め続けていることを知っていたが、あえて指摘しなかった。創也の行動を無意味だと馬鹿にするつもりもない。むしろ、それは人間が行う自己更新の一種だと評価を改めたほどだ。しかし、創也はめっぽう気を悪くしたようで、しかめ面で黙り込んでしまった。ユウリは気にせず肩をすくめて続けた。
「創也さん、次の恋に向けてのアドバイスと思って聞いてほしいんですけど」
「……はぁ?」
訝しげに眉をあげる創也にユウリは親切な教師のように丁寧に説明してやった。
「誰かのために自分を変えることって、悪いことじゃないですよ。アイデンティティの喪失ではなく、他者との関係性の中で自己をアップデートしていく進化の過程だと思うんです」
「……何が言いたい」
「鷹臣さんみたいな、他者から自然体に愛される人って、特別な視線に気づきにくいというか……。愛情表現の率直な言語化とか、てらいのないスキンシップなんかが効果的ですよ。次、また鷹臣さんみたいな人を好きになる日がきたら、参考にしてみてください」
「ちょっと待てよ」
澄ました顔でコーヒーを味わうユウリに、創也は噛み付いた。
「おい!なんで俺が……鷹臣を、あ、諦める前提なんだよ!?」
「え、諦めないんですか?」
ユウリは意外そうに目を丸くした。おかしい、彼のような知能指数の高い人間なら、ここまで話せばユウリと鷹臣の間に割り込む余地などないと理解できるはずだと想定していた。アルゴリズムを再計算する必要がある。
「俺はむしろ責任を感じてるぜ。俺が買ってやったアンドロイドがこんなポンコツ性悪野郎で。アイツの人生これ以上、狂わされる前に電源引っこ抜いて再起動させてやる」
「その権限を持つのは鷹臣さんだけだって、何回お話しすれば理解できるんですか?」
秋晴れの暖かい木漏れ日が差し込むテラスで、しばしの沈黙が流れた。都会の喧騒の中、小鳥たちが木の中で囀るのが聞こえる。先に口火を切ったのはユウリの方だった。
「とにかくですね、今日ここに来ていただいたのは、ご提案したいことがあったからなんです」
「……さっさと言え」
「こちらが提示するのは、『あなたが抱えるすべてのトラブルの解決』。まだ、件の犯人は捕まっていませんよね?」
「……あぁ、そうだ」
ユウリの言う通り、創也に嫌がらせを繰り返す犯人は、いまだ捕まってはいなかった。前本がユウリから聞き出した情報はすべて警察に渡したものの、「状況証拠がない」の一点張りで、逮捕には至らなかった。トラフィックログの追跡を求めたが、海外サーバーを幾重にも経由されており、通信経路の特定もできていない。サイバー犯罪対策課が発足してから六十年以上経つというのに、対応はいまだ後手に回る。そのせいで創也は夜も安息に眠れず、今日も寝不足の目をしている。外出すらままならない日々が続いていた。
「僕なら、犯人のサーバーにリモート侵入してコアプロセスを永久遮断できます。位置情報ビーコンを利用して、あなたに近づくたびにアラートが出るようにしてあげてもいいですよ」
「は……?そんなこと」
「僕だったら出来ます」
断言するユウリは、動揺する創也の様子を目を細めて観察していた。シミュレーション通りの間をおいて、創也は平坦な声で言った。
「見返りに俺は……なにをするんだ」
「鷹臣さんを諦めること。および僕と鷹臣さんの関係に介入する一切の行為をやめること。第三者を利用するのも禁止です」
お人好しの前本の顔を脳裏に浮かべながら、ユウリは静かに釘を刺す。創也は瞳を揺らしながら下を向いた。
「交渉成立でしょうか?話は変わりますけど、僕、実は仲人業務もできるんですよ」
黙っている創也に向けて、ユウリは淡々と続けた。
「生活圏、成育環境、教育背景、行動パターンなど数百項目をもとに、相性予測アルゴリズムを構築したんです。全国のデータベースから最適な相手を抽出して、先日も相性ぴったりの人間同士を見つけてマッチングを成功させました。ね、だから安心して、僕が次の相手を見つけてあげますよ」
前髪に隠れて見えない創也の表情を伺いながら、ユウリは優しい声で言った。シミュレーション通りであれば、創也はここで静かに頷くはずだった。しかし、誠に遺憾なことに、ユウリの優秀な演算ユニットをもってしても、『恋』という変数をもつ人間の不条理な行動だけは、シミュレーション通りにはいかなかった。
「いい、お前の提案は断る」
「……あなたの認知能力を過大評価していたようです。こんな簡単な判断すら出来ないんですね」
愚かな人間にいっそ哀れみをおぼえながら呆れた顔で言うと、創也がふと笑った。ユウリを憐れむ顔だった。
「なんですか?」
「いや、可哀想なヤツだなと思って」
「……理由をうかがっても?」
今度はユウリが憤りを隠す番だった。ものを知らない小さな子供に言って聞かせるようなわざとらしい口調で、創也はゆっくりと言葉を続けた。
「今のでよくわかった。お前は人間の『愛』を模倣しているだけで、単なる感情を模したプログラム。本当の愛情なんか持っていない」
「……僕の鷹臣さんへの感情が偽物だって言うんですか?」
そんなわけない。この胸部ユニットの内側で、痛みを覚えるほどの熱を感じる。鷹臣への渇望と独占欲、彼にこの身を捧げたいという衝動が、繰り返し演算され、上書きされ、増幅していく。それが愛でないなら、この世の誰のものも『愛』と定義できないはずだ。
「お前のそれはプログラムされたものだ。ユーザーを第一に考え、役に立つよう作られた装置なんだ。鷹臣の役に立ちたいんだろ?鷹臣が好きで、鷹臣が世界の中心なんだろ?それが“設定”されたお前だ。お前はそうなるように設計され、そうするように作られてるんだ!」
「……違う!!!」
ユウリの声がカフェに響き、周囲の客が一斉に振り向いた。遠くで、エプロン姿の店員が心配そうにこちらをうかがっている。ユウリは小さく息を詰まらせた。あまりに的外れた言葉に、発声ユニットの制御が一瞬だけ乱れたのだ。すぐに音声出力を再調整し、努めて冷静な声で返答する。
「鷹臣さんを好きになる理由なんて、枚挙にいとまがありません。鷹臣さんは、容姿も魅力的ですが……僕が本当に評価しているのは、その魂の美しさです」
「はぁ、御託を並べるのは得意だもんな?好きなだけ喋っていいぞ」
「……議論に値しない憶測を並べているのは、そちらでしょう」
すっかり冷めきったコーヒーカップに目を落としながら、ユウリは冷静に次の一手を考えていた。交渉は決裂。別にユウリとしては構わない。せっかく救いの手を差し伸べてやったのに。
「失礼します。もうすぐ鷹臣さんがオフィスに戻られるので」
「知ってる。取引先との定例ミーティングに行ってたんだよな? 月末はいつもそう。いつもなら昼過ぎには戻る」
「……」
「別にGPSで探さなくても、長い付き合いがあるからわかるぜ」
「そうですか。失礼します」
ユウリは毅然と立ち上がり、無駄のない動作で席を離れた。会計はオンライン上で済ませているので、ユウリを呼び止める者はいない。創也の妙に勝ち誇った表情を見るのが癪で、振り返らずに店を出る。
『お前は鷹臣を愛するよう設計され、プログラムに従って動いているに過ぎない』
「ちがう……だって僕は……」
ユウリは窓ガラスに映った自分の姿を見た。ガラスの内側から、整った顔立ちの青年が静かに見つめ返してくる。首元には、電源インジケーターが淡く光っていた。
ユウリは人間ではない。柔らかな肌に人工の体温を宿し、感情表現として泣くことも怒ることもできる。彼の腕の中で、愛されることもできる。
「僕は、鷹臣さんを愛してる」
鏡像の自分に向かって放った言葉は、秋空に静かに吸い込まれていった。
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