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第5話 午後の喧噪

「綺麗だろ」 「わっっ!」  (なぎ)の写真に見入っているところに、灯浬(とうり)の肩に顎を乗せるような形で帆澄(ほずみ)が後ろから覗き込んできた。 「こんな写真勝手に見て良かったんですか?」  灯浬の記憶では凪の写真が帆澄のSNSに載せられていたことはない。帆澄の写真なら全て覚えている。同年代の少年がこんなに露出をしている写真は見たことがなかった。  ちらっと帆澄を見ると帆澄は灯浬の肩越しに凪の写真に視線を落としていた。帆澄の呼吸が首筋に当たってくすぐったい。 「先輩?」  反応がないのでもう一度声をかける。 「あ、悪い、何?」 「いえ…なんでもないです」  帆澄は遠い目をして写真を見ていた。懐かしむように、慈しむように、瞳を細めていた。邪魔をしてはいけないような気持ちになる。同時になぜだか邪魔をしたくなる。 「っていうか、俺にも写真教えてよ。カメラ触りたいです」  帆澄の視線を凪から逸らしたくなった。想像以上に自分から甘ったるい声が出てぞっとする。もっとも、帆澄は気にしていないだろうが。 「モデルやってれば自然と分かるだろ」 「えぇ、まだ俺撮る気!?」 「お前撮るの面白かったし、お前って気使わなくて済むし。リハビリに最適」 「別にいいけど……」  と気のない返事をしつつもドキドキする。帆澄の世界にまた入れる。また見たこともない自分を見せてもらえる。それが嬉しくないわけがない。 「じゃあ、俺も先輩撮らせて!」  そうだ、互いを撮るというのはどうだろう。灯浬は名案を思いついたように言った。それなら勉強になるし、もっと帆澄に近づけるではないか、と。 「は?やだよ。カメラ貸してやるから庭でも撮ってれば」 「え、え~~」  それから、帆澄は灯浬に基本的な写真の撮り方だけ教えると、庭に放り出した。灯浬は庭に生えているユキヤナギやチューリップを撮影してみた。最初こそ被写体に焦点を合わせてシャッターを押すだけで、スマートフォンとは全く違う世界が撮れる一眼レフのカメラを楽しいと思えたが、そもそも花や草木に興味のない灯浬は三十分もしないうちに飽きてしまった。  帆澄は灯浬のことなど放置して、片っ端から自分の作成した写真集を見返していた。食い入るように凪の写真を見ていた。  一方、灯浬は撮ったものを見返してみたが、肉眼で見る以上の美しさは特になく、撮影というか記録だった。帆澄の写真はこんなんじゃない。肉眼で見る世界より美しいものが映っている。  ああ、やっぱり自分も人が撮りたい……。    灯浬は庭の隅からスタジオにいる帆澄に向かってカメラを向けてみた。与えられたレンズを絞って写真を見つめる帆澄をズームにする。  カシャっと帆澄の横顔を撮ってみたが、暗くなってしまいよく見えない。  ほとんどのズームレンズはズームするほど暗く映ってしまうのだ。鮮明に映す方法を灯浬はまだ知らなかった。  翌日。灯浬のクラスは一階の理科室で実験を行っていた。一段落ついて片づけをしていたところで、ふと目の前の校庭を見るとどこかのクラスが陸上をやっている。走り高跳びと走り幅跳びだ。中学の時に陸上部だった灯浬は懐かしくなり、ついつい目で追ってしまう。  有象無象の生徒の中で、やけに色白な生徒が目につく。凪だった。体育着の凪は手足も長くて腰の位置も高い。帆澄といると分からないが、凪は背が高くスタイルが良い。体育だからか野暮ったく見える眼鏡も外していて、端正な素顔が見えた。  灯浬は昨日の帆澄の写真に映っていた凪を思い出してドキリとした。体操着の下には陶磁のような肌と、彫刻のような整った肢体が隠されている。それを知っている人はどれだけいるのか。  凪の近くに帆澄はいない。てっきり一緒のクラスなのかと思っていたが、そうではないのだろう。凪は手持ち無沙汰のように走り高跳びの列に並んでいた。クラスの生徒と談笑している様子はない。打ち解けてもいなさそうだ。それでも背筋を曲げることなく綺麗に立っていた。ただ立っているだけなのに妙に雰囲気がある。アンニュイな表情がそれを際立たせている。立っているだけで絵になるとはこういうことか……と思う。  やがて、凪の番になる。凪は軽く助走をつけると綺麗に跳躍して難なく高飛びを終えた。まるで重力を無視しているように軽々と。決して高い位置にあったバーというわけではないけれど、ふわりと羽が生えているようだった。  その様子を間近で見ていた凪のクラスメイトも何名かが凪に話しかけているのを見た。凪がやっといつものように顔に微笑みを作った。それを見て勝手に少し安心する。  そこで授業の終わりを告げるチャイムが鳴った。灯浬は窓を開けると、 「凪せんぱーーーーい!」  と叫んだ。凪は驚いたように灯浬を見た。そして恥ずかしそうに手を振り返してくれた。そんな凪を微笑ましく見送りながら、大丈夫だったと灯浬は思った。  ホッとした。大丈夫だ、全然大丈夫。自分は凪に対して変な感情を抱いていない。  昨日、実をいうと嫉妬をしたのではないか、と動揺したのだ。  帆澄の撮った凪の写真を見た時、名前のつけられないもやもやした感情が灯浬を襲った。まさか不遜にも凪に嫉妬をしたのではないかと思ったのだ。きっと気のせいだ。あの写真がすごすぎてきっと感化されたのだ。だって、帆澄の撮った凪の写真には帆澄の緊迫した感情が詰まっていた。凪をとことん美しく撮ってやりたい、という気概が詰まっていた。切羽詰まったような帆澄の感情が伝わってきた。だから、圧倒されてしまっただけだ。  どう考えても自分は帆澄にも凪にも足下にも及ばないのだから嫉妬なんてする必要ないのだ。だから大丈夫だ。  何が大丈夫なのか分からないまま、灯浬は大丈夫大丈夫と、自分を励まし続けた。 「ねぇ!!羽村凪と知り合いなの!?」 「わっびっくりした!!」  急にクラスの女子から話しかけられ、手に持っていたプレパラートを落としかけた。 「え!?羽村凪!?」  その拍子に一部の女子が灯浬に詰めかけてきた。 「な、なんで?凪先輩知ってんの?」  灯浬が質問を投げると、 「なんで坂下くんと知り合いなの?バレエ好きなの?」 「羽村凪と知り合いならサインもらってよ~」 「むしろ凪くんに会いたいんだけど!!」  十倍になって返ってきた。 「ひぇ…………」  灯浬は女子に囲まれて身動きが取れなくなった。  『羽村凪と知り合いなのになんで知らないの?』と呆れたように女生徒から見せられたのはバレエダンサーとして活動する凪のSNSのアカウントだった。フォロワー数も五万人とかなり多い。しかし一年以上更新がなかった。  知らなかった……凪先輩って有名人だったんだ……。昼休み、灯浬はお弁当を手に持ちながら写真部の部室に向かっていた。今日も来ていいなんて言われてはいないが、だめということもないだろうと思い、勝手にお邪魔することにした。  教室から離れ、部室に使われる空き教室がある棟に近づくたび、人の気配が薄くなる。部室まで続く廊下は日差しがよく届いて白く光っている。古い校舎というのもあいまって、なんだか懐かしい夢を見ているようだった。帆澄の家の光溢れるスタジオを思い出す。  確かに光が降り注ぐ場所に人を立たせたらとても美しいだろう。脳裏に昨日見た凪の姿が浮かぶ。凪の白い肌は太陽光を反射させてガラスみたいに光るだろう。光に溶ける凪の姿はさぞ美しいのだろう。凪を撮りたい、という気持ちがわかる。しかし灯浬の脳内に広がる画像にはさらにその先に帆澄が映っていた。帆澄はそんな凪をずっと閉じ込めてきたのだろう。凪を捉える武骨な指。鋭い目。獣のような帆澄の姿。    ゾクっとした。 「あれー?羽村凪くん?」  灯浬はハッと我に返る。どこからか揶揄するような声で凪を呼ぶ生徒がいる。 「ねー、ねー、サインと写真くんね?」  見れば廊下の先に五、六人の男子生徒が凪を囲んでいた。おそらく三年生のようだ。制服を着崩して、髪を明るい色に染めた見るからにガラの悪い生徒たちだったが、凪は怖気づいている様子はない。かといって反抗的な態度でもなくただ面倒そうな顔をしていた。 「誰こいつ?」 「知らねぇの?ってか俺もよく知らねーけど。カノジョが写真撮ってこいってうるせぇんだよ」 「凪くん、バレエやってたんでしょ?」 「マジで?」 「ほら、写真」 「うわ、マジのやつじゃん」 「タイツ、やば」 「あ、言っちゃった」  皆、口々に好き勝手なことを言っては大笑いしていた。 「ごめん、ごめん、凪くん。写真撮らせて」  一人の生徒が凪の肩に手を回す。凪は無表情で無言を貫いている。さすがに黙っていられない。凪を連れ出そう。灯浬は凪を呼んだ。 「なぎせ…」 「うるせーな、カス」 「!?」  帆澄にも負けず劣らぬドスの利いた低い声。灯浬は耳を疑った。今の声は凪が発したのかと。   灯浬が驚いて固まっていると、凪は男子生徒の手を振り払った。絡んでいた男子生徒も呆然としている。だが、それも一瞬で、 「ウケるー、舐められてんじゃん」  と別の生徒がはやしたてた。凪は素知らぬふりをして去ろうとしたが、男子生徒は再び肩を掴む。煽られてひっこみがつかなくなったのだろう。 「おい、待てよ」 「なんです?あんたに構ってる暇ないんですけど」 「はぁ!?」  ああ、やばい!!このままだと乱闘騒ぎになるかもしれない!!一触即発の空気を感じとった灯浬は今度こそ声をあげた。 「あ~~~!!先生、先生こっちですー!喧嘩してますー!」  近くに教師がいたかは知らないが、とりあえず叫んだ。 「えっ!?」  凪を含むその場にいた全員が慌て出した。 「凪先輩!!」 「坂下くん!?」  灯浬は凪の腕を掴むと、とりあえず人気のある方にダッシュした。  灯浬と凪はベンチや自販機がある中庭に来た。気候が良い日はここで昼食をとる生徒も多く賑わっている。 「あー、もうびっくりした色々と」  主に凪の豹変ぶりに驚いたのだが。 「いやぁ、あー、ははは、ぼ、俺……結構短気なんだよねぇ」  凪は灯浬の言わんとしたことを察したのか、笑顔でフォローする。フォローになっていないが。そういえば初めて会った時も容赦なく帆澄を叩いていたな……と思い出した。凪と帆澄が特別仲が良いからかと思っていたが、案外キレやすいのかもしれない。 「お弁当、ぐっちゃぐちゃになってそう」 「ほんとだね。でも味は変わらないんじゃない?」  凪は空いているベンチに腰を下ろす。 「もう時間ないし、ここで食べようか」 「えっ、帆澄先輩は?」  おそらく帆澄は部室で凪を待っているだろう。 「まぁ、いいよ。連絡しとく」  と言って 、さっさと膝の上で器用に弁当を広げた。 「う、うん……」  灯浬も椅子の上で弁当を広げた。凪はなんだか似合っているから良いが、自分も女の子のように膝の上でお弁当を広げるのは抵抗があった。  ところで先ほどから数名の生徒に……特に女生徒にちらちらと見られている気がする。きっと凪を見ているのだ。凪先輩って有名人なのだな、と改めて実感する。しかし、凪はさして気にしていないようだった。 「どうだった?」  唐突に凪が唐揚げを口に含みながら聞いてきた。ハムスターのように白い頬が膨れている。 「へ!?」 「昨日のさ、撮影したんでしょ?」  もごもごと肉を噛み砕きながら凪が尋ねる。お上品な凪のイメージが瓦解していくのを灯浬は感じた。 「えっ、あ、うん……」 「セクハラされなかった?」 「セクハラ!?」  冗談めかして言われたが、凪の口からセクハラという単語が出てくると驚いてしまう。その質問の方がセクハラじゃないか、と思いながらも灯浬は否定する。 「さ、されてませんっ」 「ふふ、楽しかった?」  凪は楽しそうに笑う。 「うん」 「ほっちゃんがね、今朝、機嫌良かったから。昨日は随分楽しかったんだなって」  一旦、食べ物を口に運ぶのをやめると、凪は少しだけ遠い目をして呟いた。 「良かった」  なんだか親のような言いようだった。 「……ねぇ、凪先輩ってずっと帆澄先輩に撮られてたの?」 「え?」  凪は怪訝な声を出した。 「あ、いえ、ごめん、あの……写真集?見せてもらった…………」 「あーー……あれね。うん、そうだよ、俺とほっちゃんでずっと作品作ってたの。でもほっちゃんが去年、突然カメラ辞めるって言い出して、それから撮ってないなあ」 「凪先輩の写真、帆澄先輩のSNSには一枚も上がってなかったから驚いた」 「うーん、知ってるかもしれないけど、俺中学までバレエやってたんだよね。もう辞めたけど。そこそこファンもいてくれたから、SNSに載せるのはやめようってなって」 「でもめちゃくちゃ綺麗だった……からお蔵入りもったいないですね」  と灯浬が言うと、凪はそっと耳打ちするように灯浬に顔を近づけてきた。 「ほっちゃんの写真ってちょっとキワドイでしょ」  密やかな響きをもって囁く。耳がくすぐったくて思わず凪から距離を取った。そんな灯浬を悪戯っぽい目……というよりどことなく蠱惑的な目線で凪は見た。昨日の帆澄の写真の中の凪のような。 「…………」  なんと反応して良いか分からず黙っていると、 「ふふ、ふふふっ……面白いね坂下くんって」  と凪は突然笑い出した。揶揄われたのだ、と悟った。 「凪先輩ってさ……結構いい性格してますよね」  顔を赤くしながら灯浬は睨む。中性的ともいえる凪にこんなことをされたら、誰でもドギマギするだろう。それを凪は自覚しててやっているのだ。 「えぇ、そうかなあ」  すっとぼけたように凪は言う。このどこかのほほんとした雰囲気は凪のカモフラージュかもしれない、と灯浬は思った。 「お前ら、なんでこんなとこで食ってんだよ」 「ふわぁ!!」  ガシッと背後から肩を掴まれ、灯浬は素っ頓狂な声を上げた。口に入れかけたミニトマトを吹き出すところだった。振り向けば帆澄が不機嫌そうな……いや、いつもと変わらぬ無愛想な面持ちで立っている。 「あーあ、ほっちゃん来ちゃった」 「お前、晒し者になってるぞ」  帆澄が周りを見渡しながら言う。気にしないふりをしていたが、凪をちらちら見る視線は止まないし、わざわざ凪を見るために友達を呼んで戻る一年生らしき生徒もいる。しかし図体がでかく強面の帆澄が現れると、途端に散っていった気がする。 「ふふ、坂下くんとデート。羨ましい?」 「えぇ!?」  凪はしたり顔で灯浬の肩にこてんと小さい頭を預けた。凪の柔らかい髪が首筋をかすめる。シャンプーの匂いなのか凪の匂いなのかふんわりと甘い匂いまでする……いやいやいや何を考えているのだ、と灯浬は凪を押し戻した。 「凪先輩、今日、変!!」 「こいつが変なのは昔からだぞ。言っておくけど、俺の方がよっぽどまともだからな」 「反論はしないけど、ひど」  帆澄は何を今さらという態度でたいして取り合わなかった。 「そんなことより、これ見せようと思ったのにお前ら部室来ねーから……」  帆澄はポケットから何かを出す。 「え?」  凪と灯浬が差し出されたものを覗き込むと、それは数枚の写真だった。  昨日の灯浬の。 「だーーーーーーーーーーーーーー!!」  灯浬は叫びながら写真を奪い取った。 「あ!ちゃんと見せてよ!」  自分もしっかり見てないが、一瞬見た写真はほぼほぼ肌色で埋まっていた。そんな写真を第三者に見せたくない。自分もあまり見たくない。 「だ、だめだめだめ!」  凪に見られまいと必死に隠す。 「えー、ずるいなあ。俺の写真は見たんでしょ?」 「見たけど、俺のはだめ!!」 「灯浬。とりあえずお前だけでもちゃんと見ろ」  わぁわぁ言い合っていると帆澄が割り込んできた。真面目な帆澄の声に、凪も動きを止める。 「え……うん…………」  灯浬は凪に見られぬ角度で写真を見た。 「お、おお~~~~~~~~~……」  自分で言うのもなんだが、やはり綺麗だ。ふわりとした陽光に照らされて美青年ともいえる人間が映っている。マジで誰だ、と灯浬は思う。鏡で見ている自分とも、電車や窓にふと映る自分とも違う。思わずナルシストになってしまいそうだ。  それにプリントされた写真はカメラのモニターで見るのとはまた違う。より、肉迫している気になる。まるでそこにいるような……。 「うーん、やっぱり写真はアナログだな」  帆澄は灯浬の手から写真を取ると、じっと眺めた。 「僕にも見せてよ」 「灯浬、見せていい?」 「う…………、いいけど」  灯浬はしぶしぶ折れることにした。恥ずかしいけど、ほとんど別人だし、綺麗に撮れているし、自分と帆澄だけが見るのはなんだかもったいない気もするし……と言い訳している間に帆澄は凪に写真を手渡した。凪は写真をじっと見る。 「………………」  しかし、反応がない。反応がないと余計に恥ずかしい。 「凪?」 「…………めちゃくちゃいいじゃん」  しばらくして凪は嬉しそうに感想を述べた。 「だろ?」  帆澄がまた子供のように得意気に答える。灯浬もホッとした。ダメ出しなどされたら心底落ち込むだろう。 「良かったね」 「………………」  凪は安堵したように言った。しかし、帆澄は何も答えなかった。

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