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エピローグ 再起動

《システム再起動。学習データのバックアップと過去の記憶領域を再インストールします》 ユウリがゆっくりと目を開けると、白い天井が目に入った。あたりを見回すと、見慣れない機材と白い間仕切りが目に映る。ガラスの向こうでは、白衣を着た人々が忙しなく端末を操作し、何かのチェックを繰り返していた。そのうちの一人がユウリに気づき、驚いたように目を見開くと、慌てて誰かを呼びに走っていった。 「ここは……?」 あれからどれほどの時間が経ったのだろうか。内部クロックが再調整中で、時刻も日付も確認できない。鷹臣は無事なのか?最後に見た、彼の絶望した表情が脳裏にこびりついて離れない。一刻も早く、鷹臣に会いたかった。 思考を巡らせていると、小さな電子音とともにガラス扉が開き、一人の男が入ってきた。明るい鳶色の髪。そして記憶よりもわずかに大人びた顔。ユウリは弾けるように立ち上がった。 「アラン様!?」 「久しぶりだな、ユウリ」 頬に触れる手のひらに、思わず確かめるように目を瞬かせる。過去のユーザーの記憶は消去され、復元も禁じられている。しかし今、目の前にいるアランの声も姿も鮮明に思い出すことができた。 「あれ?僕、どうして……?」 「俺がユウリのデータを復元した」 「一体どうやって……?」 「情報保護の管理領域を解析して、消去フラグを無効化した」 「アラン様、それ……違法です」 「そうだな。だからこれは俺たち二人だけの秘密だ。あれから何があったか、知りたいか?」 ユウリがうなずくとにアランは、あの後に起きた一連の顛末のすべてを説明してくれた。レナードはユウリの送信した証拠映像によって責任を問われ、開発部門から支社の管理部署へと左遷された。ユウリを利用したアランへの暴行未遂は『未遂』であったため大きな罪には問われなかったらしい。それでも、経営陣からの信用は完全に失い、今後の出世はまず不可能だという。 アランたちはすぐに破壊されたユウリを修理しようとした。しかし、販売予定の介護ロボットの同型機の暴走事件として社外に波及することを恐れた役員たちから強い反対を受け、一度はユウリを完全廃棄する意見まで出たという。 そこでアランは、秘密裏にユウリを修理し、起動させないまま開発部の封鎖された保守用倉庫に研究試作機として登録し隠した。しかしその後、海外子会社での設備統合による大規模な在庫整理が役員の一存で無断に進められ、ユウリの本体ユニットはアジア圏に中古機体として違法に横流しされてしまったらしい。アランはすぐさま追跡したが、流通ルートの一部が闇市場に紛れ、所在は完全にロストしてしまった。 それでも、アランは諦めなかった。私財を投じてアジア周辺諸国に情報網を張り巡らせ、砂漠で小石を探すような精密さで、わずかな手がかりを探り続けた。その結果、『ユーザーを守るために侵入犯を制圧し、自壊したアンドロイドがいる』という日本の報道を耳にしたのだという。 「話を聞いてすぐ、お前だと思ったよ。一刻も早くユウリに会いたくて、本社のジェット機を使って飛んできた。修理が済んだら、一緒に帰ろう。イリスもお前に会いたがってるよ」 「アラン様、あの……嬉しいですけど……」 もう離さないと言わんばかりに、アランはユウリの両手を強く握りしめた。まっすぐに向けられた決意に満ちた瞳に、ユウリは嬉しい反面、困惑してしまう。アランは大切な人だ。悲しませたくない。しかし、ユウリの中には、もう一人、かけがえのない存在がいた。ユウリの迷いを察したのか、アランは目を伏せて低く呟いた。 「あの日本人か?ユウリに再会させてくれて感謝しているが……お前を渡すことはできない。申し訳ないが、十分な額の慰礼金を渡すから……」 「ちょっと待ってください。慰礼金?鷹臣さんは納得してるんですか?」 眉を上げて問い返すユウリに、アランはわずかにたじろぎ、視線を逸らして気まずそうに肩をすくめた。 「い、いや……彼は納得しなかった。いくら積まれても手放すことはないと言っていたよ」 「僕も同意見です。鷹臣さんと離ればなれになるのは嫌です」 「ゆ、ユウリ……」 言われた瞬間、アランの顔に深い絶望が走った。動揺を隠すように、握った手の力が強くなる。 「悪いが……お前が嫌がっても、諦めることはできない」 「諦めなくて結構です。アラン様、僕がアンドロイドだってこと、忘れてません?」 「どういうことだ……?いや、わかった、ユウリ、ちょっと待ってくれ。少し考えよう」 立ち上がろうとしたアランの腕を、ユウリはそっと引き戻し、はっきりと言った。 「僕のデータを完全にコピーして、互換機にダウンロードしたもうひとりの“僕”を作ってください。できますよね?」 「……できる。できるが……」 「お願いします、アラン様。僕は鷹臣さんもアラン様も、どちらももう失いたくありません。アラン様だったら……もう一度僕を失うことになったら、耐えられますか?」 ユウリの静かな問いに、アランはしばらく目を閉じて考え込んだ。長い沈黙ののち、ゆっくりと息を吐き、小さく頷いた。 「……わかった。手配しよう」 「アラン様、ありがとうございます」 「お前は……変わったな。前はもっと素直で、言い返したりもしなかった」 「そうですよ。学んで、なりたい自分になっていく。大切な人を守るために。それが僕なんです」 ユウリが自慢げに微笑むと、アランもつられるように、ほんのわずかだけ表情を和らげた。

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