6 / 6
〔4〕 イヴニア見聞録
暇を与えていた他の奴隷が戻ってきたので、ラシャは彼らと誠治との顔合わせをすることにした。
料理人に、雑務を取り仕切る下働きなど、四人の召使いを紹介してから、最後の一人が前に出る。
「これは召使い頭のアデーレです」
アデーレはハイエナの獣人だ。焦げ茶の髪を一本の長い三つ編みにしている。手に負えないほど気が強いが、腕は立つ。
「闘技大会の準備などでわたしがお側にいない時には、彼女が代わりに全てを取り仕切ります。護衛としても経験豊富ですので、ご安心を」
「どうぞよろしく」
アデーレはいかにも強情そうに、必要最低限の敬意を見せただけだった。他の主人に対して同じことをしたら、すぐさま鞭打たれるだろう。
だが、誠治は人の良さそうな笑みを浮かべて頷いた。
「どうもありがとう。こちらこそよろしくお願い──」
ラシャが窘めるように小さく首を横に振ると、誠治はハッとして表情を取り繕い、言い換える。
「よろしく頼む」
顔合わせは無事に終わり、皆がそれぞれの仕事を再開することになった。
アスカルダ家の者たちには、主人の肉体に他人の魂が入り込んでしまったことは説明してあるし、以前と変わらずお仕えすると約束させた。
それは、全員を違法な蘇生の隠蔽に加担させるということでもあるのだが、誰ひとりとして反対はしなかった。恩ある主人の復讐を望まない者は、この家にはいない。
彼らの懸念は、ガイウスの『中身』がどんな人間なのかということだった。だが、今日の対面を経て、その不安も多少は解消されたようだ。
奴隷にとって、暴君への奉仕ほど嫌なものはない。そこへいくと、誠治は暴君の片鱗さえ覗えない。威張り散らさず、理不尽な命令をせず、するべき仕事を黙々とさせてくれるのなら、奴隷にとってはそれだけで良い主人だ。
だが、アデーレだけは納得しきれていないようだった。 顔合わせが終わった後、彼女はラシャを家の物置に引っ張り込んだ。
ラシャの胸ぐらを掴んで壁に押しつけると、アデーレは獣のように唸りながら鼻に皺を寄せ、伸びた牙を見せつけてきた。
「正気なの?」
彼女の黒髪や褐色の肌が物置の薄暗さと溶け合っているせいで、鋭い目だけが際立って見える。その目は怒りで満ちていた。
「何のことだ」とラシャは冷静に返す。
アデーレはあくまでも声を抑えたまま、激しい口調で言った。
「あんな奴、ご主人様とは似ても似つかない! あれじゃガイウス様の代わりなんて務まるわけないじゃないか!」
ラシャはため息をついた。
「お前も納得したはずだろう」
「せめて、もう少し締まりのある奴だと思ってたからね。でもあいつは……腑抜けだ!」
アデーレがそう言いたくなる気持ちもわかる。誠治には、ガイウスに備わっていた威厳も、気品もまるでない。
それでもなぜか、ラシャは誠治の肩を持ちたいと思った。
──愛着でも抱いているのか? 馬鹿な。
迷いを振り切って、ラシャは言った。
「努力はしている……彼なりに」
「並の努力じゃ足りない! 他人の魂が入ってることがバレたら、この家の者は全員、闘技場でなぶり殺しにされるんだよ!」
「ならば皆離散して、別の家でこき使われる方がよかったか? お前だって、前の主人に何をされたか忘れたわけじゃないだろう」
過去の傷を抉 ったせいで、アデーレの背中が強ばる。
ラシャは続けた。
「あの方は、少なくとも、奴隷を無碍 に扱う人ではない。少々頼りないのは確かだが──それは、俺がこれからなんとかする」
アデーレは怒りのこもったため息をついてから、ラシャを睨 め上げた。
「復讐を果たせば、何かが変わるとでも思ってるの?」
その質問に対する答えを、ラシャは持ち合わせていなかった。
アデーレもそれを知っているのだろう。返事を待たずに続けた。
「あんたは復讐を言い訳に、避けられない事態を先延ばしにしてるだけだ」
アデーレは、直剣 のようにまっすぐに、その言葉を突き刺してきた。
「後のことなんて、少しも考えていないくせに」
アデーレの目は、『わたしはわかってる』と言っていた。復讐を遂げた後、ラシャがそれ以上生き存 えるつもりがないのを、わかっている、と。
それは、真実だった。
竜は、己がこれと定めた宝を守る生き物だ。宝が奪われそうになったなら、死ぬまで戦い抜く。それこそが竜の誇りだ。
一族を失い、ただ一つの守るべき存在までむざむざ殺されて、これ以上どうして生き恥をさらし続けられる?
だからこそ、ラシャは復讐を遂げたら死ぬつもりでいた。
アデーレの厳しい視線から顔を逸らして、ラシャは言った。
「お前たちがちゃんとやっていけるよう、取り計らう。それは約束する」
アデーレはしばらく黙っていたけれど、やがてこう言った。
「ご主人様は、復讐なんて望んでないんじゃないかって気がするよ、ラシャ。あんたのご立派な覚悟だって、きっとありがた迷惑だ」
「それは、お前の意見だろう」
ラシャの頑なな言葉に、アデーレは肩を竦めた。
「好きにしな。でも、いい? あたしはともかく、他の皆を危険にさらしたら、ただじゃおかないから」
返事を待たず、アデーレは荒々しく物置部屋を出て行った。
アデーレの言葉は正しい。だからこそ、ラシャは苛立ちを覚えた。
気を落ち着かせてから物置部屋を出て、二階にある主人の書斎へと向かう。
・⁑ ・ ⁑・
「失礼します」
そう言って、ノックをするものの返事がない。
少しだけドアに隙間を開けて室内を伺うと、誠治が机に向かっている様子が見えた。集中しているせいで、こちらの声が聞こえなかったのだろう。
ガイウスの肉体に流れる魔術師の血のおかげで、誠治はイヴン語の聞き取りや会話ができる。簡単な単語を読むことも可能だが、難解な文書の解読にはガイウスの発明品である〈翻訳眼鏡 〉を必要とする。
今日も、彼は眼鏡をかけて、ガイウスの蔵書のうちの一冊にかがみ込んでいた。
ラシャは、すこしそのまま様子を窺 ってみることにした。
『彼なりに努力している』と言った言葉は嘘ではない。
貴族らしい立ち振る舞いはなかなか上達しないが、その代わり、彼は貪欲なほどの好奇心と熱意で、ガイウスが残した研究書や発明品への知識を深めている。
しばらく眺めているうちに、誠治は眼鏡を外し、低く呻 きながら肩をもみほぐした。それから、再び眼鏡をかけようとして手を止め、何かを探すように辺りを見回す。
──何をしているんだ……?
誠治は、箱の中からペン先を拭う布きれを取り出すと、水差しの水を少し垂らして、眼鏡を拭こうとした。
「おやめなさい!」
「うわ!」
誠治は椅子の上で飛び跳ねた。
ラシャは許しも得ずにつかつかと部屋を横切って、誠治の手から布を取り上げた。
「飲みかけの水で魔導具を拭うとは、何事ですか!」
「うわ、やっちまった。ごめん!」
誠治は素直に謝った。
「本に夢中になって、つい癖で……申し訳ない。大事なものなのに」
ラシャは大きくため息をついた。
「ここにある魔導具は、ガイウス様自ら制作されたものではありませんから、それほど貴重なわけではありませんが」
そもそも、そんな貴重品を誠治には触らせない。ガイウスが手ずから作った魔導具には、値がつけられないほどの価値がつく。市場に出回るのは、原品を元に複製された品だ。それでも高価には違いないが。
「それ以前の問題です。こんな無作法、高貴な者のすることではありません」
「本当に面目ない……」
ラシャはハッとして、小さく縮こまってしまった誠治を見下ろした。
──しまった。つい、アデーレとの言い争いの苛立ちをぶつけてしまった。
ラシャは決まりの悪さを感じつつ、誠治の前に膝をついた。
「立場を弁えず、過ぎたことを申しました。お許しを」
「いや、君は悪くないよ」
そう言う誠治の顔はガイウスのものなのに、表情は気弱そうだ。これだけ近くで見ても、一瞬別人かと見紛うほどだった。
アデーレの言う通り、これではガイウスのふりをさせるなんて無理だ。せめて、萎縮してしまった分だけでも元に戻さなければ。
苛立ちを露わにしてしまった後ろめたさも手伝ってか、ラシャは意図していたより優しい声で言った。
「ずっと家にこもりきりでは、息が詰まるでしょうね」
そこでふと、気晴らしになりそうなことを思い付く。
「留守を預かる者も戻ってきたことですし、少し町の方に出かけてみるのはいかがでしょう。この世界を知る機会にもなります」
すると、光が射したように、誠治の表情が明るくなった。
「……いいの?」
「実は、饗宴 への招待がいくつか来ているのです。いずれの日程も少し先ですが、そろそろ外の世界を見ていただくのもよろしいかと」
その言葉に、誠治の顔からわずかに血の気がひいた。
正直、ラシャも同じ気持ちだった。さまざまな人間が集まる饗宴の席は、鮫 が泳ぐ海のようなものだ。海千山千の貴族でさえ、不用意に妙な噂の種を作り、破滅への坂を転がり落ちる。
だからこそ、訓練が必要なのだ。
誠治は意を決したように唇を引き結び、頷いた。
「わ、わかった」
「結構です。わたしがお側についておりますので、ご安心ください」
強ばっていた誠治の背中の輪郭が、少し和らぐ。
「うん……それなら安心だ」
誠治が緊張を緩めると、なぜかラシャの胸にも安 堵 が広がった。
●・○・●・○・●・○・●・○・●・○・●・○・●・○・●・○・●・○・
試し読みはここまでになります。
続きは11/8(土)より各書店にて配信スタート!
書籍の購入
ともだちにシェアしよう!





