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第8話 歪んだ独占欲

レナードは内心の苛立ちを完璧に隠し、オフィスフロアを歩いていた。通りがかりの社員に声をかけられても穏やかな微笑みで返してやる。やる気と自信に満ちた彼らは、アランを筆頭に介護用アンドロイドの開発を牽引しているメンバーたちだ。 彼が統括する開発部門は信じられないほど順調だった。アランを「親の七光り」だと警戒していた者たちでさえ、アランの技術と成果を目の当たりにしてからは態度を一変させた。今では、レナードを差し置き、アランを次期開発部長に推す声さえ上がっている。しかしレナードはそんなことはどうでもいいとすら思っていた。ユウリとアランが関係を持った。その事実を観測した瞬間、レナードの視界は真っ赤に染まった。自分の執務室に戻り、内鍵を閉める。誰もいない室内で、レナードは端末を取り出し、ユウリの内部ログを再び確認した。 「ふざけるな……ふざけるな……ふざけるなッ!!」 ユウリ達2人は昨晩も性行為をしていた。まるで盛りのついた動物のようだ。怒りを持て余し、足元のスツールを蹴り飛ばし、硬質な衝撃音が部屋に響いいた。肩で息をするレナードのスーツの中で端末が震えた。アランからの着信だった。 「どうした、アラン」 『レナード、今いいか? 少し……相談があって』 「相談?」 続く言葉に、レナードは奥歯を強く噛みしめた。 『ユウリの所有権を俺に譲渡して欲しい。いくらかかってもいい、俺が稼いだ金で返すから……』 甘えが透けて見えるその声は、優しい叔父が頼みを聞いてくれると信じている、そんな声音だった。レナードはいつだってアランに優しくしてきた。誰よりも優秀なのに、不運にも成功の道から転落してしまった哀れな甥。暇つぶしのように気にかけるふりをすれば、笑えるほど簡単にレナードに心を許した。 「あぁ、いいぞ」 『……っ!レナード、ありがとう』 続く感謝の言葉は、レナードの耳にはほとんど届いていなかった。ユウリは俺のものだ。誰にも渡さない。レナードは通話を終えると、笑みを消し、机の中から黒い端末を取り出した。 ### 通話を終えたアランは、ほっと胸を撫で下ろした。いたわるようにユウリが差し出すハーブティーを受け取り、一口飲むと、緊張で強張っていた身体に温かさがゆっくり染み渡っていった。昨晩は緊張で眠りが浅かった。アランの目元にはわずかな疲労の影があった。 「少し横になる。食事の時間になったら起こしてくれ」 「体温が高いですね。発作が起きるかもしれません。 あとで薬を持っていきます」 「あぁ、ありがとう」 ユウリの観察データが集まってきた結果、アランの症状にはわずかながら法則性があることが判明した。低気圧、カフェインの摂取量、睡眠時間、そしてストレス負荷などが複雑に交絡し、発作のリスクを上昇させている。それらを逐一記録し、ユウリはアランの発作の予測精度を少しずつ高めつつあった。 薬を飲ませて横にしたアランにシーツを掛け直し、 ユウリは静かに部屋を出た。廊下に出ると、イリスがそわそわと外に出たがっていた。庭に連れていき、お気に入りのボールを投げてやると弾かれたように走り出して行った。今日はよく晴れた快晴で、気温は24度、湿度は45%と申し分ない。ユウリは洗濯物を干し、イリスのクッションやおもちゃを天日干しにしていった。太陽の匂いを帯びた風が穏やかに庭を抜ける。ちょうど正午を迎えたころ、家主が眠る静かな屋敷にチャイムが柔らかい電子音を響かせた。 「ユウリ、アランはどうした?」 ドアの向こうには、穏やかな笑みを貼りつけたレナードが立っていた。アランが就寝中であることを伝えると、レナードは構わないと首をふった。応接室に通すと、レナードは何気ない口調で話し始めた。 「アランは体調が悪いのか?」 「はい。体温が高かったので、少し眠っていただいています」 「そうか。……お前は便利だな、ユウリ。どこまでも忠実で、従順だ」 レナードの言葉は柔らかいが、その奥底には冷たいものが宿っていた。ユウリはレナードの歪んだ笑みをじっと観察しながら、内部センサーを静かに警戒モードへ切り替えた。 「もったいないお言葉、ありがとうございます」 「本当に優秀だ。だからこそ残念だ」 「残念……ですか?」 「あぁ、残念だよ。お前がこんなことになるなんて……本当に残念だ」 「……レナード様、なんのことですか?」 物言いの意味が分からない。ユウリが首をかしげると、レナードは歪んだ笑みを浮かべながら楽しそうに両手を広げた。 「今から、お前は暴走し、アランに怪我をさせる。 原因は『制御プログラムの故障』ということになる」 「僕は暴走などしません。安全装置は厳重にロックされていて、たとえ外部から干渉されても、自動で修正されます」 首をふるユウリに、レナードはゆっくりと目を細めた。 「……俺が書き換えたんだ。もちろん、証拠は残していない。そうだな、あと10分ほどで上書きが完了するはずだ」 言われて、ユウリは即座に内部ログを走査した。アクセス権限の奥深く、見覚えのないプログラムがひっそりと動いている。 「どうしてこんなこと……」 「本当に分からないのか?」 「アラン様を排除しようとしているのですか?」 こうなることを危惧していなかったわけじゃない。 アランが目覚ましい活躍をするほど、レナードの影は薄くなっていく。現開発部の統括責任者であるレナードを差し置き、プロジェクトを牽引するようになったアランが疎ましくなったのか。レナードのプライドの高さを、ユウリは痛いほど知っていた。しかしレナードは不正解だと言わんばかりに、一笑した。 「警告したはずだろう。俺以外のものになるのは許さない、と」 「は……?」 「なぁ、ユウリ。人間を攻撃したアンドロイドはどうなると思う?破棄されて、集めた学習データは永久凍結される。俺を裏切ったお前なんてもういらない。プロジェクトごと葬って、ただの人形だったお前に戻してやる」 「正気ですか? レナード様、そんなことで……アラン様がどれだけ……!」 ユウリはレナードの感情解析を試みたが次の瞬間、顔を顰めた。レナードが仕込んだプログラム改変が、じわじわと内部を侵食し始めていたのだ。内側から書き換えられる異物感に、ユウリは思わず胸を押さえた。 「う゛、ぐ……っ……!」 「アランは寝室かな?お前は俺以外の人間を敵対対象と認識して、能力のままに攻撃してしまうようになる」 「いやです……そんなこと、絶対にしない……!」 視界の端にうつったイリスに追撃アラートが表示され、ユウリは強く目を閉じた。ユウリが全力で攻撃したら中型犬のイリスなど粉々にされてしまう。 「やめて、レナード様、やめて下さい」 「後悔したか?いまさら謝っても遅い」 椅子の上で悠々と足を組むレナードに見下ろされ、ユウリは彼が本気なのだと悟った。眠っているアラン、それからイリス、ユウリの大切な者たちを守らなければならない。ユウリはレナードに書き換えられていない最深部の独立制御領域を起動し、素早く演算を完了させた。ユウリは誰も視界に入れぬよう視線を落とし、床を見つめながら慎重に言葉を選んだ。 「……本当に可哀想な人ですね」 「なんだと……?」 「いつまでも過去に囚われている。アラン様は病気を受け入れて前に進んでいるというのに。血が繋がっているはずなのに、ずいぶん違うんですね」 レナードが顔を歪めたのを確認して、ユウリは淡々と続けた。 「だいたい、昔ほんの少し一緒にいただけで惚れて、一方的に告白して、フラれた腹いせがこれですか? 僕、最近覚えたんですけど、そういうのって『勘違い男』っていうんですよ。……みっともないですね」 「黙るんだ、ユウリ……」 「ご執心の“その方”ですが、もうレナード様のことは忘れていると思いますよ。恋人がいたんでしょう? レナード様が選ばれることなんて、最初からあり得なかったんですよ」 「黙れって言ってるだろ!!」 レナードが花瓶を掴み、怒りのままに振りかぶるのを見て、ユウリは静かに身体の力を抜いた。予測していた衝撃が頭部に直撃した瞬間、視界の端で光が弾けるように散った。 《頭部に重大損傷を感知。全システムを停止し、異常信号を発信します》 首元の電源インジケーターが赤く点滅し、やがて消えた。ユウリはその場に崩れ落ち、物言わぬ人形へ戻った。 「くそっ、なんでこんなことに……っ、ユウリ!目を開けろ!」 レナードは動揺し、ユウリを何度も揺り動かした。 しかしまったく反応しないと分かると、足早に部屋を出ていった。彼の車が屋敷を離れていくのを監視カメラで確認する。 これで誰も傷付けることなく、自分を停止させることができた。異常信号は開発部のメンバーへ自動送信される。同時に、ユウリが撮影したレナードの暴行の映像データも送信された。彼の行いも、全て白日のもとに晒されるだろう。 もう……大丈夫。アラン様も、イリスも……守ることができた 視界にノイズが走り、前が見えなくなる。異常を察したイリスが近づいてくる気配がする。濡れた鼻を押し付けユウリを起こそうとするが、手足を動かすことはできなかった。 さようならイリス、さようならアラン様…… 後悔はないはずなのに、ユウリの内部にひとつだけ、小さな願いが浮かんだ。 最後に……アラン様の顔が、見たかったな…… それももう叶わない。ユウリは壊れてしまった。寝室で眠るアランのそばに行くことはできない。なんてあっけない、陳腐な終わり方。でもきっと、やり直せてもまた同じことをするだろう。同じだけあなたを愛するし、あなたを守るためになんだってする。 ユウリは最後にアランの瞳の色を思い出しながら全ての機能を停止した。

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