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幕間 ユウリ、アイドルデビューする!?
それは前本のひと言から始まった。
「ユウリくんて、アンドロイドアイドルの奏(かなで)くんに似てるよね」
「……誰ですか?」
鷹臣がウェブ会議の延長戦に突入し、いつ終わるとも知れない状況の中、ふたりは地道な資料の照合作業を続けていた。前本は明らかに疲れていた。そうでなければ、勤勉な彼が勤務時間中に雑談をふってくることはほとんどないだろう。ユウリが返答を迷っていると、前本は自分の端末を取り出し、ケース裏に挟まれた写真を見せてきた。
「ほら、俺の推しの奏くん!ダンスも歌も上手で、ほんっと最高なんだよね」
「『推し』……」
聞き慣れない単語に、ユウリは内部辞書の言語照会システムを起動した。
『推し』——
特定の人物・キャラクター・アイドル・俳優などの中で、特に強く応援している存在を示す名詞。「一番好き」「全力で応援したい」と感じる対象。
なるほど、つまりユウリにとっての『推し』は鷹臣のことだ。定義を照合しながらユウリはひそやかに納得し、改めて首を傾げた。
「似てます……?」
画面の中で華やかな笑みを浮かべる彼と自分の共通点といえば、男性型アンドロイドであることと黒髪くらいだ。ユウリが判断しかねる顔をすると、前本は「えぇ〜?」と不満げな声を上げた。
「よく見てよ!ほら、この写真とか、この角度の控えめな微笑みがめっちゃ似てるんだよ!」
「なるほど」
確かに、先ほどの写真より口角の上げ方や瞳の開き具合が類似している。前本の推しメンバー、奏は3年前にデビューしたアンドロイド5人組『メカボーイズ』の中心メンバーらしい。メンバーカラーは赤。そういえば、前本が小物を選ぶときに手が伸びがちな色も赤色だった。ユウリは前本に関する嗜好データベースの更新を一瞬検討したが、業務上の必要性は認められず保留した。
「こんな素敵なアイドルに似ているなんて、照れちゃいますね」
もちろん、全く照れてはいない。だが儀礼的にそう言って微笑むと、言葉をそのまま受け取った前本はぱっと目を輝かせた。
「ユウリくん!ちょっと踊ってみてよ!」
「え、今ですか?」
目を丸くするユウリをよそに、すっかり仕事を放り出した前本はいそいそとライブ映像を再生してみせる。
「この決めポーズだけでもいいからさ!ちょっと待って、あそこに去年の忘年会でやったときの衣装が……」
「ちょ、ちょっと待ってください」
持ち出された赤いスパンコールのついた派手なアイドル衣装らしきものを見てユウリは思わず、表情制御システムが一瞬乱れるほどドン引きした。こんなの鷹臣の趣味じゃない。そもそも職務時間中だ。鷹臣がいつ会議を終えて戻ってくるかわからない状況で、こんな姿を見られるのは絶対に避けたい。しかし前本はユウリの困惑を、別の意味に受け取ったようだった。
「そうだよな……無理言ってごめん。奏くんたちは歌って踊るのが仕事だけど、ユウリくんは業務用アンドロイドだから、急に言われても出来ないよな」
「……できますけど」
その一言で、ユウリの負けず嫌いのスイッチが入った。ユウリの性能をもってすれば、アイドルのダンスや歌を完璧に模倣することなど造作もない。ユウリは即座に、高精度モーションキャプチャーを起動し、映像内のアイドルの動きを正確にトレースした。それから歌唱用サブプロセッサーも起動し、必要な音声パターンデータを高速ダウンロードする。
「準備ができました。始めますよ」
昼下がりの会議室に、ユウリの伸びやかな歌声と、前本の場違いなまでに熱い掛け声が響く。
「君の声でぼくは動きだすよハートのビットが跳ねてゆく♪プログラムじゃ測れない恋のアルゴリズム、君だけに動くよ♪」
「ユ、ウ、リ!ユ、ウ、リ!ユウリがいちばん!!セカイイチーー!!」
前本がボールペンを即席ペンライトに見立て、全力で振り回す前で、ユウリは軽やかにステップを踏み、計算された角度でくるりとターンを決めた。衣装の裾が優雅にはためき、きらめくスパンコールに光が跳ねる。
「さ、最高だぁ……!!」
前本は興奮のあまり、半ば目を潤ませながら歓声をあげた。曲は二番のサビ前パートに入り、ユウリはパチンと片目をつぶりながら、唯一の観客に指差しファンサービスをしてみせる。
「アップデートじゃ追いつけない♪きみの笑顔予測不能、触れた指先♪ゼロとイチも甘く揺らぐんだ、恋のシステム・レボリューション!」
「な、何をやってるんだ、ユウリ?」
聞き覚えのある低い声が、会議室の入り口から落ちてきた。
「……!!た、鷹臣さん、その、これは……!!」
動揺のあまり、ユウリのダンスモーションが途中でストップし、ポーズの片腕だけ中途半端に伸びたまま固まった。前本も、乱れたシャツの裾を慌てて直しながら、「あ、あのっ、これはですね……!!」とあたふたしている。
「お、お疲れ様です。鷹臣さん、会議は録画しておいたので議事録を作成して先方に送りますか?」
いそぎ仕事モードに設定を戻すが、ユウリはまだ赤い衣装を着たままなことに気付き、あまりの気まずさに目を閉じた。
「ごめんなさい、鷹臣さん。職務中にこんなこと、不適切でしたね」
「社長! 俺が無理言って、ユウリくんは悪くないんです!」
反省して頭を下げるふたりに、鷹臣は虚をつかれたように瞬きをした。
「いや別に、構わない。今のは前本が好きなアイドルの曲だよな?」
「は、はい……」
「可愛らしい歌だった。ダンスも上手だ。ユウリはなんでも出来るな」
「う、うん、ありがとう」
「もう一回、やって見せてくれ」
「えっと、鷹臣さん……」
戸惑うユウリの横で、前本が「そうですよね!」と元気よく乗ってくる。
「社長、ユウリくんはアイドルデビューした方がいいですよ! 絶対人気出ます!」
「……過分なお言葉で、恐縮いたします」
ユウリはあえて感情をのせずに言ったが、前本にはまったく響いていない。鷹臣も真面目な顔で頷いた。
「そうだな、ユウリがアイドルになったら俺も応援する」
「やめてください……」
たまらずユウリは待ったをかけた。最前列でペンライトを振り回す鷹臣の姿が瞬時に脳内シミュレーションされ、処理落ちしそうになる。
「なぁ、次はこれを歌ってくれないかな!? 『ミライ☆ハートリンク』って曲、奏くんのソロ歌唱パートが最高でさ……」
──こいつ……。
ユウリは隣で鷹臣も同じように期待の眼差しを向けていることに気付き、観念して次のモーション準備を始めた。突如始まったオフィスでのアイドルライブは、不審に思った創也が見に来るまで続き、ユウリは前本の『危険人物リスク評価』を二段階引き上げて更新した。
おわり
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