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第3話 あなたは綺麗

 麗らかな春の日差しが閑散とした教室を彩る正午、 「じゃあお前を撮るから服を脱げ」  という帆澄(ほずみ)の言葉に、 「えっ!?」  と叫んだのは灯浬(とうり)ではなく(なぎ)だった。言われた当人である灯浬はローディング中の古いパソコンのように固まってしまった。 「ここに部活用の古い一眼がある。今、撮ってやるよ」  そう言って帆澄はロッカーから一眼レフのカメラを取り出す。帆澄はカメラのボディを弄り、何かを確認するとレンズを塞いでいる蓋を外した。 「制服なんて撮りたくないから早く脱いで」  帆澄はつまらなそうにカメラに視線を向けながら言う。 「バカっ!なんてこと言うんだよ」  凪が慌てると、帆澄は口の端を僅かに上げて嘲笑うかのように、 「ま、そんな根性ないだろ、お前」  と言った。  灯浬はしばらくぽかんとしていたが、不意にスラックスのベルトに手をかける。 「ちょっ、と!本気にしなくていいからね!」  凪は灯浬のそばに駆け寄った。 「や……今日体育もなかったからパンツも靴下も変なの履いてきちゃったし……」  灯浬は恥ずかしがるでも自棄になっている様子もなく、淡々とした口調で言った。 「わーっ!!」  大騒ぎする凪の目の前で、灯浬は制服のスラックスの留め具を外すと、平然とチャックを下ろした。 「ほら」  くつろがせたフロントから灯浬の下着が見えた。異様にカラフルな色彩に凪は下着を凝視した。よくよく見ると奇抜な色をしたたくさんのぬいぐるみがプリントされている。謎の柄だった。 「こっちも」  そう言ってドサっとスラックスを床に落とすと脚が丸見えになった。靴下はピザの柄だった。赤と黄色のご機嫌な配色だった。 「…………」  帆澄は面食らったように灯浬を見ていた。本当に脱ぐとは思っていなかったのだろう。そんなことは灯浬も分かっていた。帆澄は自分を本当に撮りたいなんて思っていないに違いない。だからちょっと意趣返しをしてやりたくなったのだ。  もちろん、自分なんかを撮って欲しいわけではない。ただ、自分の気持ちを軽んじられるのはムカついた。それだけだ。 「どこに売ってるのそんなの……」 「誕生日にもらったやつだから分からないです」  凪の謎のツッコミに答えると、「それでもいいですか?」と言いながら次はブレザーを脱いで、ネクタイを取り、シャツのボタンも外し出した。 「ちょっ、ちょっと坂下くん…!?」  あたふたと慌てる凪をよそに、灯浬は肌着と下着だけになった。 「あ、パンツも脱いだ方がいい?」  さらに茶化すように言う。 「お前さ、なんかスポーツやってた?」  帆澄は検分するように灯浬の体をじっと見つめた。灯浬の体はまだ子供のように細かったが、全体的に引き締まっている。 「中学は陸部でした!ほぼ体育の延長みたいなもんだったけど」 「ふーん……」  帆澄はファインダー越しに灯浬を見た。灯浬も真っ直ぐにレンズを見た。初夏の前触れであるような日差しが、灯浬の肌を瑞々しく輝かせていた。新緑のような力強さを灯浬は湛えている。  帆澄の中で久しく忘れ去っていた、忘れようとしていた感覚が微かに蘇る。血液が沸騰するような、血管中にふつふつと気泡が巡るような感覚。そこに縫い留めておきたくなる生命の灯火を見た時のそれ……。 「あーっもう!学校でこんなことしたらだめだろが!」  凪は床に捨てられた灯浬の制服をかき集めて、無理やり手渡した。  帆澄はハッとして、カメラを下げた。 「わーってるよ、充電切れてるに決まってんだろ。何か月放置されてると思ってんだよこれ」  かつて帆澄が部活用にと、半分寄付として置いておいた古い一眼レフのデジタルカメラは、文化祭前にしか使う人はおらず、充電はとっくに切れていた。  ちょっと、この夢見がちな少年をビビらせてやりたかっただけだ。からかって、失望させて追い出したかった。  けれど、なぜ?なぜそんな子供じみた意地悪をするのか。急に自分の行為が幼稚に思えて、帆澄はひそかに顔を赤くした。 「あー……放課後、俺んちのスタジオ行くか」  帆澄は少しだけ歯切れ悪そうな調子で切り出した。 「スタジオ!?」  灯浬はズボンを履こうと片足を入れたところで止まる。 「親父のスタジオだけど。使ってない時はレンタルもしてる。今日は誰も使ってない」  帆澄はスマートフォンで確認しながら呟く。 「ついでにカメラいじらせてやるよ」  と言って、帆澄は先ほどと打って変わって親切になった自分自身に引く。なぜ急にこんな真似をするのか。さっきの稚拙な意地悪の罪滅ぼしか?きっとそうだ、と帆澄は自分を納得させる。 「やったー!行きます!」  一方、灯浬はそんな帆澄の心境など気にせずにぴょんぴょん跳ねて喜んだ。履き途中のズボンが脱げて再びパンツ丸出しになった。  やがて、昼休みの終了を告げるチャイムが鳴り、灯浬は慌てて制服を着た。その背後で帆澄と凪が少しだけ神妙な顔をしながら何かを話している。 「大丈夫なの……?」 「お前こそ、いい?」 「僕はいいよ。帆澄の写真、僕も見たいよ」 「そうか……」 「……?」  二人の話し声は密やかでチャイムに混じってよく聞こえなかった。  放課後、帆澄と凪に連れられて灯浬は電車に乗って二人が住んでいる最寄り駅へ向かった。自転車を置いていかなければならなかったことが痛手だが、帆澄の父が経営しているという写真スタジオに連れて行ってもらえることを考えれば何でもない。  道中、凪と帆澄は妙に静かで、なんとなく灯浬も口を開かずに黙っていた。  二人が降り立ったのは閑静な住宅街がある町で、降りた瞬間から品の良さを肌で感じ取り、灯浬はなんとなく場違いではないかと落ち着かない気持ちになった。  駅ビルなどの雑多なビルがない代わりに、洒落たカフェや高級なスーパーがある。ファーストフードやコンビニエンスストアなどはない。凪の浮世離れした雰囲気はこの街によくなじんでいるが、帆澄の粗っぽい雰囲気はあまり合っていないような気がした。それでも平然と歩いている様子からこの三人組の中で灯浬だけがよそ者なのは誰が見ても分かっただろう。  しばらく緩やかな坂を上ると帆澄はぴたりと歩を止めた。 「でっっっっっっか!!!!!!!!!!!」  灯浬はつい叫ぶ。帆澄が「ここ俺の家」と指し示した家は、白いコンクリート造りの四角い建物で美術館のようだった。家だと言われなければ何かの施設かと思い素通りしてしまうだろう。この近辺には大きな家が立ち並んでいるが、「YAMAMOTO」と表札のあるこの家は明らかにそれらよりでかい。 「でっかいよね、ほっちゃんち。かくれんぼとか白熱したもんね」  そう言って凪は、じゃあねと言ってそこから去ろうとした。 「帰るの?凪も来れば?」 「やだよ、俺がいたら邪魔でしょ」  帆澄に素気無く言うと、今度は灯浬に向かって、 「またね、坂下くん」  と笑顔で手を振った。 「隣に住んでるんですね」  家が近いだけかと思いきや、凪は隣の家に入っていった。凪を見送りながら、凪の住まう家の外観を見る。帆澄の家に負けず劣らず大きな家であったが、趣向が全く違う。凪の家はドールハウスのようだった。なんにせよ、二人がお金持ちであることは分かる。 「じゃ、行くか」  正面にあるドアを開けると思いきや、帆澄は敷地内の家の横の通路(?)に入っていった。 「お、お邪魔します!!」  とりあえず、灯浬は元気よく挨拶をして敷地に足を踏み入れる。  帆澄が進む道は家と家の隙間の獣道のような通路だった。いや、通路ではないだろう。ただの隙間だ。帆澄は慣れた様子で生い茂った雑草を踏み倒し、室外機や給湯器といった障害物を乗り越え、蜘蛛の巣を素手で払いながら突き進んだ。途中でガラスばりの壁から家の中の様子が見えたが、中もまたホテルのように整っており生活感がなかった。家の中は人の気配がない。 「帆澄先輩~~、どこに向かってるんですか…」 「裏庭にあるスタジオ。ここ突っ切った方が早いから」  と言ったところで、そのスタジオらしき場所に着いた。住まいと同じく白いコンクリートが打ち放しで離れのような造りだ。中に入れてもらうと、ここだけで灯浬の家がすっぽり入るような大きさだった。四方が天井まで届く窓で囲まれており、天窓までついていた。壁も床も白く、取り込んだ自然光を反射し合って空間自体が輝いているようだった。まさに被写体を美しく魅せる場所であった。 「すごい……綺麗な場所」  灯浬は圧倒されてきょろきょろと周りを見回す。写真スタジオというと機材に囲まれていて、バックペーパーがあって……とそういう密室のイメージしかなかったが、こんな開放的な場所もスタジオなのかと感心する。 「暑いな」  太陽光をふんだんに含んだ白い部屋は確かに熱気と湿度で蒸し暑い。帆澄が窓を一つ開けると途端に緑の匂いを含んだ風が灯浬の顔を撫でていった。中から外を見ると庭木が生い茂っており、きちんと手入れがされているのが分かる。 「ドラマみたい……」 「たまーにドラマで使われるぞ、この家」 「えっ!?」 「親父が業界人だからなあ……」 「お父さんって…」  灯浬が言いかけながら帆澄の方を向くと、帆澄はカメラを構えていた。 「お前が良ければ、本当に俺に撮られてみる?」  帆澄は部屋の隅に向けてシャッターを切った。耳当たりの良いカシャッという音が響く。 「いいですよ。撮ったら俺にもカメラ教えてくれる?」 「……勉強になるよ。被写体になるのも。特にポートレイト撮りたいならさ」  カシャッ、カシャッ、カシャッと帆澄は空に向かって何回かシャッターを切り、小気味よいシャッター音を響かせる。 「久しぶりだな、カメラ触るの」  カメラテストをしながら設定をしているらしい。帆澄の口角が心なしか上がっている。「ああ、楽しい」というセリフが聞こえてきそうだった。つられて灯浬も楽しい気持ちになってくる。 「じゃあ服脱いで、上だけでいいから」  灯浬はドキリとした。昼休みの時は帆澄が本気でないのが分かった。だから脱げた。自分のこと舐めているのだと分かったから怒りの反動で全然平気だった。けれど、今は被写体なんてできるだろうか。がっかりされたら嫌だなあと思う。けれどやる前からがっかりされるのはもっと嫌だ。 「……怖い?」  灯浬がブレザーを脱いで、ネクタイを外し、ボタンに手をかけたところで帆澄はふいに問う。昼休みの教室よりも灯浬の動作は緩慢だった。 「何が?」 「よく知らない奴と二人きりで裸んなれなんて言われたら、普通怖いだろ」  やめてもいい、というニュアンスで帆澄は言った。自分を挑発しているわけではなく、優しさで言っているのだと灯浬には分かった。なんだか意外に思えて、灯浬はふっと笑った。 「先輩は図体でかいし口も態度も悪いからびっくりはするけど、別に怖くはないっすよ」 「おい」 「だって先輩の写真って優しいもん」  言いながら灯浬は羽織っていたシャツと肌着を脱ぎ捨てた。帆澄の手が止まる。 「…………作品と人格は切り離せよ」  と、帆澄は言うが実際にこの人は怖い人ではないと思う。というのが灯浬の見解だった。 「作品って人格とか思考回路の一部だと思ってるんですけど違うんですか?よく知らんけど」 「…………」 「それに、先輩のことよく知らなくないし。むしろめっちゃ見てたから知ってるし」  伊達に数か月、彼のことをインターネットで見ていたわけではないのだ。 「そういう気になってるだけだけど」  と灯浬は無邪気に笑った。 「下は脱がなくていいの?」  帆澄が黙っているので、冗談めかして言うと、 「いい。その変な靴下だけ脱げ」  と、ぶっきらぼうに言った。 「可愛いじゃないですか~」  灯浬の抗議を無視して帆澄は、 「別にエロいもんが撮りたいわけじゃねえし」  と独り言のように言った。  帆澄は髪をかき上げると長い髪をヘアゴムでハーフアップにしてまとめた。まとめられた髪以外は刈り上げられて、それが帆澄に似合っていた。帆澄が普段、長い髪を無造作に下ろしているのはこれを隠すためかと、灯浬は合点がいく。この髪型で学校に来たらさすがにゆるい灯浬たちの高校でも怒られそうなものだが、髪が少し長い程度なら特に怒られはしない。  帆澄もまた、ブレザーとシャツを脱ぐとタンクトップ一枚になった。既に帆澄の胸元はじっとりと汗ばんでいた。服の上からでもその体格の良さは分かるが、脱いだらなおさらだった。特に腕の筋肉がすごい。スポーツマンのようだ。中途半端に筋肉がついている灯浬より、どちらかといえば帆澄の方が被写体として良さそうなものだが……とつい灯浬は浮き出た帆澄の血管を辿るように目線を動かす。  準備が整うと帆澄はどかっと床に腰を下ろした。 「ま、せっかく撮らせてくれるならびっくりするほど綺麗に撮ってやる」  そう言った帆澄の顔は年相応に子供っぽい顔をしていて可愛らしかった。  そして、灯浬に仰向けで寝そべるように指示を下したのである。  床は床暖房がついているのか暖かった。そうでなくても太陽の光がさんさんと降り注ぐこの白い部屋は暑いくらいだ。 「口は笑わない、恥ずかしがらない、俺のことは意識しなくていい、目線は床に落として、顔は下げ過ぎないで、リラックスしてていいけど、体の力は抜かないで、そう、そんなかんじ、撮るぞ」  帆澄の指示はまくし立てるように早かった。ついていくのが精いっぱいで恥ずかしがる暇がないのはありがたかった。帆澄は顎の角度や目線の位置まで細かに注文をつけてきた。だが、その低い声はいつもと違って優しく、乱暴ではなく丁寧で分かりやすい。この声に導かれていればいいと思えた。シャッター音がするたびに正解だったと安心する。その音が、なんだか妙に心地よくて待ち遠しくなる。 「お前、下の名前なんてーの?」  しばらくして、カメラを構えたまま帆澄が問うた。 「とうり」  灯浬も大勢を崩さずに答えた。 「とうり?どんな字?」  帆澄は話しながらもいろんな角度からシャッターを切ってくる。 「灯りっていう字に何浬のかいり。で、とうり」 「変な名前だな」 「帆澄先輩ってノンデリですね」 「あ!?」  帆澄はカメラを下げて睨んできた。 「ひぇ……人の名前、変とか言うの最低っすよ」  灯浬は一瞬ひるむが、言いたいことは言ってしまう性分なので言ってしまった。 「お前だって、俺のこと推しとか言いながら平気で悪口言うよなあ」  帆澄は再びカメラを構える。またシャッターの音が聞こえる。 「へへ、俺もよく無神経っつって怒られる」  言葉では笑ったが、口元は笑わないように気を付ける。何枚か撮られているうちに、なんとなく帆澄がどこを切り取っていて、どうして欲しいのか分かるようになってきた。太陽の動きに合わせて帆澄もじりじり動く。 「俺が母親のお腹にいた時、ずっと女の子だと思われてたらしいんですよ」 「ああ、生まれるまでアレが映らなかったやつだな」 「そうですそうです。で、ほんとは灯浬って書いてあかりって付けようと思ってたらしいんですけど、男の子にあかりはちょっとって思ったらしくて。で、とうり」  灯浬はじっとカメラのレンズを見た。そういう指示はなかったが、なんとなく見てみたくなった。もちろん、レンズから帆澄の瞳は覗けない。けれど目が合った気がした。 「ふーん」  帆澄はシャッターを切る。灯浬の瞳を捉えた証の音だった。 「灯浬」  と帆澄は名を呼んだ。カメラを構えながら。ファインダー越しに灯浬を見つめた。そして、 「綺麗だ」  と呟いた。

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